イスラム王朝の歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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正統カリフ時代のイスラム帝国から現在のイスラム国まで
イスラム王朝について総合的に語りましょう 歴史・文学・建築・食文化なんでもOK
マイナーな王朝も歓迎 開祖時代はすでにスレがあるからなあ
セルジューク朝やブワイフ朝のようなあまり話題に出てこない
王朝とかメインがいいな カリフの地位がアブー・バクル・バグダディから彼の親族に継承されれば王朝といえる。
だが、まだカリフ継承を一度もしてないので今のところは王朝とはいえない。 王朝(おうちょう 英: Dynasty)とは、同じ王家に属する君主の系列、あるいはその系列が支配する時代を指す。「朝」は朝儀 に由来する[1]。
通常、王朝は血族による世襲で継承されるが、養子縁組による相続で継承が行われたり、マムルーク朝のように実力者が跡を継ぐ体制の例もあった。
王朝の存在時から、その王朝名で知られている場合もあるが、ほとんどは後世の歴史家の研究によって命名されて一般に認知されたものも多く、
そのため王朝とみなすか、いつを王朝の区切りとするかなどは、後世の歴史家の判断によっては定まらない場合がある。 トンブリー王朝も1代しかないけど王朝扱いだしね
カリフは選挙制ではないだろうからイスラム国は王朝でいいんじゃね よくある各国の歴史で王朝に別れて続いてる図あるけど
イラクの歴史で現代の部分に半分イスラム国て入るのかね >>9
王朝扱いじゃないね。英語版Wikipediaだと
アユタヤ・ダイナスティ
トンブリー・キングダム
チャクリー・ダイナスティ トンブリー王朝
Koenigreich Thonburi ドイツ語
Regno di Thonburi イタリア語
Reino de Thonburi ポルトガル語
アユタヤ王朝
Koenigreich Ayutthaya ドイツ語
Regno di Ayutthaya イタリア語
Reino de Ayutthaya ポルトガル語 トンブリーは前後があるから王朝と言えなくもないが、
イスラム国はないから言えないね 現在のところイスラム国を王朝と断定するのは厳しいけど
年数が経てばそういえるかもね
マムルーク朝も世襲ではなかったし1代で終わった王朝もいくつかあるしね
王莽の新 李自成の順 とか 1代で終わった王朝は、トンブリ―朝や李自成の順みたいに、東アジアや東南アジアには例が見られるが、
イスラム圏だと意外に見当たらないな。だいたいどの王朝も2代以上続いている。 >>4
セルジューク朝やブワイフ朝は高校世界史でも必ず名前を覚えさせられる程度にはメジャーな王朝なのに、
いかんせん他のイスラーム王朝に比べて、日本で語られることが少ないよな。
アッバース朝、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン朝あたりが良く語られているイメージ イスラム王朝で一代で終わったのはないかな
よく語られる王朝はアッバース、オスマン、ムガルぐらいだね
次点でウマイヤ、アイユーブ、マムルーク、サファヴィーぐらいかな >>16
西欧を圧倒したかどうかでしかアジアの偉人を評価する脳を持ち合わせていないから。
アジアの歴史を増やすことで西欧中心主義を克服した!なんて自惚れているが
結局、日本人は永久に西欧中心主義から抜けられないんだよ。 >>18
オスマン朝、アイユーブ朝あたりは確かに西洋諸国との絡みで好印象もたれてるな。
どちらも西洋の勢力を打ち破ったから語られている感じだ。 イスラーム国も頑張ってEUに勝てば、歴史が評価するようになる。 インドのデリー・スルタン朝5つはマイナーなのか・・・
ムガル帝国までの中継ぎだけどインド史においては重要 >>21
インド・イスラーム史においては重要だけど、日本ではマイナーなのは否めないね。
多くの人にとっては、世界史の授業でとりあえず名前だけ覚えさせられる王朝、って感じでは。
個々の王朝を見てみると、奴隷王朝のラズィーヤとか、ハルジ―朝のアラーウッディーン・ハルジ―とか、なかなか個性的な人物もいたりして興味深いんだけどね。 >>19
アッバース朝も、千夜一夜物語に出てくるハールーン・アッラシードと
いわゆるイスラム科学(実際の担い手はキリスト教徒やゾロアスター教徒だが)がネタの全てだな。つまり欧米への影響ありき。
イスラームの戒律、伝承がこの時代に本格的に整備されていったことやシーア派の本格的な分離は
「ムスリムのどうでもいい内部事情」に過ぎないから絶対に語られない。 >>23
確かになぁ。知恵の館とかのイメージがどうしても強い。
イスラームの宗教的内容についてはあまり語られていない印象 >>23,24
イスラーム神秘主義の出現は重要だぞ。シーア派も本来、イスラーム神秘主義の一種だ。
時代がクルアーンとハディースに対する解釈変更を必要としている時に、理論を圧倒する権威づけとして神秘主義が必要なのだ。
そもそもクルアーンとハディース自体が数理的な理論の通じないものである以上、置き換える労力も大きいということだ。
シーア派やバハイやアハマディアは、メンヘラが思い付きで興したのではなく、預言者の言葉を打ち消す必要に迫られて神秘主義で解釈変更の権威づけにしたのだ。 神秘主義はイスラームの拡大に貢献している面が大きいな。
中央アジアや東南アジア、インドにまでイスラームが広がったのは神秘主義教団の布教による面が大きい。
ヨーロッパのキリスト教における宣教師のような役割を神秘主義教団が果たしたと言える。 土着の民俗信仰と習合し易いのがシーア派。
アラウィーだかなんだかしらんが出自も教義もイスラムとして怪しいのがあまりに多すぐる。
そういえば、チェチェン紛争での神秘主義派と原理主義派の対立もあったよね。 イスラム研究家のウマール=アブダラー博士によれば、アラウィー派は元々フェニキア人の一部族で、太陽神バールと月神イシタールを崇拝してきた部族の末裔なのだそうです。
つまりアラウィー派とは、正確にはアラウィー族という部族の名前だ、というわけです。
syrezmap9世紀ごろ、シリアがイスラム化したことで彼らはバールをムハンマド、イシタールをムハンマドの娘婿アリに置き換え、崇拝したことでイスラムの一派であるとみなされるようになりました。
アラウィー族はほとんど農民で、その歴史の大半は貧しく、そして搾取されてすごしてきました。彼らは豊かで、彼らの富を掠め取るダマスカスやハマのスンニ派からの独立と復習をずっと願ってきたのです。 世俗主義のバース党のアサド体制を同じシーア派ということで宗教国家イランが支援し、イスラム原理主義の危険があるスンニ派の反乱軍を、社会主義色の強いバース党よりましということなのか、アメリカやトルコが支援しているという構図で本当に訳がわかりません。 チェチェンの人々は、イスラム教徒。ただ、この地域にイスラム教が入ってきたのは18世紀ごろで、それまで信仰されていた地元の宗教儀式と混じり合った、「イスラム神秘主義(スーフィズム)」になる。
厳格な従来のイスラムと違う点は、偶像崇拝をタブーとするイスラムに対し、スーフィズムは修行を続ける聖者たちを崇拝し、聖者は「奇跡」を起こすとされ、宗教儀式の踊りや音楽などもあり、人々を恍惚とさせて宗教意識を高める。
シャイフ(shaykh)と呼ばれる聖人を中心に、その弟子たちが各地の村々の指導者となり、宗教的な強いつながりが、チェチェンの氏族社会の特徴。
また、同族的なつながりに加え、山の民としての自尊心の強さがある。
結局のところ、イスラム原理主義とは相性が最悪だということだ。 イランは国家としての建前はともかく社会の実態はイスラム色は強くないよ。
イスラム教が宗教主流派の国家の世俗色の強弱は、女の姿を見ればわかる。 イフリーキヤやマグリブのイスラム王朝も無名といえば無名 >>31
フランスのエマニュエル・トッドが言ってるな。
「キリスト教と同様、イスラム教にも世俗化を押し留める力は無い」
「将来起こるイスラム世界の世俗化は、トルコでなくイランから始まる」
と。
トッドは好きだが、これが本当なのかは半信半疑。 文学者や芸術家が多く出てくるかどうかが判断の目安なんだろ。 インドネシア・マレーシアのほうが世俗化がよっぽど進行してると思うんだけどね。
まあシーア派は信仰の体系より個々人の信念重視という点では
プロテスタントに近いか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています