匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net
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4000年オルドスにいた古い遊牧文化が狄(テュルク)だった
完全なモンゴロイドであってモングルもお隣さん感覚
このテュルク語を、たまたま連合帝国の匈奴で採用してる・・的なモノ
多くのアジア遊牧民が、より古いテュルク語や文化を借用してる
だからモンゴル帝国は史上最大といいつつトルコ系民族のほうが広く分布してる
つまり狄の世界征服のほうが遥かに古かったし規模もうわまわってる
トルコ系=匈奴=フン=ドイツというのも正しい
そもそも白人の発祥はイラン・南ロシアあたりとされるから
ドイツではトルコを嫌悪してるが人種的には殆ど同じ民族だそうだ 現在のモンゴル国で最も尊敬されるのは建国者スフバートル
斧の英雄という意味だ
ともあれ現代のモンゴルでバアトルというのは勇者にとどまらず
かなり尊敬される称号
日本で言う征夷大将軍とか、欧米だと総統ぐらいの意味
モンゴル帝国における官職
カーン(帝) ・ ・ ホンタイジ(太子・副王) ・ ジノン(晋王)
ノヤン(遊牧貴族) ・ バートル(勇士) ・ ダルハン(勲臣)
という順序は意外に低い
モンゴル装甲騎兵を率いてドイツ騎士を打ち破ったバトゥ
はやはり勇者のアダ名
この人も敵に厳しく味方に優しい戦争向きの才能があって
おおよそ加藤清正みたいな「武辺者」の意味だろうか フン族の初代君主バラミールの前に伝説のカマ・タルカンという伝説的君主が
存在したとの説があるが、
このタルカンは漢字では達汗とか達干とか書き、これがカンの源流なんじゃないか?
と、どっかのスレで見た >>105
タルカンは>>104のダルハン(勲臣)のことだろ? のちのウイグル(回鶻)に頓莫賀達干っていたが、まさに>>105のタルカンの称号じゃないか! 匈奴の単于は天子の意味で、天をおおうほど広大という
遊牧民の天信仰につながりがある
のちに単于は魏晋など皇帝からもらう称号になっており匈奴王、ぐらいの意味になった
可汗は突厥が自称した
鮮卑の長は大人(たいじん)だが北魏の漢文を考古学調査で判明したところによればカガン・可寒とも称していた
したがって鮮卑拓跋部がカアンの元祖との説も有力。北魏皇帝が蛮族を恥じて
過去をすて漢化をおしすすめ、このさいに多くの先祖の過去は消えた
孝文帝が奨励した漢化を止めて、固有の祖先文化に戻すため(先祖を重んじるのも儒教の影響だが・・)
北周が中国人が称していた「皇帝」号をやめ、「天王」を採用している。
唐の3代皇帝の高宗がはじめて「天皇」の称号を使用した。
太宗 李世民が突厥を撃破して「天可汗」の称号を遊牧民から送られた背景も有り
秦王政が周王にかわる君主号を詮議したときに古の上帝と三皇をとり、「皇帝」号を創始した
古い例にならったものだろう 現在の中国の庶民は「共産党の自国政府」を「天朝」という
中国庶民は歴史に興味あるのは唐まで、せいぜい隋唐で
これらがすでに鮮卑系の貴族王朝だったことを鑑みると
三国志から魏晋五胡十六国時代から北魏、北周、そして隋唐
それ以前は血の繋がらない異民族と見なしてる
現在の中国人は遺伝子的には鮮卑の血がきわめて濃い
数百年支配された鮮卑貴族制の強姦のためであろうが、この北魏の軍事貴族は
重武装の騎兵をもち中国人に太刀打ちできるものではなかった
この軍事貴族の力を削いだのは皮肉にも女、武則天の功績とされる
北魏・北周の古い体制を壊す試みの一つが神都や天皇など新しい称号だった
称号改定は則天武后の都合によるもので、高宗は強要されたのであるが
どうもそのせいか中国での天皇の称号はあまり定着してない >>109
正式にはテングリ・グト・シャンユだっけ 匈奴がチュルク系にしろモンゴル系にしろ
いずれにしても人種的にはモンゴロイドであったことは明確にしておかねばならない
チュルク系が現在の顔立ちになったのは、中央アジアの先住民だったインド・アーリア系(イラン系)の
コーカソイドと混血したからだ
特に現在のトルコに住むトルコ人は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の臣民だった
ギリシャ系、スラブ系、イラン系(いずれもコーカソイド)の住民と混血したからだ
オスマントルコ皇帝のスレイマン1世なんかも母親はギリシャ人だったいうし、
もう、遠い昔のモンゴロイドの原型を皇帝自らとどめていない >>113
トルコ人のサイトだもん
そりゃ、現代トルコ人に似せて描くよ
3000年前のモンゴル高原のそばに住んでいた、
あるいは、さらに東の現在のヤールー川流域に住んでいた頃の
チュルク系を描いて見せてくれよ アジア人と白人がどっちが美人かということでは、現代日本はテレビなどで洗脳されてるのだが
白人が美人だというわけではない。世界のテレビのない土人にきくとエスキモーもパプアニューギニアも
アフリカ黒人まで日本人女優の写真を可愛いといい白人女優は論外という
マリリンモンローの写真に「なんだこの怪物は」と怒った男もいたという
モンゴロイドは幼体だから日本人は異人種や土人でも自分の子供に見えて概ね可愛いし
白人女はきつい男顔だから敵対心が湧くんだろうな
モンゴルが世界征服した時も白人娘をブスだといい嫌っていたというのがロシア民話にある
西方のフランク人はもっとお岩さんにみたいにゴツゴツして醜い顔と聞いてがっかりしたという
トルコ人が西方に流れてきたときも白人女はやむをえず食うマズい救荒食物みたいな扱いだろう >>113
そのヒゲがなあ
ラーメンマンの罪は重いよな
>>116
中央アジア美人多いよね
中国で新疆のオサレな写真集のような旅行記のような本買ってきたけど、そこに載ってる女の子たちが化粧もしてない、顔は埃まみれ、しわも多いのに惚れ惚れするほど綺麗だ
香妃もあんな系統の顔だったのかな イギリスのフィリップ殿下が香港いったときに「中国人はみんな同じ顔だ」と感想を漏らした
逆に、アジア人が白人の国に行くと皆同じ顔に見える
これは黒人もおなじで、アフリカ人は先進国にいくときよく偽パスポートを使うのだが
パスポートに別人の写真がはってあっても
空港の白人係員は皆黒人は同じ顔に見えるためつい見逃してしまう。
異民族の集団に入り込むと最初は戸惑うが、たとえガイジンでも日本に数年居ると
感覚が日本人と同じになり電車に外人がのってくると(自分も外人なのに)
あっガイジンだー!と思うようになるそうだ
いかにも日本に慣れないガイジンはブスの日本女をつれてることはよくあるが
彼らからすると日本人はみな同じ顔(皆美人)にみえるのを女が利用したもの
ただやはり数年すると白人も馴れて、こいつはブスだ、騙されたとわかるようになる
アジア遊牧民が西欧に行っても最初は「ブス、岩石顔でたまらん!」とか思ってるが
性交してるうちにだんだん白人女も、こいつは美人だなとわかるようになる >中央アジア美人多い
完全同意
なんとかスタンの女性とかビックリするくらい美人多い
顔も超小さいし 匈奴の冒頓単于に東胡はほろぼされ残党は烏丸や鮮卑となった。
烏桓や鮮卑は育てた家畜を税として匈奴に取り立てられて
規定の数が揃わないとかわりに妻や若い娘を攫われた
烏丸の力がだんだん強くなり、冒頓単于の墓を暴いてはずかしめ
冒頓単于に敗れた東胡の恥に報復した。匈奴が激怒して
2万の騎兵でおそうがこれを知った漢の将軍の霍光は匈奴について
烏桓の村をおそい無抵抗の女子供を六〇〇〇人を惨く殺した
こうして烏丸は酷く弱り、孝武帝の時に烏丸の大人は漢に降伏した
彼らを長城の内側に居住させて王位をあたえる
やがて力をつけると烏桓は後漢の命令はきかなくなった
袁紹は烏丸をてなずけてそれぞれ単于の称号を与えた。
曹操は袁紹の残党を追い、烏丸を撃破し、死者は野を埋めた(白狼山の戦い)
烏丸の没落で匈奴・烏桓・鮮卑で最も弱かった鮮卑は
力をつけてのちに天下を取る
烏丸はやることもドキュソだけど霍光や曹操にボコボコにされてかわいそう >>122
俺頭悪いから、権力者、地名、民族名に
漢字がいっぱい出てくる中国史は苦手だわ
なんて読んで良いのか分からん >>117
冒頓単于とラーメンマンが何か関係あるのか? >>119
カザフスタンの美人バレーボール選手を日本のテレビ局がバラエティ番組に呼んでたのをゆうべ見かけた
今までネットに上がっていた写真と違って、あまりにモンゴロイドし過ぎていたなぁ カザフ人はモンゴロイド的なのが大半で
一部がコーカソイドとの混血 >>127
今でも、メテ(冒頓)とアッティラはトルコ民族の偉大なる英雄 人種的には日本人の方が、匈奴人に近いのに、
トルコ人め、勝手にコーカソイド化をねつ造しやがって >>133
そうだよ
だって、モンゴロイドの居住地域に住んでいたじゃん
特に東突厥の居住地域なんかは今のロシア連邦ハバロスクあたりでしょ
今もモンゴロイドの少数民族ヤクート人が住んでいるよ 現在ドイツは少子化でトルコ人などがガキを産みまくってるからいずれ西トルコになる
つまり冒頓単于をドイツ人は先祖として崇めるようになる
ドイツ人は長らくマジャール人と戦ってきた
マジャールとは遺伝子はコーカソイド化したモンゴロイドであるが、このアジア遊牧民
はドイツ中心部へ進撃しようと企んだ
さすがにドイツの諸国が結束してマジャール人を打ち破る
ここにオストマルク東方辺境伯を置く。これがのちにオーストリア公国(エースターライヒ東の国)になる
ローマ帝国では属州ノリクムにあたる土地
ちょうどそのころオランダ(フリースラント)で堤防が破れて海につながる大災害ががあり多くの農民は
農地を失い、そこで東方に移民してきた。当時オランダは(今でもそうだが)ヨーロッパ一の人口稠密
でオーストリア公国は無尽蔵の人的資源を持ち東方征服ははかどった
この過程でハンガリーやチェコスロバキアなどスラブ人やアジア人も傘下におさめる
オーストリア公はいわばアメリカ西部開拓のように白人でアジア人を打払い、広い広い東方領土を得た
公国は実力を背景にドイツ初代神聖皇帝ルドルフ1世を出すにいたる
これがだいたい今のドイツ文化圏の成り立ちであってヒトラーの生存権・ロシア征服もこの記憶に寄ってる >>135
バンコランに髭生やしたら似てる
目とか でも、冒頓がいまのトルコ人風な容貌で、アッティラはドルジ顔というか平たい顔族だった・・
これじゃフン=匈奴説に暗雲か? 北魏の王族の姫である安徳公主は斉の宮廷において群臣の眼前で、胡人によって公開凌辱された。
胡というのは西の蛮族を指す。秦漢時代はテュルク系の匈奴をさしたようで
犬戎もイヌのように鼻筋が通ってる人間という酷い侮辱である
シルクロードを通じトルキスタン文物をもたらし「胡風趣味」として愛好され、胡服、胡笛、胡舞などが根付く
ソグド人、鼻の高いイラン系の外人という意味合いを持つようになる
鼻の高い胡人によって前王朝の姫を公開セックスするのは権威を失墜させる意味合いがある
漢人では胡種をひどく嫌った。トルコ人に犯させることで北魏の血統は汚した、ということになる
北斉の文宣帝も鮮卑なのだが、鮮卑の先祖の東胡はテュルク系とツングース系の雑種と言われる
いわゆる雑胡である、ザコ。この雑胡の血に文宣帝は強い劣等感を持ち
高貴の血筋や北魏の姫を犯し、漢族大量殺害したとされる
この当時は鼻が高いというペルシャ系の男は雑胡とされかなり蔑まれたことがうかがえる
始皇帝の墳墓あたりからもかなり白人の骨が出てくるそうだが
まぁ秦人も胡の血が入ってると気持ち悪がられていた
始皇帝の死後大反乱が起こったのも、楚人が始皇帝の顔を気に入らなかったのが理由の一つ ザコ(雑魚)は魚のことだろう。漁の目当てじゃない魚が雑魚だ。 麺の起源は中国でイタリアパスタに伝播したと誇るが中央アジアで自然発生したとの説も強い
匈奴が麺をつくり中国にもたらした可能性もある。遊牧民が麺を食べるか?という感じだが
またモンゴルから中央アジアにかけて意外にもウドンのような麺料理は多い
まず麺を作るには小麦と石臼が必要だが、このへんは中央アジア由来。回転石臼の発祥は
ギリシャ考案より古いながら軸受機構も完全な石臼がトルキスタンでみつかってる
マルクスの資本論では水車式の石臼は資本主義の工場の始まりとされアジア由来だと断言する
中国では貴族が独占、欧州は教会が独占しこれによって大いなる富がもたらされる
粉屋が欧米では被差別民とされたのは農民が粉屋の不正に強い不満を持つことに由来するという
ソグド人といえば安禄山だが彼の配下には石臼部隊がいた
敵兵を捕らえると生きたまま巨大石臼に放り込みそれっとゴリゴリする
にゅるりんと出てきたミンチ肉を饅頭にいれて蒸し、安禄山の食事は美味しいと評判を取った
これによって補給の問題は解決して敵もミンチを恐れるので一石二鳥
小麦用の石臼をかっぱらって人間を挽いたら汁で汚れるだろうが!とお怒りだろうが
ちなみに中央アジアの麺料理「ラグマン」は小麦を引いて肉汁を混ぜ合わせて打ち上げた麺を秘伝とする
このやり方はソグド人には非常に美味しいと推定できる
もしかすると普段から家畜や人間とかも石臼にぶち込んで麺料理のかくし味にしてたかもしれない中国では、ほぼ西安以西で普通にみられる >>140
観光先になっている始皇帝の墳墓にみられる土蔵の遺物の顔を見ると、
コーカソイド系の顔がないぞ
俺はむしろあると思って期待したが、みんなモンゴロイド系の顔立ちだ 戎はチベット系ともいわれて多数派でチベット人は日本人にちかいといわれれる
しかし匈奴などの王族(レンテイ氏)は鼻も高い顔立ちだったそうで 犬戎はスキタイやサカの一部説もあるようだよ
英語文献で読んだ >>143
コーカソイドの血が混じっているとしても少々かな 白人やコーカソイドの定義や意味合いが人によってまちまちなので話が合わなくなる
印欧系の意味で使っている人もいれば
インドアーリア系やトルコ系トハラ系の意味で使っている人などバラバラ 月氏や烏孫だってコーカソイドだったんじゃない?もしかしたら康居も >>148
月氏って、よく分からないけど、その居住地域からしてイラン系ソグド人居住地域と重なるから
コーカソイドでしょ
まさに今のイラン人のような顔 >>143
兵馬俑の中に長頭な白人系の骨格なのがあるって昔テレビで見た タリム盆地の白人系は
アーリア人(イラン系)とアファナシェヴォ系の二通りあるみたいだ
前者は黒目黒髪のコーカソイド
後者は金髪碧眼のコーカソイド
紀元前のいつ頃かまではタリム盆地では後者が優勢
次第に前者が取って代わったらしい
20世紀には全くわからなかった歴史的事実だが まず白人とモンゴロイドの差異はそれほどハッキリとしたものではない
イギリス人と日本人の遺伝子分岐は10万年だが
アフリカの隣り合った部族の遺伝子距離はさらに大きく離れてる
気の遠くなるほど古くからアフリカ大陸は混血を禁忌としてる。
混血児はすぐ殺す。巨人やらピグミーやらいるわけだ
アフリカから出た非黒人つまり白人アジア人の先祖は極く小さなもので
50人か20程度の狩猟集団だったと考えられる
だから振り幅はそれほど大きくなりようがない
白人からモンゴロイドが別れたのは世界の屋根というエベレストなど
ヒマラヤ山脈の大きく隆起した地形が民族移動
をさまたげて、インド以東が人種固定化したゆえだと言われる >>65
カウボーイって弓矢なんか持ってないじゃん
巨大な弓持ってるの、東夷の末裔の日本じゃん。原始人同然の弥生時代から七尺〜八尺の弓を使ってたよ。
そんな大きな弓は騎射には向かない。スキタイや元寇の弓も二尺や三尺しかない。
鏑流馬は曲芸のようなも、実戦では騎射なんかやらない。現に「鏑」だろ。殺傷力のある矢を用いない。 >>104
ちょい前まで共産国だったもんなあ。
カーンとかノヤンとかは人民の敵だもんなあ。
バートルだと腕っぷしでのし上がってきた野育ちの実力者だから、革命家も自称「バートル」だしな。 >>155
>実戦では騎射なんかやらない。
蒙古襲来絵詞の中でやってるだろう。鏑矢はあくまで開戦の合図であって何本も射ない。 だからそんなものは数打たない。
主に使うのは普通に攻撃のための矢である。
そして絵詞で騎射してるのは間違いない。 匈奴の言語はトルコ系の中でもかなり異質のブルガール語派だった可能性が高い
ブルガール人の言葉はトルコ系なのだが、他のトルコ語と違いが大きく、西突厥の末裔にあたるオグズやキプキャックなどよりも数百年前に分裂した言語だろうと推測されている
西突厥より前にヨーロッパに到達したトルコ人がいたとすればフン族以外に考えられない
恐らくフン族はトルコ系だったのだろう
フン族がトルコ系であるならば、まあ匈奴=フン族で間違いない
匈奴はトルコ語のブルガール語派だったと思われる 中国のウイグル族は東トルキストン国と自称する
トルコからかすれば関西みたいなものだとされる
もともとこちらアジアが古都なのだから日本人の京都や奈良なんかに当たるというわけだ モンゴルでは箸はサバハと呼ばれ、蒙古刀(ホタク)の鞘(ヘト)に格納されている
(刀と一体化した箸は日本刀に装着する割れ笄も含め東アジアで広く見られる)
しかしモンゴルはあまり箸を使わずナイフで切って食べる
タイ、インドネシア、フィリピン、及びヨーロッパ、アメリカ大陸は匙食文化圏であるとされる
箸は殷代の発明であるとされるが遊牧民が発明したのかはっきりしない
しかし刃物とセットというのも牧畜民らしい。
刀と相性がよくさらに野外で砂まみれでも布で拭うだけの箸は清潔である。
孟子が「君子厨房に近寄らず」の言をはじめ、屠畜場でしか使わない刃物の
食卓の使用に反対した
そして料理はあらかじめ厨房でひと口大に、箸にとりやすい大きさに切りそろえられ、
食卓に出されるようになったので、箸のみが普及していったと言われる。
西洋料理の食卓でスプーンとともにナイフが使用されることとは対照的である アヒルとかブタとかの丸焼をデーンと出して来て回るテーブルの真ん中に据えて給仕役が切り分けてくれるのは、チャイナの作法ではなかったのか? 回るテーブルは日本発祥だ。
「中国発祥と思われがちな回転テーブルですが、実は東京の総合結婚式場・目黒雅叙園で生まれたもの。
創業者の細川氏が開業4年後の1932年に発案したそうです。」 乾隆帝の所謂「六巡南下」で、行った先の土地の有力者たちが宴席でもてなす際に、毒を盛ってることを疑われないために、
同じ卓で回しながら、大皿の料理を小皿にとりわけて、ランダムに配るよう工夫したものではないんかい? 回るテーブルに関しては雅叙園発祥で、横浜中華街の人たちがそれを取り入れて普及させたことは間違いない。 こんな時間に飯テロかよ…
回るテーブルが日本初って知らんかった
あー、蒸し鍋食いたい >>167
>同じ卓で回しながら、大皿の料理を小皿にとりわけて、ランダムに配るよう工夫したものではないんかい?
ちょっとね。イメージがよく判らないんだけど、それはテーブルが回る必要はないだろう。そして皇帝陛下と
会食するにしても同じテーブルにつくことは多分ないだろう。 蒙古人が大人しくなったの
仏教のおかげ
歴代の中国人王朝は懲罰遠征でなく
布教僧の派遣でもすればよかった
チャンケはバカだから
儒教を広げようとしたんだよね >>174
乾隆帝はなんでもありだな
康熙帝も大概チートだが、あそこの家系どうなってんねん >>170
皇帝、側近・大臣、地元の有力者が複数、料理人
が同じ卓について同じ大皿の料理を切り分けて食べるんだよ
毒の盛りようが無いじゃん。
アウェイで供される食事という危険な状態が回避できるし。 冒頓単于と対立した東胡はほろぼされたが、
もともと東胡のほうが匈奴より強盛な民族であったとされる。
東胡というのはツングース系の東方民族とトルコ系の匈奴の雑種である
匈奴帝国の全盛では烏桓・鮮卑は東の端にある
その更に東はツングース諸民族がいたわけだが
これをロシア学者はトルコ移民と断じ、おおくの学者の諸説では
河北あたりの民族からさらに北にひろがった南方起源をとる
匈奴と鮮卑の雑種はザコといい匈奴の赫連勃勃を出す鉄弗部も
部族名を「鉄弗(父が匈奴人、母が鮮卑人の意)」と号す
ツングースはのちに金帝国や満州族皇帝を出す超需要な地域であるが
鮮卑が全盛を極めた北魏皇帝でも匈奴とたたかい漢民族に憧れるいっぽうで
片方の先祖である東夷には興味を示さず、侵略せず、無関心にただの外国とし扱う
おかげで東夷諸国は北魏が滅んでもながいあいだ無事に独立を養うことができる 古代の肅慎国は弓の名手であるとされ木の上に住み、あるいは洞窟に暮らす
発掘調査でも史書の記述を裏付ける竪穴式の住居が確認されている
牛や羊はいないが、多くの豬(ブタ)を飼っており、その肉を食べ、その皮をはぎ革衣とする
人々はみな髪を編み、布で?(せん:まえだれ)を作った。その大きさは一尺であり、それで身体の前後を蔽った
婦人は貞淑である。女はほしいままにふるまう。人々は壮者を貴び、老人を賤しむ
北魏のころの勿吉(もつきつ)国は肅慎の後裔であると考えられる
勿吉は勇敢で、周辺諸国を頻繁に略奪して扶余をほろぼす。「東夷で最強」と評されている。
勿吉人の服装は、男性が猪(イノシシ)の皮を着用し、女性が布スカートを着用した。
牛や羊を飼っていないが、豬(ブタ)を多く飼っておりその豬を食す
住居は夏季は樹上に簡素な家を構え、それ以外の季節は穴居式住居に数家族が居住した。
人尿洗顔、最大の特徴である「人尿で顔を洗う」という風習も受け継いでおり、中国では「諸夷で最も不潔」と評される。
木の上に暮らしションベンで顔洗うツングース系では、みえっぱりな鮮卑貴族が
いくら勇敢で先祖の隣人とは言え未開人の東夷と仲良くしたがらないのも分かる気がする
西方こそあらゆる文明の光があり父方のテュルク文明にまず親しみ
やがて漢民族と一体という北魏の漢化政策には、母の先祖である東胡は忘れ去りたい一念しか無い 大ざっぱに言って古代大陸の北には西から
匈奴(トルコ)・東胡(胡とツングースの雑種)・東夷(純ツングース)の三国
冒頓単于の話では、匈奴は割りと人すくないが文明が進み、東胡は人口が多く
東夷は言うに足りぬ汚い穴居人で、単于としては文明が進むまで生暖かく守ろう的な位置
孔子の頃から夷人は素直な評判もある
その土地は、現在の満州に当たるが荒れ地で車も進めず、匈奴の遊牧貴族としては
奪って広げても放牧に適さないのでたいして魅力はなかった
ジンギス汗の帝国では本拠地オルドス、皇子一族は西方に領地を貰い、長子ジョチはロシア侵攻
東方は宮廷の家臣や勲臣に与えられた。広いがあまり価値もなく荒れ地であるとうががえる
荒れ地だから遊牧できないが豚を飼っていたという
豚は人間と同じ餌を食べる。農民としては好適だが人と競合するから効率が悪く人口はあまり増えない
牛や羊は草を食うから広い土地に放牧し勝手に増えてくれる効率のよい動物
豚を飼う農民は羊飼いカウボーイの敵だから
砂漠のイスラム教で豚を不潔だとし豚肉くうなとひどくきらってる
匈奴は東夷を嫌うほどではなかったが、関係ない人ネ、でも女は美人だから貰っておこう。
アジア遊牧民特有の略奪婚で嫁の親戚というヌルい関係 >>181
太古から現在に至るまで、テュルク、ツングース、モンゴルの三系統? チベット系、羌族、犬戎とも言われるテイ族は前秦皇帝の苻堅などを輩出した
羌族の長姚萇に殺されるときに「五胡の中におまえら小羌はない」と言った
同じ民族でも羌族を蔑む風があったのでしょう
三国志の馬超の西涼軍として従軍したのはテイ族羌族だったといいます 後漢では中期にかけて羌族の大反乱ばかりがしるされてる
先零羌が有名で三輔は荒れ果てたという
漢帝国は羌族を軍隊がおそい捕らえて貴族の奴隷にする人さらいを盛んに行い
やがて関西は異民族が大半を占める事態になる。自業自得とも言える
モンゴルも、金が滅丁と称してモンゴル青年を捕らえて奴隷にする
ため河北の家はほとんどモンゴル下男をかかえていた
ジンギス汗が金をほろぼすといったとき、まさに時を得ていた
南下すれば河北から協力者が現れるのだからこれほど容易なことはない
留学生と称して奴隷を欲しがる、いまの日本を思わせるのではないか 犬戎は革の服を着ていた。軍服を戎服ともいう
革服は寒い地方に適し丈夫で破れにくく、一生使える利点があった。早く言えば安上がりだが臭い
ゲルマンでも民族服は革パンツ。趙の武霊王が胡服騎射で採用した革ズボンだな
周王は陝西の出なので風俗は犬戎と変わらぬ。周の貴族は正式には皮衣を着る
諸葛孔明が和服のような物を着て上に毛皮をはおってる絵を見たことがあるだろう
絹の服を着ることもふえていったが河北は寒く狐の毛皮を羽織るのが貴族のドレスコードになった
ヨーロッパでははるか数千年前から羊の毛織物をきていてギリシャ・ローマ人のトーガはウール
毛織物で夏でも冬でも対応できたが東ローマ帝国に絹というものがつたわり
皇后や愛妾が欲しいとねだった。しかし中国の絹は、製法が分からず、中央アジア陸路を
超えて運ぶために金の重さに匹敵というほど高価だった 羊は家畜化は一万年以上前に遡る
羊はヤギより肉が脂肪に富んでおいしかったこと羊毛が有用だったことが要因で
羊毛の利用も速かった
スイスで発掘されたアイスマンは五三〇〇年前の人物とされるが
羊の皮のコートを着用していた ヤギも織布用の糸にする毛が採れるし脂肪を蓄える系統、父のよく出る系統もあるよ。
飼育数でヒツジと差がついたのは、根本的な気質や資料に対する特性の違い。
ヒツジはグレイザー、ヤギはブラウザー。
ヒツジのは餌についての選択性が低く足許にあるものを特に選り好みせず何でも食べる性質で、草原に放ってもあまり動き回らず管理しやすい。
大きな密度の高い群れをつくる性質もあって、程よい加減で追い立てて動かさないと、その場の草を根こそぎ食べつくして砂漠にしてしまうくらい。
ヤギは、若芽や新葉を選択的に食べる。餌を探し回る性質があり、密度の低い小さな群れで散開する性質があるので、多数をまとめて飼うには
手がかかる。
モンゴル人やトルコ人は、ヤギの散開し動き回る性質と、ヒツジの主体的には動こうとしない性質とを利用して、ヒツジの群れに少数のヤギを混ぜて
ヤギが動くのにつられてヒツジが動くようにして草地を根こそぎ食べつくすことを防いだり、ヤギを制御することで大きな羊の群れを操る。 日本維新政府ではウールは火に強く軍服に適するとして関東で羊飼育をこころみたが
土地の狭い日本では採算が取れず輸入にたよってる 南極大陸を制覇したアムンゼンはエスキモーと同じ革具(現在のアノラック)を採用した
ひじょうに温かいと記してる
全滅したスコット隊は、野蛮な革の服など蔑み、紳士としてバーバリーのコートを着ていた
このため汗などの体から出る水蒸気を吸い込み氷結した結果、次第に体温は奪われ氷人形になった
しかし世評ではスコットは正しい紳士で倒れたものであり
アムンゼンは犬ぞりを利用していたイヌを食べたとされ手段を選ばぬ卑怯者として非難された 褒ジは、犬戎ヒャッハー後に幽王が殺され連れ去られた後レイプされたんだろうなぁー 当時の常識から言って族(血を絶やす)された
殺されたとみるのが普通だろ
そもそもあれは申侯率いる諸侯軍の反乱で犬戎は援軍に過ぎないし >>181
間違いすぎだ
ツングースは粛慎で東胡はモンゴルだろ
東夷に至っては単に東方の異民族という意味でしかなく特定の民族系統を指し示さない 冒頓単于にやられた東胡が匈奴に圧迫されても烏桓鮮卑として蘇る
鮮卑の力の背景には、粛慎など広い血縁や援助があったとも考えられる
遊牧民は、人口増加として産む機械である女の拉致は基本的な手段
殷は羌族をよくさらって奴隷としており遊牧民は誘拐しやすく数千年ずっと続いた
建国当時の満州も拉致は奨励された
女真族は周囲にくらべて人口も少ないから拉致はさかんだったが
「10人の中国人より1人の朝鮮人を、10人の朝鮮人より1人の蒙古人をさらえ」という
ことわざも残っておりモンゴル人が酷い待遇でもよく働いたことを示してる
清の太宗もこれら捕虜に慰労の言葉をかけたとされる
北朝鮮の拉致は日本を驚かしたが
ロシアのネット掲示板で「日本人はなぜクルマを作るのが得意なの」
「日本人は器用でロシア製品ではとっても敵わないさ」
「じゃあ日本人技師を拉致してロシアで働かせればいい」と普通に会話していて
これが大陸人の発想かとおどろいたことがある >>197
拉致こそしないが一度来たものを何かと理由付けては帰さないというようなことは、よくやってたな。
三浦按針とか、ヤンヨーステン・ロ−デンシテインとかもそうだったし、明治の頃のお雇い外人とかもあの手この手で慰留したり帰国を阻害したり。 蒙古は室韋モンゴル部の後進
で、その室韋は契丹や庫莫奚と共に鮮卑宇文部の末裔
更にその鮮卑は烏桓共に共に東胡の末裔
という事で、東胡や鮮卑はモンゴル系だったと考えられる
因みに鮮卑柔然部の末裔と言われるヨーロッパのアヴァール人はバヤンという名の王がいたり明らかにモンゴル人系
契丹も近年解読が進んだ契丹文字の文書からその言語はモンゴル系だった事が分かっている
東胡もモンゴルだろう
アルタイ山脈を発祥地とする西のトルコ系と大興安嶺を発祥地とする東のモンゴル系が蒙古高原の派遣を争っていたわけだ 本来、モンゴル系ツングース系という区分は言語を表すものだが
人種を表す時に使われる事も多いから紛らわしい
東胡は言語はモンゴル系だが人種はツングースに近いと言われてるから
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