ヒンドゥー文明・インド文化圏・インド人の歴史2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>254
マレー人、インドネシア人、フィリピン人は、事実上、同じ民族だろ >>256
いやインド人自体がイラン人とオーストラロイドの混血だから
文字も宗教もイラン系だし >>258
いや、それ全部マレー人だから
その言い方は「日本人、関東人、関西人」と言ってるようなものだ 日本人が中国文化を摂取してそれをアレンジして独自の文化を築いたように、
マレー人もインド文化を接種して独自の文化を築いたがアラブ人に全て破壊された イスラム教徒のカースト制度における位置づけってどんな感じですかね? >>259
影があまりに薄いので、つい忘れ去られがちだが、
オーストロアジア系やタイ系、チベット・ビルマ系のモンゴロイドの
基層もけっこう重要な気がする。 >>263
インドにタイ系・チベットビルマ系の基層があるってこと?
オーストロアジア系は紀元前から米作伝播で関与してるけど、タイ系・ビルマ系だと10世紀頃とかになっちゃうぜ ごはんに具と香辛料を掛ける
カレー食の原形を形成したのはオーストロアジア系稲作民? >>259
イラン系とイラン人は違うぞ?
インドに進出したアーリア人は今で言うとロシア人やポーランド人にちかい遺伝子を持つ連中だし パキスタンからインド北西部にかけては4月以降、断続的に熱波に見舞われています。
パキスタン西部のトゥルバトでは5月28日に最高気温53度5分を観測しました。 複数のインドが存在する矛盾は、新世界を「西インド」、
ヨーロッパ以東のアジアを「東インド」に分けることで解決されたが、
この定義によれば、インド大陸だけでなく、中東や東南アジア、
さらには中国や日本も「東インド」ということになる。
長崎とヴァタビア(インドネシア)のあいだの貿易を独占したのが
「オランダ東インド会社」だとしても、なにもおかしくなかったのだ。 西洋人にとって「インド」は、あまりに巨大な存在だった
新大陸の北米や中南米は「西インド」、旧大陸のアジアは「東インド」と呼ばれた インド経済は、急速に拡大している
まもなく英仏を抜いて、米中日独に次ぐ世界5位の経済大国となろうとしている
この先、この5ヵ国が世界の五大国という体制が確立されるだろう 第23回国際交流会議「アジアの未来」(日本経済新聞社主催)で6日、
バングラデシュのシャリアール・アラム外務担当国務相は
「取るべき政策は明らか。インドとバングラデシュ、
パキスタンが一緒だったころに戻り、協力関係を構築する」
と強調し、南アジアの経済発展を推進する考えを示した。 ニューデリーは、カオスで雑多で広大な街が高密度で存在しているのだが、
街のど真ん中に、野生の猿がたくさん棲んでいることでも有名だ。
猿は人間が手懐けることは難しく、人間の食い物を虎視眈々と狙っている。
http://photrip-guide.com/wp-content/uploads/sites/2/2017/06/saru2.jpg アスラを信仰していた人々がいるようだが、アーリア時代の信仰の
名残ですかね? 仏教の坊主よりもヨガの行者の方が聖者の出現率が高い そもそも、インド人の信仰が「ヒンドゥー教」と呼ばれるようになったのは、英領インドの時代から
それまでは、特に名前がなかった しかも、インドが1つの国だとは、誰も思っていなかった
真の意味でインドを統一したのは、イギリスだけ 洋服がやってきて「和服」の呼称が
作られたようなもの? >>259
インドの文字はアラム文字の系統を引くが、母音がないことでわかるように基本はセム語の文字
イラン語派の諸言語はこのために、アラム語の綴りを訓読したり送り仮名をつけたりと試行錯誤する
しかしインドではアラム語そのものは使わずに、アラム文字から派生したインド文字で直接
インド語派の諸言語だけを表記した つまりインド文字にとってイランはアラム文字の来た通過点にすぎない >>264 タイ系は歴史も浅くアッサムどまりだけど、チベット・ビルマ系はネパール辺りに結構古くからいるのでは チベット系については確実なところで、ネワール族が3世紀、タマン族が8世紀までには居ついている
とはいえずっとインド世界の北縁にとどまり、南進したのは全盛期の吐蕃に率いられヴァルダナ朝を攻めた時くらい
インド圏の基層に影響するような爪跡を残したとは考えにくいかな
ヒマラヤ由来のインド文化を具体的に思い浮かべようとしてもなかなか・・・逆方向の影響なら山ほどあるけども >>277
「洋服」と区別するため、「和服」という言葉を使うようになったのは日本人
一方、インド人の信仰を「ヒンドゥー教」と命名したのはイギリス人
それまで、インド人たちには、そういう認識がなかった >>262
セイイド(アリーの子孫)
アラブ名家(クライシュ族など)の家系
西方からやってきた支配者クラスの家系
クシャトリアからイスラムに改宗した家系
低カーストからの改宗者
アウトカーストからの改宗者 >>280 仏教がインドでもっと頑張ってれば、ヒマラヤ南麓の文化がインド全土に影響を及ぼしえたかな?
仏陀の父親の名が浄飯王(スッドーダナ)というように、稲作と深い関係のある文化が存在したようだけど 前10世紀以前にインドにも稲作が伝播してるしヴェーダにも出てくるくらいだからねえ
ブッダの生きた前5世紀には広く普及していて、その名前がチベット系であることの証明にはならないんだ >>281
そういえば「着物」が和服を指す今の用法は西洋人のkimonoに引きずられたものだな
数十年前まで単に「服」という意味で着物とも言っていた
子供向けの雑誌で「ねる前に ぬいだきものをたたみましょう」と書いてあって
イラストはズボンやスカートをたたむ子供の絵だった チェーラ朝とチョーラ朝、分かりづらい・・・
どっちもクソ長いんだっけ? >>278
インドの文字には一応母音あるのでは?アブキダというちょっと特殊な形だけど >>287
一応だろ?いつでも略せるし略したくなるような位置にしかないだろ?
アブギダなんてアブジャドに毛の生えた物でしかないんだよ
だから庶民はよく母音を略して伝達ミスをする
インドでも手紙を読み間違える小話がある का की कु के को
そこまで略したくなる?
個人的には濁点の方が略したくなるけどなあ ほら、子音が中心で母音はあくまで添え物じゃないか
母音を略して書いた手紙の小話は
ムーアハウス著ねずまさし訳『文字の歴史』岩波新書
に載っているよ
絶版だから図書館で探すこと
>>289はただの一人の主観だろ >>288
インド系文字はアがついた形が基本で、それ以外の母音や母音無しは点やひげをつけて表すんじゃ
記号が何もなしで書かれたら、全部の文字にアの母音をつけて読みそうな気がする 子音+長音と短音のiの表記は不便極まりないな
縦書きならいいけど横書きであれは酷い サンスクリットみたいなインドの言語って母音はもともとaの頻度が高いだろ
aを省略するのはいちいち書くのが煩わしいからだよ
あれなら基本ア段で読んで、意味が通るように語感に頼って
別の母音を入れていくという方式である程度用が足りる
ウルドゥー語はそれで不自由ないんだから、デーヴァナーガリ系にまったくそれがないと、
あの広大な大陸に億単位でいる使用者たちにそんな習慣が一つもないと断言するのが無謀 >>290
引用が正確ではない
その部分は、「商業上の慣例に従って母音を省略して書かれた手紙」の事例であって、
インドの文字に母音が存在しない、という意味ではない。あくまで省略した場合の事例。 グルムキー文字とデーヴナーグリーを見ると文字を形をしてないすしおっm ueoは省略されうるな >>294
子音に添える母音は基本字母ではなく、最初は習わない
つまり省略可能であり省略する習慣があり、なくてもいいということだ
よって「ないも同然」っていう話だ
ギリシャ語やラテン語で子音文字だけで手紙を書く習慣は存在しない
唯一の例外はマルタ語だが、これはアラビア語の一種でありアラム語と同じ理由 >>296
ヒンディー語の文字の学習でも最初に母音を学習するが。。。
アラブ語でさえ初学者は母音を学習する。
デーヴァガナリーで母音を習わない、というのは、もしかして、
子音と結合した母音字体の学習が子音の学習後だということと混同しているのでは?
そもそも>>290で引用されている『文字の歴史』でも、インド人がアラム文字を導入する
過程で、子音に印をつけて母音を書き表す方法を発明した、と明記されていて、
母音が省略可能とは書いていない。
>省略する習慣があり、なくてもいいということだよって「ないも同然」っていう話だ
その省略する習慣というのは、何が出典?(『文字の歴史』の商習慣以外で)
一部に省略する習慣があったとしても、ないも同然にはならない。 一部に省略する習慣があるってだけなら
ggrksとかwktkとかあるんだから日本語も母音を書かない言語になってしまう >>283
インド人にとって、仏教はヒンドゥー教の一種
他国人が考えるほどの違いはない 仏教だけでなくイスラムもキリスト教もシーク教もジャイナ教も
ヒンドゥー教徒から見れば「そういうカースト」になってしまうらしいぞ インドの会社のサイトを見たら、「当社の拠点はタミルナドゥ、ウッタラカンド、
タンザニア、グジャラート、マレーシア、カルナータカにあります」
とあって、インドの州も外国も変わらない扱いで並べてあった。
インドこそは、真の意味で「連邦」。
他の州は外国と同じだってことがよく分かる。 「地方自治」に関しては、中国がインドに追い付くのに百年はかかりそう シタール(ヒンディー語:सितार、英語:Sitar)は、北インド発祥の弦楽器。
民族楽器の一つ。
シタールという言葉の語源はペルシア語のセタール(سهتار :三弦)とされている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/Sitar_1.gif ビートルズも演奏したインドの楽器、シタール。
神秘的な音色が特徴だ。
ペルシャ文化の強い影響を示している。 座り方が独特
Sitar シタールの魅力 ヨシダダイキチ yoshidadaikiti
http://www.youtube.com/watch?v=OoJGMj5H7Wk サラスヴァティー女神もシタール持っているな
弁財天も琵琶もってたっけ >>307 シタール以前の純インドの楽器って何だったんだろう
ヴィーナか ムガール帝国の時代は、音楽も美術もペルシャ化され、それまでのインドとは大きく変わった
唐の影響を受けた頃の日本を思わせる 実際には、唐のペルシャやインドからの文化的な影響を強く受けている。
日本も、唐を経由して西方からの舶来文化を導入した。
まあ、以前この話をしたところ、変な左翼が出てきて怒り出したので、この辺にしとくけど( >>314
>実際には、唐のペルシャ
おまえの日本語も変だぞ >>315
そんな些細なことばかり気にしてるからお前はハゲるんだよ |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`) また髪の話してる・・・
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ なぜ左翼がグローバルヒストリーで怒り出したのか事情がわからないのでなんとも言えんな 日本に伝来したペルシャやインドの文化は唐風に咀嚼されて唐化した後に伝わったもので
そのままの物でないだろ
キリスト教は本来は中東の民族宗教色が強いものだったがギリシャ哲学やミトラ教を吸収して
ヨーロッパ共通の宗教となったのと同じことだ >>319
インドの文化は仏教か?
ペルシア文化は具体的にはなんだろう >>318
一部の人だけの話だが、自分の主張に反対されると、何でもパヨク、チョン、ネトウヨと罵る連中がいるからね
>>314がそうとは現時点では断定できないが 燃火物 取而嚢而 福路庭 入澄不言八 面智男雲
万葉集に見られるようにゾロアスター教徒が日本に存在していた >>318
「唐はインドやペルシャから舶来文化を導入した」というのと、
「日本が唐から導入した文化は、もっと西方に発祥したものが多い」という話をしたところ、
「中国サゲの日本アゲだ、これだからネトウヨは・・・」と怒り出した 編集
フマーユーンはスール朝との抗争で、サファヴィー朝のタフマースプ1世の宮廷に身を寄せた時期があったが、
その際に、フマーユーンはペルシャの細密画に触れる事となった 。
ムガル絵画は、フマーユーンがペルシャから2人の画家を連れて帰った事を出発点とする。
ムガル帝国が成長するにつれ、ヒンドゥーの要素を取り入れながら、発展を遂げていった。
肖像画、動物や植物、風景、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』といった叙事詩を題材に採用した。 ムガール絵画は、フマーユーンが連れて帰った2人のペルシャ人の画家から始まった。
「豊臣秀吉の朝鮮征伐軍が連れてきた朝鮮人陶工から、有田焼が始まった」みたいな話。
もっとも、フマーユーンはペルシャを侵略していたわけではない。
シェール・シャーとの戦いに敗れてムガール帝国が崩壊したため、
保護を求めて身を寄せていた。 建築分野はペルシャの影響を残しつつも、インド的な要素を取り入れていった。
ムガル帝国は首都をデリー、アーグラ、ラホールと度々、移動したため、
各地でイスラーム建築が建設され、インド亜大陸における建築様式に影響を与えた。 『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』など古典がペルシア語に翻訳され、
18世紀以降はヒンディー語やウルドゥー語の詩も次第に栄えた。
ウルドゥー文学では、恋愛詩を書いたミール・タキー・ミールや、
ペルシア語彙を用いた複雑な作風のガーリブらが有名である。
帝国末期にはデリーとラクナウを中心に詩が隆盛し、
バハードゥル・シャー2世はウルドゥー詩を愛好し、
自身がザファルと号する詩人でもあった。 文学でも、アラビア文字で表記するウルドゥー文学が盛んになり、ペルシャ語の語彙がどっと流入した。
一事が万事こんな調子で、要するに、ムガール帝国の前と後とで、インドの文化は激変した。
ペルシャ化、イスラム化が一気に進んで、まるきり別モノと化した。 >>323
>西方に発祥したものが多い」
これがひっかかったんじゃないのか?
>西方に発祥したものが多い
>西方に発祥したものも多い
では大きく違う。どちらが多いと言い切れるのか、個別に事例を挙げてみる必要があったんじゃないの?
例(個別に舶来しただけのもの(正倉院遺物とか)は除外。日本文化に根付いたもの)
※ゾロアスター教も日本に定着したことは証明されていないので除外
西方 仏教、密教、仏教説話、将棋、一部の建築技術、鐙、綿織物、そろばん、
中国産 古代都城制、古代条理制、古代官僚制、茶、儒教、節句、囲碁、干支、元号、絹織物、紙、漢字
議論のあるもの 駅亭制、稲作、数学、天文学
とか 中国のことになると感情的になる人がいるので、ネットではなるべく避けたほうが良い話題 >>332
社会制度とかも入れると、さらに話がややこしくなってくる。
隋唐の制度は、基本的に北方の異民族による征服王朝の支配体制なので、
「中国の文化とは言えないんじゃないか」みたいな議論がまた、あるんだな。
個人的には、それもどうかと思うけど・・・。 >>332
個人的に強調したいのは、音楽と美術。
仏教はインドの宗教だけど、彫刻はギリシャの美術。仏像は、その融合文化だ。
ただし、中国では仏様の顔立ちが東アジア風に変化した。
音楽も、神社とかで演奏される雅楽は、ペルシャの楽器がベースになっている。
こういうのは、東洋美術マニアとかワールドミュージックファンしか分からない。 話をインドに戻すと、今あるインドが形成されたのは、
なんといってもムガール帝国と、英領インドの時代。
はっきりいえば、東南アジアや中南米と同じで、
インドの歴史も、ここ数百年ほどを見ておけば十分。
それ以前のインドがどうだったかを考えたところで、あまり意味はない・・・。 まあ、日本についても、「応仁の乱より以前の日本史を学んだところで、
今の日本を考える上では役に立たない」というようなことを
内藤湖南が言ってたらしいから、どの国も大なり小なりそうかもしれないが。 フィリピンやメキシコに関して言えば、これらの国々の歴史は、スペイン人が来たときから始まる。
それ以前のことは誰も知らない上に、たとえ分かったとしても、
現代とのつながりが切れているので、あまり参考にならない。
それと似た面はインドにもある。
インドを統一したのは、19世紀のイギリス。
それまでのインドは、東南アジアのように、多くの土人国からなる地理的なまとまりにすぎず、1つの国ではなかった。 「数千年の歴史に根ざす」とされるカースト制だって、
「本当は、身分制度として固定化されたのは英領のとき」
という意見もあるくらいだ。 >>335
>こういうのは、東洋美術マニアとかワールドミュージックファンしか分からない。
雅楽と正倉院の遺物のペルシア起源や
仏像と寺の柱へのヘレニズムの影響なんて中学生でやるだろ >>334
>隋唐の制度は、基本的に北方の異民族による征服王朝の支配体制なので
どこが?冒頓単于以来の三翼制や万騎制や十進法制の軍団制度とかどこも全部漢化するうえで捨て去ってるじゃないの
遊牧民の制度ってむしろギリシャやローマに近い
烏丸や契丹なんて選挙制度まであったぐらいだからな >>342
それもムガール期にできた楽器でペルシャ起源 ムガール帝国以前のインド音楽など、まあ広い国だから
どこかに残ってるんだろうけど、まず誰も知らないな。
演奏者がいない。 インド・ペルシャ・アラビア・トルコの伝統音楽を聞くと、
インドから中近東までが1つの文化圏なんだとを実感する >>341
「北方の異民族の征服王朝による支配体制」という話と、
「遊牧民の社会」という話を混同してるんじゃないか? >>348
ほんとだ。13世紀の、デリースルタン朝の時代の作曲家
解説文を見ると、ペルシャ語で詩も書いていたイスラム神秘主義者だそうだけど ペルシャ音楽は、ムガール帝国の以前からも入っていたんだな まあ、中国でも、モンゴル文化は元の時代に一気に入ったわけでなく、
その前の遼や金の時代から徐々に入ってきてたわけで 世界最初のサイケデリックロックはバーズの霧の8マイルだが、ギタリストのロジャーマッギン曰く、
イントロとソロの最後の半音階フレーズは
モダンジャズのジョンコルトレーンとインド音楽の両方から影響を受けて生み出したとのことである
https://youtu.be/e8QypoBpQqI >>355
それを言ったら、タイやミャンマーもそうだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています