>>114
ブルボン朝の国王、とりわけ最後のシャルル10世は革命を経験していながら
時代錯誤的なガチガチの絶対王政主義者で極めて反動的だった

そこで我慢の限界に達した市民が再び革命を起こしてシャルル10世を追放、
長男のアングレーム公も父王同様に不人気だった為に共に追放された
そこで後釜は誰にすべきかと議論が重ねられた結果、自由主義者で知られるオルレアン公が選ばれた

オルレアン公はルイ14世に代表されるブルボン朝時代の絶対王政のイメージを払拭する意味も兼ねて従来の「フランス国王」ではなく「フランス人の王」を名乗った
(彼がルイ19世ではなくルイ・フィリップという王名を名乗ったのも絶対王政のイメージ払拭と心機一転の意味があったからだと考えられる)

まあ、そのルイ・フィリップ王も自由主義者ではあったがブルジョワ層を優遇し過ぎて結局は革命で王位を追われることになるわけだが…