>>156
>書いてあることがどこまで信頼できるかどうか
それに異論はない。元史も大越史記全書も、双方自分に都合の良く書いてある、と考えるのが普通だ。
すると両方の書籍に書いてあることが、一応確度が高そうな記載ということになる。片方にしか
書いていない部分こそ、議論の対象になる。いままで大越史記全書をあまり引用していなかったのは、
強大な元軍を破った陳軍、という風に元軍を強大に描くバイアスが入っていると考えたため
(例、元史で輸送船の食料17万石とあるのに大して、大越史記全書は70万石とある。
どっちが正しいかを判断するためにも当時の船の積載量などのデータは必要となる)。

元史日本伝の文永の役の記述は二行しかないが、第三次ベトナム侵攻については安南伝には18行記載がある。
大越史記全書の方は面倒で数えていないが、数百行あるかも知れない。文永の役が二行しかないから、
元史の他の部分も駄目という議論は乱暴すぎるし、大越史記全書は確かに詳細だが、「盛っている」部分も
多いと思われる。元史安南伝にはバクダン江の戦いの記載がないが、これだけで元史が信頼できない、
ということにはならない。なぜなら元史166巻樊楫伝に数行にわたる記載がある。

>文永の役の記述をみてみろよってだけ
あなたに指摘される前に当然見ている。で、俺もお前に元史安南伝と樊楫を読んみろよっていいたい

その上で記載すると、元史によれば、ウマルとともに戦艦を率いていた漢人武将樊楫は元朝になって採用された人で南宋の家臣ではなかった。
一方張文虎は南宋の元家臣だ。樊楫ハグダン江の戦いで戦死しているが、張文虎はなぜかバンドンを
なかなか出発せず、陳朝軍の少しの襲撃で大した損害のないまま引き返している。樊楫と比べると、
張文虎はサポタージュという印象すらうける。で、俺がいいたいのは、この「その上で記載」以降は、
俺の解釈で推測であり、こういう可能性や解釈も考えられるよね?という話であって、こうだった決め付けているわけではない。
同様に、陳朝と戦った元軍が、日本遠征で精鋭がいなくなった凡兵ばかりだったのか、そうではなかったのか、を
決め付けることもできない、ということ。