ヨーロッパの歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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ヨーロッパとは何か?ヨーロッパの歴史についてざっくりと時には深く語りましょう。 教育レベルの話になると、日露戦争の時のエピソードがある。
捕虜になったロシア兵に日本は驚いたらしい。
下級兵共はことごとく無学文盲。自分の名前も書けない。
戦っている相手が何者か知らない。
シベリア鉄道を2週間もかけてやってきたのに自分が今どこにいるか全く知らない。 >>36
紀元前3世紀ごろまではヨーロッパ最強勢力だった
ぐんぐん拡大しまくってイタリア半島やバルカン半島をも荒らしまわり
あげくに現在のトルコにまで移住するわで大暴れ
でもその時代でエネルギー使い果たして
さらに入れ違いに南のローマや北のゲルマンが力をつけてきたからああいう結果に >>48
たしかに、19世紀の日本はイギリス・フランスと比べたら
全くの後進国だったが、それは比べる相手が悪いんだよ。
当時の英仏が、あまりに先進国だっただけだ。
日本に限らず、他の欧州諸国と比べても突出している。 >>52
だけど>>46が言ってるのは、その英仏蘭米が江戸時代の日本を評した事を言ってるわけだろ。
それはまさしく他のアジアの未開の国に比べたら庶民の教育レベルが高いってだけで教育レベルが先進国レベルであるという評ではないよ。 廃藩置県とかドイツやイタリアの方が遅いしな。
しかも、日本は洩れなく寺社領や町衆統治地区まで含めて政府の統治下に置くことが完了しているのに、ドイツ・イタリアでは21世紀にまで逃げ延びてるところとかあるし。
逃げ延びすぎて、いっちょ前の国扱いせざるを得なくなってるでよ ヨーロッパがキリスト教国になったおかげでキリスト教が世界第一の宗教みたいになったんだよ >>54
ドイツで封建制を根絶したのはヒトラーだからね >>53
明治時代には、義務教育を一気に普及させた
そのためには、抵抗して子供を出さない家を銃で脅したりとか、無茶なこともしたんだが
アジアでは突出して教育が普及していた日本だからそれでもよかったが、
国民の大半が文盲の朝鮮でそれをやったのは無理があった 百田尚樹の「韓国に謝ろう」じゃないが、未開の国民による、近代化政策への抵抗感は凄まじいものがある
イランのパーレビ国王も、上からの改革をやろうとしてイラン人の怒りを買った
残念ながら、イランは中東の日本にはなれなかった >>54
逃げ延びた寺社領 …… バチカン市国、アンドラ公国
逃げ延びた町衆統治地区 …… サンマリノ共和国、スイス連邦
逃げ延びた封建領主 …… モナコ公国、リヒテンシュタイン公国、ルクセンブルグ公国 >>58
あれ何なんだろうね
イラン人は結局西欧近代化を受容しなかったと言うことか 結局ヨーロッパを作り上げたのはローマ教会だというのが最近の有力説
でビザンツ圏はまた別の文明圏、トルコのせいで消えたけどな >>57
>そのためには、抵抗して子供を出さない家を銃で脅したりとか、無茶なこともしたんだが
うんなことしてねえよ適当なこと書くんじゃねえよカス
学校令も開始早々はしょっちゅう学校が百姓に放火されたり難航しまくりじゃ >>59
逆に、なんで日本は藩が一つも残らなかったわけ? >>64
廃藩置県に抵抗して粘った藩もあったが(会津・越後)、官軍に攻め込まれて潰された 宗教勢力に関しては、織田信長や豊臣秀吉が、僧兵集団を潰すため有力な寺院を焼き払ってくれたのが大きい
その後の徳川時代を通じて、完全に飼い慣らされた 江戸時代の参勤交代では、人質を兼ねて、地方の大名の妻子を江戸の武家屋敷に住まわせていた。
そうするとどうなるかというと、大名家に生まれた者は、子供の頃は江戸で育ち、大人になったら領国に赴任して大名になる。
まるで、東京から地方に転勤する官僚みたい。
こんなことを200年も続けた結果、地方の大名たちは完全に飼い慣らされた。 もちろん、それ以前に、織田信長や豊臣秀吉が各地の戦国大名を叩きのめしてくれていたことが大きい。 しかも、ドイツと違って、明治の日本には天皇がいる。
錦の御旗を掲げた官軍には絶対的な大義名分があるから強い。 ヨーロッパの多様性というのは、
一旦ローマがロードローラーみたいので多様性を押しつぶした後で芽生えたものだから
浅い ロードローラのように押しつぶせずにゲルマン、スラブ、フン、アラブの波にやられてしまったのに
何言ってるんだか 質問なんだがワールシュタッドやモヒの戦いでボコボコにされたヨーロッパは
何故侵略されなかったんだ?
これだけ戦力差があれば簡単にやられそうなもんだが
勿論本国でオゴテイが死んだから一旦引き返したのは知ってる
問題はその後何故再度ヨーロッパを侵略しなかったのかって所 大きな原因として、当時のポーランドから北ドイツにかけての広大な低地は、
無数の湖沼がある湿地帯で、深い森林も多かった。
モンゴルの騎馬軍団にとっては、馬を走らせにくくて面倒なので、あまり行きたくならない地域 その点、ハンガリーの平原は、騎馬軍団が走り回りやすい地形と風土
アッティラ率いるフン族にあっさりと占領された 世界史上最重要人物 10ベスト(順不同)
ダビンチ
コロンブス
ガリレオ
ニュートン
アインシュタイン
ボーア
ワット
マクスウェル
ダーウィン
エジソン アメリカンを焼夷弾で焼き殺せ!、と、英会話学校ノバ=NOVAの前で
俺は大声で言うし
俺は、アメリカンを火炎放射器で焼き殺すことを、できるよ
みんなで、火炎放射器を使ってアメリカンを焼き殺そうぜ! メキシコ湾の熱風で温かい
サハラ砂漠が栄養をばらまく
新大陸と近い
山脈があり水が豊富だが砂漠はない
森林豊か 石炭も
騎馬民族がやってきても、ハンガリーで止まる それで無理なら東欧で止まる
文明発生の中東とちょうどいい距離
大洋も地中海もある 中国・東南アジア・インドから国力を吸い取ることに成功した ヨーロッパとアジアの境というのがわけわからんよな。
がボスポラス海峡・ダーダネルス海峡というのは、一応、判りやすい地形ではあるけれど、片側に陣取って海峡まで達した勢力は、
必ず、海峡の両側に支配地を持ってる。
フリギア王国、アケメネス王国、デロス同盟、マケドニア王国、ローマ帝国、オスマン帝国、等々。
国会の北・東はもっと意味不明。ウラル川の両岸・ウラル山脈なんて地形的に一続きだし、文化的な断絶も無い。
コーカサスにしても、地形や文化での協会になってないし ヨーロッパ社会のキリスト教や、アラブ社会のイスラム教が、社会の骨格や道義的伝統を形作る力になっているのとは違って、日本の宗教は真正の宗教としては働いていない。 武家時代には宗教と意識されてない儒教が最も宗教らしく規範意識に影響してたけどな 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
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2B1 ヨーロッパが統一されていれば今頃もアメリカに負けなかったのにね >>84
まあ、伝統的に境界線とされているのは、ウラル山脈だけどな
昔、「欧州共同の家」が提唱されたときも、「ウラルから大西洋まで」と言ってた エジプトといえばナイル川、中国といえば黄河と長江なのに
なぜか、ヨーロッパ史におけるライン川の重要性が語られることは少ない ラインラント(Rheinland)は、ドイツ西部、ライン川沿岸の一帯を指す地方の名称。ラインラント=プファルツ州のほぼ全域とノルトライン=ヴェストファーレン州西部を中心に、ヘッセン州西部、バーデン=ヴュルテンベルク州北部にまたがる。
沿岸一帯といっても、南部の上流域であるアルザスやバーデン地方は含まず、カールスルーエ付近からオランダ国境付近までを指す。ベネルクス三国やフランスのロレーヌ地方に接し、西欧の経済・産業の一大中心地である。
フランク族発祥地ということもあって方言系統はフランク語系に属し、宗教的には比較的カトリックが強い。観光名所が集まり、ドイツワインの中心的産地としても世界的に知られる[要出典]。 第四紀の更新世には、ネアンデルタール人がこの地域に分布していたが、ネアンデルタール人は、デュッセルドルフ近くのネアンデル谷にから名づけられた。
古代ローマ帝国の時代から都市が建設され、ドイツでは最も古くから文明が栄えた地域でもある。ケルン、マインツなどの歴史ある都市が点在し、中世には神聖ローマ帝国を支える主要地域の一つであった ネアンデルタール人も、フランク王国も、ラインラントが発祥地
神聖ローマ帝国の歴史は、ラインラントを抜きにして語れない ヨーロッパは、非常に統一しにくい地形だ
イギリスは島国だし、イタリアとスペインは半島で、しかも半島の付け根を険しい山脈で区切られている ライン川を隔てて、東西に国民性が大きく異なる2大民族がある 北ドイツやポーランドは、かつては無数の沼沢と森林に覆われた湿地帯であった
おかげで、騎馬軍団に征服されにくかった 中国やインドと異なり、一部の地域に人口が集中しておらず、バラけている
各地の地方色が豊かで、独立心旺盛だ ハンガリーのブダペストの国旗の化け物はトリコだった。
ルーマニアの呪われた森もトリコと関係している。
トリコとはwikiにあるギリシャ神話のメネシスの絵画の気持ちの悪い模様そのものである。
最近その模様がひどくなった。
ということはルーマニアのは男が女に犯した罪の歪みになる。 >>104
世界のいたるところで少なからずそういった呪われたような場所はある。
ヨーロッパは特に多い。 森林には、深い神秘がある
草原や砂漠の国とは、そこが違う 古くはライン川を境界として、西岸はケルト人、東岸はゲルマン人が主に居住していた。
しかしユリウス・カエサルのガリア侵攻によって西岸はローマ帝国領となり、ライン川はローマとゲルマンの境界となった。
彼を継いだローマ皇帝アウグストゥスはライン東岸へと侵攻したものの、9年にトイトブルク森の戦いにおいてローマ軍は敗北し、
帝国の前哨線はライン川へと戻り、以降ローマ領が流域北部においては東岸に広がることはなかった。 しかし、流域南部においては、ライン両岸がローマ帝国領に入った。
ローマ帝国はライン西岸に国境警備のための砦や駐屯地として都市を数多く建設し、これらの都市にはローマ文化が定着した。
ケルン、コブレンツ、マインツなどはこの都市が元となって現在まで存続した都市である。 しかしやがてローマ帝国は衰えを見せ始め、4世紀に入ると東岸のゲルマン人がローマ国境を越え、次々と西岸へと侵入した。
ゲルマン民族の大移動である。
これにより西岸もゲルマン化されていき、やがてライン川周辺地域を中心として、フランク王国が勢力を拡大していく。 フランク王国はカール大帝の時代に最盛期を迎えるも、その孫の代に分裂し、
843年のヴェルダン条約によってライン川西岸は中部フランク王国のロタール1世に、
東岸は東フランク王国のルートヴィヒ2世に与えられ、ライン川は再び国境となった。 東フランク王国はやがて神聖ローマ帝国となるが、同国においては諸侯が大きな力を持ち、ライン沿岸にも多くの諸侯が割拠した。
諸侯だけでなく、マインツやケルン、トリーアなどの大司教、司教といった聖界諸侯もこの地域には多数存在し、
いずれも各地に城郭を建て、関所を設けてライン川を通航する商船から通行税を取り立てて財源とした。 一方西方の西フランク王国はやがてフランス王国となり、徐々に中央集権化を強めて強国となっていく。
この過程でフランスは諸侯の乱立するライン川沿岸へと徐々に東進し、勢力を強めていった。
そうしたなかで、フランスの国境をライン川へと求める、いわゆる自然国境説がフランスで有力となっていき、
以後フランスの多くの為政者がライン川沿岸にフランス国境を伸ばすことを狙うようになっていった。 そもそもライン川の自然国境説って誰が言い出しっぺなんだろう 自然国境説
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
国境を民族・人種や文化的連帯などによらず、天然の地形や自然境域により定めようとする説。
歴史的な理念としては、16世紀以来フランスで唱えられた。
ルイ14世は「余には祖国の領土に限界はない」と豪語したが、もともとガリアの昔から、南はピレネー山脈と地中海、東はアルプス、北はライン川、西は大西洋によりくぎられた地が、「甘(うま)し国フランスの郷土」とみる思想があった。
そのため、ドイツ(神聖ローマ帝国)と隣接するライン川沿岸で、フランスの自然国境説は絶えず摩擦や紛糾を呼び起こした。
ドイツの領国がライン川を越えている矛盾を指摘し、16世紀に得たストラスブール、メス、ベルダンなどの要衝を固めて、国境を北東方へ押し出す策は、ルイ13世の宰相リシュリュー以後、歴代のフランス王や将軍の侵略熱をあおった。
フランス革命軍やナポレオン軍のドイツ進撃に際しても、自然国境説は理性的に正当化され、ライン川左岸の地を全面的に占領すべき作戦の名分に加えられた。
1870年に勃発(ぼっぱつ)したプロイセン・フランス戦争の結果、フランスはライン川に近いアルザス・ロレーヌ2州を失うが、同時にそれは伝来の自然国境概念の挫折(ざせつ)でもあり、破局でもあった。
フランス国民は第一次世界大戦により、これに復仇(ふっきゅう)を遂げるのである。[金澤 誠] ヨーロッパの歴史を古くから大きく揺さぶってきたのは、「ライン川の境界線」だった。
大昔のカエサルやアウグストゥスの時代には、「ここから先はゲルマン人の領域、ここまではローマ帝国」という線引きが、ライン川で行われた。
しかし、その後はローマ帝国が拡張した。 ローマ帝国が崩壊期に入ると、東岸のゲルマン人が、ライン川を越えて西岸へと大移動した。
ヨーロッパの歴史の、古代と中世を分ける分岐点となった大事件だ。
中世の前期には、この地に興ったフランク王国が巨大化する。 その後も、ライン川の西岸をめぐるドイツとフランスの対立が、近代の戦争の原動力となってきた。 いっそのこと、本当にライン川を自然国境にして、「東はドイツ、西はフランス」と決めてしまえば良かったのだ。
そうすれば、ナポレオン戦争、普仏戦争、第一次大戦、第二次大戦は起きなかった・・・かもしれない。 ナポレオン以前にも、太陽王ルイ14世の侵略は、ライン川流域を主目標にして行われた 上にも書いたけど、イギリスは島国で、大陸とは海峡を隔てている。
イタリアとスペインは半島で、大陸とは険しい山脈で仕切られている。
これらの自然国境は明確だ。
いまひとつハッキリしないのは、ドイツとフランスの国境。
「ライン川を国境にする」と決まってればよいのだが、実際には、ライン川は東岸も西岸も中世以来、ドイツの地。
これが、ヨーロッパの国境問題をじつにややこしくした。 しかも、ライン川の流域は、ヨーロッパでも最良の地といってよい。
豊穣にして、交通便利。
近代には、石炭の大産地ともなり、工業の中心になった。
河口のオランダ・ロッテルダムは、ヨーロッパ最大の貿易拠点であり、世界でも最大級の港。 今の欧州から見れば異端裁判、魔女狩りの時代は現在と無関係な
絶対過去に見える しかし、逆に当時の欧州を見て未来に
欧州が今みたいな感じになる事は想像出来ないと思う
今のイスラム圏が宗教教義より女性や個人の人権を尊重する社会に
変わる事が想像しにくいように >>107
ローマに皇帝なんかいたことなんかないのになw
ローマはキリシタンとは違うが、キリストと同じ思想だから同じみえるんだよ。
同じ事を言ってるからな。
インドも同じ、つまり日本も同じってことだよ、イギリス人もどき達w >>104
トリコは鷲だという。
エジプトで大昔役に立った鷲をエジプト人はおざなりにしたせいでナイル川周辺は砂漠化した。
関連ないようでルーマニアの魔物が出るのはエジプトも関係しているらしい。 オスマントルコとローマ軍は正義軍。
反対は悪。
まぁ、はっきりしてるな。 >>123
スペインは行き過ぎた正義でそうなった。
イギリスが少しでも正しい事を思い出していれ魔女狩りなんかする必要はなかった。
イギリスはまたサイバーしてわたち達イギリスは悪魔崇拝してますと主張w >>123
敏感に反応してるのはイギリス。
わざわざ日本の掲示板にまで来て嘘を吹き込む必要がイギリスにはかるわけだからなw
アホだよな。 イギリスとフランスの戦争がイギリス勝利になっているのに、一向に良くならない世の中は、イギリスが正しくない悪魔崇拝だからに他ならない。
正しくない事をすれば、必ず代償を払わなければいけなくなる、それをイギリスは狡猾な手段で他に擦り続けた歴史の積み重ねが災害級までひどくなった原因だよ、バカだから分からないまま滅ぶイギリス。 必ず人外なエネルギー、知恵、技術で過去を辿り昔の掟を遂げる事をするだろうな。 1066年、フランスのノルマンディー公国が、イギリスを征服した。
フランス王国がイギリスを占領したわけではない。
フランス王国の封建諸侯のひとつである、ノルマンディー公国だ。
東アジアに例えれば、北九州の藩が、韓国を征服したようなものだった。 イギリス国王の歴史は、このときに始まると考えられている。
それ以前のアングロサクソン人の王たちや、デーン人の王たちとも、遠い親戚ではあるのだが、直接の祖先はノルマンディー公だ。 英雄・リチャード獅子心王も、本当はリシャール・ド・プランタジュネという名前のフランス人であり、フランス語をしゃべっていた。
イギリス国王としての在位期間の大半を、大陸で過ごした。
過ごしたといっても、ノンビリと玉座にすわっていたわけではなく、闘争に明け暮れる日々だったが。 イギリス王室の歴史は、フランスの北海岸から始まった 百年戦争の後半くらいから、イギリス王室はフランスと決別し、英語をしゃべり始めた 百済の王様も、少年期は倭で育ち、成人したら祖国に赴任して即位していた
おそらく、日常的に倭語を話していたであろう >>137
そのあとも英語が喋れない王様は何人か出たけどな。 ドイツとイタリアも、現代の世界地図を見慣れた目には、もとから分かれていたようにしか思えないのだが、中世の前期までは英仏と同様、切り離して語れない状況だった。
ドイツの皇帝とローマの教皇の関係は、鎌倉の将軍と京都の天皇に似ている。
「ドイツの皇帝がイタリアを侵略していた」というふうに語られることの多い歴史だが、
当時の人々はそう思ってなかっただろう。
そもそも、当時の北イタリアにいたのはランゴバルト族であり、ラテン民族ではなかった。 オランダは、中世の前期までは存在しなかった。
10世紀頃から干拓が始まり、今でいうオランダの地が、海底から浮上し始めた。 フランスでフランク人に敗れた西ゴート人は、スペインでその後も繁栄した。
今でこそ、フランク王国に比べて存在感が非常に低い西ゴート王国だが、当時はどうだったか。
スペインは、ローマ帝国以来の先進国だ。
ドイツやフランスより文明度は高かった。
その後、スペイン南部はサラセン帝国に併合される。
ピレネー山脈を境に、キリスト教圏とイスラム圏に分かれた。 >>138
都の住民の過半数以上が朝鮮半島出身らしいから多分古代朝鮮語を話していたと思う >>143
なるほど
チョコレート は 元々は スペイン に存在していて
後から フランス に伝わったと >>133
イギリス白人至高主義者に頼まれましたw >>136
フランスに習ってスペインやポルトガルも戦うべきだったんだよな。
スペインが何故魔女狩りにまで偏ったのかというと、正しい事を選択してこなかったからだよ。 欧州には、ポルトガル・スペイン・イギリス・フランス・オランダ・ドイツ・イタリア・ギリシャ・トルコ・ロシアと、世界的な大国として一度は覇を唱えた国々が並んでいる。
そんな中で、東欧諸国のショボさが目立つ。
なぜ、ポーランドやハンガリーは大きくならなかったか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています