ベラルーシの歴史を語ろう! [無断転載禁止]©2ch.net
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ベラルーシと言えば、ロシアの腰巾着・ポーランド・リトアニアの支配下にあったり、ロシアやモンゴル、はたまたドイツへの緩衝地帯としての役割のイメージが強くありますが意外な有名人等を輩出していたりします。 このスレでは、
〜ポロツク公国
トゥールフ公国
ハールィチ・ヴォルィーニ公国等のルーシ諸国史から 〜ВКЛ(リトアニア大公国) 〜ポーランド・リトアニア共同王国(ラジヴィル家の隆盛)
〜ロシア帝国時代
〜第一次世界大戦(ナロチ湖の戦い・ヴォロシーロフ攻勢・ブレスト・リトフスク条約)
〜ベラルーシ人民共和国
〜第二次世界大戦(ブレスト・ミンスクの戦い・バグラチオン作戦)
〜БССР(白ロシア・ソビエト社会主義共和国)や現在のルカシェンコ政権まで幅広く語っていきましょう! ハシディズムのユダヤ人による聖地巡礼が復活してきているそうだね ラジヴィル家って今でもポーランドで政治家やってたりアメリカで富豪やってたりするよね >>6
ミンスクに行った時радзивиловский(ラジヴィルの)って名前の高級スーパーを見掛けたね
ベラルーシ人はポーランドの事をどう思ってるんだろうか 確かベラルーシにおけるユダヤ人の存在が確認されたのはリトアニア大公国のヴィータウスが発行したユダヤ人のブレストにおける特権が初?
西欧から迫害されてきたユダヤ人が住み着くのもその頃だよね
ロシア帝国時の1897年の国勢調査の時に主要都市の12%前後はユダヤ人で構成されていた 1941年から1944年までの3年でナチスドイツは約80万人以上のユダヤ人を虐殺した
ソ連から独立するとユダヤ人は更に減少の一途をたどり
1999年には5.4%だった人口比率が10年後には2.8%にまでなった
しかもベラルーシのユダヤ人はあまり宗教熱心ではなく、家庭内でロシア・ベラルーシ語を話す割合も90%以上と聞く
現在ベラルーシに残るシナゴーグはたった11しかない シナゴーグとはなんぞやと質問してる情弱に
シナゴーグはユダヤ教の神殿、集会場所で聖書について勉強会とかするところ
手っ取り早く言うと教会
ラビはユダヤ教の聖職者
彼らも確かベラルーシ全土で20人もいないはず
2016年9月9日にベラルーシの新しいチーフラビ(ラビの中の指導者)はМордехай Ранхинштейн(モルデハイ・ランヒンシュテイン)って人が就任した 皆フランス人だと思ってるであろう画家のシャガールは意外な事にベラルーシ出身
確か彼も東欧系ユダヤ人の出自 >>18
恐らく現在は白ロシア
ルーシは別の概念だったはず ルーシ人はキエフ・ルーシの影響下に置かれていたスラヴ系の民族の事
現在のウクライナ・ベラルーシ人の祖先だからロシア人とは別物……だと ベラルーシ語だとБеларусь、ポーランド語だとBiałoruśでいづれも白ルーシ
リトアニア語ではBaltarusija、ドイツ語はWeißrusslandで白ロシア
英語だとベラルーシ語からの転写でBelarusまたはWhite Russiaみたい >>23
いや国名をロシア語にするとБела(русь)ルーシだから白ルーシの意味になるはず
ちなみにロシアは(Россия) >>11
そういや、ベラルーシだったと記憶してるが、この時代にどっかの城で国民が連行されてるっていう写真見たことあるな
連行されてるの全員ユダヤ人説があってこんな場所にも住んでたんだなって思ったわ
中世の城が現役で使われてたのにも草映えたがw しかしロシアおよびベラルーシとイスラエルとの間の航空便は非常に多いし
イスラエルにいったん移住したユダヤ人(第二次世界大戦前後と1990年代が多い)がベラルーシとウクライナの各地に残る聖地を巡礼する数は
2000年代になってから年々増大して今は数万人規模となり
聖遺物をイスラエルへ移送するかそのままベラルーシやウクライナに残すつまり聖地ネットワークを維持するかで激しい宗教政治闘争が繰り返し起きている 闘争が起きているのはイスラエル国内のベラルーシ等に出自を持つユダヤ人社会ね
ただし彼らはイスラエルにもロシアベラルーシにも強大な権力を有するので彼らだけの問題ではなくなっている ポーランドではいまドイツEUからの資金援助によりインフラ整備が猛スピードで進んでいるが
現場労働者はウクライナ人かベラルーシ人だ
ベラルーシ人への現地感情は悪くないがこれは歴史的に形成されたものなのかどうかわからない しかし文系の学会や研究会関連ではポーランドやバルト三国それにウクライナの学者は
国際学会を開きたがるしどの領域の研究会でも熱心に活動しているが
ベラルーシの学者はぜんぜんいないし国際学会もないな…
もしかして学界と呼べるソサエティが存在しない?ベラルーシの歴史学ってあるのかな? >>30
早坂 眞理
ベラルーシ: 境界領域の歴史学
コレなんかいいかも ベラルーシの国民的な詩人でヤンカ・クパーラとヤクバ・コーラサの二人が代表格だが名前も似てるし生年も一緒だしでややこしい…… >>3
確かに
ヴォルイニ公国が注目され出したのもソ連時代からだしね
ベラルーシの歴史学はポーランド、ウクライナ、ロシアの政治情勢でコロコロ変わったりするし凄く難しい ベラルーシだったらブレスト要塞?くらいしか知らねぇわ
確か首都にあったよな >>36
ブレスト要塞大攻防戦って映画観たことあります
確かポーランドやウクライナの国境付近にあったかも… https://jp.sputniknews.com/business/201701053211018/
2017年01月05日 04:10
ベラルーシの国営石油会社、ベラルスネフチは新たな油田を発見した。ベラルーシが同社プレスサービスの情報としてスプートニクに伝えた。
これで経済が活性化されるかな
19世紀にベラルーシの中産階級=ポーランド系が絶滅させられ丸ごと農村と化したことが
現在のベラルーシの学問的不毛状況の遠因となっているのじゃないかな
ならば経済が活性化されれば高等遊民が出現してきっと学問も盛んになるはず ブレスト・リトフスク条約は確か2つある
有名なのは2つめ さとぅーん後で
ちょっと前までロシアと天然ガス関連で揉めてたのに
これでベラルーシはもの凄い外交カードを手にしましたね 隣のポーランドに最も多い移民グループがベラルーシ人・ウクライナ人で、ロシア人より多いとか ベラルーシ人に当たる白ルーシ人は現在のヴィリニュスやスモレンスク等幅広く分布していたらしいですね >>43
Наша ніваというベラルーシ語の新聞が発行されていたのもヴィリニュスですね
この新聞にヤンカ・クパーラやヤクバ・コーラサが詩を発表したりしていました ベラルーシ系ポーランド人の代表としてはタデウシュ・コシチュシュコでしょうか?
フランスで軍事学を学び、アメリカ独立戦争に参加してポーランド・ロシア戦争やコシチュシュコの蜂起と呼ばれる戦争を指導した英雄です スプートニクとかプラウダ紙って有名ですよね
案外ロシアに詳しい方って沢山いるのかな コシチュシュコの蜂起で最大の戦いとなったラツワヴィツェの戦いで農民兵達が大鎌を実戦で使用したのが最後とかなんとか
因みにこの戦いの規模は両軍共2500人程で死者は合計1000人を超える激しい戦いだったそうです >>48
選挙でも不正が行われてるって噂ありますよね 子供が成長するまで大統領して
継がせるなんてこと...無いといいですが リトアニア法典の第一次編纂はミコワイ・ラジヴィル (ミカロユス・ラドヴィライティスの長男、ラジヴィル家の実質的な始祖)の手から始まり、最終版はベラルーシ系のレフ・サピェハが編纂しています
こうしてみると改めてリトアニア大公国内でベラルーシ人の勢力が強かったのかわかります 当職は歴史を語る前にやつらの言葉をお勉強する必要があるナリ
http://imgur.com/uSAw0BC ベラルーシ語とポーランド語が意思疎通可能ってホントなんですか?
wikipediaに書いてるんですが... アフガンの時にベラルーシから多くの兵士が徴収されたとかなんとか >>55
一昨年のノーベル文学賞ってベラルーシ人でしたね。
アレクシエーヴィッチさんは確かアフガン戦争のことを本にして、ルカシェンコから嫌われてたような...
他のベラルーシ人からも嫌われてたのかな アレクシェービッチさんはこないだ来日して東外大で素晴らしい講演をなさっていかれた
ベラルーシでの評価は知らないがロシアウクライナそれにポーランドでは公に尊敬されていますよ
ベラルーシは公が確立されていないし学問と文学の自立も怪しいのでそういう声が公然と発話されないのかも >>57
もしかして聴講されましたか?
ノーベル文学賞を受賞されるまで彼女の本はベラルーシでは発禁状態だったとか。ただ単に売れなかったのか、政治的なモノなのかは分からないですが。 アレクセーヴィチさんはベラルーシ大学出身とwikiに書いてたので調べてみたら、ミンスクに1921年に建てられたそうで
リガ条約の直ぐ後に出来たんですね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています