春秋戦国時代
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同じような出来事が多すぎて、いまひとつ頭に残らない春秋戦国時代
ここらで流れを整理しておこう 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」
隋の使節団は「そこの人々は華夏の人々=(中国古代国家「夏」)と同じであると報告している。
始皇帝陵、兵馬俑と武人埴輪の甲冑が良く似て居り、墓の回りに土器類を大量配置。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/08/77/src_11087751.jpg?1451096009
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/008/144647630137934814179.jpg
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「三つ巴(ともえ)紋」
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
http://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html >>381
太伯がいなくなって音信不通で800年、
あとから「実は南方の蛮族の村で呉という国を興していました、
私たちがその子孫です」っていきなり現れて中原の軍事に介入しだした
おかしいだろ 史書のどこに書いてあったんだよ
金文で残ってるのならまだわかるがそれもかなり後だろ >>382
呉の分家の虞が公爵なのもおかしいよなあ
呉の本家は子爵なのに 熊沢寛道が「南朝の天皇の子孫」を名乗り出たのは、20世紀の中頃
応仁の乱から500年が過ぎていた
800年っていったら、それ以上か 晋は元は唐だったのに二代目で国名変更ってのも変だ
それに楚の属国に同名の唐がある
何かおかしい 本物の倭国を滅ぼしたという説もあり
倭国が日本国を滅ぼしその国名を奪ったという説もある
唐書では日本国と倭国は別の国として記載されている
また言うことがころころ変わって信用できないとも 唐
↓
晋
↓
翼の本家と曲沃の分家に事実上分裂
↓
分家が本家を滅ぼし晋を統一
↓
韓、魏、趙の三国に分裂
↓
趙は滅びたが代王を名乗り晋に抵抗
↓
秦末に趙王が復活
↓
元の趙王が代王に張耳が恒山王に
↓
代王が趙王に戻り陳余が代王に
↓
張耳が趙王になるが息子の代で終わり劉邦の三男如意が趙王に四男恒が代王に
↓
趙王はコロコロ変わり呂氏が王になったりもする
↓
代王恒が皇帝になる >>393
>また言うことがころころ変わって信用できないとも
やはり、当時の倭国の上層部は半島系の移民だったのか? >>394
>翼の本家と曲沃の分家に事実上分裂
↓
分家が本家を滅ぼし晋を統一
このあたりの経緯は、宮城谷昌光の「重耳」に、やけに詳しく書いてあったな
「曲沃は大きくなる。いつか、本家を呑み込むかもしれない」とかなんとか 晋ほどの大国ともなると、その統一のプロセスも歴史的に重要だ
春秋時代は、事実上、晋と楚による南北朝時代 >>372
>紀元前655年 - 晋の献公が虢と虞を滅ぼす。驪姫の讒言のため公子重耳・公子夷吾らが晋を出奔。
宮城谷昌光の「重耳」の前半は、曲沃が勃興する話と、強敵・虢を滅ぼす話で終わってた印象 超大国となった晋だが、初期の晋にとって、虢は立ちはだかる巨大な壁だった
晋に滅ぼされたおかげでマイナーな国名となったが、千数百年後の杜甫の詩にも「大国 虢と秦と」という言葉が出てくるほど、大唐帝国においても有力な領邦だった 史記とか従来の有名な史料が採用しなかった記事のある史料がちょいちょい出土してて
春秋戦国時代がことと次第によっては大幅に書き換わるかもしれないし
さりげなく今ホットなジャンルだよな 後に近代まで超先進国になってた萌芽の時代って感じするよな、春秋戦国 >>395
移民だった可能性は高いけど、移民してきたのはそれより何百年も前の話のはず 虢が中華最強ってあったけど本当かな
ただ中国語版で西と東が逆なんだけど 『後漢書』巻85辰韓伝では、以下のように記載される。
耆老自言秦之亡人,避苦役,適韓國,馬韓割其東界地與之。其名國為邦,弓為弧,
賊為寇,行酒為行觴,相呼為徒,有似秦語,故或名之為秦韓。
〈辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて馬韓に往き、馬韓は東界の地を彼らに
割譲したのだと自称する。
そこでは国を邦(邦人)、弓を弧(琉球弧)、賊を寇(元寇)、行酒を行觴と称し(回し飲み)、
互いを徒(学徒)と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。〉 漢代以後の漢語では「邦」のことを「国」と言うが、辰韓人(秦韓人)は「国」のことを
「邦」と言っており、かかる事実関係により、辰韓人(秦韓人)は
秦語を使用していることは 決定的とみられている。
>秦語、は丸々のちの日本語である。
そこでは国を邦(邦人)、弓を弧(琉球弧)、賊を寇(元寇)、行酒を行觴と称し(回し飲み)、
互いを徒(学徒)と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。〉 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」 隋の使節団は
「そこの人々は華夏の人々 =(中国の古代国家「夏」)と同じである」と報告している。
始皇帝陵、兵馬俑と武人埴輪の甲冑が良く似て居り、墓の回りに土器類を大量配置。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/08/77/src_11087751.jpg?1451096009
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/008/144647630137934814179.jpg
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「三つ巴(ともえ)紋」
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
http://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html >>401
ある国で後継者争いが起きると、周囲の大国が干渉して継承戦争が起きたり
近代ヨーロッパの国際社会と似ている 近世イタリアの都市国家、ミラノやフィレンツェ・ローマその他が繰り広げた外交が、欧州の国際社会のスタンダードとなり、ひいては世界に広がった
春秋戦国時代は、そんな国際社会を2000年ほど先取りしていた
統一されずに続いていたら、世界はどうなったか? 金や元よりもっと早く遊牧民ら異民族に支配される時代が来てただろうなあ
逆に漢民族って概念が生まれなかったかもしれん >>410
遊牧民が強大化したのって秦の統一のせいだぜ? 田斉の宣王は実在しないの?
威王とビン王の二人だけだと双方の在位が長すぎる気もするが この時代は発見一つで定説が入れ替わる
周の携王も平王の弟でなく叔父だったし 晋は同族の国を滅ぼしまくっているが
分家の曲沃が本家を滅ぼす
その分家も初代桓叔、二代莊伯の一族を滅ぼす(韓氏以外)
公子は国外に追放して、卿の嫡子を公族として扱う
こんな国だからなあ 春秋戦国の各国って同じ民族の中の争いでしかなさそうでしらけるな
たぶん各国の主要民族は華夏人で、
それぞれの辺境に先住民が住む感じか >>415
いや全部違う民族だよ
言語違うし宗教も違う 殷が夏を滅ぼした戦いも数千ぐらいの兵しかいなかったんでしょ
周も王は(諸侯も率いて)七万五千の兵とかいうけど実数は五万五千らしいし >>416
政治家とか軍人とか諸国を渡り歩きまくってるぞ 夏華人なんて極少数だろ
むしろ周人とか殷人とか東夷とか鮮卑とかが入り交じってるんじゃないか? >>418
民族違うと政治家軍人渡ってけない?
じゃあ中近世欧州は単一民族だったかな?
って考えるとまあ、そういうことはないのよね
漢代の揚雄がある程度各地の言葉を分類したものを方言としてまとめてるけど
これ見ると各地で発音が入り乱れてるのがわかる >>419
それは血統の話で、言語の話ではない
>>420
楊雄は辞賦を書くために風変わりな語彙に興味を持っていた
自分の学問のためにも方言語彙を収集したが、
それは爾雅という辞書の仕事を引き継いだ形
同じ語彙の発音が乱れているのではなく、単に違う形の同義語なのだ
日本語だって各地の方言集を図書館で見れば、語彙的な違いが大きかったことがわかるよ
首都圏方言一色の中で育った人はよく「訛り」と「方言」をごっちゃにするけどね >>421
春秋戦国時代はさらに加えて文字も違う
さらに元々漢字は音じゃなくて意味を扱う表意文字だった
「違う形の同義語」じゃなくて各国言語でのそれぞれの表記も発音も違ってた
始皇帝による文字と音の統一を経て漢代には表記だけは近い形に出来たものの
それでもまだ語彙の差、発音の差としては残った
結局発音は現代でも差異は相当残ってる 同じ民族というからには習俗とか信仰形態とか言語とか
色々同じものを使ってるはずなんだけど出土品から見ると全然違うよね
楚は特に民族的にかなり違うってことも指摘されてるね
孔子が周公旦と太公望の逸話出して現地の習俗が全然違う話をした
という論語の話もあるし斉でさえも民族的にかなり違ってたようだし いや、漢字の地方差はただの字体差だよ
たいした違いじゃない
だから簡単に統一できた
中国は何でも違う全部バラバラだ、っていうのを強調しすぎ
そんなたいしたロマンはない >>424
簡単には統一できてないのだが
焚書っていうのは各国の字書全部焼き捨てて秦のものだけ残す政策だし
そこまで強権で他の文字を弾圧してやっとできた文字の統一だよ >>420
少なくともヨーロッパ各地の王族や貴族(貴族のなかでも差はあふと思うが)は
「同じ民族」だろう ヨーロッパの王族は王族同士で結婚し、着る服も住む家も共通でしょ?
自国民と同じ民族であるという意識なんて一ミリもないと思う
日本の大名といっしょ >>422
始皇帝が統一する以前の漢字は絵みたいでマジで読めんよな
なんかふざけて描いたみたいな感じの字体あるし >>431
たとえば戦国七雄の王は、
楚以外は周系か中原系だろ >>428
共有するキリスト教的世界観があるだけで
民族は全然違うし言語も習慣も違う
具体例出すと18世紀、女帝の仇名で有名なマリア・テレジア
彼女はハンガリー王としてハンガリー王国議会に乗り込むんだけど
ハンガリー人は騎馬民族で、ドイツ人の歴代ハプスブルク家の皇帝はそうじゃなかった
だからハンガリー人はドイツ人のハプスブルク家にあんまりいい感情を持ってなかった
そこで深窓の令嬢だったはずの女帝が馬を操って議会入りしたことで
「この人俺らのことわかってる!」って強い共感をハンガリー人に持たれて
反発されることなくハンガリー王になった、という話からも欧州人って民族結構違うのわかるでしょ? >>434
周と中原で既に民族が違うし
楚だけじゃなく斉と燕も異民族 春秋の姜斉は統治者の呂氏が斉近辺の出身ながら植民都市を作って
南陽辺りに移住してた一族だった、といういかにも古代の開拓期らしい一族だったのよね
この辺の一族が団結して植民都市を交易拠点に築いてく形式によって
古代の都市国家群がゆるい連帯を作って徐々に国家を形成してくって
地中海やオリエントの都市国家とかなり類似性を見せてるんだよなぁ 民族は違うけど王公貴族は中原文化重視だし出自も中原系としようとしていたやろ >>439
と、史記には書いてある
が、出土品はそういう中原文化重視という事は証明しない >>425
でもそれで統一できたろ
ただの意地の張り合いだった証拠だよ
だから何も残っていない
>>426
いや、言語だって大して違っていなかった
『方言』だって「通語」というものが別にあって記録されている
通語さえ話せばどこでも通じたんだよ >>436
ハンガリーには長年独自の王がいなかったから
ヨーロッパの王家文化が入らなかっただけでしょ
王がいたらその周辺は「ヨーロッパ王族」という民族になる >>442
だったらナバラ王国領ではとっくにバスク語が消えているよ 暮らしが異なる王族を別民族とかいうの違和感しかないわ
だったら奈良時代の唐文化に心酔してた頃の日本皇族貴族と
竪穴住居に暮らしてたどん百姓は別民族なのかね >>437
楚や呉はともかく、
斉や燕は周の仲間を辺境に派遣したから、
王や貴族は周の同族 >>444
それはバスクがたまたま特殊だったとしかいえない
他のヨーロッパ各国では王家が地元民出身でも時代がすすむと同じ民族になってる ヨーロッパ王族という民族のエスニシティの定義を述べよ >>445
それは国民国家思想から派生したただの幻想
王権と民族は別のものだ
庶民が言うことを王は直接は理解しようとせず
必ず通訳する者がいる
それが封建社会でのならわし >>442
ハンガリーって遊牧民にルーツを持つマジャール人の王家だったアールパード家って
パンノニア平原への侵入が成功した時点からで600年
ハンガリー王としてキリスト教世界で認知されてからも300年という長期間王家として続いてて
ハンガリーは独自の王を戴いていたよ?
独自の王がいなかったから王家文化が入らないとは何?
意味不明過ぎて笑っちゃうんだけど
アールパード家断絶後はドイツやイタリア南部の王族貴族等を王にしてるけど
同君連合でハンガリーを従、本領は別にある王が出るのって概ねハプスブルク朝からだよ?
ボヘミア王、皇帝を兼ねたルクセンブルク朝のジグモンドの場合は
先にハンガリー王を得てから紆余曲折あってボヘミア王位と帝位を獲得するわけで
むしろそっちが従だし
いくら春秋戦国スレだからって欧州は民族が同じとか言い出すのはさすがにどうかと思うぞ? >>449
資本家と労働者も対話不可能だから別民族だね
アメリカ共和党支持者と民主党支持者も別民族だね 民族は自明のものでも客観的な存在でもないよ
そう思うのは国民国家思想による錯覚 だからヨーロッパ王族という民族が存在するとかいう珍説唱えるならその定義を述べろよw ここって今二人で対話してるわけじゃないよ
ドヤる相手を間違えないようにな つい先年亡くなった岡田英弘の古代シナ分析は面白かったな 日本だって、昔は東北や九州は異民族だったのに
中国が昔から「同じ漢民族」なわけないだろ
自動車や鉄道はもちろん、騎馬での移動すらない時代なんだぜ? 中国が民族的に統合されたのは、20世紀後半から21世紀にかけての話
鉄道とかテレビとか、インターネットのおかげだ
それまでは単なる政治的な支配でしかない 日本が明治維新まで統合されていたと思ってんのは
ろくに方言の多様性も知らないからだ
テレビの吉本弁しか知らんだろ >>450
たとえばロシアのニコライ二世にとって、
スラブ系の自国民と、
ビクトリア女王やヴィルヘルム二世、
どちらと同じ民族だったと言えるだろうか? >>462
ニコライ二世の民族観を調べればわかることでは?
人に聞く前に調べてから言えよ 少し前までは盛んだった、「北京語と広東語は、英語とドイツ語より違いが大きい」とか、
「沿海部と内陸部は、ヨーロッパとアフリカくらい文明の発達段階が異なる」
といった話を、最近はあまり聞かなくなった
それだけ、ここ10年か20年の間にも、国民統合が急速に進んできたということ
もっと前には、「中国は、省が違えば別の国だ」と、現地事情に通じた人々は異口同音に語っていた 昭和の時代には、「中国では、貨物列車を隣の省に送ると車輌が帰ってこない」と言われてた
隣の省に対して、同じ民族などという意識は無かった 北京語と広東語は、英語とドイツ語ほど違わないのにな
何より文法構造が基本的に変わらない
枠構造も分離動詞も名詞・形容詞の性・数(形)・格変化も
接続法動詞変化も失った英語は文法的にはゲルマン語とさえ呼べるのか疑問
もともと普通話だって50年前の文革期にはとっくに普及していた
旅行でちょっと手間取ったのはせいぜい百年ぐらい前で、
それだって清朝期から官話が各地に普及していたから不自由というほどではなかった
「現地通」は話を面白くするために話を誇張し、
それを読んだニセの「現地通」がさらにウソを広める
日華事変のときには使えない情報で慢心した皇軍が行く先々で騙されて苦しめられた
もともと大陸浪人を粗末にコキ使ったんだから恨まれて当然 >>463
だって婚姻も他のヨーロッパ王族とやって、服も建物もヨーロッパ風にやってるじゃん
言葉もドイツ語やフランス語だし
ロシア要素がほとんどない 百年戦争期のイギリスとかもパンピーは英語喋ってるけど貴族・宮廷はフランス語喋ってるみたいな差異あるしなあ
じゃあ当時のイギリスの貴族がフランス人なのか?っていうとそういうわけでもないし >>467
だからニコライ二世がどう思ってたかの証拠はよ
ちなみにロシアとしては汎スラヴ主義で西欧と対抗しようとしてます >>466
英語がいかに特殊かってことが無視されることが多いよなあ >>470
ほんにんが思ってたかとかそういうことはどうでもいいよ
思い込みでしかないからね >>468
少なくとも自称は夏の王族
遺伝子的にも夏の上流階級でもおかしくはない >>472
>>462ではニコライはどう思うかって
君が証拠を提示しながらニコライの思想はこうであった
よってヨーロッパ王族なるものが証明できる、という論旨だよね?
だから本人がどう思ってたかという事をきっちり示して
その上で論旨に引用しないとただの詐欺だよね
君に求められてる事はヨーロッパ王族なる民族の定義とそれを主張する論拠だけど
ニコライを例示した以上はニコライという皇帝がどのような民族意識を持っていたか
ロシア帝国の公的見解である汎スラブ主義とどのように異なるか
ちゃんと証拠付きで示さないとただのバカになっちゃうよ こいつ貴賤結婚も知らんのか
サラエボ事件で暗殺されたフランツ・フェルディナントとか王族は王族同士でしか婚姻できないという掟を破ったばかり
その子どもは王位継承権を持つことが出来なかったんだぞ
汎スラブ主義とか一般民衆向けのプロパガンダだろ
ヨーロッパでは貴族と庶民は別の生き物という概念が一般的
だから外国の王族同士の結婚は普通でも自国民の一般人を娶るなんてことはまぁまずない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています