イタリアは南北独立したほうがいいんじゃね ? [無断転載禁止]©2ch.net
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北イタリア人にとっちゃ南は経済、人種、文化がゴミだからな。
少なくともイタリア人=アラブ人と揶揄されることもないだろう >>69
wiki見て名誉アーリア人種にワロタ
ドイツ人てまだ自分のことアーリア人と
思ってるんかな? >>70
イタリアからそれることになるが、
ブラジルでこういった話があった、
とある黒人の血が混じったサッカー選手で、
レギュラーになれなかった頃は黒人認定されていて、
レギュラーになれて知名度が上がってくると、カラーと認定されて、
やがてスーパースターになり、名士になると白人認定されたとさ たとえば米国にイタリアや南欧系の移民がたーくさん押し寄せた
時期というのは、もっと色白な北西ヨーロッパ人の移民の押し寄せた時期よりも
概して遅い。そういう人たちは差別されてダークスキンと呼ばれてた
と歴史の本に書いてあります
「より白いやつら」はそういうのが大好きだったんですよ
そういうのは時代が下るにつれて変わっていった
政治経済的状況に応じて
今はそのいい加減さに気づくべき。
それが最後に「みんな白人になった」なんて?
米国でそんなことはいわれてないですよ シルベスター・スタローンは、イタリア南部からの移民だったような アメリカ移民の差別について追加でイタリア系が差別されたのは肌見た目以外に
後発移民組で良い職はすでに埋まり貧困だった
プロテスタントが主のアメリカでカトリックだった
同じ理由でユダヤ系アイルランド系も差別された結果映画界へ進出したとさ スタローンとか白人じゃないよな。アルパチーノとかも イタリア南部でも局所的に金髪多いとこあんだよね
バイキングとかの影響なのかな?
まあ統計的に見れば北の方が白いのは明らかだと思うけど、イメージほど
はっきりした差はないって印象なんだよね
北にも所謂地中海人種みたいのはたくさんいるし、経済的に見れば北=ドイツ、
南=ギリシャくらいの差があり、それくらい北イタリア人は南を
見下しているし、自分等は白人で南はアラブ人だという意識を持ってる
でも、単純に人種だけ見ると似たり寄ったりの印象
思い上がんなよ北イタリア人って思う
白さだけで言えば多分アルバニア人の方が白いw
そりゃアルプスあたりのド田舎に行けばドイツ系とかゴロゴロ
いて西ヨーロッパ人と区別つかないレベルだけどね イタリア南部はシチリアのようなゲルマン人が移住した地域を除けば
概して地中海周辺に見られる暗い髪の色に褐色の肌の人が多い
スペイン人は基本的に最先住の巨石文化人(バスク人に近縁)の影響があり、
コーカサス地方の人々に似たところがある
一方で南にゆくほどアラブ人の影響があり、北にゆくほど巨石文化人やゲルマン人の影響が強くなり、
カタルーニャ人はバスク人や地続きのフランスの南西から西部にかけての人々にいくぶん近い
ピケやブジョル、ジョルディ・アルバ、セルジ・ロベルトのような、
クロマニョン人的というか、顔が縦に短めで顔面の凹凸がはっきりした
ヨーロッパ人的な特徴がよりはっきりしてくる
バスク人のジョレンテ然り
トーレスやグティは例え髪の色が明るく肌が白くても、顔のパーツの配置のバランスが良く、
顔面がいくぶんなだらかで、顔がよく整っていて、スペイン人的、アラブ人的特徴が強まる
その点、ガリシア州出身のミチェル・サルガドはより北方的 ■■■■■
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■■■■■ ■■■■ < アフリカ人の癖に白人気取り? イタリアではよくあること
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■■■■■ >>1
朝鮮はすでに南北独立しているが
どちら側の経済、人種、文化がゴミなんだろう? 北フランス出身のノルマン人が建てた王朝が栄えていた頃のシチリアや南イタリアは
非常に繁栄しており、文化水準も高かった
それに比べて、北イタリアなんかベネチアやベローナ以外、見る影もないだろう
それが近代になって、立場が逆転した でも標準語はどっちかというと南側の言語になったな
標準語の元になった言語を話すトスカーナ人がどっち側にアイデンティティを持ってるのかはまた別だけど >>84
ルネサンス期には南部ナポリ王国は草刈場って印象なんだが。
北部はフランス支配に落ちたとはいえミラノ公国が威勢良かったけど。 多分アルバニア人の方が白いw
学者さん、頑張ろうよw イタリア人が黒人を望まないというのは本末転倒
何故ならイタリアを含む南欧人は元々黒人との混血だから ■■■■■
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■■■■■ イタリア南部ではよくあることの間違い。
ゴッドファーザーとかカスだし
まぁマフィアがどんだけクズかコッポラが紹介したがw ゴッドファーザーというか
マフィア産業がカスなのは事実だろ というかね ここで特に南イタリアンが白人に拘ってる人って
絶対イタリアや米国在住経験がないんでないの?
実際ローマ以南の人々をみるとそんな無意味な線引きに興味がなくなる筈!
もっと大きな存在感がありすぎて白いかダークスキンかはどうでもよくなる
からさ
例えば南イタリア人など南欧系のヨーロッパ系は皆、thwarthyと呼ばれてる
浅黒いんだ 20世紀の初めごろ新大陸に移民が流行ったころには
彼らも、はてはアイルランド系だって勿論白人ではなかった
そのうち白人ということに徐々にカテゴリーが変わっていっただけだ。
今更南欧人、7バルカン人のうち見た目の白い黒いで分けるなど
日本人の、しかも2チャネラー位しか興味のないことだろうな
そもそも南欧系や東南欧は中世のムーア人、つまりアラブの血が入ってるんだから
自分自身が白人だとかに拘る根拠があまりないしね
スペインにいたユダヤ人も、大半がイスラム教に改宗してパレスチナ人になったそうだよ
そんな状況なのに ■■■■■
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■■■■■ >>97
というか、君の知識自体が間違っている
白人=肌が白い人ではない
白人→コーカソイドは、あの独特の容貌を持つ人類集団を指す
したがって、東はインド、バングラデッシュ、そして西は北アフリカのアラブ人達も
そのカテゴリーに入るから肌の色は関係ない
残念だがら、東アジア人は顔が扁平で頭が短頭で手足が短い黄色人種(モンゴロイド) 残念だがスペインでも肌の色が白いほどカーストが高い ■■■■■
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■■■■■ ヨーロッパ、中東、北アフリカ出身者はホワイト、すなわち白色人種の欄に記入する。
そんなの単純に嘘でしょ ありえない
すごく昔の、廃れた人種論の本に「アラブ人はwhite」と、いうような
事がたまに書いてあるが、その辺にこだわってるのだろうな
古い人類学的ルーツの話かもしれないけれど
米国の国勢調査分類の現実と、余りにかけはなれてる。
─今の米国人の誰が、そんな古びた考え方で白人と申告するだろう?
特にそういう「準白人」的なカテゴリーの区分けというのは
時代と共に激変してきた部分で、20世紀のあいだに全然かわったから
古めかしい百科事典に書いてある事項をけして信じるべきでない
いくらそれが自分の「好み」にあおうが何しようが、。 人類全体では、一重の方がめずらしい
5万年前の最終氷河期に、よりによって一番寒いシベリアで居住していた
古モンゴロイドが、極寒の気候に適応するため変異した形質
低温による凍傷のおそれから瞳を守るために、
まぶたに脂肪がつくようになり、そのため一重になった
同じく、体温が奪われないために、容積当たりの表面積を極小にするため、
断面積が円形の直毛の髪の毛になった
古モンゴロイドやコーカソイド、ニグロロイドの髪の毛の断面は楕円か、いびつな形
また、同じ理由で、手足が短くなり、胴が長くなって、全体的に丸っこい体型になった
顔の凹凸も少なくなり、扁平な顔、短頭の頭蓋骨に変化した。これで表面積が小さくなる。
結構、短期間の間に遺伝子って、変化するもんだよな
その点でも、突然変異と環境のふるいだけで進化を説明するダーウィンの進化論には疑問をもっている
環境に適応するため個体変異した形質が、やがて遺伝子の変異も促すように思うのだが
まあ、そのラマルク説は学会から完全追放されていますが… ■■■■■
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■■■■■ フリウリ=ヴェネツィア・ジュリアは歴史的な経緯からスロヴェニア
若しくはスロヴェニアと南ティロルも含めてオーストリアに回帰した方が良いだろ。 ■■■■■
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■■■■■ >>119 ロマンシュ諸語の地域を独立させてあげたい
首都:ダボス
国歌は出身者のジョルジオ・モロダーに作ってもらう ■■■■■
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■■■■■ なんで言語では南側が勝ったんだろうな。ガロ・イタリア語のどれかの方言が正書法を整えて、進んだ経済とともにイタリア南部まで席巻してもよさそうなのに
イタリア語にはダンテがいたのが大きいのかな コーカソイド自体、アフリカ北部の砂漠気候で発生した人種だから、
白人は全部アフリカンだけどな。 実際、北部の平野を流れるポー川を挟んで南北に遺伝的生物学的に別の血統だと思う
民族では同じラテン民族、イタリア人だけども
アルプス山脈南部裾野あたりに居住している人々はドイツ人みたいな風貌だし ■■■■■
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■■■■■ >>129
ポー川はそんなに分断要素にはなってないと思う
日本の川に比べれば大河だけど、ドナウの中支流ティサ川より小さそうだし
流路は支流に細分化されてるし
ブルガリアの辺りのドナウの北と南とかと比較できないと思う ■■■■■
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■■■■■ ミラノは現在でこそイタリアの現代美術や建築、デザインやファッションの中心地だが、
ながらく文化的な後進地だった。
ルネサンス時代にはフィレンツェ、ヴェネツィア、ローマのように独自の文化を
創造し、発信するには至らなかった。1535年以後はスペインの支配下に置かれ、
貧富の差が増大した。
もっとも、イタリアへの北の入り口であり、ロンバルディア地方の中心地である
この都市は、アルプス越えの街道が合流する交通の要衝として経済的に恵まれ、
政治的・軍事的にも重要だった。 ■■■■■
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■■■■■ アルキメデスはシチリアの人
大哲学者のパルメニデスも南イタリア 中世においては、北イタリアは神聖ローマ帝国。
ドイツと切れ目なくつながっていた。 神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世がやってたことは、現代では「ドイツがイタリアを侵略した」という風に見えるが、
当時の人々の意識は違っていただろう。
そもそも当時の北イタリアは、ランゴバルド族というゲルマン人の国。 北は都市国家が分立してたけど南はナポリ王国としてまとまってて
ナポリに一極集中してたイメージ(シチリア島はおいとく)。
そういや第二次大戦後の国民投票だと北は王制廃止,南は王制存続の
意見が強かったんだっけ ■■■■■
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■■■■■ イタリアは今、経済がマジでヤバい。
銀行の不良債権が半端ない。
ギリシャ危機の比じゃないな。 ギリシャ・イタリアから興った欧州は、ギリシャ・イタリアから滅びようとしている ■■■■■
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■■■■■ >>46
神聖でもローマでも帝国でもなくなったのは、ハプスブルグの時代だが 初期の神聖ローマ帝国は、イタリアに大きな勢力を持ってたし、
在位期間の大半をローマで過ごした皇帝もいるぞ。 中世においては、イギリスとフランスはまだ分離してなかったし、
ドイツとイタリアも分離してなかった。
英仏がはっきり分かれたのは百年戦争あたり。
独伊がはっきり分かれたのも、大空位時代の後じゃないか。 ■■■■■
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■■■■■ ≪モンテスキューの見た、1729年のナポリ≫
彼はナポリのことを、「地上で最もみじめな土地」と語っている。
ナポリ人のいちばんの特徴は怠惰と極貧であり、施しで暮らしている人が多い。
市内の富裕な修道院から配られるスープやパンや肉でやっと生活している。
地方からナポリに出てきても、施しで生きるかそのほかの見るも哀れな方法で
糧をえるかのいずれかである。スペイン支配下の重税にあえぐラッザロ(最下層の賤眠)の
数は5万人から6万人に及ぶ。
ラッザロについては、ナポリをこの世で〈救いなき場所〉に至らしめている悪だと
している人が多く、現代のストリート・チルドレンの走りとみなしている。
みな自活できるほどの飲食にありつけず、仕事もせず、シラミの取り合いをしている。
物乞いでなんとか暮らしていて、乞われた者は断り切れないほどの悲惨さである。 サルデーニャ王国によるイタリア統一後、ナポリは一地方都市に貶められ、
経済的な大打撃を被った。統一後は、北の工業を発展させるため、南の鉱山、
鉄工所、造船所などが作為的にほとんど閉鎖に追い込まれ、小農民の借りていた
公有地は競売にかけられて新興地主のものとなり、失業者があふれかえった。
南の貧しい人々は、山賊として滅びるのでなければ、出稼ぎ移民となるほかは
生き残る道がなかったのである。 18世紀のナポリの下層民の間には「偽の証人業」というものがあった。
見ていなかったのに見ていたと証言して、銭を稼ぐ貧民たちである。
彼らは定職にはつかず、ひがな一日街をぶらぶらしているので、
頼まれれば、というより金額次第で、偽りの証言をしてくれた。
金額の多寡は証言の内容によったらしい。 オペラの故郷イタリアでは、国家が統一されると新政府があまりオペラの財政援助を
しなくなってしまった。政府は費用の掛かるオペラに関わることを避けて、
劇場運営を地方自治体に任せてしまったのである。
こうしたイタリアにおけるオペラ産業の不況のせいで、19世紀後半には多くの
優秀な歌手や演奏家が、食いぶちを求めて新大陸に出稼ぎに出るようになった。
彼らはとりわけ、オペラ・シーズンがヨーロッパとは逆になる南米に行くようになった。
冬はヨーロッパで働き、ヨーロッパが夏になると南米で稼ぐのである。 r'⌒ヽィィィ(((///ィ'ニ、、、
/ ./ (((((ヾ////三三ミミヾ
(( { {{ ィィ(((ヾヾ//////三三ミミ、
ヽ ヽ{{///l{l||ll|{{{{{{{((.〉〉ミミミミミミヽ
((ヽノノ/////ノノノノノノノミミノノ:::ミミミミミミ、
〉三ニノノノノノノノ//))ノノノノノ::::::::::::::ミミミミミ
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