【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期のフランスの軍人・政治家である。
ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)として、フランス第一帝政の皇帝にも即位した。
フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。
また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。
日本において世界史上最も有名な人物の一人である。 啓蒙思想が革命を起こさせたっての誰でも知ってることだしなあ
だからエカチェリーナ2世とかすぐ転向したし >>850
革命派は女性はもちろん年寄も子供も虐殺したのだが、それと比較になると
思ったのかな。
君が出せる王党派側の「虐殺」というのは、農村から無理やり徴兵しようと
した革命派が返り討ちにあったというに過ぎないね。
比較してみれば、革命派が王党派をはるかに上回る残虐性を見せことの
傍証とはなるね。 >>853
革命政府によってヴァンデ地方に派遣された「地獄部隊」は数十万の住民を虐殺したと同時代の資料に載っているんだが
あまりの残虐さにフランス最大のタブーとされていて、辛うじて生き残った住民の子孫は決して革命を祝うことはない
では聞くけど、反革命派は「地獄部隊」より多く虐殺したのか?
反革命派が非道なら、なぜヴァンデの住民は反革命派を支持し続けた? >>854
殺された人数だけが君の残虐さの定義なら君はそれでいいよ >>855
もう一つの質問に答えてない
なぜヴァンデの住民は残虐行為をしたという反革命派を支持し続けたのか? >>856
内紛状態ではどこでもそうだが住民は基本的にその地域で優勢な勢力にある程度ついていかないと普通に暮らす事もできないんだよ
スペイン内戦で最初に政府軍優勢地区と反乱軍優勢地区が決まったら後は現地の大半のノンポリの農民はただ優勢な勢力に従った
ヴァンデ地方の住民は反乱全盛期は反革命軍と一緒に行動し続ける事でのみ生きていけたし
そのせいで反乱が鎮圧された時も反革命軍と同一視されて弾圧された あの革命啓蒙主義の時代って、正当教育を受けていないような一般人にも逆に厳しいのが特徴だよな
人権思想で貴族と市民を同格とみなした半面、貧民・農奴をも市民と同格の責任を要求する背景
だから、弱者はやらなきゃ生きて行けないような行動、強者に従う・日和見といったものを特別憎む時代でもあった http://www.afpbb.com/articles/-/3240308
ナポレオン生誕250年、子孫が出生地のコルシカ島を訪問
2019年8月18日 18:15 発信地:アジャクシオ/フランス [ フランス ヨーロッパ ]
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/6/c/1000x/img_6c13c9d801e08f0f63ce313f32988242162756.jpg
仏コルシカ島のアジャクシオの県議会議場で、ジャン・ギ・タラモニ議長(右)の説明を聞く
ジャン・クリストフ・ナポレオン公(中央)と婚約者のオリンピア・フォン・アルコツィネベルクさん(2019年8月14日撮影)。
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/d/5/1000x/img_d5092aa74ec85b04a4aeeec5aa6409a9106510.jpg
仏皇帝ナポレオンの生誕地コルシカ島のアジャクシオを訪れた、
子孫のジャン・クリストフ・ナポレオン公(2019年8月14日撮影)。
【8月18日 AFP】フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)生誕から15日で250年になるのに合わせ、
子孫のジャン・クリストフ・ナポレオン(Prince Jean Christophe Napoleon)公(33)が
ナポレオンの生誕地コルシカ(Corsica)島を訪問した。
ジャン・クリストフ公は婚約者のオリンピア・フォン・アルコツィネベルク(Olympia von Arco-Zinneberg)さんと共に
14日から同島を訪れ、ジャン・ギ・タラモニ(Jean Guy Talamoni)議長の案内で
アジャクシオ(Ajaccio)の県議会やナポレオンの像を見学した。
コルシカ島では12日からナポレオン生誕250年の記念行事が開かれており、
15日にはナポレオンの生家で上院議員による献花が行われた。 ナポレオン軍の斬新な点を、常備軍団制とかプレ・カレとか無視して
「歩兵戦術」限定ってのもなんだかなー >ナポレオン軍の斬新な点は騎兵運用にある、と書いたある企業経営者の随筆を見て「なんだなー」と思う。
>ナポレオン軍というか、フランス革命軍、または旧体制フランス陸軍が18世紀末にたどり着いたのは「柔軟な歩兵戦術」そのものではないか。違いますかね。
これか?
これ見て単純にこいつはマニア気取りの逆張り野郎なんだなって思った
木を見て森を見ず、浅学と見下してる相手に木を指さしてマウント取っていく
知識はあると思うけど、通説を違う事言って目立ちたいタイプだと思う >>860
元からその人のツイートについて話してるんだけど ナポレオンって革命の守護者なのですか?それとも反革命の野心家なのですか? 革命の精神を投げ捨てたから革命の守護者ではない
かと言ってアンシャンレジームに戻そうとしたわけでもない反革命でもない
革命を利用して成りあがった野心家で、
当時としては早すぎた思想を旧体制と合併させて軟着陸させた…といえるかもしれない
晩年に一般王族になろうとしてたのをどう見るかなー 戦略を考える頭は無かったが、マスコミ操作の手腕はすばらしい ナポレオンは時代に遅れていると同時に、時代に先駆けてもいた ヒトラーは対ソ戦に手を出さなくても早晩敗北したろうが
ナポレオンはロシア遠征さえやらなきゃ没落しなかったろう 英本土上陸できなきゃ早晩没落したんでないの
まぁロシア遠征で失った精兵が居続ければ欧州本土じゃ無敵だろうけど あの軍団を擁するフランス帝国相手にいっちょ攻め入ったろか!って勇気のある諸外国いないものな
平和的プランで行ければ、ローマ王が成人するまで凌げばオーストリア王室の看板付きの世襲皇帝誕生
混乱プランで行くなら、敵を作ってまとまれなかったフランス帝国で内乱発生、その隙を諸外国に突かれるって感じ ロシア遠征で80万人も溶かしちまったからな
一部は再編成できたろうが惨敗よ ロシア遠征も遠因の一つはイギリスだからなぁ
イギリスが存在する限りナポレオンの帝国に未来は無かった? 大陸封鎖令解除してイギリスと平和外交目指すべきだった
そもそもフランスはイギリスの工業製品の穴埋めできるほど産業国じゃないし
今度は内政に力入れてフランスでも産業革命起こせばボナパルト朝は続いただろう
まあナポレオン2世は病弱で早死したから王朝はどうせ長くは持たんかったかもしれんけど >>879
そうすると後は国境か
ライン同盟やワルシャワ大公国の扱い
ハノーファーが絡むし ナポレオンの二面性はいったいなにに起因しているのですか? >>879
2人目以降が生まれなかったのは不思議だな。雌鳥家系ハプスブルク嫁なのに。 >>884
ナポレオンの限界をよく表した台詞だと思う。
戦略家ならすでに外交の段階で勝敗は決していると観ずる。 ナポレオン 5分
を英語で検索してもヒットしないねえ。
そのセリフ、出典不明というか、
日本限定のデマじゃね? 第一次世界大戦では最後の15分間を耐えた側が勝利するって標語が流行ったんだよね
塹壕戦が続いてその最後は両陣営とも力尽きる寸前になってから片方がついに諦めるような終戦を想像してたからそこから出てきた言葉なんだが
実際にはカイザーシュラハトが頓挫し100日攻勢で大きくドイツ軍戦線が崩壊して終戦したわけであまり当たらなかったと言える ようするに欲しがりません勝つまでは、一億総員火の玉だ、みたいなプロパガンダ標語か そんながまんくらべの戦勝では、勝利の果実は小さくてまずい。 https://www.cnn.co.jp/fringe/35145122.html
ロシアで見つかった人骨、「ナポレオン直属の将軍」と研究者 DNAが一致
2019.11.08 Fri posted at 12:30 JST
(CNN) 考古学者のチームがロシアで発掘した人骨について、
ナポレオンの部下だった将軍のものだとの見方が浮上している。
フランスの歴史家らが分析の結果として発表し、ロシアのプーチン大統領も関心を示しているという。
木製のひつぎに入った状態で見つかったこの人骨は今年7月、フランスとロシアの考古学者のチームが
モスクワから西へ約400キロに位置するスモレンスクでの発掘作業中に発見した。
脚の骨が片方しかなく、年代は200年前のものとみられる。
チームはこの人骨がナポレオンのロシア遠征に加わった部下の1人、
シャルルエチエンヌ・ギュダン将軍の遺骨である可能性があるとし、
大腿(だいたい)骨と歯の一部をフランスへ持ち帰って調べることにした。
発掘を指揮したピエール・マリコフスキ氏がCNNに語ったところによると、
マルセイユの研究者がこれらのサンプルとギュダン将軍の母、兄弟、息子のDNAの比較分析を行った結果、
100パーセント一致することが分かったという。 >>892
ギュダン将軍は1812年、失敗に終わったナポレオン軍のロシアへの侵攻に参加。
戦闘で片脚を失った後、壊疽(えそ)により死亡した。
マリコフスキ氏は、「ギュダン将軍が死んだとき、ナポレオンは涙を流したという。
遺体はスモレンスクに埋葬し、後からフランスへ帰還させるつもりでいたが、それはかなわなかった。
遠征で敗北を喫し、退却を余儀なくされたからだ」と説明した。
同氏によれば、パリにはギュダン将軍の名を冠した通りがあり、凱旋門にもその名が刻まれている。
今回の発掘は仏大統領府の要請で行われた。DNA分析で本人と判明したことを受け、
遺骨は今後フランス国内に運ばれ、軍事博物館や記念碑などからなる
パリの歴史施設、廃兵院(オテル・デ・ザンヴァリッド)に埋葬されると、マリコフスキ氏はみている。
ロシア大統領府のペスコフ報道官はCNNに対し、
「この話題については十分に関知している。両国の考古学者は素晴らしい仕事をした」と発掘を評価。
「プーチン大統領も状況は把握しており、フランスにその意向があるなら、
当然政府として(遺骨の返還に)協力する用意がある」と述べた。 >>892
>>733の続報か
これで心臓以外もフランスに帰れるだな
>ギュダン将軍 >>895
ロシアのドラマか何かでダヴー元帥やった人? ナポレオンってさ
海外によくある数百億の宝くじ当てた後に
欲張って投資に失敗して散剤した奴っぽい 英国宰相ウィリアム・ピットのナポレオン評
「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」 ブリテン困らそうとロシアに手を出して破滅した、晩年に損得勘定が破綻した人 日本がアメリカとだけは土下座しても喧嘩を避けるべきだったのと同じで、フランスはイギリスとだけは仲良くして内政に力を入れていればね。 陸戦ではロシアにも勝てると思ってたんだろうな
ナポレオンは冬を甘く見てたかどうかが最終的に気になる
でも全般的に戦場の多様性に対する認識甘かったよな
エジプト、スペイン、ポーランドの泥、ロシアの冬 >>906
甘くは見ていなかったと思う
当初は1812年中にはモスクワ迄は行かずヴィテプスク等の都市で越冬
翌1813年春からモスクワを目指す予定だった
しかしロシア軍に引き摺られる様に進軍してしまい・・・
もっとも冬以前に夏の行軍で消耗しまくってしまったけど ロシア皇帝を甘く見ていたというか、その性格を見誤っていた。
会戦で派手に勝利すれば相手はビビって折れてくるだろう・・・
しかしどんどん引いていくロシア軍相手に決定的な勝利を収められないので
ロシア皇帝に売りつけられる勝利としてモスクワを占拠したものの、
まったくアレクサンドルは無反応。
これでもうナポレオンが思い描いていた対ロシア戦勝利の絵は瓦解してしまった。 >革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男
宝くじの高額当選者の過半数が破産に至るというが、一度非常な幸運に恵まれると
情勢というか蓋然性の判断能力に重大な歪みを生じるのではなかろうか。
世界や他人が自分の都合の良いように動いてくれる、と思い込んでしまうのだろう。
それで身を亡ぼすに至るのであれば、そもそも最初に当たりくじを引いたことは
幸運と言えるのか。 今週のアルキメデスの大戦でもヒトラーのこと自分をナポレオンと重ねてて夢と現実の区別がついてないって言われてたな 成り上がる前のナポレオンは少数の兵を熟考して使ってたかんじだけど、大軍を思い通りに動かせるようになってからは大軍でのゴリ押しの雑な戦いのように思える。
それはまるで大金を掴んだ人が湯水のように金を浪費するように兵を無駄遣いしていった。 対仏大同盟の勝利もそうやって得た
つまりはそれが勝利への唯一の道だった >>913
1809年のオーストリア戦役からそんな感じになりましたね
動員兵力の増加に胡座をかいたと言うよりも、対仏同盟軍の軍制改革が進んで来ていて軍事的な優位が危なくなりつつ有ったからに思えますが
>ごり押し イタリア遠征とかエジプト遠征とか、全部不幸が起こったら全滅して死んでたレベルだもんなあ
アウステルリッツだって結果を相手の行動に委ねる部分があるし
よほどの確信が無ければやりたくないのわかる
ゴリ押しで勝てるならゴリ押しが一番紛れが少ないもんな なぜスペイン戦役では数のゴリ押しを徹底しなかったのか
ロシア戦役に動員した半分でもスペインに増派すればブリテンをリベリア半島から駆逐できたものを ロシアのやつは相手が逃げることは度外視で
数で一気に瞬殺出来ると思っていたんだろうね。 ロシアに送ったのはドイツ諸侯やポーランドやオーストリアの同盟国軍が全軍の半分を占める多国籍軍だった
スペインは長期間占領して反乱を警戒するのが目的の半分だからそんな任務に信用のおけない軍隊は使えない
ロシアならとにかく歩かせて会戦でロシア軍にぶつけるだけで役に立つし占領軍としてもそんなに長期間使うつもりもない イベリア半島なんて逃げ道の無い袋小路みたいな物、仮に反乱軍側が焦土作戦できてもフランスの隣国だから兵站面は対応可能
逃げ道の無い半島内だし数に物を言わせて反乱軍拠点をシラミ潰しにすれば良かったんだわ
少なくとも母国から遠方かつ極寒底無し沼の様なロシアの大地よりは戦い易かったはず その半島にすら手こずっている男がおそロシアに手をだすというのが
そもそもトンデモナイ話であった ゲリラっていうのは掃討してもなくならないから仕方ない >>919
フランス軍はピーク時に20万人もイベリア半島にいたんだぞ
それ以上増やしてもスペインの貧弱な農業基盤じゃ軍を維持できない
補給しようにも地中海から太平洋まで英海軍のバスタブ状態だし >>927
スペインとフランスは隣国で陸続き、海上輸送に頼らなくても兵站に問題無いかと
ゲリラとの戦いは政治的に手なづけるのが良策だが、無理なら宗教戦争同様根絶やしだわ
ゲリラの拠点間の要線を遮断しつつ、1拠点毎にシラミ潰しに根絶やし
ロシア戦役で動員した半分の兵力増派で可能、形勢不利ならブリテンはすぐ海上逃亡するだろうし
つーか、逃場の無いイベリア半島でさえゲリラやブリテンを殲滅出来ないのによくも極寒底無し沼のロシアに手を出したわ ロシアは皇帝でまとまってるからアレキサンドルを落とせばいいだけ
ロシア戦役の半分の戦力をスペインに送るのは明らかに不可能
ロシア戦役の全軍の半分は各国同盟国軍でもう半分は"その同盟国を見張るフランス軍"なんだから
ロシア戦役の半分の軍隊をスペインに送るという事はヨーロッパの西半分をがら空きにしてプロイセンやオーストリアを自由にしてロシアの侵攻にはなんら対策を持たなくなるか
あるいは単独じゃ全然役に立たない同盟国軍をスペインに送って無駄に脱走兵を増やすだけの事
全然当時の情勢を読み込めてないから出直せ >>931の必死な意見を採用するなら結局ナポレオンの大敗だな。 >>931
相手がロシアだろうが、イベリア・ブリテンだろうが大陸軍の半分がアテになら無い同盟諸国軍なのは同じ
むしろイベリア半島に派遣した方が中・東欧の同盟諸国軍兵士の脱走は防げる(イベリア半島から祖国に帰還するにはフランスを抜けなければならない)
ロシアには70万送れるのに、スペインにはその半分も増派出来ないという理由が解らんね
距離も道路事情も気候もロシアに比べれば遥かに兵站を維持しやすいだろ
手薄になった中・東欧へのロシアの西進を警戒してるようだが、ロシア国内の防御戦では100万近く動員できても国外への遠征軍だとロシアの兵站力では20万がいいとこ
陣地に籠っての防御戦ではなく会戦ならロシア軍は怖れるに足りない
当時の情勢読み込んで、アレクサンドルは簡単に捕捉撃破出来ると読んだロシア戦役の結果があれか 古今東西、戦力の分散と逐次投入は愚策だよ
自分から第二戦線作ってどうすんだ >>934
ロシアは短期間の会戦で決着をつけようとした戦いでスペインは長期間占領しながらゲリラと戦う事になるわけだからね
脱走兵が大変なのは当然後者だよ
ロシア戦役がどうにもならなかったようにスペインもどうにもならなかったが正解
現実には戦争ゲームみたいに自由に兵隊は動かせない ナポレオンは島で後悔しただろうな。
ロシア遠征とエルバ島脱出したこと。 >>930
ピレネー山脈があるから海岸沿いの道しか使えないし、
そもそも当時の技術では陸上輸送じゃ何十万の軍隊の兵站は維持できねえよw
しかも半島ほぼ全域でゲリラが活動してて、史実じゃ兵站線どころか連絡線すら
維持に手一杯で、20万の軍隊を半島全域に分散配置せざるを得なかったのに
さらに10万規模の増援を派遣したところで早々に内部崩壊するわ
マッセナもスルトも補給に苦心して結局失敗したのに 遠方の軍を指揮するにしても伝令の副官(ADC)が護衛ごとやられてしまう事も少なくなかったし
街道の要所には砦を作り通常よりも武装を強化した憲兵隊を配置したりもしたけど、兵站・連絡線を完全に確保したとは言えなかったし
マッセナのポルトガル遠征も兵站・連絡線がもっとしっかりしていればもう少しは真面な展開になったかもね
それでもトーレス・ヴェドラスを抜くのは無理だったと思うけど イベリア半島は地図の上では近いけど、フランスとはピレネーによってだいぶ別たれてる
それがレコンキスタ完遂までイベリアからイスラム勢を追いだせなかった要因でもあるし、フランスがイスラム化しなくて済んだ理由でもある
んで更には大西洋側も地中海側もイギリスが制海権を握ってたのが辛かったな 確かにロシア戦役の最中でさえ20万以上の大陸軍がイベリア半島に駐屯していたが、分散配置した駐屯軍などゲリラの格好の的だわ
連絡線の確保が困難?
各地域の司令官は好き勝手やってるだけで最初から連係なんて取れてないし
ナポが居ないとアイツら纏まらない
スペイン派遣軍なんて他地域での戦役の都度戦力を削減され、ウェリントンが暴れだすと増派を受ける。その繰り返し
正に戦力の分散と逐次投入の6年間
大陸軍は無駄にダラダラ出血させられ続けてたんだよ
だから1808年の親征時と同様にナポ自らが30万を率いるんだ、そして今回はシラミ潰しに地域毎にゲリラを根絶やしにするんだよ
ゲリラの主体は旧守貴族・地主・聖職者らに煽動された農民やスペイン軍敗残兵
ある種宗教戦争の色を帯びた連中だからな、宗教戦争は根絶やしにするしかねぇよ
ゲリラは後世の陸戦法規でも見つけ次第問答無用で処刑OKだし
ゲリラは見分けつかないから疑いのある者でも構わないから根絶やしにすればええやろ
10万のゲリラを狩る為に100万のスペイン人を犠牲にするのは致し方ない
そしてその罪は一般市民に紛れ込むゲリラにある
兵站が維持出来ない?
乱暴に言えば100万人のスペイン人を殺せば100万人分の糧食が浮く、それで賄えばええやろ
以上だ、終わり まぁ、スペイン平定に必要だったのは優れた行政官だよね
ナポレオン自身が
「スーシェが二人いたらスペインを平定出来ていただろう」
と回想しているし 自分がなんにでも口を出して
後継者を育成できないワンマン社長みたい。 天才も調子に乗ると破滅することを
ナポレオンは身をもって我々に教えてくれたんだよな。 ナポレオンの下で一番有能な将軍はすでに議論されつくしているが、
ナポレオンの下で一番有能な行政官ってなると誰だろう? 外交に限ればタレーラン、治安維持ならフーシェかもしれんが…
タレーランは間違いなく有能だけど、ナポレオン政権下で一番有能な外交家だったかと考えると疑問符がつくな
必ずしもナポレオン政権に忠実だったわけでもないし
行政全般となると誰だろう? カンバセレスは法制面でナポレオンの体制を支えた功績が大だな。
そして彼のような穏健派が法律の面倒を見てくれたおかげで、
統領制時代のような左右両派の果てしないいがみ合いを鎮めることができた。 実はベルナドット
占領地の行政官として優秀だったり >>483
現代の中国文学者が中国語と漢文は関係ないって言ってるんだが レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。