古くはライン川を境界として、西岸はケルト人、東岸はゲルマン人が主に居住していた。
しかしユリウス・カエサルのガリア侵攻によって西岸はローマ帝国領となり、ライン川はローマとゲルマンの境界となった。

彼を継いだローマ皇帝アウグストゥスはライン東岸へと侵攻したものの、9年にトイトブルク森の戦いにおいてローマ軍は敗北し、
帝国の前哨線はライン川へと戻り、以降ローマ領が流域北部においては東岸に広がることはなかった。