福沢諭吉
「すべて自ら頼む能はざる者は他を頼むこと必然の勢なり---神仏なり、耶蘇なり、往古片輪
の時代に適したる教えなれば、世の中に片輪のあらん限りはその教えもまた甚だ入用なり。
酔狂立小便にポリス、夜盗に犬、いくじなし愚民に暴政府、馬鹿と片輪に宗教、丁度よき
取合せならん。(「宗教の説」1881年頃)」

諭吉は無神論者であるが宗教は愚かな民衆を統治する手段になると考えた。
諭吉は若いとき祠のご神体の石をそこらにおちている石と入れ替えたり
神様の名を書いたお札を用便に使ったりしていたが、本人は何も罰が当たらなかった、
だから石や紙を拝む必要はないと言っている。