第二次世界大戦と冷戦ってさ [無断転載禁止]©2ch.net
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冷戦の方が見てて面白いよね
中ソ対立とか中東戦争とかの仲間割れも見てて楽しい >>10
アメリカは反戦デモを弾圧して何十人もの若者を殺している。
アメリカや資本主義陣営は中国やソビエトの言論弾圧や天安門などを批判しているが
西側も所詮は同じ。自由のない資本主義など、誰がいいと思うのか。味のないガムのようなものだ。
だが暴虐非道の米帝は人民を搾取しなんとか勝ってしまった。何たることか。
米帝は死すべしである。 >>9
おまいさん
もし冷戦を書いたとして、
どの段階で打ち切るつもりかね?
30年戦争だと、グスタフ・アドルフとワーレンシュタインの死で
打ち切っているし、
吉川三国志だと、諸葛孔明の死で実質的に打ち切りだし、
古典太平記だと足利義満の即位で打ち切っているけど。 http://foreignpolicy.com/2016/12/22/the-birth-of-absurdistan/
・・・Serhii Plokhy<の>『最後の帝国--ソ連の最後の日々(The Last Empire:
The Final Days of the Soviet Union)』<という本がある。>・・・
⇒清/中華民国/中華人民共和国が帝国である以上、こんなタイトルを付けただけで、
そんな、欧米中心主義的な視野狭窄の著者が書いた本など読む価値は殆どない、
と言ってよいでしょう。
その抑圧と大量殺人の長い歴史を踏まえれば、ソ連がなくなることを見るのは
特段残念だとは思わない。・・・
⇒「そのインディアンや黒人等に対する抑圧と中米、アジア、中東における大量殺人の
長い歴史を踏まえれば」が当てはまる国の識者が、こういう表現を他国について
用いることだけで、そんな人間は識者ではありえないし、そんな人間にコラムを
書かせる雑誌(電子版)はゴミである、と言われても仕方ないでしょう。
<ソ連崩壊後の旧ソ連人の>大部分の人々にとって、「市場」は、より良い生活に
導く何かではなく、混沌の力、神秘と恐れの源泉、であり続けた。・・・
<ある米国人>が、「もっと顧客達が来て欲しいと思わないか」、と<ソ連崩壊に>
当惑している<カザフスタン人の>店主に尋ねた。
「どうしてそう思わなければいけないんだ」、とその男は答えた。
「もっとカネを稼ぐためだよ」、とその米国人は言った。
「どうしてそんなことをしなければいけないんだ」、とその男は返した。・・・
⇒まるで、旧ソ連人が野蛮であるか、指令経済下で人間性が歪められてしまったか
のような筆致ですが、企業人達が企業の存続を最大の目的として、匠の精神で
財・サービスを提供し続けることを旨とする文明・・しかも至上の文明・・たる、
日本文明が存在することを知ったら、この筆者は腰を抜かしそうですね。この筆者、
70年以上、そんな文明の国の宗主国である国の国民なんですが、困ったものです。 途方もなく、石油その他の自然の富に恵まれている共和国のカザフ人達は、
市場志向の自由民主主義国を目指すべき<だった>のか、それとも、シンガポールや
マレーシアのような専制的(despotic)資本主義の一形態を採用すべき<だった>のか、
或いはまた、ペルシャ湾岸の首長的(sultanist)金権政治が、よりふさわし<かった>のか。・・・
⇒人口が多いので、カザフスタンほどではないにせよ、ロシアも「石油その他の自然の
富に恵まれている共和国」ではあるので、この思考実験は基本的にロシアにも当て
はまるはずですが、ソ連崩壊時点で、既に、中共で改革開放が始まってから10年以上
を経過していたわけであり、選択肢に、それを含めなかったことが不思議でなりません。
http://foreignpolicy.com/2016/12/22/why-george-kennan-is-still-americas-most-relevant-russia-expert-trump-putin-ussr/
「次期米政権は、<対露に係る>最後の成功を収めた事例である、1991年12月25日の
ソ連の平和的解体が大団円となった、冷戦戦略を見つめるのが賢明だろう。それは、
その創始者(founder)である、ジョージ・ケナン(George F. Kennan)を見つめることを意味する。・・・
⇒ケナンは、英国が抜けてから(東北アジアで)日本が単独で行ってきた対ソ(露)抑止
政策なる看板を剽窃し、それがあたかも自分の創見であるかのように喧伝したけれど、
彼が提唱した抑止政策の中身は日本のそれとは似て非なるものであって、米国の歴代
政権が実際に始めた抑止政策は、ケナンの提唱したものではなく、日本によるそれを
真似したものであったところ、それを、著しく拙劣な形で実行し続けてしまったのです。
ケナンの同時代人であるポール・ニッツ(Paul Nitze)は、米国の対ソ政策の形勢に主要な
役割を演じた人物だが、戦略について、意思(will)と諸数(numbers)であると見て、軍事に
おける優位とその世界中への諸配備によってソ連を圧倒すべきであると主張した。
⇒戦後における日本との関わりや、ケナンから事務引き継ぎを受けたことから、ニッツェの
対ソ戦略が日本のそれの継受の趣を呈していることに不思議はありません。 しかし、ケナンは、このような封じ込めの軍事化された諸解釈に戦慄した。
抑止が機能するためには、欧米は、脅かしている、或いは、いじめているトーン
・・彼は、それについて、ロシア人達が弱さと感じたり、国内的にソ連政府を追い詰めて
エスカレートさせることを強いられたりすることを心配した・・抜きの、明確で否応なしの
脅かしを伝える必要がある、と主張した。・・・
<しかし、>ケナンの戦略の適切性が冷戦を終わらせたわけではない。
米国の対ロシア政策に関する今日における主要な議論の中心は、ロシア政府の
その諸行動の諸動機が、(NATOによる包囲、米国によるポスト・ソ連の近傍地域、
恐らくはロシアそれ自体の体制変革、への容喙、といった)主として安全保障上の不安
(insecurity)に由来するのか、それとも、単に、その地域的支配(dominance)と全球的
影響力を回復するために欧米の弱さにつけこもうというものなのか、を巡ってだ。
⇒ロシアの内外政策の原因はタタールの軛への恐怖に有るという説に照らせば、
後者が原因で前者はそれが必然的に引き起こす結果であって、両者はコインの
両面に他ならず、「議論」する意味などありません。
ケナンの戦略の大いなる便益は、それが<かかる>議論の決着を要求しないところに
あるのであって、それは、ロシア政府への関与(engagement)、と、ロシアの侵略を抑止
するために必要な軍事力(strength)の投射(projection)、との双方を奨励した。・・・
⇒ここまでは、日本の旧陸軍の皇道派が追求した熱戦論に対する、統制派が追求し
日本の国策となった冷戦論(抑止論)そのものです。
ケナンは、対兵力(counterforce)を抑止として求めつつも、彼は、欧米の力を用いて
(applying)ロシア政府それ自体を変革しようと試みることに対しては警告を発した。
このようなアプローチは、ロシア内部の諸出来事に影響を与える欧米の現実の能力の
観点からは無理筋(overreach)であるだけでなく、自負心ある(proud)ロシア人達の間で
欧米との引き続きの対峙を支持する声を掻き立てさせることは必至だろう、と。・・・ ⇒しかし、軍事的に抑止政策をとることと、経済的、思想的等の非軍事的手段でソ連
(ロシア)政府の弱体化や転覆を図ることとは矛盾しませんし、実際、戦間期の
日本政府も、経済的、思想的等の面でそう努めたところです。
(そもそも、経済力(能力)や思想力(意思)がなければ、軍事的に抑止政策を維持
することすらできません。)この点から、私は、ケナンが提唱した対ソ(露)戦略は、
日本のそれとは似て非なるものであった、と申し上げているのです。
ケナン自身がそれについて考えたように、封じ込めは、ロシアの力に対する直接的な
対応(response)に関することと同じくらい、欧米の力と繁栄の核心にあるヴィジョンに
ついての再確認と宣伝(broadcasting)に関することなのだ。
実際、冷戦は、かなりの程度まで、ロシア人達が米国を、成功を収めた繁栄している社会、
と見るに至った・・米国のモデルを継受(emulate)することを希望し、全球的諸挑戦に対処
(manage)するために米国との提携(partnership)を欲した・・から終わったのだ。
それとは対照的に、今日の<米露>諸関係の悪化は、米国のイラクとアフガニスタンでの
諸失敗、及び、ロシア人達の経済発展のための米国的モデルに対する信認(faith)を粉砕
したところの、2008年の金融危機の尾を引いている諸帰結によって深められてきているのだ。・・・ ⇒戦間期の日本の対ソ戦略を(部分的にケナン、そして、全面的にニッツ、を介して)
継受した戦後米国は、日本とは違って、極めて拙劣にこの戦略を遂行した。
具体的には、米国が北朝鮮による南進を誘った形で朝鮮戦争を引き起こして
しまったのはこの戦略確立直前だったが、この戦争の過程で米軍等を北進させて
しまったために、本来反ソの中共を長期間ソ連側に追いやってしまい、また、無意味な
ベトナム戦争を戦って全世界で反米意識を煽ってしまい、更には、ソ連がアフガニスタン
に軍事介入した際にイスラム過激派を支援したため、現在のイスラム世界全体の混迷を
引き起こしてしまった。
にもかかわらず、冷戦に勝利を収めることができたのは、第一に、ソ連が掲げたマルクス・
レーニン主義の根底にあった思想は、米国の思想、ひいてはアングロサクソン的思想よりも
本来的に優位にあったというのに、その自覚が足らなかったからであり、第二に、核時代の
到来で、もはやソ連(ロシア)の核心的領域は聖域化したことから、タタールの軛症候群を
乗り越えるまでもなく、米国との軍拡競争、ひいては経済成長競争に狂奔する必要がなく
なっていたにもかかわらず、惰性でそれを続けた事で国力の相対的疲弊が募ったから、です。 「冷戦」ってオーウェルの造語だったのね。
・・・the term “cold war” was coined by George Orwell in 1945 to denote capitalist-socialist
antagonisms between the United States and the USSR after the defeat of Nazi Germany.・・・
https://www.theguardian.com/books/2017/aug/28/the-cold-war-a-world-history-odd-arne-westad-review バーナード・バルークが1947年4月に最初に使用したので命名者とされてる 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
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WYI ソ連崩壊は1976年に予想されていた
参考書籍 最後の転落 ソ連崩壊のシナリオ エマニュエル・トッド著
1.ソ連の乳児死亡率が異常に高い
(注)乳児死亡率:1才未満の子供の死亡の頻度を示す指数。新生児1000人に対する比率。
ソ連 フランス
1970年 24.4 18.2
1974年 27.7 14.6
(1)この数字は、人口統計学者を唖然と言わせるほどのもの。
(2)医療、食料供給システムの急激な解体を示す。
(3)生活水準の絶対的退行を示す。
2.1964年以降、ソ連の男性平均寿命が減少している
原因は、変死(自殺、殺人、事故)、急性アルコール中毒、肝硬変、消化器系癌である。
しかし、年齢別特性分布を見ると、特に25才から35才の男性死亡率が、フランス、
スウェーデンに比較し、異常に高い数値を示していることから、変死が多いと結論づけた。
この事実は、ソ連において、当時、自殺、個人的暴力、国家暴力が横行していたと推定した。
即ち、反体制的行為が、孤立した少数派の仕業ではなく、国内全体で発生していると推定した。
(注)ソ連の平均寿命
男 女
1965年 66.2才 74.1才
1970年 65才 74.2才
乳児死亡率の増大と変死死亡率の増大が同時に発生している。このことは、次のことを示す。
(1)全般的な社会的解体
(2)国家に対する声なき反対の勢力増大
(3)つじつまの合わない無秩序な抑圧
(4)影で行使される個人的暴力の発達
上記の人口統計が示す結果にもとづき、著者は東欧ハンガリー旅行で、現地友人との
議論を踏まえ、ソ連・東欧を次のように分析し、ソ連崩壊の必然性を確信した。
http://dtlhst.web.fc2.com/contents/soviet-collapse.html 米国人の平均寿命が3年連続で短縮 増加する自殺と薬物の乱用 - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/15680620/
【米国】平均寿命が3年連続で短縮 - QLifePro 医療ニュース
http://www.qlifepro.com/news/20181212/average-life-span-cut-short-for-3-consecutive-years.html
エマニュエルトッドはソ連の乳児死亡率上昇から体制の行き詰まりと崩壊を予想した。
実際には封じ込め政策による医薬品不足などが原因であったのではないかと想像されるが。
3年連続の米国の平均寿命短縮は薬物乱用が原因である。アヘン戦争後のアヘン流行が
清国を弱体化させた様に、薬物の流行が米国を弱体化させている。国際金融資本は寄生先
であった米国を使い捨てにして破棄処分するために、薬物を流行させているのではないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています