春秋戦国時代
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同じような出来事が多すぎて、いまひとつ頭に残らない春秋戦国時代
ここらで流れを整理しておこう >>319
まあ生まれてきた男子3人連続で病死とか珍しくない時代でしょ そもそも、中央の周王室を東西南北の四大諸侯が囲むという春秋の世界観は、中国人好みの五行説っぽい
ちなみに、封神演義の商王室もそうなっている しかし、「ここで大量虐殺があった」と史記に書いてあるところで地面を掘ると、大量の古代の人骨が出てきたりする 漢字の主って王に点がついているから
本来、王より上じゃないのかね? 考古学的には殷も王を名乗っていた
王より前は后だったらしい 王の字って硬骨文字だと大の字の下に横棒足したような形
大 こんな感じでしたの三角形が権力とその権力によって人を処刑するためのマサカリの象形
 ̄ 要するに、王権は「人を処刑していい権利」だったわけやね
主の字って金文で
│
¥ こんな感じで上に伸びた棒が火、下側がその火を乗せる台の象形
 ̄ 灯が自身を中心として辺りを照らすように周囲を支配する存在って意味で成り立ちも字義も違うの 刑罰を加える者というか斧で処刑
殺すか手足を切り落とす奴が王ってことか
シュメールだと大きな人
英語だと一族の長
アッカドだとシャル・カリ・シャッリが全ての王らしいから全てを包含する者なのか 君主は諸侯のこと
主君は大夫のこと
王は地上に一人しかいない至高の存在 シュメール語では風の神はエンリルだが
中国では雨師、風伯、雷公、帝雲などであった
エンキは 地の神だがアッカドでは水の神エア 殷侯に封じたとあるのに
それを二分したのは宋公と衛伯 >>323
晋、斉、楚、秦のことか
北西、北東、東南、西南もほしいけど、
北西がおもいつかないな 水滸伝では
北の晋王
西の楚王
南の呉王
東の梁山泊は斉魏を横行しだから斉王魏王か 怪しいウィキペディアの中国語版の各国兵力
秦 120万
趙 50万
楚 40万
斉 30万
韓、魏、燕 10万 怪しいウィキペディアの中国語版の各国兵力
秦 120万
趙 50万
楚 40万
斉 30万
韓、魏、燕 10万
趙の推定人口は200~250万
中国の推定人口は2000万 水滸伝の楚は晋ほどの人材を集められなかった
しかし、北方から遼が数十万の兵で侵攻
国内は東西南北に四大反逆者
梁山泊は後の話を見ると総兵力六万、ただし官軍十三万を簡単に破る
他の反逆者は数十万の兵はありそう
楚王王慶も最後の防衛を十数万で守っているし
呉王ホウロウは梁山泊の三分の二を殺した十数万史実では死者百万以上だとか 春秋戦国時代は人口が少なく、あの広い大陸に二千万人くらいしかいなかった
華北は、後世とは異なり、森林に覆われていた 長江下流は、広大な湿原であり、まだ未開の地であった 黄河下流は洪水が多すぎるため、都市国家は山脈に沿って、山麓に並んでいた 周文王の伯父で呉の建国者太伯と虞仲兄弟
孤竹国の伯夷と叔斉兄弟
殷紂王の庶兄で宋の建国者微子啓と微仲衍兄弟
周武王の弟で後に反乱を起こした管叔鮮
と蔡叔度兄弟
似た時代に父王あるいは後継者となった兄弟王に何らかの反抗をして国を去り、兄は後継者なく亡くなり弟(孤竹国の場合は王になった間の兄弟)とその子孫が後を継ぐエピソードがいっぱいあるのは偶然なんですか? 孤竹国は王じゃない
王はこの世に1人しかいない至高の称号 >>357
子供の頃からそう教育されてきたのなら平気でしょう 末っ子は可愛がられるってことか
野蛮な力重視のはずなのに 長子相続とか末子相続なんてのは
政体が安定してから相続制度が固まって生まれた
それまでは実力のある人間がリーダー >>360
野蛮な力重視だから強い長男こそ領土広めて来いという話だろ 女目線で過剰に男をそういう目で見る歴女様の性欲があさましい ユーラシアの遊牧騎馬民たちも末子相続言われてるけど
歴史的な実態は実力者相続だしね
末子は親の最期を看取って生活のための資材なんかは受け継ぐけど
遊牧地とか家畜なんかは成人して独立する段階で親から分割されるし
一族の長の立場みたいなもんは一族内で選挙して実力者を選ぶからねぇ 遊牧民の末子相続は、兄たちが独立して去っていき、最後に残るのが末っ子だからだろ そういえばうちの田舎では末子が隠居屋敷とその周りの畑を相続していたのう。 春秋時代だと、中原の真ん中を除けば、どの国も狩猟・採集民や漁民が多い。 後世のような、「農耕民族vs遊牧民族」という構図にはなりにくい
もっとも、それを言ったら、隋唐あたりでもそうかもしれんが >>368
そりゃならんわ
この時代は一方的に北方遊牧民が中原で浮いた雑魚どもを収奪してるだけだし 帝国という形や騎馬民族の政権も西方の方が先んじてたわな
アケメネス朝やスキタイなんかを鑑みるに
これらの制度や文物が東漸して秦帝国や匈奴国家を成立させたんだろう 斉の桓公や、晋の文公は、アッシリア帝国と同じくらいの時代か? 紀元前671年 - アッシリア王エサルハドンのエジプト遠征。
メンフィス陥落によりエジプト王タハルカはテーベに逃亡。アッシリアのオリエント統一。
紀元前668年 - アッシリア王アッシュールバニパルの即位。
アッシュールバニパル王は都ニネヴェのクユンジクの丘に「アッシュールバニパルの図書館」を設立。
紀元前660年
初代神武天皇即位、日本建国。辛酉年、春正月、庚辰の朔日の日、天皇橿原宮にあまつひつぎしろしめし、天皇の元年とす(『日本書紀』)。
紀元前655年 - 晋の献公が虢と虞を滅ぼす。驪姫の讒言のため公子重耳・公子夷吾らが晋を出奔。
紀元前651年 - 斉の桓公による葵丘の会盟。桓公はこれにより周王より伯位を賜り最初の覇者となる。
紀元前647年 - アッシリア王アッシュールバニパルのエラム遠征。首都スサが陥落し破壊される。
紀元前639年 - 宋の襄公による鹿上の会盟・盂の会盟。
紀元前638年 - 宋の襄公と楚の成王が泓水(現:河南省柘城県)にて激突し、楚が大勝する(泓水の戦い)。
紀元前636年 - 重耳が亡命19年の後即位し、晋の文公となる。
紀元前632年 - 文公が率いる晋と楚が城濮(現:山東省西部の濮県の南)にて激突し、晋が大勝する(城濮の戦い)。
この勝利により晋の文公は践土の会盟を行い覇者となる。 晋は分家の曲沃が本家の翼の宗族を滅ぼす
その曲沃の分家は桓・莊の族という身内も滅ぼす
同族である虢や虞を滅ぼす
世継ぎ以外の公子は国外に追放する
卿の嫡子を公族とする
オスマン帝国が皇子を皆殺し、後に鳥かごに幽閉したのと似た感じがする 例えて言えば
王国の王子は王太子以外は全部国外追放とする
大貴族の世継ぎを王族とする
こんな国だからな 呉が周王の分家というのはもちろん嘘だろうが、
晋とかはどうなんかな 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」
隋の使節団は「そこの人々は華夏の人々=(中国古代国家「夏」)と同じであると報告している。
始皇帝陵、兵馬俑と武人埴輪の甲冑が良く似て居り、墓の回りに土器類を大量配置。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/08/77/src_11087751.jpg?1451096009
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/008/144647630137934814179.jpg
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「三つ巴(ともえ)紋」
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
http://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html >>381
太伯がいなくなって音信不通で800年、
あとから「実は南方の蛮族の村で呉という国を興していました、
私たちがその子孫です」っていきなり現れて中原の軍事に介入しだした
おかしいだろ 史書のどこに書いてあったんだよ
金文で残ってるのならまだわかるがそれもかなり後だろ >>382
呉の分家の虞が公爵なのもおかしいよなあ
呉の本家は子爵なのに 熊沢寛道が「南朝の天皇の子孫」を名乗り出たのは、20世紀の中頃
応仁の乱から500年が過ぎていた
800年っていったら、それ以上か 晋は元は唐だったのに二代目で国名変更ってのも変だ
それに楚の属国に同名の唐がある
何かおかしい 本物の倭国を滅ぼしたという説もあり
倭国が日本国を滅ぼしその国名を奪ったという説もある
唐書では日本国と倭国は別の国として記載されている
また言うことがころころ変わって信用できないとも 唐
↓
晋
↓
翼の本家と曲沃の分家に事実上分裂
↓
分家が本家を滅ぼし晋を統一
↓
韓、魏、趙の三国に分裂
↓
趙は滅びたが代王を名乗り晋に抵抗
↓
秦末に趙王が復活
↓
元の趙王が代王に張耳が恒山王に
↓
代王が趙王に戻り陳余が代王に
↓
張耳が趙王になるが息子の代で終わり劉邦の三男如意が趙王に四男恒が代王に
↓
趙王はコロコロ変わり呂氏が王になったりもする
↓
代王恒が皇帝になる >>393
>また言うことがころころ変わって信用できないとも
やはり、当時の倭国の上層部は半島系の移民だったのか? >>394
>翼の本家と曲沃の分家に事実上分裂
↓
分家が本家を滅ぼし晋を統一
このあたりの経緯は、宮城谷昌光の「重耳」に、やけに詳しく書いてあったな
「曲沃は大きくなる。いつか、本家を呑み込むかもしれない」とかなんとか 晋ほどの大国ともなると、その統一のプロセスも歴史的に重要だ
春秋時代は、事実上、晋と楚による南北朝時代 >>372
>紀元前655年 - 晋の献公が虢と虞を滅ぼす。驪姫の讒言のため公子重耳・公子夷吾らが晋を出奔。
宮城谷昌光の「重耳」の前半は、曲沃が勃興する話と、強敵・虢を滅ぼす話で終わってた印象 超大国となった晋だが、初期の晋にとって、虢は立ちはだかる巨大な壁だった
晋に滅ぼされたおかげでマイナーな国名となったが、千数百年後の杜甫の詩にも「大国 虢と秦と」という言葉が出てくるほど、大唐帝国においても有力な領邦だった 史記とか従来の有名な史料が採用しなかった記事のある史料がちょいちょい出土してて
春秋戦国時代がことと次第によっては大幅に書き換わるかもしれないし
さりげなく今ホットなジャンルだよな 後に近代まで超先進国になってた萌芽の時代って感じするよな、春秋戦国 >>395
移民だった可能性は高いけど、移民してきたのはそれより何百年も前の話のはず 虢が中華最強ってあったけど本当かな
ただ中国語版で西と東が逆なんだけど 『後漢書』巻85辰韓伝では、以下のように記載される。
耆老自言秦之亡人,避苦役,適韓國,馬韓割其東界地與之。其名國為邦,弓為弧,
賊為寇,行酒為行觴,相呼為徒,有似秦語,故或名之為秦韓。
〈辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて馬韓に往き、馬韓は東界の地を彼らに
割譲したのだと自称する。
そこでは国を邦(邦人)、弓を弧(琉球弧)、賊を寇(元寇)、行酒を行觴と称し(回し飲み)、
互いを徒(学徒)と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。〉 漢代以後の漢語では「邦」のことを「国」と言うが、辰韓人(秦韓人)は「国」のことを
「邦」と言っており、かかる事実関係により、辰韓人(秦韓人)は
秦語を使用していることは 決定的とみられている。
>秦語、は丸々のちの日本語である。
そこでは国を邦(邦人)、弓を弧(琉球弧)、賊を寇(元寇)、行酒を行觴と称し(回し飲み)、
互いを徒(学徒)と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。〉 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」 隋の使節団は
「そこの人々は華夏の人々 =(中国の古代国家「夏」)と同じである」と報告している。
始皇帝陵、兵馬俑と武人埴輪の甲冑が良く似て居り、墓の回りに土器類を大量配置。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/08/77/src_11087751.jpg?1451096009
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/008/144647630137934814179.jpg
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「三つ巴(ともえ)紋」
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
http://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html >>401
ある国で後継者争いが起きると、周囲の大国が干渉して継承戦争が起きたり
近代ヨーロッパの国際社会と似ている 近世イタリアの都市国家、ミラノやフィレンツェ・ローマその他が繰り広げた外交が、欧州の国際社会のスタンダードとなり、ひいては世界に広がった
春秋戦国時代は、そんな国際社会を2000年ほど先取りしていた
統一されずに続いていたら、世界はどうなったか? 金や元よりもっと早く遊牧民ら異民族に支配される時代が来てただろうなあ
逆に漢民族って概念が生まれなかったかもしれん >>410
遊牧民が強大化したのって秦の統一のせいだぜ? 田斉の宣王は実在しないの?
威王とビン王の二人だけだと双方の在位が長すぎる気もするが この時代は発見一つで定説が入れ替わる
周の携王も平王の弟でなく叔父だったし 晋は同族の国を滅ぼしまくっているが
分家の曲沃が本家を滅ぼす
その分家も初代桓叔、二代莊伯の一族を滅ぼす(韓氏以外)
公子は国外に追放して、卿の嫡子を公族として扱う
こんな国だからなあ 春秋戦国の各国って同じ民族の中の争いでしかなさそうでしらけるな
たぶん各国の主要民族は華夏人で、
それぞれの辺境に先住民が住む感じか >>415
いや全部違う民族だよ
言語違うし宗教も違う 殷が夏を滅ぼした戦いも数千ぐらいの兵しかいなかったんでしょ
周も王は(諸侯も率いて)七万五千の兵とかいうけど実数は五万五千らしいし >>416
政治家とか軍人とか諸国を渡り歩きまくってるぞ 夏華人なんて極少数だろ
むしろ周人とか殷人とか東夷とか鮮卑とかが入り交じってるんじゃないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています