[武侠] 中国の時代劇 [後宮] [無断転載禁止]©2ch.net
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中国では、ドラマといえば時代劇
日本でも静かなブーム 甘いマスクのイケメンを主役に据えないところが
韓国ドラマと違うところ。 武侠ドラマの場合は、武術アクションや乗馬のスキルが要求されるので、俳優なら誰でもいいというわけにいかない 清代のドラマだと、男は弁髪
スキンヘッドにお下げ髪のおかげでイケメンも台無し 一番、中国らしい中国は明代
異民族が威張ってないのは明だけ 中国では、日本軍相手に無双するドラマが多くあるとは聞くが、
ではモンゴルや女真を相手に無双するドラマはあるのだろうか。 >>8
もちろん、ある
それが、中国の時代劇における最大のテーマのひとつ たとえば、「神雕侠侶」の楊過は、1人でモンゴル軍を撃退し、モンケ・ハンを死に至らしめた 現体制を批判する代わりに、大昔の話を持ち出す
清の時代の人形劇や紙芝居から、これは変わらない 2013年1月22日、人民網は「日本と中国で違いすぎる歴史ドラマ、大河ドラマは時代考証に厳格」と題した記事を掲載。
国産の時代劇を「いい加減」と批判する一方で、史実に忠実であろうと努力する日本の大河ドラマについて紹介した。
中国では時代物のTVドラマ「楚漢伝奇」が大論争を巻き起こしているという。
視聴者や評論家の多くが、こうした国産ドラマについて「いい加減で、客観性に欠け、不道徳」だと指摘している。 歴史ドラマはどのように制作すべきなのか?隣国の日本を見てみよう。
日本のNHKは、1963年から毎年違うテーマで「大河ドラマ」といわれる大型時代劇を制作・放映している。
大河ドラマはわれわれ中国人が考えている時代劇とは違い、時代考証が徹底されている。
日本の役者にとって、これに出演することはその演技力が認められた証しとなるほどだ。
エンディングに流れるテロップに各考証担当者の名前が連なっていることからも分かるように、日本のドラマ制作では詳細な考証が行われる。
当時の衣装や言葉遣い、乗馬の姿勢にいたるまでを確かめるその姿勢には驚くばかりだ。
「葵徳川三代」の第1回放送「総括関ケ原」では、合戦の開始時間を何時何分かまで正確に伝えている。 それに比べて中国の歴史を題材にしたTVドラマでは、時代考証の専門家はわずか数人しかおらず、名前をただ貸しただけの考証家や、有名だが実力が伴っていない考証家ばかりだ。
日本の歴史文化は中国ほど奥深くないため、大河ドラマの題材は中国より選択範囲が狭くなる。
しかし、大河ドラマは戦いや駆け引きなどの歴史的背景を描きながらも、人々の心のよりどころとなる忠誠心や道義心、勇気などを描き出すことに力を入れている。
それにひきかえ中国の歴史ドラマは、倫理観の欠如した宮廷劇ばかりだ。
視聴率を稼げる歴史ドラマを作るのも大事だが、しっかりとした内容の歴史ドラマをどうすれば制作できるのかを、今一度考えるべきではないだろうか? そういえば、江戸時代の大奥モノはあるけど、平安時代の後宮モノって聞いた覚えがないな?
解決済の質問
江戸時代って、大奥もあり側室もいろいろ(?)いるじゃないですか?
平安時代って側室っていたんでしょうか?
自分が結婚して子供がいるのに、宮中に上がった人っているじゃないですか。。。 ベストアンサーに選ばれた回答
平安時代の後宮制度は、律令に則っていて、皇后・妃・嬪・夫人が置かれることになっていました。
しかし、それは平安初期に早くも崩れて、嬪に代わって女御が、夫人に代わって更衣が出現しました。
これらのうち、正室は皇后で、妃・嬪(女御)・夫人(更衣)は側室に相当します。
自分が結婚して子供がいるのに宮中に上がった人とは、藤原薬子のことですか?
薬子であれば、これらの後宮のキサキの仲間ではなく、女官の長である尚侍(ないしのかみ)という役職にあった女性です。
平城天皇をたぶらし、兄の藤原仲成と共謀して、薬子の変(810年)を起こしました。 >>13
>大河ドラマはわれわれ中国人が考えている時代劇とは違い、時代考証が徹底されている。
これが褒め殺しというやつか・・・おそろしい >>18
少なくとも日本の歴史ドラマでは、それぞれの時代に特有の雰囲気があって、すぐ分かる。
中国の歴史ドラマでは、唐も宋も明も、ほとんど見分けがつかない。
清は弁髪と満州服のおかげで他の時代との区別がつくけど、他の時代はみんな一緒。 なぜ、日本の歴史は、時代ごとの特徴がハッキリしているのか。
まず、聖徳太子の時代あたりまでは、中国の影響を強く受ける前の古代日本だから、それ以後とはまるで別の国みたい。
奈良時代から平安初期は、日本が最も中国の王朝っぽくなっていた時代なので、これまた異国情緒満点。
平安後期は、京都の貴族の時代で、神殿造の邸宅に、十二単の着物。エキゾチックな日本の美の極致だ。
鎌倉時代は、まだ文化的に辺境だった関東に武家政権があるだけに、平安時代とはまったく違う状況。
室町時代は、武士の時代だけど、幕府が京都にあって貴族化してるから、鎌倉時代とはまるきり雰囲気が異なる。
戦国時代は、誰が見てもすぐ分かる激動の時代。
江戸時代は、武士による天下泰平の世。巨大都市が出現して町人が主役となる。これまた、誰が見てもすぐ分かる特徴がある。
そんなこんなで、日本の歴史は、各時代の特徴がどれも明確に出ている。 それに比べて、中国の歴史は、どの時代も同じように見えるのが不思議。
唐の長安も、宋の開封も、明の北京も、まったく同じような街並みに、同じような人々がいて、同じような権力者が威張っている。
なぜ、中国の歴史には、これほど変化がなかったのか? とはいうものの、実際にはそんなはずがない。
北京と長安は、地理的にものすごく離れている上に、気候風土も大きく異なる。
同じ中国人といったって、唐人と明人では、事実上の異民族だ。
おそらく、唐の長安と、明の北京は、まるきり異国のように違うところだったはず。
普通に考えて、平安時代の京都と、江戸時代の江戸よりも違いが大きかったはずだ。
そう考えると、それはやはり、中国の歴史のせいではなく、歴史ドラマがおかしいんだと考えるのが自然。 「武則天」とか「隋唐演義」とか、唐を舞台にした時代劇がとくにひどい。
単なる、東洋っぽいファンタジー空間でしかない。 その点、宋は良い。
遼・金・元はもちろん、西夏や大理といった、それぞれキャラの立った異民族が威張っているから、「これは宋の話だな?」とすぐ分かる。
金庸の「射雕英雄伝」や「天龍八部」など、この時代を背景にした武侠モノは、宋代の国際情勢と切っても切れない。 清は、弁髪に満州服だから、すぐ分かる。
弁髪というのは前から見るとスキンヘッドだから、男が全員、お坊さんみたい。
スキンヘッドだけに、似合う・似合わないがある。
台湾のニッキー・ウーは、弁髪のほうがカッコ良い。 明では逆に、男がみんなロン毛だ。
武芸者たちは、長髪をなびかせて闘う。
明の時代ともなると、洛陽や長安といった内陸部はすっかり衰退していて、いまでいう北京・上海・広東省あたりの沿海部が歴史の舞台だ。 長安や開封と比べて、北京は北のハテにあるから寒い。
清の宮廷の人々は、冬にはアラスカのエスキモーみたいな服を着ていた。
中国の時代劇は、その大半が北京郊外の時代劇村で撮影されている。
冬場は、俳優たちの吐く息が真っ白で、本当に寒そうだ。
思うに、これも中国の時代劇に出てくる都がみんな北京に見えてしまう大きな原因のひとつだろう。 中国で全国放送されるドラマというのは北京で撮られるのだろうか。
日本の場合おおむね東京で撮影されるのと同じく、上海や南京で撮られた
ドラマは全国区ではあまり流れないだろうか。
そういえば以前大阪に旅行したとき、地元局が制作した大阪ローカルの
刑事ドラマを見て、ある種のカルチャーショックを受けた。 日本でも、かつては時代劇の撮影が京都の太秦に集中していた。
そこに時代劇のセットがあるから、自然とそこに映画製作者が集まった。
それと同じように、中国では浙江省の横店に時代劇のセットが集中している。
そこには、北京の紫禁城もあるし、秦の咸陽城もある。 中国の映画やドラマは、先進国の香港・台湾から発展したので、北京がそれほど優位なわけではない 中国では、ドラマといえば時代劇
現代モノは、検閲国家なせいかイマイチ 現代劇は言葉の勉強にはいいよ
有名な喜劇役者ががんばってる 当局が韓流追放令を出したから、中国の現代ドラマも伸びてくるだろうな 言い忘れたけど現代劇は我々外国人が言葉を勉強するのと世相を知るのにいいけど
中国人には絶望的なほど人気がないよねw
今は作られているのかどうかさえ怪しいけど、再放送はやってるだろう
あと、時代劇でも現代人がタイムスリップする話では、封建社会の人権を無視した権力者の仕打ちに
主人公が不満を抱く展開になると、それ以上のことは言わなくなるんだよねw >>10
なんか見たことあるなそれ。なんかモンゴル軍がハングライダーで空を飛んで金の首都を陥落させるんだ。
あんなの本当だったら大変だよな。元寇で空から九州・博多へ飛来する蒙古軍とか… 中国の歴史ものドラマは、日本でほとんど知名度が無い人に突如スポットが
当たったりするので興味深い。
秦の恵文王の妃、宣太后が大々的にドラマ化されて中国では高視聴率だった
そうだけど、日本ではウィキペディアに記事すらないレベルだ。
http://kandera.jp/sp/miyue/ バカペディア(日本語版をこう呼ぼう)なんて漫画とアニメとゲームのネタバレ含むありったけの知識自慢大会じゃん
学問系の記事は絶賛ウソだらけだし
しかも直したくても編集方法が難しすぎて直せねえよ
バカに限ってそう言うの詳しいんだよ まあ、ドラマは基本的に女の世界なので、女性が主人公なことが多いからなあ
女は、歴史を裏で動かしてきた >>39
>しかも直したくても編集方法が難しすぎて直せねえよ
お前が一番馬鹿じゃん いくら女受け狙いとは言え西太后みたいなやってることはキムジョウンと変わらないカスを
名君扱いするのは反吐が出る >>41
デタラメを書いて不特定多数に迷惑をかける奴に対する義憤というものがないお前が馬鹿 まあウィキペディアの編集すらできないという
サル並みの知能の持ち主が、ウィキペディアの批判をするのは
おこがましい、という事は確かに言えるのだろう。 そういう考えのやつがウィキペディアを荒らすんだよ
幼稚な支配欲と学歴コンプレックスの塊
日本語版は特に多い まあ編集合戦になりたくないわな
特に荒らすしか能のない粘着バカとは
編集ぐらいできてもそう思う wikipediaの編集すら出来ない知能の人が書いた記事なんか読みたくないわ 明の官僚
特有のスタイル。かぶりモノの左右についた羽飾りみたいなのが目印。
あと、長衣を羽織って胸に四角い刺繍がついてれば、時代は明だと分かる
http://blog-imgs-90.fc2.com/j/u/m/jumong007/4323b.jpg まあ、「特有のスタイル」は言いすぎで、似たようなのは他の時代にもあるんだけど、
やっぱり、明の官僚は見た目で分かる 宋も分かるし唐も分かる
だが一番分かりやすくて一目瞭然なのは清 (当たり前) 遼・金・元も異質なんだが、あまりクローズアップされない
武侠ヒーローの敵役として怪しいモンゴル人が登場するのはお約束とはいうものの、
普通に金の時代の北京が舞台になるなんてことは、ちょっと考えにくい 隋唐の貴族は、手に聖徳太子みたいな笏を持ってるおかげで、すぐ分かる 宋の皇帝や高官は、帽子(ホクトウ)の左右に細長い棒みたいな飾りがついてるのが目印
偉い人ほど長くて、ものすごく邪魔になりそう 三国志の時代の人々は、外出時には、必ず冠を被って歩いていました。
お役人ばかりではなく、一般人も巾と呼ばれる布製の冠を常用いています。
これは、中々伝統のある習慣で紀元前11世紀の周の時代には、
制度化されていたといいます。
では、当時の人々が被っていた冠には、どんな種類があったのでしょうか?
ちょっと勉強してみましょう。 ベン冠
皇帝から卿大夫以上の人々が被っていました。
あの四角い冠に細長い板が載って硝子や
宝石がスダレのように垂れ下がっているアレです。
重大な儀式がある時にのみ、これを被っていたようです。 弁(べん)
皇帝から、士と呼ばれた下級役人までが被りました。
鹿の皮などで造られた帽子状のもので、
身分により宝石などを縦に並べて飾った豪華なものもありました。
こちらは、一般の儀式で被られたようです。 冠
金属製の冠で、行事がない一般の時に被っていました。
こちらも士が被っていたので庶民と士大夫を区別する
重要なステイタスシンボルでした。 巾は、一般庶民が被っていたもので、
布製のハチマキのようなものだったようです。
ただ、そんな庶民も行事がある時には冠を被りました。 中国の冠文化は、17世紀前半の明の滅亡までは存続しますが、
満洲族の清朝が建国すると、髷を結わず、辮髪の満洲族の習俗が
一般化して、冠を被る習慣は消えていきます。
満洲族は、陣笠のような被りモノに羽や宝石を散りばめた
ものを正装にしたので、冠は要らなかったのです。 「明までの中国では、カブリモノなしで外を出歩くのは、裸で歩くくらい恥ずかしいことと考えられていた」だそうな。 じゃあ被り物が無い人間は、全裸で出歩いた方が安くあがるね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています