類似点はあるが
相違するところは空海という呼称が地理的歴史的に極めて限定的かつ微小な仏教の一つのセクトの長であるという具体性を有するのに対して
スーフィズム呼称は控えめに言っても地理的歴史的にきわめて広範で多種多様な理論と実践のあり方を示す曖昧な概念的存在で
スーフィズムが顕教「ではない」という否定態でしか定義されないつまりは「他称」に過ぎない抽象性だ
つまりスーフィズムという言葉を使用した論議はスーフィズムの概念内容があまりに大きすぎて何も言っていないため成立させることが困難だ

どうも変だなと思っていたがもしかして「神秘体験」「神秘主義」にカテゴライズされる現象になんらかの共通性が否定態でなく存在すると思っていやしまいか?
それはひととき一斉を風靡したミルチア・エリアーデの核心的主張でありその圏域で井筒やらユングやらの言説が1950-70年代の世界の若者の心を掴んだのだが
彼は今では「宗教史学者」としてではなく「宗教史学の研究対象」として扱われていることは常識として弁えておいた方がいい