オスマン朝・オスマン帝国(06) [無断転載禁止]©2ch.net
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皇帝も天皇もシャーもスルタンもみんなEmperor オクタウィアヌスが独裁権握ったときローマ市民と元老院はREX(王)と名乗らないか戦々兢々としたが「おれはただのインペラートル(軍最高指令官)」と言って、安堵した元老院は代わりにアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えた
今じゃrex系統の称号よりもimperator系統の方が格上扱いだもんな >>951
大宝律令では、国外向け称号が皇帝と規定している。 >>958
清朝の皇帝の、満州族の長としての称号は「ホンタイジ」じゃないの? >>964
ホンタイジまではカーンだよ。順治帝以降はフンディ。
まぁ、支那語の皇帝そのままなんだが。 ホンタイジ 皇太子 フアンタイツ
フンディ 皇帝 フアンディ オスマン帝国はもともと、バルカン半島の帝国
アラブ諸国を征服したのは、かなり後の話 新オスマン人と青年トルコ人が活躍したのは時期が異なります。運動の内容も異なりますね。
オスマン帝国=トルコ族の一首長オスマン1世を始祖とするオスマン朝から発展して成立したイスラム帝国 (1299〜1922) 。第1次世界大戦でドイツ側について惨敗し、戦後の混乱の中で滅亡。
新オスマン人=オスマン帝国末期,1860年代にヨーロッパに留学して西欧文化を吸収した知識人により展開された自由主義運動とそのにない手たち。
青年トルコ人=19世紀末から20世紀初頭のオスマン帝国において、アブデュルハミト2世の専制政治を打倒し、オスマン帝国憲法(ミドハト憲法)に基づく憲政の復活を目指して運動した活動家たち。 新オスマン人
オスマン帝国末期,1860年代にヨーロッパに留学して西欧文化を吸収した知識人により展開された自由主義運動とそのにない手たちを呼ぶ。
彼らは 1860年に民間新聞"Tercümân-i Ahvâl" (諸情勢の翻訳者) ,62年に"Tasvîr-i Efkâr" (世論の注釈) を発刊して運動の口火を切り,
さらに 67年にはイブラヒム・シナースィ,ナムク・ケマル,ズィヤ・パシャらを中心に「新オスマン人協会」をつくり,文化・政治活動を通じて,アブドゥル・アジーズの専制を批判し,体制の改革を訴えた。
彼らの運動はミトハト・パシャの開明政治と結びつき,76年にトルコ最初の憲法『ミトハト憲法』と議会とを生み出した。 青年トルコ人
19世紀末から20世紀初頭のオスマン帝国において、アブデュルハミト2世の専制政治を打倒し、
オスマン帝国憲法(ミドハト憲法)に基づく憲政の復活を目指して運動した活動家たちのことをいう。
彼らの多くはオスマン帝国の近代化改革によって誕生し、アブデュルハミト2世期の国策によって
拡充されていた西洋式の近代学校で学んだり、官僚、将校、医師など近代化によって誕生した
新しい階層に属した青年たちであった。
1908年の青年トルコ人革命によってアブデュルハミト2世の専制政治が打倒されてからは、
かつての青年トルコ人の活動家たちがオスマン帝国の政治活動の表舞台で活躍した。
1908年に始まるオスマン帝国史のこの時期のことを青年トルコ時代と呼ぶ。
また、1923年にトルコ共和国が成立した後も、初代大統領ケマル・アタテュルクを初めとして
トルコの政治を主導したエリートの多くはかつての青年トルコ人活動家であった。 1860年代のオスマン帝国では、新オスマン人が活躍して、ミトハト憲法が成立した。
しかし、ミトハト憲法は成立したけど、機能しなかった。
そこに、日露戦争で日本が勝利したというニュース。
「日本は、われわれより後で憲法を作ったのに、
立憲政治が機能している」ということが分かって、護憲運動が活発になった。
そこで活躍したのが、青年トルコ人。
新オスマン人と似ているので紛らわしいが、20世紀初頭の話なので半世紀ほど隔たっている。
ナポレオン、ビスマルク、カヴール、レーニン、ケマル トルコは、「オスマン帝国を続けて立憲君主制」という選択肢もあったんじゃないかなあ それをいったら、ハプスブルク王朝やロマノフ王朝も同じだが
第一次大戦で、オスマン帝国・ロシア帝国・オーストリア帝国・ドイツ帝国が一斉に消えた
ついでに、大英帝国も崩壊した
>>978
それじゃ話にならないからトルコ共和国になった ケマルは、オスマン語を言語改革して、トルコ語に変換しようとした。
アラビア文字を廃止してローマ字に変更し、アラビア語やペルシア語に由来する語彙が追放された。
コーランの聖なる言語であるアラビア語を排除するとは、神をも恐れぬ行為だった。 インドでは、同じようにアラビア文字表記でアラビア語とペルシア語の語彙が存分に入った
ムガール帝国の言語、ウルドゥー語を廃止した。
パキスタンではウルドゥー語を使い続けたおかげで、もとは同じ言語だった北インドとパキスタンは、
いまや別の言語を使う国となった。
元は同じ言語とはいえ、長いこと別々に運用されていれば、だんだん通じなくなる。
宗教が、言語と民族まで分けてしまった。 革命さえなかったら、今でも「トルコ共和国」ではなく、「オスマン帝国」だったか 江戸の子は江戸っ子
では、オスマンの子は?
というネタにされただろうな >>982
新約聖書も初めて書かれたのはギリシャ語 かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 日本や中国・台湾にノーベル賞受賞者がいるのに
韓国には皆無なのはやはり漢字の有無がでかいのかな ハングルでは専門的な授業が出来ないから大学で英語を使ってるくらいだし
当然付いて来れない学生が出るからその分ふるい落とされる
文字や言語が未発達の国というのはそれだけでデメリットがある 自国語で科学をやれる国など、アジア・アフリカには滅多にない
韓国はその域に達せず >>990
漢字が公用文字じゃないアメリカやイギリスにもノーベル賞受賞者はいるのだから
漢字が無くても問題ない
単にハングル文字が欠陥文字だというだけ ハングルはもともと、漢字の発音記号だからな
本気で漢字を捨てるなら、漢字に由来する語彙をもっと削減しなければ
「ある範囲の座標系がすべて物理的に同等であって,これらのどの座標系でも物理法則はまったく同形でなければならないという要請を相対性原理という」
「あるはんいのざひょうけいがすべてぶつりてきにどうとうであって、これらのどのざひょうけいでもぶつりほうそくはまったくどうけいでなければならないというようせいをそうたいせいげんりという」
前者は読めるが、後者は意味不明
漢字がなければ科学など無理だ ケマルのやった言語改革は、「オスマン語」を、「トルコ語」に変革するという徹底したものだった。
朝鮮人も本気でやるなら、朝鮮語を捨てて、新たな言語を構築するくらいの覚悟が必要だ。 しかし、ハングルでは無理
もともと漢字の発音記号として作られたものだけに、漢字語をそのまま表記するのに最も適している
これじゃ漢字語が廃止されるわけもなく、言語改革は進まない そもそも朝鮮人は、「朝鮮語から日本語の影響を排除する」ということに必死になるあまり、
中国語や西洋外来語にまでは気が回らなくなっている。
漢字を廃止したこと自体、「漢字ハングル交じり文だと、日本語の漢字カナ交じり文からの
影響を隠し切れないから」というのが最大の理由。
中国文明圏から自立することなど、まったく考えていない。
だから、言語改革としては、あまりにも中途半端。 東の韓国、西のトルコ。
言語を捨てた国は、伝統文化と断絶することにより、文化が浅くなる。 このスレッドは1000を超えました。
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