日本にイスラム教は伝来していたか [無断転載禁止]©2ch.net
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ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教ネストリウス派、仏教、道教、儒教、マニ教など
ユーラシア大陸の様々な宗教の伝来が濃淡ありながら痕跡が見受けられる日本だが
イスラム教だけ伝来してなかったのは何故か?
本当に伝来していなかったのか? 中国まではね
ところでユダヤ教の痕跡ってあるんかい >>2
筑紫に流れ着いた吐火羅国の人というのは、今で言うと、鹿児島県の奄美と屋久島の間の三島村・十島村あたりのトカラ諸島の人ちげーの? 政変があったとかで日本に支援を求めに来たんじゃなかったっけ
だがペルシャだとゾロアスター教かもしれないよね
酒船石とかあの辺は火を焚いてゾロアスター教の儀式で使ったとかいう説を読んだことある 日本にもモスクがいくつかあるんだし伝来してることは確かだ 歴史的には、奈良時代にイスラム圏から玻璃器などの宝物が、シルクロードを通り、中国などを経由して日本にもたらされ、正倉院に保管されている。
また、元のクビライが日本に送った使節には、2人のムスリムがいたことが確認されている。
また、江戸時代にはオランダなどのヨーロッパからの情報として、イスラム圏に関する断片的な情報が日本にもたらされた[1]。
安土桃山時代には、中国やアラブからイスラム商人が訪日していたとも言われており、南蛮貿易などで東南アジアに渡った日本人商人の中には、イスラム教に改宗した者もいたとされる[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%A4%BE%E4%BC%9A
ワクワク (アラビア語: ????? ????, 英語: al-W?qw?q) は、中世アラブ世界で、東方の彼方にあると考えられていた土地である。
ワクワク島、ワクワクの国、ワークワーク、ワクワーク、ワーク、ワクなどとも呼ばれる。
日本の古名倭国(わこく)に由来するとする説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AF イスラム世界と交流があったというのと布教がなされたというのは違うよね
>>1は漠然と布教が頭にあったんじゃないかと思うがどうなのか >>6
で、なんで、そこから筑紫に流れ着くの?
奄美のチョイこっち側から福岡ら辺に流れ着くならまだ分かりやすいんだが >>11
当時ペルシャの王朝交代でペルシャ人が離散してたからな
当時既に商売人としてペルシャ〜日本はシルクロードで繋がってるからな だから、なんで、南西諸島の 吐?喇諸島でなくて、ペルシャの吐火羅だと断定するん? >>14
吐火羅は中国の史書でも日本の史書でもトハラのことを指してるからだよ
吐?喇列島はトハラが奄美に難破したからそう名付けられたんだよ
筑紫に流れ着いたトカラ人は奄美から筑紫に行ったんだよ じゃあ、なんで、種子島は今でも種子島なんだよ? その理屈ならポルトガル島にでもなってるだろ? 掲示板でここまで無知を披露出来るのも凄い
俺はゆとり世代だけど世の中にはとんでもない阿呆が本当にいるんだなあ… >>9
元の使節の宗教について、日本側は把握してたのかな。 >>14
お前さんナンデ?ばかり言ってないで、ちったー自分の考えを補強するもんでも見つけてこいや
ちょっとググっただけでも、ほぼお前の望む通りの主張してるこういうサイトも見つかるだろーが
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28187169.html
ただこのブログでは触れてないが、覩貨邏人の男の名前である乾豆波斯達阿ってのが肝なんだよ
これがあるから、やっぱトハリスタンでいいんじゃねーのという話にもなってくる
http://www.geocities.jp/gur_bahram/pn/pn03.htm >>23
> 乾豆波斯達阿が日本を後にして15年後の天武四年正月に、彼の妻である舎衛の女が再び記録に現れる。このとき、共に参内した百済王善光よりも彼女が上位に列せられていることにも注目したい。
当時の大和政権は、内地を上位、諸蕃を下位に、置いてたでよ。
隼人・熊襲・蝦夷・南島人も帰順した者は内地の者の扱い、任那や三韓(百済、高麗、新羅)の大陸出身者やその係累はなかなか内地出自と々扱いにされない。
て゜、百済の使節よりも上位ということは、帰順した南島人の傍証となるわなあ >>23 阿倍仲麻呂が唐から帰ろうとしてベトナムに漂着したように、トカラ人も本当は中国からもっと北のどこか(朝鮮半島中部?)を目指してたはずが、南に流されて九州に着いたってことか
東シナ海の海流か風の癖で、南に押し流される傾向があるとか? 吐火羅国はイスラム教ではなくペルシャ系国家なのでゾロアスター教だろう
654年頃にアラブ軍の侵攻によってイスラム教が支配するところとなった
736年頃に日本に吐火羅人が渡来するが、これがイスラム教徒だったかは定かではない
渡来の要因がイスラム教アラブ人による侵攻によるものだとすると、イスラム教徒では無かった可能性の方が大きい >>26
唐の支配層は拓跋人で北方・西方に対しては天河汗・大河汗として振舞っていた、遊牧政権だよ。
陸上移動は大得意。
隋の煬帝の作らせた南北運河も絶賛稼働中。
なして、漢土から朝鮮半島へ東シナ海を航行する必要があるよ? 長安に援助を要請しに行った一派とは別の連中だろうな
亡命先を探しつつ、うまく行ったら援助も取り付けるみたいな
各方面にばーっと散ったと考えれば、日本を直接目指すグループがあったとしてもおかしくない >>27
みんなそんなことは分かってるさ
たまたま吐火羅の漂流でしつこいのがいたから、スレタイ関係なしに空騒ぎしてるだけだよ トハラと聞いてえ、ペルシア系だって?と思ったんだけど
ここで話題になってるのはバクトリアの吐火羅国だからそれでいいんだな
タリム盆地のトハラ語は印欧語でもイラン系ではなく東では珍しいケントゥム語の別言語 そう、バクトリアを征服したトカラ語話者の月氏だったがクシャーン朝の時点でイラン語圏になってた
(クシャーン自体の民族系譜は、大月氏と同一だったのか傘下に入った土着貴族だったのか不明)
地域名はトハリスタンとして以後もしばらく残った イスラム教自体がそもそも商隊の信仰なので、日本に来てたとしても布教は行われていないだろうな
だから痕跡が見当たらない 奈良時代にいきなり一神教伝えられても理解は難しかっただろうね。
イスラム教に限らず、古代日本は外来宗教をどのように扱ったんだろう。
仏教は受容したが道教は?古墳の星辰図や四神図は宗教と認識されていたのだろうか?
弥生式土器に方相氏の絵が描いてあった例もあったな。 卑弥呼が道士だったという説もあったような
もっとも、多神教だと古神道も道教も容易に融合しそう >>33
なんで?
インドネシアとかフィリピンとかタンザニアとかソマリアとかコモロとかは船乗が伝えて結構定着してんじゃん。 >>34
ごっちゃまぜで「夷神」。
大阪に今宮戎神社ってあるだろ。対外積極策に出た聖徳太子の発願で建てた神社だ。
京の北に宮殿、南の東西に寺、という基本形で、難波京の聖徳太子の拡張で、東に四天王寺、西に夷社というわけだ。
或る種のカーゴカルト信仰で、蕃夷が海の向こうから珍品奇貨や新しい知識や技術という形で富を運んでくるということで、その信仰する神も
運んでくる人もごっちゃにして信仰対象にしていた。 蛭子さんの先祖はそういうエビス信仰にかかわってた人物だったのかな
あの人自体荒御魂として崇拝されそうw 荒魂をお祀するのは隣の廣田神社だよ
このお宮も小さいながら聖徳太子の勧進で建てた 神道にも天御中主という一神教的な存在があって
これがヤハウェの事ではないかという日ユ同祖的な見方もある。
一神教の下地はあったが
日本の歴史は多神教を選んだって事だ
まぁ奈良時代に日本に伝来はしてたと思う。>イスラム
信者達の記録が残ってないだけじゃね ハシシ、アサシン、イスラム、暗殺教団
伊賀忍者、大麻育成、神宮大麻 >>40
たいていの多神教や精霊信仰には最高神(ハイ・ゴッド)がいて
よく一神教の伝来の時にヤハウェの訳語に当てられたりするよ
日本だけが特殊なんじゃない >>42
ギリシアにキリスト教が伝わってもYHWHをゼウスなんて呼んでないし
エジプトにキリスト教が伝わってもYHWHをアメンなんて呼んでないし 「よく」って言ってるだけで「必ず」なんて言ってないのに
ガキうっせーよ ヒジャーズの多神教社会では、最高神アッラーはそのままアッラーとして絶対神に移行したよな。
日本で大日如来が最高神から絶対神に移行する可能性はないが、天主閣の語源になったとされる天主が用いられたかもしれず、
天皇の権威と直接衝突し、一神教 vs 神道・仏教(神仏習合時代の場合) の大戦争になったと思う。 64 自分:名無し象は鼻がウナギだ![] 投稿日:2016/04/21(木) 07:50:15.23 0
>>1,63
The God = アッラー = 天主 = YHWH
god ≒ ラー ≒ 神 ≠ YHWH
"god"に定冠詞"the"が付くとYHWHの意味になるし
イラーフ(إله)に定冠詞アル(ال)が付くとYHWHの意味になる
定冠詞が付くか付かないかが重要
だから「神」に定冠詞を付ければYHWHの意味になりそうなものだが
日本語や漢語には冠詞というものが無いのでその方法は使えない 「かみ」に接頭語の「お」をつけて「おかみ」にしても、これまた天皇と衝突するんだよなぁ。
戦前の宮中語で「おかみ」は天皇を指した。
結局、日本人は一神教とどちらかが滅ぶまで戦う運命。
ムスリムもそれが望みだろう。殉教させてやればいい。 天皇をとるか、ゼウスをとるか。
天皇をとるか、アッラーをとるか。
両方とれば多神教徒に成り下がってしまうから、戦って天皇を倒すしかないのがアブラハム宗教の宿命。 いや、だから「天主」というもっと正確なYHWHの訳語があるんだって。
キリスト教も「天主教」だ。
だが天主という訳語が充分に普及する前にYHWHを「神」と訳すのが普及してしまったから。 >>49
( ゚Д゚)ハァ?
天主教だと、ますます神道と正面対決だろが。
キリストって「聖油をもたらす人」って意味だぞ。
chrism の意味は聖油。
chrismを実践する人が christ。
よって意味を重視するなら、キリスト教の名称は「聖油教」が望ましい。 天主をあえて使わなかったのは、国家権力と衝突するのを避けたのかもしれないってことか。
戦国時代のイエズス会としては、まず仏教を倒すことが優先であり、皇室の仏教保護の根拠である聖徳太子が邪魔だった。
よって、聖徳太子の遺物を破壊する事業戦略をとったとしても何ら不思議はない。 一級史料とみられる聖徳太子の願文が収められた仏像が、カトリックのキリスト教徒によって破壊・焼却されたことを示す心温まるエピソード
http://www.amazon.co.jp/dp/4122035813
中公文庫 完訳フロイス 日本史2 信長とフロイス - 織田信長篇U p112-113
信長はその(大坂本願寺)包囲の間、大坂から一里距たった天王寺という名の寺院と僧院を焼かせた。
それは日本で建てられた最初のもので、仏教の大いなる帰依者であった聖徳太子という名の皇子の創建したものであり、格別参詣者の多い霊場であった。
その寺院(四天王寺)が焼ける前、人々が僧院に放火し始めた時に次のような出来事があった。
彼らのなかには、かの地方でもっとも善良で確乎たるキリシタンの一人である若い兵士がいた。
彼は人柄は非常に勇敢な男で、たいへん貧しかった。
彼は仏像の中味がどんなものであろうかと訝っていたので、ただちに斧を手にし、
祭壇のところに行き、非常に高く、全身塗金してあったと言われる木製の偶像の上に登り、
足で踏みつけてその肩の上に立ち、偶像の頭を割り始めた。
彼はその頭の中に、この僧院と寺院の建立当時からの幾枚かの文書が入った非常に古い一つの袋を見出した。
彼はさらにその真中に書類の中に混じって、金製の小箱を見つけたが、
それには釈迦に遺骨の一部と言われている遺物が入っていた。
そのキリシタンは、その袋、文書および似而非遺物をこの一件の証拠品として司祭のところにもたらし、
司祭に全部焼いてもらうことにしたが、司祭も彼の希望どおりにした。
だがそのキリシタンは塗金した小箱は受け取りそれを売った金で一頭の馬、その他必要として品々を購入した。
そして彼は他のキリシタンたちに向かっては、皮肉ってこんなことを言った。
「私は仏にはなんの恩義もない。なぜなら、このようなちょっとした御恵みを与かるのに、
私はこの斧で仏の頭を割り裂かねばならなかったのだから」と。 日本で、キリスト教徒・イスラム教徒・共産主義者であると告白することは、自身が天皇打倒を目指す革命戦士であることを宣言するに等しい。 日本にキリスト教やイスラム教を広めるうえで、太子信仰と神道が明確に排撃対象になる。
当時の人はどうやって対処するつもりだったのだろう。 知恵遅れかい
本居宣長は聖徳太子こそが諸悪の根源だと言ってるんだが 江戸時代の人を引き合いに出す意味がわからないけど、本居宣長ってそんなにすごいの? 江戸時代に廃仏毀釈してたら、開国時に一気にキリスト教が広まって朝鮮みたいな薄っぺらで虚栄的な国になり果ててたに違いない。 凄い
江戸時代の学者としては最も凄い人だろう
宣長は日本語が膠着語であることと膠着語の特質に気づいたんだぞ
江戸時代当時の日本の学者がサンプルとして知ることのできた他言語は
漢文、朝鮮語、サンスクリット語、オランダ語
たったこれだけの言語しか研究素材にできない環境で膠着語概念に気づいたってのは凄いよ >>61
へぇ。小学生なのに微分積分できてすごい!みたいな立派な話だな。 古代〜平安の話なのか、鎌倉〜戦国の話なのか、江戸時代の話なのかはっきりさせないとな、スレタイ的に。 >神道が明確に排撃対象になる
本居宣長を知らずにこんなことを言ってるやつが現実に存在するのが
今の日本の大きな問題だよ。とめどもない白痴化が進行しているとしか思えない。 共生を謳うお花畑でアホ丸出しな仏教を殲滅したあとで、神道が攻撃の対象になる。
天孫降臨神話と絶対神が正面衝突するのだから仕方ない。
天皇は、神道を捨てて改宗するか追放されることになる。 殺生を厭う軟弱でアホな仏教と違い、神道はたくましく戦う宗教なので、神道にジハードを仕掛けるには慎重を要する。
日本から仏教と神道を殲滅し、アフガニスタンのような平和の国にすることがムスリムの理想。 マムルーク朝崩壊後、インド洋の航路は西欧キリスト教圏に握られ、イスラム系の活動は抑止された。 時期的には合ってるけどさ、マムルーク朝滅亡とはあんまし関係ないだろ
滅ぼしたオスマンがすみやかに領土を吸収して役割ひきついでんだし
インド洋に関してはオスマンも参加してたディーウ沖海戦で勝ったのが大きい
地中海ではしばらくオスマンが攻勢かけたけど、インド洋では純粋に軍船の性能差がモノをいった インド洋におけるイスラムの商業活動はマムルーク朝崩壊後、キリスト教徒にとって代わられている。
オスマン朝は遊牧民を起源とする政権で海洋における商業活動は得意でなかったようだ。
示威的に艦隊を何度かインド洋を航行させているし、ジャワにも使節を派遣しているが
恒常的な制海権は西欧キリスト教に握られ、イスラム商人が北東アジアにまで活動を広げることなかった。 マムルークが存続してたら状況違ってたということもないんじゃないの
単純に、人海戦術つかえない遠洋地域だとムスリムのガレー船・ダウ船では勝てないんだよ
そんで喜望峰周りのルートを確保されたら、中東を経由させる交易でボロ儲けもできないってだけ オスマントルコが時々ジャワに使節を送るときだけは西欧の商船は大人しくなりを潜めた。
オスマントルコはマムルークほどインド洋における海洋交易に関心を持たなかったので
力の空白を埋める形で西欧キリスト教勢力が拡張した。 オスマンとマムルークの海洋交易政策の違いを論じてる書籍ってある?
あったら教えてほしい >>69
そうでもないんじゃない?
16世紀にポルトガルに紅海・ペルシャ湾の入口を抑えられるけれど、イスラム勢力が盛り返してきて17世紀頭から19世紀前半くらいまで、オマーン・ザンジハルの勢力圏だったし、
アチェがオランダの勢力を払拭しようとして、オマーンとオスマンに助力を求めたりしている オスマンはインド洋に艦隊を派遣したりジャワにも使節を乗せた艦隊を派遣しているが、
西欧の扶植した拠点を一掃するような軍事作戦には至らず、西欧はオスマン艦隊が航行しているときだけ
大人しくして、オスマン艦隊が去った後は再び勢力の扶植を推進し徐々に支配を固めて行った。
オスマンやその他イスラム諸国が何とか西欧を一掃しようと思った時は既に手遅れだった。 >>56
今の皇室の大半はキリスト教徒なんですけどねw >>75が思う皇室のキリスト教徒とは誰か。具体的に名を挙げてみよ。 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20161004-OYT1T50163.html
2016年10月05日 06時00分
奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する
「破斯」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。
国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。
木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。
文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、
役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。
表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属」という役職名、
中国語でペルシャを表す「波斯」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「
破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。
(ここまで407文字 / 残り198文字) Ahmad Zaki
https://twitter.com/ahmadzakijp/status/796145729983000576
731部隊元幹部にして日本イスラム教団創設者、
シャウキー二木秀雄も数多くの現地人を拉致して人体実験・解剖を行ったことで知られています。
1980年代には世界で最も著名な日本人ムスリムでしたが生粋の犯罪者でした
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/731futaki.pdf#search=%27%E4%BA%8C%E6%9C%A8+%E6%BA%80%E5%B7%9E%E7%8C%BF+731%27
https://twitter.com/ahmadzakijp/status/796146219152093185
二木本人は「満州猿を使って実験を行っただけ」と弁明していますが、
そのような種類の猿は存在せず、彼らの実験データは人体実験であったことを明示しています。
日本ではイスラームを利用してやろうと寄ってくる人間はこんなのばかりです
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/doshisha/1-13.html
https://twitter.com/ahmadzakijp/status/796148100385513472
二木の働いた詐欺の一つに「日本に無料の病院をつくる」(法制度上できるわけがない)と称し
サウディアラビア等に莫大な金を無心したというのがあります。
そんな病院は影も形もないのですが、いまだに「二木氏の無料の病院はどうなっている」と
外国人ムスリムに聞かれることがあり説明せねばなりません >>54
福澤諭吉も全く同じ事をやってる
仏罰だの神罰だのと言うものが本当に有るのか福澤は仏像を押し倒してその頭を踏み付けた
そしてその後福澤には何事の災厄も無かった訳で福澤は仏罰などと言うものはインチキだと断言した訳だ 迷信を断ち切るためにするのと、他の迷信の優位性を確かめるためにするのと、動機は180度違うような。
結果は同じではあるが。 神社の鳥居に「日本死ね」 彦根市で器物損壊事件|京都新聞 2016年11月15日 22時20分
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20161115000175
滋賀県彦根市尾末町の滋賀県護国神社の木製鳥居に「日本死ね」と彫り込まれていることが15日までに分かり、
彦根署が器物損壊事件として調べている。
同署によると、傷は一文字10数センチ四方。
同市内の神社や地蔵尊など13カ所の木製の扉や柱などにも鋭い金属などで同じ言葉を刻みつけた傷があり、
9月から被害届が相次いでいるという。
いずれも文化財の指定はないが、同署がパトロールを強化している。 支那をコケにして、西方の文化・技術をありがたがっていたモンゴル帝国も、カラ・キタイの混乱・滅亡を目の当たりにして
イスラム教の危険性は察知していたようで、ジンギスカンの帝国憲法(ヤサ法典)も第一項は「互いの信仰を尊重し合うべし」。
信仰の自由の保障と同時に、他者の信仰の干渉・攻撃を禁止。
自分らの信仰に合わないからといって、他者の信仰する寺社を破壊したりということを厳しく禁じた。 多神教が滅びてイスラームが広まれば、サウジアラビア、アフガニスタン、東トルキスタンのような平和な社会になる。
とてもすばらしいことだ。 皆が糞まみれになれば糞の臭いが気にならなくなり、心は平静となる。これこそがイスラームにおける平和の真髄である。 ムハンマドのオッサンとイエスの兄ちゃんとワシ(アブラハム)の三人でヨルダン川西岸の土手で糞遊びしたんじゃ
ああ^〜もうたまらねえぜ >>62
コロンブスをバカにしたのはこういうやつだろうな >>86
東トルキスタンは現状で完全にイスラム化したとはいえない
今ひとつ平和と言いきれない理由はそこにある アウグスト・シュライヒャーが屈折語・孤立語・膠着語という古典的類型論を打ち立てたのは19世紀の終わり頃
本居宣長が日本語の構造上の特質をテニヲハに見出して論文にしたのは18世紀後半 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
E8RYZ >>81
そこまでやっていたっけ?
お稲荷さんの祠の扉を開けたら御神体の筈の所に石が置いてあったので
それを別の石ころと取り替えたけど何もなかった
っていう話なら読んだが 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまといも、子供の奇声も、ドアバンも、ヘリのノイズキャンペーン(騒音の嫌がらせ)も全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)も、クソダニ米国の腐れAIが波動(周波数)を悪用して作り出したもの。波動で人を操ってやる。真実は下に
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