【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期のフランスの軍人・政治家である。
ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)として、フランス第一帝政の皇帝にも即位した。
フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。
また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。
日本において世界史上最も有名な人物の一人である。 >>440
そりゃそうだ。
戦争には負けたのだから全てパア。
息子に皇位を継がせる目論見も全てオジャン。
ああ、でもオレは何とか言う法典を作ったっけ・・・ ナポレオンの一番の功績は歴史に名を刻んだ名声である だけどナポレオンって法律の勉強をしたわけでもないよね。
法典を編纂したのは結局専門家たちだよね。 滅茶苦茶詳しかった
ルソーが革命前に"コルシカ憲法草案"なんてのを書いてたのもあってその方面の知識は貪欲に読み漁ってた
ミラボーやネッケルの本も読んでた
むしろ絶対王政時代からの系統だった教育と外れた独学なのはナポレオン法典みたいのにはプラスだったかもしれない リーダーが作らせて、それを守るように国家を持って行かないとただの文章で終わっちゃうからね うそぉん。フランス民法典の制定にあたって
カンバセレスをはじめとする優秀な法律家たちの足を
ナポレオンが引っ張ったという話なら聞くが。
以下ウィキペディアより引用・・・
制定時のナポレオン民法典はナポレオン個人の思想とも相まって、
封建時代の残滓ともいうべき不平等の規定も有しており、
外国人の人権の制限、非嫡出子の差別的取り扱いを規定していたばかりでなく、
妻の夫への従属の明文化、夫による居所指定権、妻の一般的無能力制度による
財産行為の包括的制限など、一応男女平等を原則としながらも、婚姻時には
他の近代法典と比べても異例といえるほどの夫権・父権優位の家父長制を採用していた。 カンバセレスや他の起草委員がナポレオンより革新的な民法を目指してたなんて話あったかな
ナポレオンはフランス民法典の審議にほとんど参加してたと思うし
革命から後退した不平等的な規定はだいたいローマ法からの慣習法として容易く変えられる物ではなかった分野だったし
慣習法の発展的な部分が多かったからこそ多くの国も影響を受けやすかった
一応女性の権利は革命前と比べると脱宗教化して離婚が簡単になった時点で遥かに増してると言われてるよ
そして民法典の半分以上はどちらかと言うとわかりやすい私権だの国籍だの家族だのでなく
財産権や所有権に関する具体的な説明が長々と続く物でこういう規定には大勢の参加者が必要になるのは当然でしょ
だからナポレオンが全然編纂に参加してないとかナポレオンが他の委員の足を引っ張って民法典を改悪させたみたいな考えはあまり真に受けられない
ナポレオンがローマ法に詳しかった事はユスティニアヌス法典をそらで読み上げた有名なエピソードで明らかだし
その勉強をしたのは主に1785年から1792年までの暇だった駐屯地生活時代だと言うのもはっきりしてる 『世界大百科事典』 平凡社
フランスでは、大革命のときに、O.deグージュが〈女性と女市民の権利宣言〉(1791)を
発表し、女性たちはパンを要求して行進をしたり、独自の革命運動の組織もつくった。
だがその後に成立したナポレオン法典によって女性の地位は低くおさえられ、
革命のときに撤廃された姦通罪は1810年に、離婚の禁止は16年に復活した。 女性の権利を現代や大革命真っ最中を基準に見るのは流石に厳しすぎるだろ
ナポレオンの良さは国を一体にして革命の混乱を緩和した事にもあるんだから
反動的な部分がいくつかあるのは仕方ない ヴェルサイユ行進は権利の要求というより生存権の確認でしかないわけだが ある日、私は森に迷ってしまった。
夜になりお腹も減ってきた。
そんな中、一軒のお店を見つけた。
「ここはとある闘技場」
変な名前の店だ。
私は人気メニューの「ナポレオン」を注文する。
数分後、ナポレオンがくる。私はナイフとフォークを構える。
……なんか変だ。強い。変に強い。剣で叩かれ頭が痛い。
私は苦情を言った。
店長:「すいません出し直します。御代も結構です。」
数分後、ナポレオン二世がくる。私は闘う。今度は平気みたいだ。
私は店をでる。
しばらくして、私は気づいてしまった……
ここはとある闘技場……
人気メニューは……ナポレオン ナポレオンて名称のお酒があるがあれはナポレオンとどんな関わりがあるんだろ?ナポレオンが好きだったとか美味しいと言ったとか ブランデーの貯蔵年数の古いものにつける表示記号。
フランス皇帝ナポレオン1世に待望の男子が生まれた1811年はブドウの豊作で、優良なワイン、ブランデーが得られたため、その名が高級ブランデーの呼称となったという。
現在コニャックの品質表示にこの称があり、法律的には5年以上の貯蔵を義務づけているが、商習慣では熟成と品質の目安として30〜40年間貯蔵のブランデーを一部混和した品質優良なものという意味で用いている。
原産地呼称法では、アルメニャックにもこの呼称がある。
ほかのブランデーにもナポレオンの表示があるが、これは国が保証するものではなく、個々の企業が製品の目安としているものである。 大阪でナポレオンの絵や彫刻がいくつか見られるようだが
アングルかダヴィッド持ってこいよ
一度、生で見てみたいもんだわ
お前らはどのナポレオン像が好き? ダヴィッドの絵だとアメリカいくかヨーロッパいくしかないか >>460
ダヴィット工房版のサン=ベルナール越えが八王子の富士美術館に有った筈だよ
何度かナポレオン展もやってる
ナポレオンのワーテルローの二角帽と剣やウエリントンの軍服の揃いが来たことも有るし
ネイ元帥所有の地図セットとかも
ジョミニが触ったのかも・・・とか妄想してたw 結局、フランス人権宣言といっても本当の目的は貴族、資本家が王族からの財産権の保護を正当化するためなんだよな
庶民をダシに既得権益層に潜り込む方便でしかない
市民革命という言葉は欺瞞に満ちている 既得権益をいいだすとみんな既得権益で食べているのだ 行き過ぎた変革には大きな反動が来る。
貴族を復活させたナポレオン程度まで後退するなら
あれだけ革命で血を流すこともなかった。 功績をあげた実力ある人間を貴族にしてるから元の制度とは根本的に違う
権威主義的なのは同じだが同時に共和主義的
これはナポレオン帝国自体の性質 新貴族を作ろうってのはどこの国も一緒だと思うけどな
徳川貴族体制を潰して薩長中心の貴族体制を作ろうって
現代の貴族階級も既にかしこで生まれてきてるしな >>468
王国時代の貴族だって先祖が立てた功績でその身分を得た
たいして違わねーよ 戦争で多く貴族の成立した多い国はそう言えたんだけどね ナポレオンのサーベル、オークションで7億8000万円!
https://mnsatlas.com/?p=41647
ナポレオン関係のオークションといえば、過去に彼のペニスが
最低落札価格230万円で誰も買わなかったということがあった。
あの世で複雑な気分であろう。 アウステルリッツで戦史を飾る圧勝することで人生と帝国を棒に振った愚者
完勝したことで神聖ローマ帝国を解体し空いた隙間にフランスが出ていかざるをえなくなり詰んだ
ドイツなんかロシアやプロイセンやオーストリアに任せてなんか出てきたら
他の二つにフランスが助太刀して叩いていれば良かった
ドイツの覇権争いにフランスが出ていく時点で戦略的に致命的敗北 まあ勝ちすぎた割に戦略のグランドデザインが稚拙だったよな
骨の髄から軍人脳って感じだわ そもそもトラファルガーで負けた上に制海権も取れないから
アウステルリッツで大陸側だけ卓袱台返ししてるだけなんで
アウステルリッツで勝った事を起点として物を考えるのが間違ってる気がする 男の隊を編成して女性(女子・女児)一人を孤立させたアフォ。 男は炊事洗濯をしなくていいのもアフォ。戦争に現実逃避して。外も内も女性
が寡占している現実をしらない。 狩りや狩猟、死体拾い採集でも女性の能力が桁違いに群を抜く。 >>480
まあ全体の戦略で言えば、トラファルガーの敗戦と
アウステルリッツの戦勝を秤にかけて
差し引きでは負けという感じがするわな。 アウスがなかったら早々に崩壊してたかもしれないから不幸中の幸いって感じかも 将軍・執政時代がキレキレで
皇帝になってから王冠で頭が絞め付けられ鈍っていったイメージ >>486
でもロシア遠征失敗後の劣勢での指揮はやっぱりキレキレだったりする 即位直後からなんでデブの肖像画しかないんだ
即位前の絵でそんな徴候のもの一つもないんだが 劣勢と言うよりも直率兵力が少ない時の気がする
>ロシア退却以降でのキレキレ
ベレジナ河、ハーナウ、1814年フランス戦役
いずれも直率兵力は4万以下だったかと
逆にライプツィヒでは20万近い兵力を集めたものの、会戦指揮には精彩を欠く事に
優れた総司令官と言うよりも、優れた軍団長なのかな?
>ナポレオン
キレキレに入る様に思えるドレスデン救援に向けての強行軍も、その指揮は優れた戦術指揮官の物
それよりも高位の指揮官の範疇であるドレスデン救援とその他の方面への兵力振り分け割合は誤りを指摘されてるし 陸軍大臣としてなら、政府の命令は無視するけどそれなりに上手くやるだろう
首相になると軍事のことにオールインするからダメ!って感じしてる
まあそれを踏み台にしたから戦争は政治の問題解決法の一手段であって〜って理論化されたんだろうけど 結局、まともなのはリュシアン?
ナポレオンは「カロリーヌが男だったら」と言っていたらしいけど、もしもそうだったら兄弟一の問題児になってた気が・・・ カロリーヌが男だったら、兄や弟以上の直接的な野心持ってるだろうし、もっと目の上のタンコブになってたとは思う
そこそこ有能でナポレオンに忠実だったのって結局ウジェーヌしかいない >>477
秀吉の伝記でもあったら読んでいた可能性はあるだろうな。
自身の地位をいかに安泰、磐石なものにする方法を学ぶ目的で。 ダブーは肖像画だと穏やかな顔してるようにも見えるが
あの漫画のせいであの顔しか浮かんでこない >>491
兵力配分のミスといえば、最後のワーテルローも。
プロイセン軍を追わせたグルーシーの3万3千がいかにも中途半端。
追撃の決断も手遅れになるほど遅いし冴えない指揮官ぶり。 グルーシーはこの分遣隊でちゃんと勝って皇帝の命令果たしたんだよな ドイツ人が来る前に、ウェリントンくらい蹴散らしとかないと 散々言われてるが、ダヴーとスーシェをワーテルロー戦に参加させてればおそらく勝てた ダヴーを嫌いだからか警戒してパリに残した説と
自分が敗れた後にパリまで落とされないため残した説と
一番信頼してる将軍だからパリ鎮圧とか色々のために残した説とかあるがどれが正しいんだ 今までの功績と地位のバランスもあるし他の元帥との兼合いも大きいからな
ダヴーを連れてくなら新任元帥のグルーシーはともかくネイまで連れてけない
かと言ってネイは王政復古時は王国についてたし単独でパリに置いとくなんて考えにくい
ネイを活かすには自分の元に置いとくのが1番周りも納得する パリの王党派の抑えにダヴー、アルプス方面のオーストリア軍の抑えにスーシェを派遣したのは理解できる。15年戦役時、独自の判断で戦略を立て軍を指揮できるのは上記二人とスールトぐらいだから
しかしあくまで主敵はフランドルの英蘭軍とプロシア軍であって、この2軍が合流するまでに各個撃破する事が最優先なのは明らか
であればダヴーとスーシェはフランドル戦線に連れてくべきだった
後、ネイの一見無謀な騎兵突撃もプロシア軍が迫ってた状況では一か八かで致し方ないわ
グルシーは弁護出来ない、砲声聞こえたらその場所へ真っ先に行けよ
ダヴーやスーシェならそうしてる そもそもネイは独立した軍を率いる能力がない
ダヴーは最初の退位の前にドイツでやらかしてるわけで
人選は妥当だったんだよ
足りないのは兵力と装備と練度 ネイの能力については同感
1814年戦役でダヴーがやらかした?
ハンブルグの件なら軍指令官としての資質を問題視するようなものじゃない
後年散々言われてるけど、グルーシーじゃなくダヴーかスーシェならおそらく勝てた
尤も例えワーテルローで勝っても、全てにおいて枯渇した大陸軍には英蘭普軍を追撃撃滅する余力はないから、いずれはライプツィヒの二の舞になってただろうが 英蘭普だけなら十分なんとかなるよ
墺は講和しやすいし露は祖国戦争で消耗しすぎてるから勝ち目はある メッテルニヒは反革命・旧体制回復の中心人物だし、墺が対仏同盟から離脱するとは思えない
ナポがエルバに島流しになった時にマリー・ルイーズを別れさせて姻戚関係解消させてるし
確かに外交革命以降、墺が警戒してるのは仏じゃなく普だから
仏が普を凹ってる間は日和ってたりしたけどね
露もまだ回復途上だろうけど、ライプツィヒ戦時よりも兵は動員できるはず
英は例え大陸で打ち負かしてもブリテン島に籠っちまうから追撃撃滅出来ない
ライン同盟諸国の多くも離反してしまって、ゼロではないにしろナポに勝ち目はほぼ無いわ 今日買った本
中公新書
「ナポレオン四代
二人のフランス皇帝と悲運の後継者たち」野村啓介 著
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/02/102529.html
18世紀末、コルシカ島出身の一軍人から皇帝にのぼった英雄ナポレオン。
父帝に憧れ軍功を焦るが、病のため夭折した2世。
二月革命を経て大統領に当選、その後クーデタで皇帝となった甥の3世。
帝政復興の期待を背負うも、英兵として赴いた戦地で落命した4世。
二組の父子、そして一族は栄華と没落という数奇な運命を辿る。
革命と激変の時代に「ナポレオン」はどう生き、民衆に求められたか。
ボナパルト家から近代史を読む。
※今、別の本を読んでる最中なので、そのあとに読む。 ナポレオン4世、イギリスの学校でいじめられたりしなかったのですか? オレの爺さんはナポレオン戦争で死んだんだが、
と上級生にすごまれる
とかありそうだが フランスからナポレオンとドゴールを取ったら、イタリアとそうかわらん。 >>515
学校の歴史で啓蒙主義時代を学び損ねた人か いかにも近代以前について無知そうな発言だわな
イタリアなんかそもそも統一したのが1870年頃である意味超新興国だし ナポレオンさえ居なければ、フランスはイギリスと肩を並べる強国だったのにな。
奴が大負けこいたおかげで、イギリスに差を付けられてしまった。 ナポレオンの男系子孫ってコロンナ=ヴァレフスキ家として地味に続いてるんだな。
ナポレオン3世はDNA鑑定でボナパルト家との血縁関係がない可能性が高くなったらしい。
ナポレオンはハプスブルク家のマリー・ルイーズではなくロマノフ家のアンナと結婚してれば良かった。 でもアレクサンドルもロマノフ家から嫁出す気無かったやろ
ブルボン家あたりから嫁もらって地盤固めた方が良かったんじゃね アンギャン公処刑事件が無ければ、他の王家とも折り合いを付けていくこともできたが、
ルイ・アントワーヌ処刑で駄目になった ナポレオンが出る前から戦争はやってたし
向こうから売られた喧嘩を買っただけのことも多い
弱腰を見せれば国民の支持を失いかねない
ナポレオンはどこでどう落とし所を見つけるのがベストだったのか ロシア遠征すると終わりだから大陸封鎖令解除
ということはエゲレスと和解するしかねえな
スペインからも手を引く >>520
しかし、フランツ2世も成り上がり者によく娘を嫁がせたな。家柄に差がありすぎる。 >>524
封鎖令は維持でいいでしょ
問題はモスクワまで行った事
北側はサンクトペテルブルクまで抑えて終わりでいいと思うんだよ
それでロシアと和解の道を探る >>526
サンクトペテルブルクもモスクワ同様に寒いのですがそれは WW2のときレニングラードで包囲されたドイツ軍がどうなったか知らないのか >>527
そんでもまだバルト海で補給線が繋がる
モスクワへの補給線って東からは河川で繋がり易いけど
ポーランド経由で西からだと陸路多めになって冬の影響モロに受け易い
サンクトペテルブルク抑えてれば冬場使い難いアルハンゲリスク側に
イギリス向け交易を半減させることが出来るので封鎖令的にもかなり効果はある いくらイギリス海軍が強くてもベルトやエーレスンドぶった切ってバルト海侵入して
フランス軍の補給阻害ってできるもんかね >>89
そのルート選ばざるを得なかったんじゃないの?
退却時には戦力激減してたんだからコサックやらなんやらで誘導してさ >>491
というか、例えばモーリス・ド・サックスは「戦場で統率できる軍勢の数は5万が限界」と述べてるように
戦場において将帥直率で自在に運用できる兵数には限界がある
ナポレオン戦争ではそれを優に上回る軍勢が動き回ったけど、その規模の軍団を動かすには
参謀本部かそれに準ずる作戦司令部が必要になるし
それでも当時の通信技術ではしばしば齟齬をきたしていた
ナポレオンに限らす、当時の技術では軍勢をさながら手足のように動かして
個人的将才を十全に発揮するのはそれくらいの規模がちょうどいいんだろう そもそもロシア遠征してた頃ってロイヤルネイビーに海上封鎖されてなかった? 海上封鎖しようとはしてたけど完全にはされてなかった
制海権は取られてたけど封鎖って程にイギリス海軍が圧倒してたわけでもない
フランス海軍及びフランス私掠船は世界の海上、植民地港湾なんかで暴れてたし
イギリスの制海権ってイギリス海峡からビスケー湾、そこに接続する大西洋はガッツリしてたけど
地中海、バルト海側は相当微妙 それだとフランス本国から増援・補給を送れないから同じことだよ。 だから制海権は取られてるけど封鎖は完全じゃないってのは正しいじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています