過大評価されてた反動で過小評価されてる人物 [無断転載禁止]©2ch.net
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かつてはいくら過大評価されてたとはいえ、そこまで過小評価しなくてもって人物いるよね
最初から評価されてない人物はNG 聖徳太子は存在自体が疑問視されていたような・・・
というわけで万券は俺にくれ 日本史で良ければ松平定信なんかそうだよね。
飢饉に際して白河藩から餓死者を出さなかった手腕や、老中としても七分積立金の創設などは再評価されて良いと思う。 >>3
あれはパターン変遷するんだよね
孔明は天才軍師!(ほぼ三国時代しか知らない。三国時代を過大評価)
↓
孔明は実は無能!(他の時代を知る。三国時代を過小評価。楽毅あたりを異様に持ち上げだす)
↓
孔明は政治家として非常に有能(大方落ち着く。興味が他の時代へ移る) スレタイの逆のほうがよくある。
細野正文とか。
タイタニックで、女子供がまだ数百人残っているのに、
「女と子どもが先」というルールを無視して我先に救命ボートに乗り込んだとして
叩かれてた人だが、タイタニック映画のヒットのとき以降、
細野さんの手記が発見されて、無理やり乗り込んだのではないと
明らかにして汚名がそそがれたと大騒ぎしてる。
でも、無理やり乗り込んだのではないにしても、
「後2人!」と船員が叫んだときに、女子供がいるかを確認せず
乗り込んだのは事実だろ。
別に責められるような人ではないけど、持ち上げられるのは違うし。 >>22
今も神様として祭られてるけど?
関帝廟は世界中に何千もある。
それで過小評価とか。 日本で典型的なのは楠木正成
戦前は大々的に扱われたのに
今じゃゲームにもラノベにもならない 楠木正成は確かに過小評価だと思うけどゲームや漫画にならないのは南北朝が人気ないだけじゃね?
後醍醐も尊氏も別にゲームやアニメになってないし 「太平記」が第二次大戦後に忘れ去られたから。
それまで「太平記」は「忠臣蔵」と並ぶ二大人気物語だった。
「忠臣蔵」は第二次大戦後に生き延びたが「太平記」は忘れられた。
なぜ差がついたのか…慢心、環境の違い 昭和天皇は過大評価するひとから過小評価するひとまでさまざまだから
ある意味公平な評価になってるとも言える。 >>31
少なくとも二・二六事件の時に青年将校たちに何らの同情も無く冷厳に切り捨てた点は、自分としては大変高く評価している。あれを単なる賊扱いしたことで日本の法治主義がどれほど守られたか。
不思議なことに昭和天皇を持ち上げる人たちは、それについてあまり触れたがらないけれど。 >>34
あれも自分のお気に入りの侍従が狙われたから切れただけなんだよな。
昭和天皇は半径10m以内の人。王族の器ではない凡人って印象。
別に嫌いではないけど。 プルートさんは元は冥王だったのに
ドワーフに落ちぶれてしまいました、、、 クフ王さんはでっかい仕事したけど
ちっちゃい王様として残ってる
ラムセス2世さんは、ちっちゃい仕事したけど
でっかいファラオとして残ってる 日露戦争での乃木希典と伊地知幸介。
谷寿夫と長岡外史のせい。司馬遼太郎がさらにそれを広めている気がする。 日露戦争そのものが過大と過小を行ったり来たりしてるからしゃーない 坂本竜馬はニワカが課題評価して
過小評価のあとやっぱすげぇトなる >>43
坂本龍馬の評価は過大にも過小にもなりうるからしようがない。
龍馬自身は大したことしてない。
大したことやる前に殺されたから。
だが龍馬がやりかけたことを他の人が引き継いで大きなことやってる。
「やりかけた」をどう評価するかで偉人にもなるし人生の敗北者にもなる。 >>37
半径10m以内に見えるのは立憲君主制下の理想の君主たらんとしていたからだと思う >>37
仮にお気に入りが無事だったらどうなったの? 首相は消息不明、蔵相と内大臣、陸軍教育総監が惨殺され、侍従長は重体。
君主ならこれを自分への反逆とみない方が不思議。 2.26の時の昭和天皇の言動は至ってまとも。
将校たちは農村を救いたかった、動機は純粋だ、といっても
のちに陸相になる阿南惟幾が「軍服を脱いでからにせよ」
と当時訓示した通りだ。 阿南は将校たちが兵を勝手に動かしたことに激怒してる。 >>47
そこまでやって赦されると思ってた青年将校ってどこまで馬鹿だったんだろう。 >>48
世界史ネタに持っていくと、スペインのフアン=カルロス国王が昭和天皇とほぼ同じことをしてるんだよね。国王親政を訴えてクーデター起こした軍人集団を切り捨てて。
三島由紀夫は昭和天皇を「怖くて人間に成り下がった」と悪罵したけど、自分には昭和天皇とフアン=カルロス国王の姿は人を超えた帝王の姿そのものに見える。 >>50
515事件でテロ殺人をやった海軍将校が、
配置換えとか軽い刑罰ですんでるから、
自分たちもそのくらいで済むと思ったんだろ。
もとはといえば515事件の処理が悪いよ。 >>46
515事件の時のように、何もせず二度寝。 >>45
昭和天皇のやなところは、自分の半径10m以内に入ってくると、
絶対君主に変貌するところw >>41
と言うか産業革命期以降、第一次世界大戦も含めてあの時期に未完成とは言え近代要塞を
短期間で陥落させて、なおかつその軍で野戦に参加して決定打となる包囲機動見せた将軍が
無能扱いと言うのはさすがにボンクラ過ぎると思う
旅順陥落時に欧州から次々と勲章が送られてくるくらい評価はされていた
たぶん日本人以外は実績を至当に評価してるんじゃないかな 日本の場合、反戦思想が暴走して
近代日本軍をまともに取り扱おうとするとヒステリーを起こす人が多いからなあ 俺は反戦主義者で内村鑑三を尊敬しているが、
乃木大将も立派な人物だと思ってるぞ。 乃木大将と新渡戸稲造は親交があった。
新渡戸は内村鑑三の親友。 こんな所にまで名を残してるんだし決して過小評価はされてない
http://www.nogizaka46.com/ 日本の場合、ネトウヨ思想が暴走して
近代日本軍をまともに取り扱おうとするとヒステリーを起こす人が多いからなあ >>53
帝国憲法下で、天皇は恩赦という形で刑の減免は出来たが
一度下った判決の厳罰化は不可能だよ。軍法会議で判決が出たら
裁可するか恩赦するかしかない。
2.26の将校達は実は獄中で大赦を期待していたんだよなあ。
磯部の手記でわかる。部下思いで知られる安藤も「出られる」と確信していたそうな。 2.26の裁判は実際暗黒裁判なんだが、しでかした事に対して将校たちの見通しは楽観的に過ぎた。
最期こそ潔かったが、死刑判決自体には多くが恨みを抱いていた。
昭和天皇が死刑になった人たちに向けてぼんぼりをともさせた逸話が
せめてもの救いか。 515はあまり反応しないのに226で苛烈な対応をしたのは、
侍従のこともあるけど、昭和天皇が共産主義アレルギーだったかな。
226事件の主張って、共産主義革命だろ。 昭和天皇がGHQのホイットニー准将に送った手紙(アメリカ公文書館保蔵)の一部抜粋
”私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。
日本の労働者は、物事を真似する事において、義務を等閑にして
自分の権利を利己的に追求しやすく、米国のストライキから有害な
影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。”
戦後も日本に共産主義革命が起きないかビクビクして、GHQに、日本の労働者が影響を
受けると困るから、アメリカのストライキを早く鎮圧しろとか求めてるし。 >>65
昭和天皇は、自由主義・資本主義に憧れてるアメリカ大好きな人だから、
国家社会主義だろうが、共産主義だろうが、両方嫌いなんだよ。 【226事件の主張】
・男女平等
・男女政治参画
・華族制度廃止(当然、貴族院も廃止)
・所得累進課税の強調あるいは私有財産制限
・大資本国有化(財閥解体)
・皇室財産削減など
↑
共産主義そのものって感じ。 >>69
それを訴えると共産主義じゃないのか?
共産主義は反戦じゃなくてむしろ好戦だよ。
共産主義というのは経済体制の話で、
好戦か反戦かは政治姿勢で根本的に共産主義とは関係ない。
こんな基本的なことを誤解してるやつが多いんだよね。
おまえはそうでないと願いつつ。 華族廃止だの、皇室の財産削減だのを求めてくるやつらを
昭和天皇が好きなわけがないw >>70
知ってるよ。でもさ、北一輝や青年将校らの主張はどうみても
国家社会主義であって、共産主義じゃない。
当時の日本共産党の主張は大陸進出反対であって、青年将校らと
共産主義は接点はない。むしろ君こそ意図的に
国家社会主義と共産主義を混同してないか。
共産主義者だって「人民解放戦争」万歳の人もいれば、憲法9条を守れと
真面目に言う人だっている。 >>72
じゃあ、国家社会主義と共産主義の差をちょっと言ってみな。 >>70
世界革命を志向しだすと途端に軍国主義化に傾く危険思想なんだが
スターリン自身は一国社会主義思想だったから実際には防勢的な戦略思想の持ち主だった
やばかったのは粛清された赤軍上層部
なにをトチ狂ったか大規模な機械化軍団を作ったり、侵攻先の共産主義勢力との提携の為に空挺作戦を考えたり
数百キロにわたってポーランドやドイツ、ルーマニアに侵攻する作戦構想考えたりとか
手が付けられない状態だった、周知の通りドイツ国防軍とはズブズブ
いまだに粛清したスターリンが悪いってことになってるのはかわいそうだと思う 国家社会主義はイデオロギー的には民族国家、民族共同体に至上の価値を置く。
共産主義は良くも悪くもイデオロギー的に国際的だ。
経済体制は国家社会主義は資本主義を全否定しない。一種の修正資本主義だし。
ナチスとドイツ財閥の親密ぶりは知ってるでしょうに。
北一輝だって財閥にたかっていた。
人命や人権を一顧だにしないのは両者に共通してるな。 >>68
ドイツ大使は本国に「ボリシェビキ紛い」と報告したし、昭和天皇にも「日本もロシヤのような国になりましたね」と言われてる。 国家社会主義は、共産主義のような階級闘争を否定して全国民の合同を目指すから
まかりまちがうと俺なんかには魅力的に見えてしまう恐ろしさがある。
ナチス党員にはホーエンツォレルン家の皇子から元浮浪者まであらゆる階層がいた。 226事件は、男女平等を訴えてるから共産主義だな。
国家社会主義はズルイんだよ。
自分の都合の良い社会に作り変えたいだけだ。 >>77
共産主義だって貴族はいる。
ナチス支持者の大半が低学歴の貧乏人であったという事実。 >>79
ナチス支持の高学歴の御仁もぞろぞろいる。
ハイデガーはそれで一生の汚点を残した。 >>80
宮崎市定もヒトラーに会ったことを自慢してたような…… >>80
それは低学歴をつるための看板ってやつ。
低学歴は「高学歴の◯◯さんも支持してる」に弱いからな。 まあ、資本主義者から見れば、国家社会主義も共産主義も、同類。
両方とも、カネの平等を求めてる貧乏人だから。 >>81
ヒトラーに割と好意的な随筆を戦後になって記しているよね。 ハイデガーは雇われ看板じゃなくてイケイケでナチスを支持してたよ。
どっちにしろ人生の汚点。 経済学とか政治学では、社会主義というのは、資本主義と共産主義の移行期にあるもので、
経済学者ですら、違いを明確に言えないよ。
両方とも アカ といわれる。 二次大戦の頃の軍人は毀誉褒貶が激しいよな
ロンメル:砂漠のキツネ or 兵站度外視の戦術バカ
ジューコフ:大祖国戦争を勝利に導いた名将 or スターリンの提灯持ち
マッカーサー:太平洋戦争、朝鮮戦争で活躍した名指揮官 or お勉強だけの秀才
結構紙一重だったんだろうなあとは思う >>65
本人たちは違うと思っていても、外野には同じ穴の狢に見えることはよくある >>87
名将神話が付加されなくなった時代、というのもあるんだろうな 話が伸びるもの
天皇 二次大戦 ナチス 三国志 戦国 >>89
過去の名将って言われている人間もたくさんミスしてたと思うんだよね
太平洋戦争で横綱相撲というイメージ強いミッドウェー以降の米海軍ですら
常に錯誤ごと混乱の中で戦ってて楽な戦争なんて存在しないんだなと実感させられるもの
スレタイ関係で軍事史家のジョミニ
列国の軍隊でも最近じゃほとんど読まれてないらしい
クラウゼヴィッツ、孫子は再発見的な感じで脚光浴びているのに ジョミニの引用割と見るけどね
俺がナポレオン戦争好きだからかな >>56
セヴァストポリの6倍の防御を誇る旅順要塞を
セヴァストポリの半分以下の期間で
セヴァストポリの1/10の被害で陥落させたのは世界の驚異でした。
それで無能呼ばわりする司馬史観論者とは一体……。 >>94
旅順陥落の武名が鳴り響いていた影響からクロパトキンは奉天会戦のとき第三軍を
必要以上に警戒したせいで戦場から時期尚早に後退するという大チョンボを犯している
日本軍は下手したら反撃されてぶち抜かれる可能性があったから、これは嬉しい敵失だったんだが
でも糧食も弾薬も尽きた上に主攻撃正面変換された中で最後まで戦い抜いた第三軍は凄いわ
乃木の場合旅順よりも奉天会戦の方が内容的には優れていると思う >>95
奉天戦前に戦闘序列の再編成を行い、第11師団を第3軍から鴨緑江軍に移管しており
それを知らないロシア側が奉天の東に第11師団を発見。
予備兵力を東に急派。
当の第3軍は西側から奉天を攻めていたが、司令部立案の長距離迂回作戦は不可能と判断。
独断で片翼包囲作戦に変更。
クロパトキンの懸念が的中し、第3軍の第7,第1師団が猛進。
特に最左翼を担った第7師団の進撃が凄まじく、
4倍以上の兵力差をものともせずにガンガン前線を押し上げた。
また包囲軸に位置した第9師団も第2軍と連携しつつ何とか持ちこたえた。
第3軍の位置を見誤り、また第3軍の進撃を止めるのは不可能と判断したロシア軍は撤退を決意。
撤退先は鉄嶺……のはずがその倍の距離の四平街まで撤退。 事実上の潰走であった。 奉天会戦の時は児玉の作戦が杜撰過ぎると思う
隷下の各軍司令官が頑張って尻拭いしたって印象なんだが
坂の上の雲は読んだことないんだけど
やっぱり乃木とか扱きおろされてるの? >>97
小説を面白くするためでしょうが、事実を相当曲げて書かれています。
旅順での児玉の指示あたりとかは特に。
そもそも、たとえ大山の一筆があっても児玉が直接第3軍に指示を出せば軍法会議モノ。
もし万が一出していたとしても、陸軍が証拠を残すはずがありません。
証拠が出てくれば軍法会議にかけなければならなくなりますから。
なので、小説中で児玉が旅順で出した指示は全て"創作"です。
203高地は頂上が広く平坦なため、山上の取り合いになるのは自明でしたし、
(旅順が初陣の第7師団が経験不足からミスをしたことも要因ではありましたが…)
児玉到着前から203高地方面への砲兵の陣地転換は始まっていましたし、
自軍歩兵を気にせず203高地への砲撃を続けるように指示したのは事実と完全に逆で、
第3軍においてもっとも士気旺盛だったのが砲兵。
「砲兵は敵だろうと味方だろうと動くものがあれば砲撃する」とまで言われていました。
歩兵はむしろ児玉に対し、砲兵にもっと自重させろとお願いするよう陳情するほどでした。
もちろんこの件への対策も事前に取られています。
歩兵は各小隊ごと常に複数の日の丸を掲げ、自軍砲兵にその位置を示すこと。
ロシア兵と遠距離でも見分けが付くように夏服を基本にすること。
冬服を着る場合は、冬服の上から夏服を着ること。
などなど。
ひとつひとつ挙げていけばキリがありません。 >>98
一応、さっき出た第7師団の名誉を保つため補足。
旅順が初陣になった理由は、国土防衛のために北海道に残された最後の正規師団、切り札だったからです。
旭川第7師団、別名"北鎮師団"は設置当初よりロシアが仮想敵国だったため特に厳しい訓練を施され、
名実ともに最精鋭の師団でした。
ミスらしいミスは初陣の第3次旅順総攻撃のこの時だけで、
それ以降は>>96に書かれているように他の師団よりもワンランク上の強さを発揮していました。
体格・銃剣のリーチともに勝り、勇猛で知られるロシアの正規兵でさえ、
第7師団の銃剣突撃の前には鎧袖一触でした。
ただ、彼らが白兵戦で強すぎたために
その後の陸軍が銃剣に重きを置く論拠のひとつになってしまったことは否定できませんが……。
良くも悪くも、第7師団は強すぎたのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています