第一次世界大戦のドイツのミス [無断転載禁止]©2ch.net
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自分は第一次世界大戦はドイツは十分かつ可能性があったと思いますが、ドイツはどこでミスをしてしまったのでしょう?
シェリーフェンプランの誤算でしょうか?
それとも無制限潜水艦作戦の続行でしょうか。 ドイツ軍参謀本部はドイツから宣戦布告しなくてもフランスから宣戦布告してくると考えていて
ドイツ軍とロシア軍が東部戦線で激戦をしてる最中、フランスにとって最適な時期に宣戦布告してきたらドイツが不利になると考えられた
それを見越してどうせどちらも敵になると前提を置いて
それならばロシアより先にフランスを倒した方が有利であるとして開戦直後にフランスに主力軍を侵攻させた
ちなみに各国が動員してるまさにその時にフランス大統領はロシア皇帝とサンクトペテルブルクで会談していたので
当時の情勢からしてもドイツからしたらフランスの参戦はやはり確定事項として扱われた
いずれにせよ政治より軍事が優先する国家ではこういう目的と手段が入れ替わるような結論を招くということ まあ先に攻撃したほうが戦線を国外に置けるから消耗がすくないってのもあるだろうし、
ドイツの場合フランスに先に攻め込まれたらライン川左岸を放棄しなくてはいけなくなるかも 味方のつもりだったイタリアが、オーストラリアから領土を奪うためにオーストラリアと戦争を始めてしまい、敵国になってしまった。 ロンバルディアをめぐって昔から仲悪かったしな
ナポレオンがそうさせたっていうのもあるが >>255 訂正
×オーストラリア
〇オーストリア 第一次大戦前は防御条約が複雑に張り巡らされてるもんだから、その一角でひとたび戦争が始まれば、たちまち全欧州を巻き込んだ戦争になる仕組み
この中で、フランスとロシアに挟撃されるという悪夢を恐れたドイツは、挟撃されても勝てるようにと頑張るあまり、「そもそも挟撃されないようにどちらかを味方につける」という努力を怠った 植民地が少ないから代わりにオーストリアに投資してたせいで
オーストリアと一蓮托生になっていった
その結果ロシアとの対立関係も固定化されていった 第1世界大戦勃発時、ドイツの植民地は、ナミビア、タンザニア、カメルーン、トーゴ、ガーナ、南洋諸島、ニューギニア、中国膠州湾など。
少なくないと思うが ドイツの国力からすると少ないし投資先としては有力ではない ドイツは1870年にやっと国家の体裁になったのだから、英仏並の植民地は無理。
英仏西はコロンブスやバスゴダガマの頃から植民地を獲得していたし ヴィルヘルム2世は、祖母ヴィクトリア女王の縁を利用して、ケニアとタンザニアの植民地を交換してもらったらしい。
ヴィクトリア女王の長女がヴィルヘルム2世の母親 ポルトガルみたいにイギリスのコバンザメみたいな政策とってれば
細々と植民地経営できたのにね ヴィルヘルム2世は、英国王、ロシア皇后とも従兄弟関係。
王室の血縁関係を利用して、英独露の三帝同盟を結んでおけば良かった。
オーストラリアとロシアが開戦したら中立保持
フランスがオーストラリアを攻撃してきたら、フランスと戦う そしてフランスと戦うにはベルギーに侵攻する必要があるのでイギリスが同盟から離脱し
オーストリアに味方してフランスと対抗する事を選んだからオーストリアと戦争しているロシアが同盟から離脱しただろうな ドイツはオーストリアとは中立
オーストリアがロシアと戦争しても介入しない。
フランスから先にドイツを攻撃させ、ドイツはイギリスやロシアの援助を受けてフランスを撃退。その勢いでフランス全土を占領する ベルギー→イギリス参戦のピタゴラスイッチが地味に効いているな タレイランの呪縛というかウイーン体制の残滓というか 英仏を戦わせるのは無理 参戦直後のアメリカ軍はほとんど役に立たなかったらしい。
イギリスの歴史家A・J・P・テイラーは
「アメリカの参戦は援軍ではなく、災害となった」といってる。
WW2でも参戦直後のアメリカ軍はイギリス軍から
「我々のイタリア」と呼ばれていた。 イギリスは伝統的に欧州最強国を抑えるようにしてたからフランスとは対立してた時期が長いだろ 19世紀の英仏は仲の良い時期が続いた
英仏が同盟してロシアと戦争する時期もあった
植民地で対立し始めたのをドイツはうまく利用できなかったと言ったところか
ドイツ自身も植民地がほしかったからな ロシアとの戦争は避けられないから、フランスやイギリスとは中立を維持すべきだった >>277
いや、フランスこそドイツの仇敵で、
ことあらばドイツの敵に回ることは常識だった。
日本と韓国との関係と同じ。 汎ゲルマン主義を掲げたからロシアと組めないんですよ。
三帝姻戚でカトリック&共和国の異端フランスを囲む形が理想的だった
独露再保障条約を止めたこと、アメリカに仲裁を求めたこと、ここらが間違い
日本もアジア主義をやめて南朝鮮を切り捨てれば楽になります ビスマルクはバルカン半島に関心なく、
「バルカンなんざポメレーニア竜騎兵の骨一本にすら値しない」と
断言して、ロシア・オーストリアをコントロールしたんだけど、
やっぱりヴィルヘルム2世がねw ナチは酷いがヒトラーがソ連攻めた勝算は分からないでもない。一次はドイツ対仏英露米伊おまけに日本まで敵国。味方は没落した澳と土。しかし二次は仏を消滅させた直後だと敵は英のみ。伊は味方。日本は同盟国。潜在的な枢軸国多数。一次より遥かにマシな状況でソ連を攻めても何とかなると考えるのは楽観過ぎるとも思えんが。 それじゃ考えが甘すぎる
遠さ、広さからして短期戦で決着するのは難しい
長期戦となった場合、生産力でソ連有利
それを覆す戦いが出来るかが問題
出来なきゃ順当に負ける 第一次世界大戦は短期戦じゃなく長期戦になったお陰でロシアに勝ててるけどね 283の言ってること分かるけど、それは結果論で、開戦時点ではソ連の生産力は隠されていたし冬戦争で醜態を晒していたソ連軍は粛清もあって専門家から弱いと思われていた。言いたいことは英戦では遊軍となっていた最強陸軍を使って今のうちにソ連を占領し、来るべき英米戦に備えておきたい考えも一理あると思ったまで。英米戦に苦戦している時にもしソ連から攻められたら逆によりピンチになるし。
むしろ完全に二正面になる前にソ連を潰しておきたい作戦もある意味自然かと思ったまで。 >>285
独ソ開戦時に日本の陸軍省軍務局はソ連の生産力が上でドイツはしくじる可能性が高いと予想した
一方、生産なんか考えない参謀本部第一部はドイツが勝つと思い込んだ なるほど。その情報もあったのですね。もしかしたらソ連の恐るべき軍事力もある程度ヒトラーは理解していても信じたくなく、無謀にも突っ込んでいったと。米を侮った日本と同じですね。 ヒトラーとしては自分が生きているうちに千年帝国の礎を築くというのが目的だから
勝てるかどうかの判断というよりも、「とにかく勝たなきゃならん」という考えじゃねえかな ロシアでは、コサックという屯田兵が畑から沢山とれたらしい
第2次世界大戦でも畑から沢山とれた兵士がスターリングラードの戦いなどで活躍した 逆説的に二次で独+日+伊+潜在的な枢軸国多数で英米ソに勝てないのなら、一次で独の味方は没落した澳+土のみでは仏+英+露+伊+米+日本には絶対勝てる訳ないと言いたいのです。 ロシアとソ連とが違いすぎるのでそういう話にはならんよ
ドイツは鉄鋼生産でイギリスを抜いて絶好調だったし
自信過剰だったのは結果に表れてるけど、それだけの背景はある ロシア帝国とソ連は別の国
領土や国民は共通だが中身は全く違う 292さんや293さんの言われることも分かるけど、当時はロシアよりソ連の方が相対的に強敵と認識出来ていたのかな。冬戦争の醜態や粛清の嵐で弱っていると考えても不思議ではないし。後の結果でソ連の重化学工業が一次から凄い発達していたのが分かったのじゃないかな。 ポーランドに敗北しフィンランドに苦戦し主力し日本に苦戦したソ連をあの時のドイツがそこまで評価するのは難しい 296さんも言われましたが、ロシアよりソ連の方が与し易いとドイツ参謀本部が当時考えてしまったとしても仕方ないのでは。
当時ソ連にT34やKVがあるとは知らなかったし、ドイツ戦車3千台に対しソ連戦車2万台と分かっていたら絶対戦わなかったと後にヒトラーは語っていたし。 ソ連が伸びてることはドイツにも分かっていた
さらに伸びて危なくなる前に叩く、という考えだったが読みが甘くて既に危なくなっていた 続ければ続けるほど第一次大戦とは違いすぎて比較しようにもトンチンカンな話にしかならんのが明らかだわな 一次陸軍最強は間違いなく独。露仏合わせた陸軍と同じくらいの力があった。海軍は英最強。二位が独。三位に米。総じて言うなら世界最強は間違いなく独で、2位に英、3位に米、4位に露、5位に仏、日が6位で伊が7位。
しかし二次は陸軍最強は独ソで互角くらい。
海軍は独は圏外。だから比較することが出来ないのですね。一応海軍力断トツで三位の日本と5位の伊が味方になってはいますが。
結論として一次は最強の独対2位3位4位5位6位7位が戦ったということ。いくら最強でもこれでは勝てませんよ。 2位から7位まで協商ということは
フランス・ロシア・イギリス・イタリア・アメリカ・日本が入って
オーストリア二重帝国は間違いなく日本やイタリアより下ということになるが
そう判断した数字的な根拠はあるの? 伊は澳より戦力的には上かと。澳に止め刺したのも伊だったし。日本も海軍力はあるし。ただ当時は澳より少し上くらいで6位以下は限定的に戦い、あまり戦局に寄与しなかったのも事実です。2位4位5位までが激しく独とやり合って、3位の米が戦時中前半援助して、後半から直接戦争に参加しました。 戦力的に上だと言う数字的な根拠を出してほしいんですよ 数字としては大戦後にはなりますが日本は直後に五大国の一員に入り、その中に伊も入ってます。弱くては入れないでしょう。
澳は大戦当時国なので確かに激戦はしていましたが、大戦国中で被害の比率が最大でした。 >>300
最強だからこそあそこまで戦う事は出来たが勝つまでには行けないという微妙さだよな
その後の歴史もそうだが欧州では最強国だが覇権国まではなれない ガチガチの議論しかするなとは言わんが
気分でランキングつけた上にそいつを更に単純合計してもしょうがねえだろ
現実に起きたことの説明にもならん 一次の最後では東部圧勝の西部敗戦だったから二次の序盤で西部圧勝したから東部でも楽勝と錯覚してしまったんだよな
タンネンベルク症候群とでもいったところか 第1次戦、アメリカ参戦前、ドイツ軍トップはアメリカ軍の
戦力なんて大したことがないと考えていた。
ドイツ海軍大臣フォン・カ・ペレは言っている。
「アメリカの戦力はゼロである。ゼロである。
三度目にもう一度言う、ゼロである。」
実際、参戦した直後のアメリカ軍はほとんど役に立たなかった。 米軍は参戦した直後は役に立たないし
やっと戦闘に参加した頃も役に立たなかったし
戦争の最終局面においても英仏軍ほどは使えなかったし
小銃以外の兵器はほとんどみんなフランスから輸入してたが
それでも戦線のかなりの部分を担当することはできたし消耗してない大勢の兵士が味方としたやってきた事自体が英仏軍の士気の低下を防いだ >>310
それであっても実際はアメリカ軍の本格参加を前に何とかケリを付けようと相当に焦らせていたからな
そういう無言の圧力を果たしただけでも相当な功績だったかも >>311
逆にドイツはもはや予備軍も物資もなくなっていたからな
まさにそれこそゼロの三乗って 1917年はフランス軍でも叛乱が発生していた。
フランスにもレーニンがいれば・・・ 無理だろ
フランス軍は攻撃命令に従わなくなっただけで防御態勢は維持していたし フランス共産党の前身で当時フランスの共産主義者の殆どを有する労働インターナショナルフランス支部は
フランスで戦前から大規模な議席を持つ政党として活躍していたので
フランス議会や政府に対して暴力的なクーデターに出るのは自らの権力基盤を破壊するようなもの
フランス共産主義者はなにか政府に対して意見があるならちゃんと発言することができた
戦前は平和主義的政党だったがドイツ宣戦布告とともに戦争への協力を惜しまない政党になったのもあり
フランスで共産主義者が組織的な反政府的活動に出る事は考えにくい状態だった フランスって第三共和政から第四共和政までグダグダ感すごいな
今もそれに近いけど 別にグダグダだとは思わないが
70年続いて第一次世界大戦も凌いだし
大日本帝国の存続期間とフランス第三共和制の存続期間はほとんど同じだったが
政治危機は大日本帝国の方がよほど深刻で多かっただろ アメリカという国は本気にならないと強くない。
WW2でも初期は北アフリカで敗走中のドイツ軍にボコボコにされた。
ルーズベルトが「我々のボーイは戦争ができるのか?」と嘆いたのは有名。
朝鮮戦争でも中国にボコボコにされて、
元日本軍人はアメリカ軍の弱さに呆れたという。 >朝鮮戦争でも中国にボコボコにされて、
ポプラ事件やプエプロ号事件で北朝鮮脳内では米帝弱小認識されてるし 大戦中、フランスで革命が起きなかった理由はアメリカからの
輸入で最低限の食料があったからだと思う。
それに比べてドイツは海上封鎖で飢餓が蔓延していた。
ロシア革命も食糧不足が原因だしね。 フランス軍では士気高揚のため、毎日兵士1人にワイン1本を
無料で支給していたというから食料に余裕があったようだ。
それとも酔っぱらって革命を起こす気にならなかった? >>282
プロイセン憲法が国王に強大な権限を与えているから素人のヒゲが首突っ込んでムチャクチャにした >>301
横からだが、参考資料として1913年の国別粗鋼生産高
アメリカ 3180.2
ドイツ 1893.5
イギリス 778.7
ロシア 491.8
フランス 468.6
二重帝国 261.1
ベルギー 246.7
日本 25.5
単位 万トン ドイツは海軍をもっと活用すべきじゃなかったか?
といっても対イギリスでは勝てないのは分かってる。
ただしそれはイギリス海軍をこちらから撃破することは到底無理ってことであって、本土の海岸線を守ることだけなら不足していないだろう。
というわけで、海軍の艦隊を東に向かわせてロシアを攻撃させるために使うべきでは?
なぁに、ロシアのバルト海艦隊は日露戦争でボコボコにされて再建途上、恐るるに足らないのでは。
リガもヘルシンキもペテルブルグも攻撃できるのでは リガへの上陸作戦なら1915年にやってる
ロシア海軍はともかくイギリスの潜水艦までこの海域をウロウロしてたから途中で諦めた
その後1917年にアルビオン作戦でエストニア島嶼を占領して革命中のサンクトペテルブルクを脅威に晒そうとして占領はできた
1918年に更にエストニア本土にも上陸しブレストリトフスク条約締結に対するソ連への圧力にはなってる
いずれにせよこの地域での活動は後半になってからやっと活発化してきたと言えるわけだが
緒戦からこの方面に海軍の主力を注力するというのは要するに対英作戦を最初から全面的に諦めるわけで
未来人の視点では当然の戦略だろうけど当時の視点から見るといくらなんでも消極的過ぎて信任を得ない >>329
対英作戦が無理だってことは最初から分かっていたのでは? >>330
対英作戦って対英本土上陸作戦とかそういうレベルの話だけのことを話してるわけじゃないんだけど >>331
もちろんそんなの考えてないでしょう
艦隊決戦で北海の制海権を得られるかどうか
うまくいく可能性がないわけではないが、うまくいかない可能性のほうが高い
といって、イギリス軍が海からドイツ本国にいきなり乗り込んでくるとも思えない。
防衛するだけなら海軍は過剰な戦力でしょう。ならば対露攻勢用の戦力として使うことを最初から考えるべきでは。 それは結果を知ってるから言えるだけで
それだけでは当時の視点では説得力がない
それでは意味がない >>334 世界第二位なのにスカパフロー閉鎖で無力化されてしまったからな >>336
軍事的にはるかに準備のできていないベルギーですら
速攻で侵攻し動員と国境の防衛線か築かれる前に攻撃するのが成功の鍵だとドイツ軍が思っていたので
ベルギーよりもっと攻めにくいスイスから攻撃して成功する見込みはあまりなかったと当時も認識されていた >>338
作戦計画もなかったのかな?
本気でやるつもりがあったかどうかは別として 伍長閣下は七年戦争や第一次大戦をみてロシアかってに自滅してくれるとおもったんだろう >>337
単にイギリスとの関係を悪くして三国協商に追いやってしまっただけだからな
最後は革命の火種にもなったし イギリスをドイツの味方にするか、最悪でも中立にしておくべきだった。
イギリス相手に無制限潜水艦作戦をやらなかったら、アメリカが参戦することはなかっただろうから、ドイツはフランスに勝っていたはず てか放置しとけばフランスが勝手に攻め込んできた
ベルギー侵犯したらイギリスが自動的に叩いてくれてたから
放置しとけばよかった フランスはベルギーに攻め込む気はない
ロシアとの同盟さえあれば二正面作戦になったドイツを正面から抜けると思ってた
開戦と同時に国境のドイツ要塞に正面突撃してるし >>345
実際のところ露仏同盟ってドイツがロシアを攻めればフランスが参戦することが義務になってた?
仮にフランス攻め込んできても独仏国境は狭いし、守備に徹していれば恐れるに足らないのでは…と思うのだが 短期間でもミュルーズ陥落してるし
プラン17に基づく国境の戦闘がフランス軍の敗北に終わってるのは
兵員をベルギーの主戦場に転用するためであってフランス軍の国境への攻撃が脅威にならないということはないよ >>332
といって、ドイツ軍が海からロシア本国にいきなり乗り込んでくるとも思えない。
対露攻勢用するだけなら海軍は過剰な戦力でしょう。
というか、下手に遠い後方へ上陸しても孤立して各個撃破されかねないんでバルチック艦隊打倒しとけばバルト海方面から攻勢かけられるとかにはならない プーチンの演説で気づいたんだが今回の戦争ってブレスト=リトフスク条約が元凶なんじゃないか?
ブレスト=リトフスク条約でボルシェビキがウクライナをドイツに差し出してしまう
ドイツ敗戦でウクライナが戻ったのはいいがウクライナ人はソビエトに怒りまくる
これを抑えるために元々ロシア領をレーニンがウクライナにプレゼントする
このことでウクライナにウクライナ語地域とロシア語地域の分断ができウクライナ内戦に至る
https://i.imgur.com/346QoDZ.jpg
違うかな? ウクライナは8年前から西部ウクライナ語地域と東部ロシア語地域の分断で内戦やってた
東部ウクライナ援助のためにロシア軍が介入したのが今度の戦争
分断した遠因がブレスト=リトフスク条約 >>351
>分断した遠因がブレスト=リトフスク条約
ここを解説しろよボケ 第一次大戦でブレスト=リトフスク条約でレーニンはウクライナ全体をドイツに割譲する
ドイツ敗戦でウクライナが戻ってきたもののドイツに売られたウクライナ人は納得できない
レーニンはお詫びにウクライナに元々ロシア領のドンバスなど東部を名目上与える
1954年にはクリミアまでフルシチョフがウクライナ領にしてしまう
もっとも書記長の権力が強いソ連ではウクライナ領にされたロシア領の実態はあまり変わらなかった
ソ連崩壊時に是正すべきだったが戦争になるのを恐れたエリツィンがロシアが不利な国境線をそのまま受け入れた
ウクライナとロシアが友好的な間はなんとかなったが2014年に西部ウクライナ側が旧ロシア領の東部ウクライナ側を弾圧するようになり内戦が始まった
ロシアはクリミアを回収
西部ウクライナ路線をゼレンスキー政権が継承し2021年12月に東部ウクライナを軍用ドローンで攻撃始めたためロシア軍の介入を招いた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています