ギリシャ文明の広義の仏教への影響に関し、ごく簡単に仮説的私見を述べておきたい。

ギリシャ人たるアレクサンドロスは、中央アジアから北西インド亜大陸にまで攻め込んだわけだが、

「インダス川流域は・・・アレクサンドロスが紀元前323年に死去すると彼の任命した総督(サトラップ)
達の支配するところとなっていた<ところ、>・・・ガンジス川流域の支配を確立したチャンドラグプタは
インダス川方面の制圧に乗り出した。・・・<アレクサンドロス死後のその帝国の跡目争いである>
ディアドコイ戦争中の紀元前305年、アレクサンドロスの東方領土制圧を目指したセレウコス1世が
インダス川流域にまで勢力を伸ばした。チャンドラグプタはその兵力を持ってセレウコス1世を圧倒
して彼の侵入を排し、・・・インダス川流域からバクトリア南部にいたる地域に勢力を拡大した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D
という史実から見えてくるのは、

「プルタルコスは、チャンドラグプタが・・・青年時代に、インド北西部へ侵入したアレクサンドロス
大王のもとに出向き、インド東部への道案内を申し出たという逸話を伝えている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%97%E3%82%BF_(%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D)
ところ、その真否はともかく、

チャンドラグプタが、「インド最初の本格的な統一王朝<たる>マウリヤ朝」の創始者となった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%A4
契機は、アレクサンドロスによる東征、大帝国の形成の衝撃であった、という事実だ。
私は、このマウリヤ朝は、ペルシャより東の世界における最初の帝国であった、という認識を持っている。

帝国とは、多民族からなる大領域国家のことであり、(「夏」の実在性はまだ確立していない)
「殷」にしても「周(西周)」にしても、漢人のみからなる都市国家に毛が生えた存在に過ぎず、
支那における帝国の成立は、マウリヤ朝の成立よりも半世紀後の紀元前247年における、
秦による、漢人プラスアルファからなる大領域国家の成立を待たなければならない。