正史『三国志』 三十一巻 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>692
張コウに対しても事績がよくわからんって書いてるし根本的にあちこちの資料が足りないんでは 置かなかったのか孔明が置かせなかったのか
その意味でも史官の意味は大きそうだが ポジション的に盛られているだけで
実はそれほどでもなかったとか >>>694>>695
後主伝に気象の記録が残ってるから史官がいなかったというのは諸葛亮時代の約10年間という可能性もあるがね 陳寿自身、蜀漢の東観秘書郎、史官だったんじゃなかったっけ
なんで蜀は史官を置かなかったなんて嘘ついたんだろう だから孔明はなぜ史官を置かなかったのかが問題になる 陳寿は父親が孔明に処刑されてるし
孔明の息子に虐められていたから恨みがあるんだよ
体裁を整えるために時々は孔明を褒めてるけど 晋書陳寿伝によると、陳寿は蜀漢に仕え黄皓に屈しようとせずに左遷され、その後父親の喪中に婢女に丸薬を作らせていたことが不孝として失脚している
時系列に直すと、諸葛亮の死(西暦234年)→陳寿仕官(時期不明)→黄皓の専横(董允が死んだ西暦246年以降)→陳寿の左遷(時期不明)→陳寿の父親の死(時期不明)→陳寿の失脚(時期不明)ということになる
俗に言われてるような陳寿の父親が諸葛亮に処刑されたっていう説はこれで見るとまったく根拠のない出鱈目だと思う
陳寿が諸葛亮の評価に辛いのは北伐反対論者だった師匠の譙周の影響だったのでは? 連弩ってベルセルクのガッツが装備してるようなヤツ? 本当かどうかは別として
普書で陳寿の父親がされたというのは
コン刑(断髪の刑)だから別に矛盾はしない。
個人的には陳寿の評価は客観的だと思ってる。 晋書は「壽父為馬謖參軍」
と書くが参軍は馬謖なので
よく知らない人が書いていると判断すべき 参軍って何人いるの?
馬謖擁護してる人物に参軍李?がいるけど 陳壽が最初に就いたのは衛將軍主簿らしいけど
この衛將軍とは姜維(247〜256)なのか
それとも諸葛瞻(261〜263)なのか
はたまた記録に残ってない第三の人物なのか。 なみの諸葛亮ファンじゃ、晋全盛期に『諸葛亮集』とか出せないし
宣帝・司馬懿さまに「天下の奇才」と言わせられないよ >>710
全面礼賛以外は全て誹謗にするのが孔明信者
南宋の朱子なんか悪いのは全部劉備のせいに 三国志群雄録
正史三國志群雄銘銘傳
コレって両方共坂口和澄著だけど
内容的には似通ってるの? 劉備と高誘が仲良かったっていう話ってどっかにのってる? >>715
正史三國志群雄銘銘傳こっちだけでよい
もう一個のはこの中から抜粋してるようなもん >>718
井ノ口哲也氏の書評,津田資久氏の書評,村田哲也氏の論文(書評が主)を読めば,
渡邉氏の学術的態度に対する周囲の評価が見えてくると思います。 渡邉義浩氏って中国大河ドラマのThree Kingdomsやレッドクリフの日本語訳をやっていたんだよな レッドクリフは監修だな
訳してたのはいつものおばさん
レッドクリフの副音声で渡邉が解説してたけど
めっちゃ面白かった
この人の授業受けてみたと思った 坂口和澄
渡辺精一
渡邉義浩
資料本はここらの漁ってたら十分? なんかさ、曹操の子孫のDNAサンプルを調査する研究ってあったじゃない?
そっちの方と照合したり裏取りは取れてるのかなぁ? 裏取りといっても遺骨の方じゃなくて
子孫の方の検証になりそう 曹操の父、夏侯氏からの養子説の出典は曹瞞伝や魏晋世語だし史料的評価の低いゴシップもどきだから無視してもいいんじゃね?
そうなると何故曹操が夏侯惇を常に武官筆頭格として厚遇し続けたのかがわからなくなるが 因みに
曹操の墓は「西高穴2号墓」と呼ばれ
遺体の無い「西高穴1号墓」は張繍の戦争で亡くなってしまい、最後まで死体が発見出来なかった
曹昂の墓ではないのか
と推測されています
http://m.51.ca/info/news/china/2018-03/633393.html 衣冠墓だっていう話だよね
典韋の墓はまだ残ってるんだろうか >>728
曹家夏侯家卞家が通婚を重ね合った連合組織だったからでは
曹操の旗揚げ時の夏侯家の首魁が惇だったと
後に気に入っていた淵の優遇が始まるけど 墓の上に立ってた建物って、やっぱり関羽に降伏した于禁の絵があったんかなぁ >>718
発想の原型は程cの故事にある「民の望」を集めうる人間という事なんだろうな こんなところで言うのも何だが、曹操の声を野沢雅子にする
日経って頭おかしいのか? 逆じゃないのか
趙雲なんかは人気あるからって知力や政治も高めに設定されてるし >>748‐750
そのへん、みんな演義の影響ってんだから凄い 僕が見た希望
趙雲 それはふれあいの心 幸せの趙い雲
趙雲 怒ったり恥じたりしてすぐ死ぬやつ多すぎだろ
なんて病気何コレ 曹操の墓が見つかって
本当の身長って割り出せないのかね〜
史実じゃ低かったみたいだけど その辺のことは「曹操墓の真相」って本に詳しく書いてあったはず 曹操クローンを作っても現代の食糧事情だと
すっかり大きく育ってしまいそう。 三国時代言うても親が官位を金で買えるくらい裕福なんだから、食糧事情はいいほうじゃないの? 少年期から青年期にかけて父親と死に別れたり故郷が曹操に荒らされたり叔父に従って揚州の僻地まで行って叔父まで殺されたり荊州まで逃げ延びたり満足に食えない時期が多かっただろうに
諸葛亮もよく大きく育ったものだ 司馬朗は童子郎(天才少年枠?)で官界入りしたけどデカいせいで年齢詐称を疑われたんだとか 手のひらに乗るほど小さな女性がモテた時代はあったかと >>773
それはそれで需要がある
だが一番重要なのは結局顔 阪神以外打ってないと言われてるけど
他でもきちんと長打でてるんだよな岡本
対東亰 11-3 二塁打2
対横浜 18-4 二塁打3
対広島 *9-2 二塁打1 本塁打1
対中日 12-3 二塁打1
計 50-12 二塁打7 本塁打1 >>767
まるであっちこっち放浪したみたいな書き方だけど
袁術系政治家の子弟として管理しやすい場所を移動しただけで困窮しちゃいないだろう
姉や弟もぴんぴんしてんだし >>780
同意。あの各陣営、人材不足のなかで奮闘する様は泣ける。 孫亮全夫人,全尚女也。
注)呉録曰:亮妻惠解有容色,居候官,呉平乃歸,永寧中卒。
↑これの「惠解」の訳なんだけど、ちくまでは「頭がよく」としてるんだけど、名前が「惠解」とは取れないのかな >>784
wikipediaの全皇后の項目の脚注にその事について書いてあるな
諱ともとれるし形容詞ともとれる
どっちが正しいのかわからん 三国志末期の祭りの後みたいな雰囲気好き、まあほとんど演義なんだけどさ
人材も国力も無い中で姜維や陸遜、陸抗などの末期の名将が奮闘するのは割と涙出る
大坂の陣の豊臣方武将みたいな感じ 俺も序盤の群雄割拠が好きだわ
ゲームでも中原制圧した辺りでつまらなくなってきてもう一度やり直す それぞれに面白いイベントあって晋の統一までずっと好きなんだがなぁ あと晋の統一からも八王からの数百年の大乱コンボが待ってるし
俺の大好きな遊牧民の時代とか一杯あるし
大陸史は大体面白い説 唐突だけど曹操の祖父曹騰の弟(兄?)で河間国相の時に汚職で摘発されたという曹鼎と、曹洪の伯父で尚書令の曹鼎と、曹休の祖父で呉郡太守の曹鼎、これらの人は同一人物なのでしょうか?
仮に別人だとしたら遺伝子鑑定の結果、曹操の子孫とDNAが一致したという曹鼎はどの人なんでしょうか? >>784
確かに名前とも思える、面白いね
しかし1800年も経つと固有名詞なのかただの文章なのかよく分からなくなるのが悲しい。
>>791
石井先生の著書だと同一人物になってるんだっけ?
でも
「曹操の祖父の兄弟」「曹洪の伯父」「曹休の祖父」
って世代がずれてないか?という気が……。
荀ケ荀攸のように兄弟が沢山いれば年齢差は無くなるって気もして結局何とも言えないけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています