イスラム王朝の歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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正統カリフ時代のイスラム帝国から現在のイスラム国まで
イスラム王朝について総合的に語りましょう 歴史・文学・建築・食文化なんでもOK
マイナーな王朝も歓迎 開祖時代はすでにスレがあるからなあ
セルジューク朝やブワイフ朝のようなあまり話題に出てこない
王朝とかメインがいいな カリフの地位がアブー・バクル・バグダディから彼の親族に継承されれば王朝といえる。
だが、まだカリフ継承を一度もしてないので今のところは王朝とはいえない。 王朝(おうちょう 英: Dynasty)とは、同じ王家に属する君主の系列、あるいはその系列が支配する時代を指す。「朝」は朝儀 に由来する[1]。
通常、王朝は血族による世襲で継承されるが、養子縁組による相続で継承が行われたり、マムルーク朝のように実力者が跡を継ぐ体制の例もあった。
王朝の存在時から、その王朝名で知られている場合もあるが、ほとんどは後世の歴史家の研究によって命名されて一般に認知されたものも多く、
そのため王朝とみなすか、いつを王朝の区切りとするかなどは、後世の歴史家の判断によっては定まらない場合がある。 トンブリー王朝も1代しかないけど王朝扱いだしね
カリフは選挙制ではないだろうからイスラム国は王朝でいいんじゃね よくある各国の歴史で王朝に別れて続いてる図あるけど
イラクの歴史で現代の部分に半分イスラム国て入るのかね >>9
王朝扱いじゃないね。英語版Wikipediaだと
アユタヤ・ダイナスティ
トンブリー・キングダム
チャクリー・ダイナスティ トンブリー王朝
Koenigreich Thonburi ドイツ語
Regno di Thonburi イタリア語
Reino de Thonburi ポルトガル語
アユタヤ王朝
Koenigreich Ayutthaya ドイツ語
Regno di Ayutthaya イタリア語
Reino de Ayutthaya ポルトガル語 トンブリーは前後があるから王朝と言えなくもないが、
イスラム国はないから言えないね 現在のところイスラム国を王朝と断定するのは厳しいけど
年数が経てばそういえるかもね
マムルーク朝も世襲ではなかったし1代で終わった王朝もいくつかあるしね
王莽の新 李自成の順 とか 1代で終わった王朝は、トンブリ―朝や李自成の順みたいに、東アジアや東南アジアには例が見られるが、
イスラム圏だと意外に見当たらないな。だいたいどの王朝も2代以上続いている。 >>4
セルジューク朝やブワイフ朝は高校世界史でも必ず名前を覚えさせられる程度にはメジャーな王朝なのに、
いかんせん他のイスラーム王朝に比べて、日本で語られることが少ないよな。
アッバース朝、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン朝あたりが良く語られているイメージ イスラム王朝で一代で終わったのはないかな
よく語られる王朝はアッバース、オスマン、ムガルぐらいだね
次点でウマイヤ、アイユーブ、マムルーク、サファヴィーぐらいかな >>16
西欧を圧倒したかどうかでしかアジアの偉人を評価する脳を持ち合わせていないから。
アジアの歴史を増やすことで西欧中心主義を克服した!なんて自惚れているが
結局、日本人は永久に西欧中心主義から抜けられないんだよ。 >>18
オスマン朝、アイユーブ朝あたりは確かに西洋諸国との絡みで好印象もたれてるな。
どちらも西洋の勢力を打ち破ったから語られている感じだ。 イスラーム国も頑張ってEUに勝てば、歴史が評価するようになる。 インドのデリー・スルタン朝5つはマイナーなのか・・・
ムガル帝国までの中継ぎだけどインド史においては重要 >>21
インド・イスラーム史においては重要だけど、日本ではマイナーなのは否めないね。
多くの人にとっては、世界史の授業でとりあえず名前だけ覚えさせられる王朝、って感じでは。
個々の王朝を見てみると、奴隷王朝のラズィーヤとか、ハルジ―朝のアラーウッディーン・ハルジ―とか、なかなか個性的な人物もいたりして興味深いんだけどね。 >>19
アッバース朝も、千夜一夜物語に出てくるハールーン・アッラシードと
いわゆるイスラム科学(実際の担い手はキリスト教徒やゾロアスター教徒だが)がネタの全てだな。つまり欧米への影響ありき。
イスラームの戒律、伝承がこの時代に本格的に整備されていったことやシーア派の本格的な分離は
「ムスリムのどうでもいい内部事情」に過ぎないから絶対に語られない。 >>23
確かになぁ。知恵の館とかのイメージがどうしても強い。
イスラームの宗教的内容についてはあまり語られていない印象 >>23,24
イスラーム神秘主義の出現は重要だぞ。シーア派も本来、イスラーム神秘主義の一種だ。
時代がクルアーンとハディースに対する解釈変更を必要としている時に、理論を圧倒する権威づけとして神秘主義が必要なのだ。
そもそもクルアーンとハディース自体が数理的な理論の通じないものである以上、置き換える労力も大きいということだ。
シーア派やバハイやアハマディアは、メンヘラが思い付きで興したのではなく、預言者の言葉を打ち消す必要に迫られて神秘主義で解釈変更の権威づけにしたのだ。 神秘主義はイスラームの拡大に貢献している面が大きいな。
中央アジアや東南アジア、インドにまでイスラームが広がったのは神秘主義教団の布教による面が大きい。
ヨーロッパのキリスト教における宣教師のような役割を神秘主義教団が果たしたと言える。 土着の民俗信仰と習合し易いのがシーア派。
アラウィーだかなんだかしらんが出自も教義もイスラムとして怪しいのがあまりに多すぐる。
そういえば、チェチェン紛争での神秘主義派と原理主義派の対立もあったよね。 イスラム研究家のウマール=アブダラー博士によれば、アラウィー派は元々フェニキア人の一部族で、太陽神バールと月神イシタールを崇拝してきた部族の末裔なのだそうです。
つまりアラウィー派とは、正確にはアラウィー族という部族の名前だ、というわけです。
syrezmap9世紀ごろ、シリアがイスラム化したことで彼らはバールをムハンマド、イシタールをムハンマドの娘婿アリに置き換え、崇拝したことでイスラムの一派であるとみなされるようになりました。
アラウィー族はほとんど農民で、その歴史の大半は貧しく、そして搾取されてすごしてきました。彼らは豊かで、彼らの富を掠め取るダマスカスやハマのスンニ派からの独立と復習をずっと願ってきたのです。 世俗主義のバース党のアサド体制を同じシーア派ということで宗教国家イランが支援し、イスラム原理主義の危険があるスンニ派の反乱軍を、社会主義色の強いバース党よりましということなのか、アメリカやトルコが支援しているという構図で本当に訳がわかりません。 チェチェンの人々は、イスラム教徒。ただ、この地域にイスラム教が入ってきたのは18世紀ごろで、それまで信仰されていた地元の宗教儀式と混じり合った、「イスラム神秘主義(スーフィズム)」になる。
厳格な従来のイスラムと違う点は、偶像崇拝をタブーとするイスラムに対し、スーフィズムは修行を続ける聖者たちを崇拝し、聖者は「奇跡」を起こすとされ、宗教儀式の踊りや音楽などもあり、人々を恍惚とさせて宗教意識を高める。
シャイフ(shaykh)と呼ばれる聖人を中心に、その弟子たちが各地の村々の指導者となり、宗教的な強いつながりが、チェチェンの氏族社会の特徴。
また、同族的なつながりに加え、山の民としての自尊心の強さがある。
結局のところ、イスラム原理主義とは相性が最悪だということだ。 イランは国家としての建前はともかく社会の実態はイスラム色は強くないよ。
イスラム教が宗教主流派の国家の世俗色の強弱は、女の姿を見ればわかる。 イフリーキヤやマグリブのイスラム王朝も無名といえば無名 >>31
フランスのエマニュエル・トッドが言ってるな。
「キリスト教と同様、イスラム教にも世俗化を押し留める力は無い」
「将来起こるイスラム世界の世俗化は、トルコでなくイランから始まる」
と。
トッドは好きだが、これが本当なのかは半信半疑。 文学者や芸術家が多く出てくるかどうかが判断の目安なんだろ。 インドネシア・マレーシアのほうが世俗化がよっぽど進行してると思うんだけどね。
まあシーア派は信仰の体系より個々人の信念重視という点では
プロテスタントに近いか。 イスラム国特にUAEだった国とエジプトについては本当に王様を名乗る人が
多すぎて、きっと国民の半数は名乗ってたにちがいないけど、みなラクダの
ような顔立ちでちょっとなんていうかアレな感じでした。 ウマイヤ朝=アラブ人のための国家
アッバース朝=イスラム教徒のための国家
この認識でおk? ムハンマドが天国から見たらムアーウィヤとか絶対許さん気がする
それが最大勢力スンニ派だから皮肉 いまさらバーナード・ルイスの『イスラム世界の二千年』読んでるんだけど
イスラム史って意外と日本の歴史と似ている気がしてびっくりしましよ。
まだ3分の1ぐらいしか読んでないけど
実権を握っていたカリフが次第に武官に実権を奪われて、宗教的権威に納まったり
セルジューク族が既存のカリフを、据え置きにしてカリフとは別にスルタンを名乗って
軍人たちに土地を分配して封建制を採用した話とか、朝廷ー幕府の関係みたいで
中国・朝鮮の歴史よりも、なんか親近感が沸いた
いまはベルベル王国っていう国の存在がすごく気になってる
なんか国名かわいいし >>42
西欧の皇帝と教皇の関係にも似てるな
日本に限らず、普遍的な事だと思うが
政治と宗教は手に手を取り合ってだよ そのカリフスルタンの関係性以外にどう似てんの
その親近感を感じない中国史と日本史なんて文字思想制度辺りを相当共有してるんだけど
余程イスラム史と日本史に共通項がないと勝てんよ >>45
文字思想制度とかが似てるのは共有しているといっても
日本が中国それぞれの歴史を歩んだ似た制度を生み出していった訳じゃなくて
中国型の国家を模範として日本が中国システムを意図的に輸入した結果の共有なんだから
この場合は日本と中国が『似ている』んじゃあなくて日本が中国に『似せた』
っていうほうが適切じゃぁないの>>文字思想制度官位名通貨衣服とか >>余程イスラム史と日本史に共通項がないと勝てんよ
共通項の数で勝ち負けを論じても意味が無い スルタン=カリフ制は、公武合体みたいなものか
当時の日本とトルコはどちらも列強諸国の外圧にさらされていた ウマイヤ朝、アッバース朝、オスマン朝の3つしかないよね。 >>11
United Kingdom の、ウィンザー家とかハノーファー家とかスチュワート家とかランカスター家とかのKingを頂いてる国体は、王朝ではないんかい? >>42
カリフの宗教的・精神的な権威は低いからなあ。
メッカの守護者の方が格が上。
ファティマ朝とかマムルーク朝とか、カリフ? そんなのまだ居たの? 自称だろwwwwみたいな感じ。
そこそこの礼遇はしても、政治に参与させたり経済的な援助をしたりは無い、徳川時代の、喜連川(足利家)とか織田家のようなものだろ。 ロシアにあったカザン・ハン国とかなにげにイスラム王朝なんだな
もっとも北方にあるイスラム王朝か?
いまでもあの辺りは◯◯スタンって名の共和国があるよな どなたかアガー・ハーン・ネットワークやアガー・ハーン財団をご存知の方がいらしたらご教示
いただきたいのですが、このニザール派の領土を持たない王朝、なんとなく世界帝国に見えるのですが?
ドバイのニュースでもアガー・ハーン建築賞とかぽろっとでてくるんですゆねえ、ただのサラブレッドの
育成実業家でもなさそうですねえ?なんか日本も一枚かんでいるみたいだし 欧米に流入しているアフガンのシーア派難民が極めて高学歴って報道を目にしましたが
ハザラ人のイメージじゃないんですよねえ、パキスタンのタリバンやTTPのシーア派への攻撃の動機
もあまりにも単純に見られているような気がしてきたんですけど、どなたかご存知の方いらっしゃいませんでしょうか? >>52
ファーティマ朝はアッバース朝に対抗して主君がカリフを名乗ったんじゃなかったんじゃないでしょうか?
後ウマイア朝とならんでカリフ三鼎立時代の中カリフ国なんて言われていますが?
マムルーク朝は江戸幕府における調停みたいにモンゴルに滅ぼされたアッバース朝の
生き残りをあえて傀儡に擁立したんじゃなかったんじゃないでしょうか?カイロ・アッバス朝かな? ザンキー朝が二代目で分裂してシリア方面を収めた君主がヌルディーンでしたっけ?現在のシリア内戦の
反政府軍にヌルディーン・ザンキー軍なんてありましたね、そのヌルディーンに従えてエジプト遠征して
イスマイール派のファーティマ朝を乗っ取ってアイユーブ朝を打ち立てたのが
サラ―フッディーンでよろしかったでしょうか?サラーフッディーンは一般には対十字軍の英雄
だけどこうしてみるとイスマイール派を粛清したと言う功績の面もあるみたいですね、クルド系説があるのが
興味深いですね >>53
なにげにて、タタールの軛の時代、ロシア全域がトルコ・イスラム王朝のジョチ・ウルスの属領だったんだぞ。 ジョチ・ウルスの後継国家はバラバラに分裂した、カザンハン国、アストラハン国、クリミア・タタールハン国
サライ中心の大ハン国、シャイバニー朝、カザフ・ハン国、シビル・汗国などに分裂し結局、ツァ―リ・ロシアに
確固撃破されていった、モンゴルのルーシー侵攻は1240年代だがモスクワ大公国に
サライの大ハン国が大敗したウグラ川の戦いが1480年、大ハン国は急速に衰退し
1502年にクリミア・タタール・ハン国に滅ぼされる、エカティリーナ女帝時代に完全に
クリミア・タタール・ハン国が滅ぼされたのが1783年、かくしてジョチ・ウルスは完全に消滅 世界の4大河文明のうち、3つはイスラム王朝の傘下に入った
事実上、当時としては世界の宗教界を統一したと言ってよい ナセルは、一時的とはいえエジプトとシリアの統合に成功した ムワッヒド朝良かったのにな
もっとイベリア半島を支配して欲しかった 戦史に残る大軍の寡兵に対する敗北、ナバス・デ・ドロサの戦いですか、伝説の突撃
をムワッヒド朝軍にかけた人はナバーラ王サンチョ7世、おまけ、イスラム帝国オスマン朝
の第二次ウィーン包囲を打ち破った英雄の一人がポーランド王ヤン三世ソビェスキ ユーラシア世界の過半を征服したのはモンゴル帝国ですよ、その分封の多くはイル・ハン朝
やジョチ・ウルスやそのまた後継王朝のクリミヤ・タタール汗国のようにイスラム化した
でも忘れてはいけない、アイン・ジゃールートの戦いでフレグの派遣したモンゴル軍は
十字軍国家と同盟してイスラム国家、マムルーク朝と激突した事を
元朝も他宗教国家だ、仏教、儒教、イスラム教やゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教どころではない
ローマカトリックの大都に大司教すらいた、元々モンゴルはテングリ信仰が主でこと宗教
政策になると比較的寛容と言うか無頓着だったからね ラカイン州の290万の多くがイスラム教徒だが、ロヒンギャはそのうち80万人、うち60万近くが
バングラディシュに追い出された訳だがアラカン民族解放戦線のバックには、ISがいることはISの
ネット広報紙でミャンマーに復讐すると明言されていた、フィリピンのマラウィ戦の避難民は40万人 まったく同じ口でフィリピン国軍の奮戦をたたえて、比国軍は人質を全員解放したという大本営発表を
右から左に垂れ流していた、国軍のIS掃討戦に密着取材すらしていた、明白な仏教徒差別の
キリスト教びいきだな、それともSASUKEから金をもらったか、サウジが人権理事会に入ってからのイスラムびいきはひどいものだしねえ 1492年年、グレナダの陥落によりナスル朝滅亡、イベリア半島におけるキリスト教徒のレコンキスタ完成
その年にパレスチナの地にスペインからユダヤ教徒の帰還が始まっている、まさにその年からね
イスラム帝国のイスラム教徒に付随して中東、アフリカ大陸から海を渡ってきたユダヤ教徒がスペイン語方言の
ラディーノ語に言語置換してセファルディムになった証拠、イスラエル人ですらリトアニアやポーランドからの
帰還者しか頭が回らない、今度のUNESCO事務局長の父親がモロッコ王室顧問を務めるセファルディムのように
けっこう今でも欧州、中東関連の著名なセファルディムがいる
オランダのような低地ドイツ語地帯のユダヤ教徒はセファルディムだよ
上高地ドイツ語方言のインディーシュ語を話す連中がアシュケナジムだ
フランク人のアンネはどっちかな? タイファ諸侯の中から台頭したキリスト教国家のポルトガルの第一王朝、第二王朝の
途中までは隣のカスティリーヤ=スペインほど異端審問が激しくなかった、イスラム教徒
は知らんが、ユダヤ教徒はキリスト教に強制改宗して新キリスト教徒とした、商工業者
や職能集団として結構重宝した、スペインからの圧力、特にスペインとポルトガルが
同君連合になって以降急速に異端審問が強まり、新キリスト教徒も新教徒地域の
オランダ等下ドイツ地方やアフリカ大陸に亡命することになる
1497年にイスラム教徒とユダヤ教徒の礼拝が禁止されユダヤ教徒の新キリスト教徒
への強制改宗がおこなわれた、まさにその年にポルトガルからのユダヤ教徒の帰還
が行われているんだよ、あとポーランド・リトアニアの衰退の年表と比較してみれば
よいから この新キリスト教徒こそイスラム教徒が古代・ギリシャ文明を守って中世に毛皮を着ていた
欧州人にその文明を引き渡してルネッサンスになったとのみ、主張するイスラムかぶれに対する
有力な反証になりえるだろうな、あの馬鹿どもは(東)ローマ帝国滅亡時の亡命者の影響すら無視する 面白い論文見つけた、日本の新進気鋭のパレスチナ研究家の論文だ、中身は著者の労作だし
触れないでおくが、オスマン帝国末期、サイクスピコ-ヴァルファオ-マクマホン体制確立期の
様子が良ーくわかった、二つだけ良い指摘があったな シリアのムハーバラード以下旧植民地国家における秘密警察体質は職門地当局がその
統治の為に現地人の一部を採用して作り上げたものであること、フランス植民地当局が
作った体制を欧米が人権侵害ガーってなんじゃいそれは ロシアの領内にハン国がいくつもあったことに違和感を禁じ得ない。 職門地→植民地
その論文をヒントにオスマン帝国時代の行政区画の歴史資料みっけ、帝国成立から
滅亡までの間、一度としてパレスチナ州だのパレスチナ県など存在しなかった
あのあたりは時代によってくるくる変わったが、ハレブ州(アレッポ)シャム州、ベイルート州なんかがあったんだな 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
C44TI モロッコのアラウィ朝面白いよ、現国王の王妃、ヒジャーブだのブルカだのニカブどころかベールすら
かぶっていない、国王の配偶者は1人しかいないな、家族法か、ブルカ、ニカブ禁止令にたいする反対デモ
なんじゃそれ?そもそも国王の王妃が被り物していないぞ 暗殺教団、ニザール派、面白いよ、インドのムハッラムに使われるシーア派の重要施設をテランガーナ州政府
当局と修復へ、カイロの歴史的モスクの修復にも乗り出す、日本のスンニアラブシンパの役にも立たない
イスラム教観をぶち壊す動きですねえ l o l カブールのバーブル庭園って多分、ムガール朝の初代皇帝の名前が由来だと思ったが違ったかな?
ムガール帝国と言う征服王朝が中央アジアから進出した何よりの証拠、2代目皇帝がいったん帝国を
滅ぼされて亡命した先があのサファヴィー朝、その後援を受けて帝国を再建し三代目アクバル大帝の時に最盛期と アクバル大帝がジズヤを廃止して他宗教、多宗派に寛容だったことは今のハンバルかぶれのイスラムかぶれ
は見たくない、親父がいったん国を滅ぼして亡命した先があのサファヴィー朝の事もね >>33
いまのイランでは女性のヒジャブ排斥運動が高まっていて、
あげくは王政復古の声まで出るようになっている。
トッドは好かんけど、イランの世俗化は本当にそうなると思う。 >>81
少し前の反政府デモの黒幕は世俗強硬派のアフマディネジャドだよ、王政復古どころかトランプの新ABCD
包囲網で保守強硬派の力がかえって高まって国内的には団結するってさ、ほんまもんのイランウオッチャー
が言うにはね、側からみている連中は群盲象をなでているな だいたいムジャヒディーン・ハルクだって数年前に欧州でサウジの支援で反イラン集会を開いて、サウジの
支援を受けるとはそこまで落ちぶれたかっていわれてな、そもそも連中の女性メンバーは米国ではしないが
欧州では平然とベールなど被り物している、世俗派って何なんだね? イスラム王朝の歴史なんて日本のイスラム学者やアラビストなんぞの作文読むより、開発援助、遺跡、史跡
保存、修復やっている世界的な財団や開発銀行のPRでも見ていた方がよっぽど勉強になる、日本人の
ハンバルかぶれのイスラミストやアラビストなど血沸き肉躍るエンタティーメント活劇、陰謀渦巻くおどろおどろしい
世界でしか中東、アフリカを描けない オマーン海洋帝国っていつのころから知っていたかって記憶にないぐらい昔からね、インド洋からポルトガル勢力
を駆逐したのはなにもブサイード朝に始まった事ではないんだな、その前のアヤーリバ朝の時点で
アフリカ東海岸に進出、モンバサのポルトガル軍の要塞を1696年に攻略、インド洋の交易圏をほぼ手中にしている そもそもアラブの大富豪に見初められて玉の輿なんて話し日本とオマーンで言ったら戦前にすらある話しね
大山清子姫とかブサイナ王女とかね、戦前から知られた話だよ、中東を血沸き肉躍るエンタティーメント活劇でしか
見れない人非人には悪いが
ブサイード朝の海洋帝国含めてポルトガル・オマーン・イギリス(オスマン帝国も絡んでいたな)のインド洋覇権争い
なんて大戦略の陰謀の定番ね アガーハーン4世の英国、ポルトガルなどへの歴訪は去年のダイヤモンド・ジュビリー(君主の在位60周年記念)
を記念した物、昭和天皇、エリザベス2世とならんでアガーハーン4世は、明確に君主として扱われている
ニザール派だけではない、イスマイール派のね、自称もHis Highness the AgaKhan(アガーハーン殿下)ね 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5M2 古代アラビア半島の文献的資料は旧南北イエメンばっか、ヘレニズム時代に名の知られた都市は
現在の地名で比定すれば、バーレーンの対岸、ナジュラーンの北西、ヒジャーズ北西、ムサンダム半島
あれ、メッカやメディナどころかリヤドすら出てこない、UAEすらディスった狂信的サウジ中華主義者には悪いが l o l >>84
昔サイードの『オリエンタリズム』読んだら
「欧米のイスラム史ってどこがどこと戦争して誰が誰を殺したとか
そんなんばっか」
とか怒ってたけど、今は違うん? 欧州は知らん、日本のイスラミスト、中東専門家なんて戦争・紛争専門家、紛争をやっている国の現代史
専門家ならいざしらず、中東全般を扱う自称専門家の大半は、朝から晩まで中東の血みどろの殺し合いと
陰謀渦巻く政争しか取り上げない、現地のメディアは御用メディアで無味乾だと黙殺して凡アラブ紙ばかり取り上げている アフリカも同じ、アフリカ大陸の現地メディアの方がまだ世界遺産特集とか砂漠のオアシス都市とか
急速に進む現代化の報道に熱心だ、極端な話し、悪い事、ネガティブな事が起こらなければ焦点を
当てないんだな、別に中東、アフリカだけではない、極端な話し太平洋島嶼国のニュースの大半は地震のニュースだよ 太平洋島嶼国の地震のニュースは最後は津波の心配はありませんと締めくくられる、現地の人間が死ななきゃ
大きく取り上げもしない、中国援助絡みの話しが他に出てくるくらい、過去半年の太平洋島嶼国の地震のニュース、トンガ、ニューカレドニア
ソロモン、パラオ、またパプアニューギニア、フィジー、バヌアツ、またフィジー、サモア、またNカレドニア・ナウル・またフィジー イスラムの国でポジティブなニュースって何があるんだよ。
サウジで女性が運転できるようになった、とかいうニュースが取り上げられても
人権の不備にフォーカスされているって受け止めて、やっぱり不満なんだろ? 大山清子姫とブサイナ王女の話しは戦前の話しなのね、極端な話し年齢層によっては子供のころから
知って入る話なのよ、アラビアンナイトの王女様のおとぎ話しとしてね、再認識されたのは東日本大震災で
オマーンが赤十字義援金か救援金で世界で4位の拠出した時ね 特に、ちゅか帝国主義者が何としても中国を上位に上げたくて中国本土と香港の寄付額を合算して
故意に中国が4位だ4位だと騒いだ時に、ごく一部だが、中東通のあいだで憤激が走って再認識されたのね
クウェートなんが原油の現物を足せば天文学的な寄付していたし そこらの新進気鋭の中東通がまだ「生まれる以前」の話しだし、中東通のなかにサウジの王子に一目ぼれ
玉の輿とか言ったやつがいたな、最近ではデビ夫人とか、そんなのいくらでも例があるのよ おフランスのマクロンさんが昨日アガーハーン殿下と会談しているよー、暗殺教団の頭目だぞー
スンニシンパアラブきちがい 最近シーア派の系統樹が書換えられたな、以前は十二イマーム派から5イマーム派(ザイド派)や
7イマーム派(イスマイール派)が分派したとかとぼけたこと系統樹だったがいつのまにやら7代目の
イマーム(カリフ)争いでイスマイール派と十二イマーム派に分裂した、7代目のイマーム以降を十二イマーム派と表現し始めたな 当たり前の話しだ、十一人目のイマームが死去し(スンニ派に言わせれば実在すら疑われる)一二人目のイマームが
お隠れになった事をもって後世十二イマーム派と言われたんだし、始めっから十二人目のイマーム派なんてそもそも存在しなかったのね
イスマイール派はファーティマ朝でイスラム帝国作ったんだし系統樹的にどっちを主流派ととらえるかなんかなんか無理があるのね >彼らはあくまでもシーア派の一派で独立の宗派ではありません
(シーア派にも12イマーム派とか7イマーム派とか、多くのグループがあることご存知の通り)
この一文、もしかしてザイド派=7イマーム派なこと良く理解していないんじゃないの 笑 もとい、ザイド派は5イマーム派だ、7イマーム派はイスマイール派、カルバラの悲劇を唯一免れた
フサインの息子の子供の1人のザイードがクーファのの蜂起に失敗して処刑された、その信奉者
の流れ、イスマイール派のファーティマ朝のカリフ・ハーキム(の時代)の失踪後のその信奉者の一派がドルーズ派 その後のファーティマ朝の内紛でイスマイール派から分派したのがニザール派、純粋な十二イマーム派
から分派して今日生き延びている大きな宗派って実はないんですよ 笑 >イスラムは何しろ60年代のアラブ民族主義の影響でほとんど勉強もしなかったので
よく知らないというのは正直なところです、知らない事は調べろよ、今時十二イマーム派以外
の宗派を7イマーム派だの5イマーム派なんて呼ぶイスラム学者はいないよ、シーア派分派初期すらアリー信奉派だ ウマイヤ家の世襲に反対して粛清されたのはアリーの信奉派、カルバラの悲劇のフセインやその孫の
ザイードだけではないもの、メッカの並行カリフとか、ハワーリジュ派とかまだあるもの、そもそもアリー
は4人の正統カリフの一人だし、十二イマーム派の初代にすること自体無理があるのね カイサーン派無視してシーア派論騙るやつはマジでもぐりだね、カイサーン派こそシーア派の根本理論
ガイバ論の本家だもの、でも途中で雲散霧消したから無視しているのかな、違うなあ、シーア派とは
ムハンマドの娘(ファーティマ)婿のアリーの血を引く一派だとかたくなに妄信しているから見たくないのよ カイサーン派はアリーの末子をマフディとしての擁立した指導者がその代理人(カリフ)を名乗って
ウマイア朝に反旗を翻してこれまたクーファでほろぼされたのね、ムハンマドの母系の血をうけついで
いない、叛乱鎮圧後生き延びたマフディさんまでお亡くなりになったのでガイバ論がうみだされたのね ガイバ論の先駆宗派を無視してシーア派騙るやつはマジでもぐりね、ハワーリジュ派なんてイスラム教の系統樹にすら存在しない
元祖AQやIS、現代のハワーリジュ派の語源だからかな、これはアリーとウマイア朝の開祖、ムアーウィア軍の妥協を拒否して
退去した者、たちねアリー信奉派(アリーを暗殺したのはハワーリジュ派)とウマイア朝に逆らってウマイア朝に過激派は鎮圧された カイサーン派を滅ぼしたのはメッカの並行カリフのイブン・アッズバイルの弟だった 笑 このころ日本の
イスラム学者の主流派がひたすら黙殺しているハワーリジュ派が蜂起している、683年イブン・アッズバイル
がメッカでカリフを宣言、684年ハワーリジュ強硬派アズラク派蜂起、685年かイサーン派蜂起、ウマイア朝は四分五裂と だからイスラム過激派は黒旗(アッバース朝旗)が好きなのでしょう、ウマイア朝旗(白旗)ではまるで
今のシリアの四分五裂の叛乱軍まんまだものね、692年メッカの並行カリフ・アッズバイルをウマイア朝軍討滅
699年アズラク派ウマイア朝軍に壊滅的な打撃を受けると、740年ザイドの叛乱鎮圧、なんと747年にはアッバース革命の発端がおこると 749年にはホラサーンで蜂起した部隊がクーファで隠れていたアッバース家と合流、反ウマイア朝で
シーア派も支援、アッバース朝初代カリフを推戴、750年初頭にはウマイア朝最後のカリフが殺害
4月には首都のダマスカス陥落と、まともに統治したのがよいとこ半世紀だもの、ウマイア朝なんか見たくもないのね 今のシーア派もコーランの天地創造以前の「周期」を信じているのでしょうか?
天上的アダム、地上的アダムというコーラン以前の人類の祖は「隠された」啓示としてイマームに与えられたけれど、修正はされていないのでしょうか? こうしてみると欧州人だけではない、日本人の研究者のイスラム教史も年表にするといつどこで
だれがだれを殺したか、戦争があったかばかりだな イスラーム歴史書の先駆けであるタバリーからそんな話ばかりじゃん ヴォルガ・ブルガールとかジョチ・ウルスとかカザン・ハン国とかシビル・ハン国が
史上最北のイスラム国家かね イスラム教成立史、ムハンマドの征服活動、イスラム帝国の勃興期の話など読み飽きたので読み飛ばしていた
アラビアの歴史、目を通したら、イスラム教を含む多文化共生主義者真っ青の内容、アラブ人ファースト主義
外来勢力の排除が成立の根源の動機の一つときた ムハンマドの時代、アラビア語はアラビア半島でのみ話される言語だった。
エジプトやイラクやヨルダンでは、アラビア語は交易での使用言語のうちのひとつでしかなかった。
イスラームの征服事業に伴うアラビア語マウンティングに応じて母国語をアラビア語としたのが今のアラブ世界である。
アラブ人とイスラム教を頂点とするカースト制度。これぞアラブ人ファースト主義。
アラブ人ファースト主義、アラビア語マウンティングを拒絶した周縁のペルシャ人とトルコ人が
現代においてイスラム世界に大きな影響力を持ち続けているのは運命の皮肉であろう。 そもそもジャーヒリーヤ時代(歴史的区分には諸説あるが、イスラム教勃興期の前夜ととらえると)においてアラビア半島で
覇権を握っていたのが、(東)ローマ帝国でもなければ、紅海の対岸、アクスム王国(エチオピア)でもない、ペルシャ湾を
押し渡って来たササーン朝ペルシャなこと、イエメンまで影響下に置いたことをアラビスト、イスラミストの大半は黙殺する メッカの並行カリフのイブン・アッズバイルを並行カリフと呼ぶのはウマイア朝正統論によるものだが
第二次内乱の主役1人、このアッズバイルの父親がアリーのカリフ就任に反対してラクダの戦いで戦死している
アッズバイルの存在自体、第二次内乱がウマイア朝と後世シーア派と呼ばれる一派の抗争でないことを如実に示している そして日本のイスラム学者のほとんどが黙殺するハワーリジュ派の叛乱、なかんずくアズラク派の蜂起と鎮圧、アリーを暗殺し
ムアーウィヤも同時に暗殺しようとしたハワーリジュ派の強硬派の動きを加味すれば、ウマイア朝初期の混乱は単にウマイア家
とアリー信奉派の争いでない事は明らか、ウマイヤ朝側に短命、幼少君主が数代続いた間隙を突かれたもの >>123
ハワーリージュ派はキリスト教におけるドナティストと捉えるとよい アリーもムアーウィヤも棄教・背教はしていませんけどね、ハワーリジュ派から見たらどうなるか知らんが
カーフィル(背教者)に対するタクフィール宣告の概念の先駆者だしそうともとれるかな、ハワーリジュ派強硬派アズラク派の
軍事活動は、アリー信奉はの萌芽期における軍事的強硬派と言う意味では、宗教革命の先駆者、フス派に似通っているような まあ反シーア派論者のなかにはカーフィルとかタクフイールって概念を生み出したのがハワーリジュ派
なことすら知らない人がいるがね、マジでシーア派のみが使う言葉だと妄信していた >>124
異常なほどアイシャを嫌っていたのがよく分からん アイシャは若すぎた後妻だしねえ、そういう人と先に生まれた娘やその婿が相性が悪いのは世の常
ラクダの戦いでアリーの前に立ちふさがったアッスバイル親たちのバックはアイシャだったがず アーイシャの性格は相当気が強いしな
アリーとの戦いの時には自ら戦場に出たり ラクダの戦いなんてまさに先妻の娘婿と父親が最後に愛し後妻の取り巻きの戦い、今時の週刊誌なら
骨肉の遺産相続争いね、この戦いに負けてアイシャはメディナに隠棲してムハンマドから晩年に聞き取った
言葉をハーディスにまとめたとか、アイシャはスンニ派的には「聖女」だが生前には砂漠で迷子になって姦通疑惑事件おこしている ラクダの戦いのラクダとは、アイシャがラクダに乗って自ら戦陣に立ったことから来ているのね、アラーの剣ことハリード・ブン・ワリードが
活躍したヤルムーク河畔の戦いで、ヒンド・ビント・ウトバ(ウマイヤ朝の始祖ムアーウィヤの母)率いる女性部隊が一時崩れかかった
部隊をこん棒振り回して戦場に追い返して督戦している、イスラム教初期の女性像って今からは想像もつかないんだなあ と言うかイスラム教興隆時のムハンマド以来の急速な勢力拡張はある程度落ち着いてミスルへの定住策
がとられるまでは拠点都市間の移動で後顧の憂いをなくすため幕営生活で、有力者の妻子同伴なんて当たり前だった
のかもね、モンゴル帝国の膨張史でも見られたが >>135
それは偏見ですね。
イスラムに都合の悪い文物はすべて破却されるので、人々がイスラムをディストピアと感じることはありませんよ。
イスラムの理想社会で生きることはすばらしいことです。 こんな世界を作った神を信仰出来るか
唯一絶対の神ならなぜ預言者が中東あたりにしかいない チンギス・ハーンも預言者のひとりと言えるだろう。
チンギス・ハーンは神託によってモンゴル帝国の大ハーンになった。
ホラズム・シャー朝やアッバース朝がモンゴル帝国に滅ぼされたのは神意だろう。 モンゴルにはキリスト教がすでに広まっていたわけだからチンギス・ハーンに一神教的思想現れていてもおかしくない 毛沢東も預言者のひとりだよ。
「ムハンマドは最後の預言者」というムハンマドの主張は正しくない。
これからもどんどん預言者が出てくるから楽しみにしとけ。 日本の預言者には池田大作や大川隆法がいるしな
日本は預言者の国だな 大量虐殺を行わない預言者なんて預言者じゃないでしょ。 ムハンマド王子=後鳥羽上皇?
アサド大統領=源頼家?
エルドアン大統領=北条時政? 人々の憎悪を巧みに操ってこそ預言者といえる。
預言者ムハンマドの時代もこんな風にしてアラブ社会が変革していったのだろう。
膨らむ憎悪、あおり続けたトランプ氏 米国でまた銃乱射:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLBX5DJLLBXUHBI01B.html
2018年10月28日22時37分
11月6日の米中間選挙を目前に、また憎悪をむき出しにした事件が起きた。
ペンシルベニア州ピッツバーグ市のシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)で27日に起きた銃乱射事件では、11人が死亡。
トランプ大統領が増幅させてきた「分断」「憎悪」が暴力につながる異常な連鎖が相次いでいる。
事件は、礼拝所で赤ちゃんの命名式が行われている最中に起きた。
半自動ライフルと短銃を手に押し入った犯人は「すべてのユダヤ人は死ななければならない」などと叫び、約20分間にわたって銃を乱射した。
捜査当局と銃撃戦の末、拘束されたのは同市に住むロバート・バウアーズ容疑者(46)。
犯行前、本人のものとされるSNSに「ユダヤ人の難民支援グループは、我々の仲間を殺す侵略者を(米国に)連れてくることが好きだ。
私の人々(マイ・ピープル)が虐殺されるのを傍観はできない」と反移民と反ユダヤを結びつけ、「攻撃に入る」と書き残していた。
ほかにも「ユダヤ人はサタン(悪魔)の子供だ」などと反ユダヤをむき出しにした書き込みを繰り返していた。
「米国のユダヤ社会を狙った最もひどい攻撃の一つ」(米メディア)とされ、特定のグループを攻撃するテロ行為ともいえる。
米国では中間選挙が目前に迫った26日、トランプ氏を熱狂的に支持するフロリダ州の男(56)が、
オバマ前大統領やヒラリー・クリントン元国務長官ら、トランプ氏に批判的な政治家やメディアに爆発物を送りつけたとして逮捕された。
党派や宗教、人種などが異なることを受け入れないヘイトクライム(憎悪犯罪)が、中間選挙前に立て続けに起きる異常事態だ。
ユダヤ教礼拝所の襲撃後、トラ…
残り:859文字/全文:1534文字 >>144
2人とも、生粋の日本人ではなさそうだな? >>42
アッバース朝のカリフが滅ぼされず、オスマン帝国のスルタンの背後で宗教的権威として存続していたら、本当に日本史と似ていたな マムルーク朝庇護にあったカリフなんかそれだな
マムルークなんて戦国大名みたいなもんだし ティムールがオスマン朝を痛打したことは、オスマン朝のヨーロッパ進出を
警戒するカスティーリャ王国の関心を引き、国王エンリケ3世はティムールの
もとにクラヴィホらの使節を派遣した オスマン帝国がクリミアタタール汗国を藩屏にして黒海を内海にしていた時代が最盛期で17世紀初頭ね
そのころのルーシー諸国なんて、南方からスウェーデンバルト帝国、南方からオスマン帝国に圧迫された
草刈り場ね、ロシア帝国の南下政策なんて話し、ツアーリロシアがロシア帝国に変わった18世紀以降の話しね 南方からスウェーデンバルト帝国、もとい、北方からね 西暦2019年1月13日日曜日 アマジク(ベルベル)歴 2696年 新年 おめでとう
時を支配するものが真の支配者 時を軽視するものはまがい物 アフマド、ムハンマド、マフムードが同時期に複数登場すると
頭がこんがらがってしゃあない 18世紀初頭に大改革者・ピョートル大帝が登場してロシアは飛躍する
それまでのロシアにとっては、スウェーデンが北方の大国で越えられない壁
オスマン帝国は憧れの文化・経済大国で先進国もいいとこ これ、キチ原珍太郎の文章なんだけど
> ヘーゲルは「歴史は他の何にもましての現実だ」と説いたが、
> キリスト教文明とイスラム教文明の相克ははるかに古く、
> 2世紀におけるサラセン帝国とキリスト教圏との衝突に始まり、
> 中世の十字軍騒動以来、実は今日まで続いている。
https://www.sankei.com/smp/column/news/150123/clm1501230001-s.html
「2世紀のサラセン帝国」て何? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています