0107世界@名無史さん垢版 | 大砲2018/12/29(土) 10:28:09.730 古くはライン川を境界として、西岸はケルト人、東岸はゲルマン人が主に居住していた。 しかしユリウス・カエサルのガリア侵攻によって西岸はローマ帝国領となり、ライン川はローマとゲルマンの境界となった。 彼を継いだローマ皇帝アウグストゥスはライン東岸へと侵攻したものの、9年にトイトブルク森の戦いにおいてローマ軍は敗北し、 帝国の前哨線はライン川へと戻り、以降ローマ領が流域北部においては東岸に広がることはなかった。