これを常備軍というには無理があるな

フロイス「日本史」  第四五章
そこで薩摩の国主島津殿は、自国に危険が切迫しているのを見ると、国内の全地方から人々の招集を
図り、老若男女を問わず、ついには武器を手にし得る者はことごとく、いかなる逃げ口も許さず、領
国の自由のために参集するように命令した。その際彼は、各人はただ四、五日分の米を帯に入れて携
えよ、その糧食が尽きる時までには、戦の勝敗は決していなければならぬと伝達した。このようにし
て、人々が確信するところによれば、薩摩の国主は五万人近い人を招集した。それは何も驚くには足
りぬことである。日本では国主または大名が他と戦を始める時、彼は兵士たちになんら支払いはしな
い。彼はせいぜい特殊な家臣に対して費用を払うくらいであって、軍隊にはほとんど費やさない。