【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期のフランスの軍人・政治家である。
ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)として、フランス第一帝政の皇帝にも即位した。
フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。
また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。
日本において世界史上最も有名な人物の一人である。 >>80
でも、普仏戦争で時代遅れの胸甲騎兵がプロイセンの歩兵と砲兵の
射撃の的になって、ほぼ虐殺状態になった。 まあ一時的にロシアの興味が蝦夷地から離れてくれて日本は助かったよな ロシア皇帝アレクサンドル1世は、あからさまな軍事的恫喝を行う
ナポレオンに対して、必要であるなら極東まで退いても
ロシアは戦う用意があると決意のほどを見せた。
実際にはナポレオンがモスクワていどであっさり自滅したので、
そこまでやる必要はなかったが・・・ モスクワじゃなくてサンクトペテルブルグ攻略しろよ
バルト海沿岸を抑えてこそ英露の連携を断てるんだろ >>85
英露の連携ってたって、べつにイギリスが陸軍を送ってよこしたわけじゃないからな。
ナポレオンはロシア軍主力を壊滅させて、講和に持ち込むことが目的だから、
そんな明後日の方向に行くことは論外だったろう。 首都陥落しても主力軍が残ってりゃ意味ないからな
サンクトペテルブルグ落としても維持できないだろうし
カール大公の主力放ってウィーン落としたけどけっきょく取り戻されてるし首都陥落自体は特別の意味はない >>78
家康に関する著作は無駄に多いのに、
家光に関する著作は異常に少ない? ナポレオンが莫迦だと思うのは退却路の選定。
よりによって、往路でフランス軍が徴発し尽くし、
ロシア軍に焼かれ尽くした道を辿って退却した。
あまりに徹底した莫迦っぷりに、いやフランス軍を
全滅させるのが真の目的なのかと思えるほど。 >>89
ほんとだ ジダンの頭突きを喰らわせてやりたいくらいの馬鹿っぷりだ ナポレオンなら北朝鮮のICBMをどのように軍事的解決するのだろう ナポレオンって単純にロシアの冬のこと考えなかったのかね?
夏だからってロシアに冬服持っていかなかったのかね?
もしそうだとしたら指揮官としてバカすぎる。 ナポレオンやヒトラーの軍隊を防いで、ロシアに向かわせて自滅させたイギリスは凄いなぁ
海で隔てられてるとは言え う〜ん、ブリテン島は攻め切れん・・・よしロシアに征こう!
正直この発想がわからん ポーランドを完全に独立させて衛星国としてロシアに対する防波堤としとけば十分だったろう ロシアは大陸のヨーロッパ諸国にとっては巨大で不気味な存在だから
完全に支配化において安心したかったんだろ ランペルールだとブリテン島に上陸してしまえばイギリス制覇は簡単だったな >>100
日露戦争前の日本もそう思ってたわけだな >>94
冬服を持って行かなかっただけでなく、兵士が着て行った軍服にも問題があった。
ボタンがスズ製だったため、ロシアの寒さで化学変化を起こしてボロボロ崩れる。
こうしてフランス兵たちは、前をはだけたクールビズでロシアの極寒の荒野を
敗走する羽目になった。 ロシアは同盟結んでたとしても100%信用できない国だしなw ゲリラ戦でナポレオンを悩ませた、反ナポレオン運動の始まった国はどこか。
って問題が宿題で出たんだけど答え教えてください >>101
懐かしい名前を見た
信長や三国志だけじゃなく、こういうのも新作来て欲しい シャルルマーニュもナポレオンもヒトラーもブリテン島上陸できなかったんだよな
大陸側からの上陸成功例はカエサルとクラウディウス帝時代のローマ軍ぐらい? >>110
ノルマン・コンクエストをあっさり無視しないでください。
ギヨーム2世はじめヴァイキングは好き放題に上陸している。 蛮族とかヴァイキングは地元だからノーカンじゃないのか? >>110
ってか、日本もそうだが、島国ってなかなか攻略が難しいんじゃないの?w >>113
大きな島の征服はまともに統治されてない状況でしか無理
文明前の未開状態か群雄割拠状態かそんなときなら可能
ノルマンコンクエストの時とか鄭成功とか 大陸封鎖でイギリスを経済的に締め上げようという発想は悪くなかった。
しかし制海権なしで経済封鎖は不可能であるという、肝心のところを分かっていなかった。 ロシアくんだりで大敗北を喫するくらいなら
その予算で戦列艦を100隻作り、イギリス海軍の
駆逐に賭けるべきだった。
結果論で言うと。 一番コワいネルソン提督はもうあの世に行ってるわけだしな 何度戦ってもナポレオンはネルソンにだけは勝てなかったからな 苦手意識を持っちゃったんだな
冷静に考えればいくらでも対応策とれるのに ロシアに遠征するよりドーヴァー海峡埋め立てた方が楽だったな
陸軍の戦いならイギリスなんて相手にならんだろうし、そもそも埋め立て計画が着工しだしたらイギリスの方がビビって和平求めただろうね シミュレーションゲームじゃないんだから、そう簡単にイギリスに勝てんだろう
勝てるくらいなら最初からやってる デーン人襲来は割と不運だったがそれ以外は大したことないな
現在はムスリム移民の襲来を受けてるがどうなるか 良い意味でしたたかに取り込むよ。
ムスリムの現ロンドン市長も女王に忠誠誓ってるしな。 現ロンドン市長ってムスリムだったんだ 初めて知ったは ムスリムの流入と言っても今に始まったことじゃないしなぁ >>94
冬服はともかく、だいたい現地調達で済ませるナポレオンにしては
ロシア遠征では入念な物資集積をしてから敢行したんだが、
陸上輸送ではそれでも前線に十分な量を行き渡らせることができなかった
逆にロシア側はロシア領内の運河を活用して、いくらかまともな補給体制を維持できてたらしい
ロシア軍の後退路をたどっていくと、河川沿いに移動してる傾向が見られるんだとさ ナポレオンには、自身の失策でピンチに陥いっても、
マレンゴの戦いのドゼーのように頼もしい味方が現れて
奇跡のように助けてくれる運の強さがある。
ロシア遠征からの敗走中、工兵部隊に対して架橋資材なぞ全部
捨ててしまえと命じたナポレオン。これに対して工兵を率いる
エブレ将軍は、この先で川が渡れなくなったらフランス軍は
壊滅ですと抵抗し、命令に逆らって重要機材は捨てずにおいた。
彼の危惧どおり、敗走するフランス軍はやがて氷結していない
ベレジナ川に阻まれて立ち往生してしまうわけだが、
工兵隊が極寒の川に飛び込んで橋を架けることに成功。
架橋を指揮したエブレ将軍は無理がたたって戦後病死してしまうが、
この工兵の自己犠牲的な働きでフランス軍は全滅を免れ、
ナポレオンもパリに戻ることができた。 エブレ将軍は自ら極寒の中ベレジナ河に入って陣頭指揮したんだっけ。 この時ナポレオンは激励のつもりかラ・マルセイエーズを工兵たちに向けて川岸から鼻歌で歌って「お静かに!」と工兵たちにプチ切れされたんじゃないか? 凍りつきながら死に物狂いで作業してる工兵にはたまったもんじゃなかっただろう。
下着が張り付くから上半身裸だったらしいな。 そうやって無能な指揮官を生き延びさせるから、
また次回に大勢を殺す無駄な戦を始めるんだろ。 インパールの牟田口廉也が類まれなあほうであることは間違いないが
モスクワ遠征のナポレオンも同程度には指揮官失格だし
出した損害に至ってははるかに上回る。 ナポレオンはオラニエ公の弟子
そして米南北戦争(もしくは日露戦争まで)有効な戦術を確立したしな インパール作戦 戦死(餓死含む)26,000
ロシア戦役 戦死(凍死含む)380,000 ナポ公と牟田口は、戦後の自己正当化という点でも
共通点が見られるが。転生輪廻であろうかどうだろうか。 ナポレオン=死の直前まで無神論的思想の持ち主。ただ、反証になる発言もある。
死の床では「カトリック信徒として死んでいく」と遺言。
牟田口=骨の髄まで国家神道。 >>150
もともとジャコバンだから神は全否定のはず。
死ぬときになって許しを請うのは情けない。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/ http://www.asahi.com/articles/ASK8P5FXSK8PULFA01M.html
元通産次官の両角良彦さん死去 「官僚たちの夏」に登場
2017年8月21日18時11分
両角良彦さん(もろずみ・よしひこ=元通商産業省〈現経済産業省〉事務次官、
元電源開発総裁)が11日死去、97歳。葬儀は近親者で行った。
後日、「お別れの会」を開く予定。連絡先は電源開発秘書室(03・3546・2211)。
42年、商工省に入り、71年から2年間、通産省事務次官。
75年から8年間、電源開発総裁をつとめた。
日本銀行政策委員や朝日新聞紙面審議会のメンバーも歴任した。
城山三郎の小説「官僚たちの夏」に「西洋カミソリ」のあだ名で登場した。
ナポレオンのモスクワ遠征をテーマにした「1812年の雪」で、
日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど文筆活動にも力を入れた。 >>153
両角さんお亡くなりになったのか。氏の著作では『反ナポレオン考』も
けっこう考えされられるものがあった。合掌。 >>153
両角さんの一連の著作には大いに得るところがありました。今でも色々と考えることがあります。
どうか安らかに。 両角さんの『1812年の雪』に載せられた
ベレジナ渡河の惨状を生還者が描いた絵も
衝撃的でした。必死で逃げ延びようと
氷の流れる河に頭から飛び込む人達…。
多分一生忘れません。 >>74
ロシア遠征で敗走するときに途中でよったポーランドであの派手な軍服で皇帝かどうか気付かれるか街を歩いて試したらしい
「彼も人の子ナポレオン」って本だったかな
皇帝の癖に近衛猟騎兵大佐の軍服が好きだったとかいうのは何の本で読んだか忘れた
抜き打ちテストみたいなのが好きなのかな? フランスは進んだ徴兵制があったから兵を大量に増強できたっていうけど
あれだけ負けまくっておいて最後まで大軍を動員できたオーストリアのほうが化物にみえる ナポレオンよりワシントンの方が
政治、軍事的業績は大きいと思える。
ナポレオンはイギリスに敗れたが
ワシントンは勝った。
ワシントンは建国したが
ナポレオンは皇帝の地位を手に入れただけ。 >>160
ナポレオンはフランス人が民主主義を理解できず絶対王政が恋しくなって無理やり立てた偽りの皇帝。同時代ならイギリスとアメリカ、すなわちアングロサクソン以外にはそもそも民主主義は不可能であった事を如実に示している イギリスが難なく成し遂げた民主主義をフランスは自ら破壊して自分達は無能であり前近代的であると直接的に証明してる。
近代と言うのはアングロサクソンの発明であって、科学も民主主義も資本主義も全てイギリス単独の発明なのである。 >>159
すぐ負けて捕虜→休戦で帰還、また動員、以下ループ >>160
アメリカ合衆国は周りにエサしかいなかったからな >>160
ワシントンもフランスの助けがなければ
到底建国はできなかったろう。
独力で失敗したナポレオンと
助けられて成功したワシントンでは
そう単純に比較できない。 >>165
でもナポレオンは己を過信して失敗したとも言えるんじゃないの?
二つの大戦の時のイギリスのように
主要国と連携するのは間違いだとは思わない。
ドイツのように片っ端から敵を作って
自滅する方がアホだと思うけどな。 ナポレオンって戦術眼はあるけど
戦略がほんと抜けてるんだよね。
軍事的には戦術<<戦略なんだよね。
ワシントンの方が凄いと思うけど。
実際にワシントンはアメリカを建国した
業績があるのに対して
ナポレオンなんて帝位すら喪失したじゃん。 ワーテルローの後、一時兄に疎まれて失脚状態だったリュシアンが、議会で国民よ、皇帝からの恩を忘れて皇帝を見殺しにするのか、と兄を庇ったんだよな。
その時のラ・ファイエットの怒りに満ちた反論は素晴らしい。
「我々の兄弟の骸骨が至るところで我々の忠誠を実証していることを、あなたは忘れてしまったのか?…沢山だ!もう沢山だ!」 スペイン以降は冴えないな
無駄な戦争やるようになったらお仕舞いだな >>168
しかしその後の王政復古からの第二帝政とか、フランス国民のグダグダ具合ときたらもう フランスは第5共和政でドゴールに復活してくださいとかやってんだからいつだってグダグダで、さらに将軍たちの反乱や5月革命やってるから筋金入りだ
昔から首都の攻略は野戦軍の壊滅と違い必ずしも敗戦じゃないがクラウゼヴィッツだったかモルトケだか忘れたが、フランスに限り首都に危機が
迫れば党派対立ですぐに反対党がすぐにできるので有効であるみたいなのを書いていた
ナポレオン時代のオーストリアですらウィーンを落とされても頑張ったのに 普仏戦争時代の留学生の渡辺元という人が「巴里籠城日誌」という本を書いてるので読んでみたがナポレオン3世がセダンで捕虜になった際
翌日からすぐに帝政を象徴する家々の門の飾りを壊して喜んだり、パリの徴募兵が小銃に飾りをつけてお祭り騒ぎしてる状況を書いてて面白かった
戦争中なのにドイツ人を憎むより帝を憎む、駄目だわこいつらみたいな記載だったな 要するにアングロサクソン以外に革命なんか不可能だってことだな。大陸白人はドイツもフランスもスペインもロシアもみんな軒並み猿だからな 革命期に急速な人口増加で社会不安が発生するところだったが
ナポレオンがフランス国民を大量に徴兵してヨーロッパ中を引きずり回して殺しまくったおかげで
100万人ほど人口が減って、人口調整に貢献したw 私にとって100万の命など問題ではない
ナポレオンがオーストリアのメッテルニヒに実際に言ってるからな ナポレオンを後押ししてたのはパリのロスチャイルドなの? 実際は500万人死んだらしいな
その半分がフランス人
途方もない大きな数字として100万をだしたとして、実数でその5倍を行くとかさ なお、それだけの被害を出してフランスの領土が拡大したのかというと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています