モンゴル帝国とイスラム
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 モンゴル軍が1252年にバグダッドを破壊し、10万人から100万人といわれる市民を殺害し、
その後何十年にもわたって町を廃墟の状態に置いた時には、
ムハンマドから600年の歴史を持つイスラム世界は、すでに衰退期に入っていた。

 モンゴル帝国はイスラム世界の衰退を加速させたものの、
その後150年続いたモンゴル統治下で、イスラム教徒は優遇され、イスラム教の布教はむしろ拡大した。
モンゴル人は、中国より先に中央アジアを侵略、支配したが、
そこでの統治に地元のペルシャ系、トルコ系のイスラム教徒の官吏を登用した。
イスラム教徒は使えると知ったモンゴル人は、その後征服した中国において、それまでの官吏である漢人(儒家)を使わず、
中央アジアからイスラム教徒(胡人、色目人)を中国に移住させ、元朝の高級官僚として登用した。
元朝での身分制度は、モンゴル人、色目人、漢人、南人(中国内で最後まで抵抗した南宋の住民。蛮子)という4段階にわけられ、
移住させた中央アジア人を、中国人より高い地位に置いて優遇した。

 モンゴル人は、被支配者となった中国人を信用せず、中央アジアからイスラム教徒の移民官吏を連れてきて使った。
こうした体制は、100年後に各地で反乱が起こって元が滅び、1368年に朱元璋(洪武帝)が明朝を興すとともに、公式には失われた。
しかし、すでに元朝の100年間で、色目人や回族といったイスラム教徒は、
中国において軍人や商人、官吏として高い能力を持つ存在になっており、
明を興した朱元璋の家臣たちの中にも、藍玉ら6人のイスラム教徒がいた。
元のモンゴル人勢力に圧勝して北に追い払い、二度と中国に攻めてこれないように弱体化させたのは、
イスラム教徒の将軍である藍玉に率いられた明軍だった。