ヒンドゥー文明・インド文化圏・インド人の歴史2 [無断転載禁止]©2ch.net
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グルムキー文字とデーヴナーグリーを見ると文字を形をしてないすしおっm ueoは省略されうるな >>294
子音に添える母音は基本字母ではなく、最初は習わない
つまり省略可能であり省略する習慣があり、なくてもいいということだ
よって「ないも同然」っていう話だ
ギリシャ語やラテン語で子音文字だけで手紙を書く習慣は存在しない
唯一の例外はマルタ語だが、これはアラビア語の一種でありアラム語と同じ理由 >>296
ヒンディー語の文字の学習でも最初に母音を学習するが。。。
アラブ語でさえ初学者は母音を学習する。
デーヴァガナリーで母音を習わない、というのは、もしかして、
子音と結合した母音字体の学習が子音の学習後だということと混同しているのでは?
そもそも>>290で引用されている『文字の歴史』でも、インド人がアラム文字を導入する
過程で、子音に印をつけて母音を書き表す方法を発明した、と明記されていて、
母音が省略可能とは書いていない。
>省略する習慣があり、なくてもいいということだよって「ないも同然」っていう話だ
その省略する習慣というのは、何が出典?(『文字の歴史』の商習慣以外で)
一部に省略する習慣があったとしても、ないも同然にはならない。 一部に省略する習慣があるってだけなら
ggrksとかwktkとかあるんだから日本語も母音を書かない言語になってしまう >>283
インド人にとって、仏教はヒンドゥー教の一種
他国人が考えるほどの違いはない 仏教だけでなくイスラムもキリスト教もシーク教もジャイナ教も
ヒンドゥー教徒から見れば「そういうカースト」になってしまうらしいぞ インドの会社のサイトを見たら、「当社の拠点はタミルナドゥ、ウッタラカンド、
タンザニア、グジャラート、マレーシア、カルナータカにあります」
とあって、インドの州も外国も変わらない扱いで並べてあった。
インドこそは、真の意味で「連邦」。
他の州は外国と同じだってことがよく分かる。 「地方自治」に関しては、中国がインドに追い付くのに百年はかかりそう シタール(ヒンディー語:सितार、英語:Sitar)は、北インド発祥の弦楽器。
民族楽器の一つ。
シタールという言葉の語源はペルシア語のセタール(سهتار :三弦)とされている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/Sitar_1.gif ビートルズも演奏したインドの楽器、シタール。
神秘的な音色が特徴だ。
ペルシャ文化の強い影響を示している。 座り方が独特
Sitar シタールの魅力 ヨシダダイキチ yoshidadaikiti
http://www.youtube.com/watch?v=OoJGMj5H7Wk サラスヴァティー女神もシタール持っているな
弁財天も琵琶もってたっけ >>307 シタール以前の純インドの楽器って何だったんだろう
ヴィーナか ムガール帝国の時代は、音楽も美術もペルシャ化され、それまでのインドとは大きく変わった
唐の影響を受けた頃の日本を思わせる 実際には、唐のペルシャやインドからの文化的な影響を強く受けている。
日本も、唐を経由して西方からの舶来文化を導入した。
まあ、以前この話をしたところ、変な左翼が出てきて怒り出したので、この辺にしとくけど( >>314
>実際には、唐のペルシャ
おまえの日本語も変だぞ >>315
そんな些細なことばかり気にしてるからお前はハゲるんだよ |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`) また髪の話してる・・・
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ なぜ左翼がグローバルヒストリーで怒り出したのか事情がわからないのでなんとも言えんな 日本に伝来したペルシャやインドの文化は唐風に咀嚼されて唐化した後に伝わったもので
そのままの物でないだろ
キリスト教は本来は中東の民族宗教色が強いものだったがギリシャ哲学やミトラ教を吸収して
ヨーロッパ共通の宗教となったのと同じことだ >>319
インドの文化は仏教か?
ペルシア文化は具体的にはなんだろう >>318
一部の人だけの話だが、自分の主張に反対されると、何でもパヨク、チョン、ネトウヨと罵る連中がいるからね
>>314がそうとは現時点では断定できないが 燃火物 取而嚢而 福路庭 入澄不言八 面智男雲
万葉集に見られるようにゾロアスター教徒が日本に存在していた >>318
「唐はインドやペルシャから舶来文化を導入した」というのと、
「日本が唐から導入した文化は、もっと西方に発祥したものが多い」という話をしたところ、
「中国サゲの日本アゲだ、これだからネトウヨは・・・」と怒り出した 編集
フマーユーンはスール朝との抗争で、サファヴィー朝のタフマースプ1世の宮廷に身を寄せた時期があったが、
その際に、フマーユーンはペルシャの細密画に触れる事となった 。
ムガル絵画は、フマーユーンがペルシャから2人の画家を連れて帰った事を出発点とする。
ムガル帝国が成長するにつれ、ヒンドゥーの要素を取り入れながら、発展を遂げていった。
肖像画、動物や植物、風景、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』といった叙事詩を題材に採用した。 ムガール絵画は、フマーユーンが連れて帰った2人のペルシャ人の画家から始まった。
「豊臣秀吉の朝鮮征伐軍が連れてきた朝鮮人陶工から、有田焼が始まった」みたいな話。
もっとも、フマーユーンはペルシャを侵略していたわけではない。
シェール・シャーとの戦いに敗れてムガール帝国が崩壊したため、
保護を求めて身を寄せていた。 建築分野はペルシャの影響を残しつつも、インド的な要素を取り入れていった。
ムガル帝国は首都をデリー、アーグラ、ラホールと度々、移動したため、
各地でイスラーム建築が建設され、インド亜大陸における建築様式に影響を与えた。 『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』など古典がペルシア語に翻訳され、
18世紀以降はヒンディー語やウルドゥー語の詩も次第に栄えた。
ウルドゥー文学では、恋愛詩を書いたミール・タキー・ミールや、
ペルシア語彙を用いた複雑な作風のガーリブらが有名である。
帝国末期にはデリーとラクナウを中心に詩が隆盛し、
バハードゥル・シャー2世はウルドゥー詩を愛好し、
自身がザファルと号する詩人でもあった。 文学でも、アラビア文字で表記するウルドゥー文学が盛んになり、ペルシャ語の語彙がどっと流入した。
一事が万事こんな調子で、要するに、ムガール帝国の前と後とで、インドの文化は激変した。
ペルシャ化、イスラム化が一気に進んで、まるきり別モノと化した。 >>323
>西方に発祥したものが多い」
これがひっかかったんじゃないのか?
>西方に発祥したものが多い
>西方に発祥したものも多い
では大きく違う。どちらが多いと言い切れるのか、個別に事例を挙げてみる必要があったんじゃないの?
例(個別に舶来しただけのもの(正倉院遺物とか)は除外。日本文化に根付いたもの)
※ゾロアスター教も日本に定着したことは証明されていないので除外
西方 仏教、密教、仏教説話、将棋、一部の建築技術、鐙、綿織物、そろばん、
中国産 古代都城制、古代条理制、古代官僚制、茶、儒教、節句、囲碁、干支、元号、絹織物、紙、漢字
議論のあるもの 駅亭制、稲作、数学、天文学
とか 中国のことになると感情的になる人がいるので、ネットではなるべく避けたほうが良い話題 >>332
社会制度とかも入れると、さらに話がややこしくなってくる。
隋唐の制度は、基本的に北方の異民族による征服王朝の支配体制なので、
「中国の文化とは言えないんじゃないか」みたいな議論がまた、あるんだな。
個人的には、それもどうかと思うけど・・・。 >>332
個人的に強調したいのは、音楽と美術。
仏教はインドの宗教だけど、彫刻はギリシャの美術。仏像は、その融合文化だ。
ただし、中国では仏様の顔立ちが東アジア風に変化した。
音楽も、神社とかで演奏される雅楽は、ペルシャの楽器がベースになっている。
こういうのは、東洋美術マニアとかワールドミュージックファンしか分からない。 話をインドに戻すと、今あるインドが形成されたのは、
なんといってもムガール帝国と、英領インドの時代。
はっきりいえば、東南アジアや中南米と同じで、
インドの歴史も、ここ数百年ほどを見ておけば十分。
それ以前のインドがどうだったかを考えたところで、あまり意味はない・・・。 まあ、日本についても、「応仁の乱より以前の日本史を学んだところで、
今の日本を考える上では役に立たない」というようなことを
内藤湖南が言ってたらしいから、どの国も大なり小なりそうかもしれないが。 フィリピンやメキシコに関して言えば、これらの国々の歴史は、スペイン人が来たときから始まる。
それ以前のことは誰も知らない上に、たとえ分かったとしても、
現代とのつながりが切れているので、あまり参考にならない。
それと似た面はインドにもある。
インドを統一したのは、19世紀のイギリス。
それまでのインドは、東南アジアのように、多くの土人国からなる地理的なまとまりにすぎず、1つの国ではなかった。 「数千年の歴史に根ざす」とされるカースト制だって、
「本当は、身分制度として固定化されたのは英領のとき」
という意見もあるくらいだ。 >>335
>こういうのは、東洋美術マニアとかワールドミュージックファンしか分からない。
雅楽と正倉院の遺物のペルシア起源や
仏像と寺の柱へのヘレニズムの影響なんて中学生でやるだろ >>334
>隋唐の制度は、基本的に北方の異民族による征服王朝の支配体制なので
どこが?冒頓単于以来の三翼制や万騎制や十進法制の軍団制度とかどこも全部漢化するうえで捨て去ってるじゃないの
遊牧民の制度ってむしろギリシャやローマに近い
烏丸や契丹なんて選挙制度まであったぐらいだからな >>342
それもムガール期にできた楽器でペルシャ起源 ムガール帝国以前のインド音楽など、まあ広い国だから
どこかに残ってるんだろうけど、まず誰も知らないな。
演奏者がいない。 インド・ペルシャ・アラビア・トルコの伝統音楽を聞くと、
インドから中近東までが1つの文化圏なんだとを実感する >>341
「北方の異民族の征服王朝による支配体制」という話と、
「遊牧民の社会」という話を混同してるんじゃないか? >>348
ほんとだ。13世紀の、デリースルタン朝の時代の作曲家
解説文を見ると、ペルシャ語で詩も書いていたイスラム神秘主義者だそうだけど ペルシャ音楽は、ムガール帝国の以前からも入っていたんだな まあ、中国でも、モンゴル文化は元の時代に一気に入ったわけでなく、
その前の遼や金の時代から徐々に入ってきてたわけで 世界最初のサイケデリックロックはバーズの霧の8マイルだが、ギタリストのロジャーマッギン曰く、
イントロとソロの最後の半音階フレーズは
モダンジャズのジョンコルトレーンとインド音楽の両方から影響を受けて生み出したとのことである
https://youtu.be/e8QypoBpQqI >>355
それを言ったら、タイやミャンマーもそうだが 実際のところ、仏教とヒンドゥー教は、根本的に違うわけではない
まあ似たようなものだ >>357
スリランカで仏教徒がヒンドウー教徒を迫害して内戦を起こしていた あれは、どっちかっていったら、タミール人とシンハリ人の民族対立なのでは? インド神話の神様を信仰するのは、外国人には敷居が高い。
だから、ヒンドゥー教がインドの外にまで広がることはない。
でも、それは民間レベルの信仰の話であって、寺とか山で瞑想修行する
その道のプロフェッショナル達が考えてることは、仏教とヒンドゥー教で大差ない 仏教とヒンドゥー教は、インドと東南アジアでシノギを削ってきたが、
インドではヒンドゥー教が勝利し、東南アジアでは仏教が勝利した
もっとも、最終的な勝利者はイスラム教かもしれないが ヒンドゥー教はブラーミンがいないと成り立たないからな
インド国外では成立しにくい 20世紀には、こういうインドのグルたちが欧米で知られるようになり、
今まで聞いたこともなかったような深遠な哲理を語り始めた
世界的に、大きな精神的影響を及ぼしている 20世紀欧米人へのヒンドゥーとかラマ教とか道教とか浸透って
神智学の類と同類だと思うんだよね とくにアメリカ西海岸ではヒッピー文化が栄えた
インドの宗教や音楽に魅了された欧米人たちが集まって騒いだ >>369
クリシュナムルティは若くして神智学の教祖になったが、教団を解散してフリーの宗教家になった 神智学協会創設者のブラヴァツキー夫人は仏教徒になったというけどどこの仏教だったんだろうか 英領インドに長期滞在して輪廻転生思想を身につけたが、
仏教とヒンドゥー教をとくに区別してはいなかったんじゃないかな? 「西のイエス・キリスト、東のゴータマ・ブッダ」を世界の二大聖人と位置づけるのは、
日本の新興宗教にもよくあるパターン
単なる知名度の問題だけど >>371
吹いたww
まあ、アキバにインド料理やが多いのは、インド人IT技術者が日本に沢山きているからだと思うが
ゲームネタで神智学とか関係ありそうだから、IT−ゲーム−ファンタジー系ー神秘主義ということかも知れないが >>373
彼女の生家と婚家の領地には、チベット仏教を奉ずる少数民族がいた。その影響の大きさについて、去年の国立民族学博物館の雑誌やWestern Esoterisism関連洋雑誌にここ数年、しばしば言及がある。 http://sherman.jp/engel-566.html
死後天国に行きたい、現世で幸せになりたいと思うなら是非我々の所で熾天使様を崇拝し、
愚かなゼウスやヤハウェ、シヴァ、等、神と名乗るまがい物の下劣な悪魔を倒しましょう
あのものらは我々の神であるルシフェル様やサタン様やカナンの地の慈雨の神を悪と決めつけ迫害してきました
後から土足で入っておいて、元来おられる神を葬り去ったのです
まるでメアリーを殺したエリザベス女王とそっくりです
あの神とかいう愚かな者を崇拝している者共は卑怯なのです
神の非道に異を唱えたルシフェル様こそ神として崇拝すべき対象だと思いませんか? >>380
その書き込みとサイトの内容違うけどどっちが正しいの ・・・アメリカの経営大学院でもマインドフルネスを学ぶ授業が次々に開講されつつあるが、
その先駆者ともいえるのがスタンフォード大学経営大学院だ。世界のエリートが学んでいる
マインドフルネスの授業とは?6月22日発売の書籍「スタンフォードでいちばん人気の授業」
(幻冬舎) で紹介されているリア・ワイス博士のインタビューを2回にわたってお届けする。・・・
マインドフルネスが仏教に由来しているのは確かです。・・・
(↑実は間違い。(恐らく)狩猟採集時代に由来し、日本の縄文時代以降、及び、
インダス文明においてのみ存続しえた人間(じんかん)主義に由来。
授業は、マインドフルネス、コンパッション(他人を思いやること)、セルフコンパッション
(自分を思いやること)という3つの概念について、様々なテーマをとりあげます。
たとえばマインドフルネスはどのように仕事の生産性を高めるのか。思いやりを持つことは、
リーダーにとって強みになるのか、弱みになるのか。他人に思いやりを示すことがなぜ
利益につながるのか。マインドフルネス瞑想、コンパッション瞑想はどういうときに実践すると
効果的なのか。どのようなセルフコンパッション瞑想を実践したら、失敗から立ち直れるのか。
このようなテーマについて、理論と実践の両方の側面から学んでいくのです。・・・
(↑こういう功利主義的なアプローチでは人間主義は正しく理解できない。また、社会全体を
人間主義的にしない限り、個々の人間ないし個々の集団が人間主義化しても、当該個人
もしくは集団は存続し得ない。更に言えば、人間主義だけでは、国は滅んでしまう。
こういうことが、この教授、ひいてはスタンフォードビジネススクール、ひいては米識者達、
ひいては世界の中共当局を除く識者達は分かっていない。)
http://diamond.jp/articles/-/132551 インド亜大陸(インド半島)のデカン高原一帯に、西から東へ流れ、
ベンガル湾へ注がれる北方のゴーダーヴァリー(ゴダヴァリ)川と
南方のクリシュナ川がある。
紀元前3世紀頃、この両川に挟まれた地帯に、ある民族が王国を形成したという。
かつて北インドに侵入したアーリア人ではない別の系統の民族であり、
その民族とはドラヴィダ系のアーンドラ人と呼ばれている
(アーリア系のマハーラーシュトリー族の説もある)。
アーンドラ人はゴーダーヴァリー川上流域にて、
サ−タヴァーハナ家による国家を形成したとされている。 マングローブが生い茂るのは海岸の河口であって、
それ以外はインドでも代表的な穀倉地帯 インドで、アーンドラ地方と並ぶ穀倉地帯といえば、インダス川流域のパンジャーブ地方
古来から兵家必争の地とされてきた Punjab is the only Sikh majority state in India with Sikhs comprising 57.7% of the population as of 2011.
(Wikipedia) アメリカでも、ユタ州はモルモン教の宗教国家として有名だが、
インドでも、パンジャーブ州といえばシーク教 衛星画像の右上のほう、ヒマラヤ山脈の麓には、例外的に豊穣な低地が広がっている
ここが大穀倉地帯のパンジャーブ地方
ここさえあれば、あとの土地は要らない >>392
まぁ、言っても一番狭いとこで幅50kmくらいはあるしな
名古屋以東の日本の土地が全部沖積平野くらいのボリュームあるでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています