ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 >>252
西と違って壊滅はしてないが
東だって全盛期と比べて色々と劣化してる ヘラクレイオスのあとからニケフォロス1世が始まる迄くらいだな、暗黒時代
ユスティニアヌス1世に起因する混沌という見方にまで拡張することもできる そしてロマノス一世くらいの時から技術の面でも西欧に抜かれていった >>251
中原に入った胡族でもモンゴルだけは漢化されなかったな 暗黒時代といえば東ローマにも歴史がほとんど記録されてない暗黒時代があるんだな
ユスティニアヌスの大帝国が瓦解してイスラムが勃興してエジプト、シリアあたりを奪われて
コンスタンティノポリスまで圧迫されるようになって
そのあと二百年ほど東ローマの内情がどうなってるか史料が無くて全く不明 中原に入った胡族は圧倒的大多数の漢族に文化的にも血統的にも呑み込まれて
同化されるのが常だが、モンゴルだけは漢化されなかったな 中国史マニアってなんで無理矢理中国史の話に持っていこうとするんだろうな >>251
ガリア人やダキア人は防御集落に定住していたけど
古代ゲルマン人は城壁で囲まれた場所に住む習慣がなかった
ゲルマニアではローマ軍が得意とする城攻めが出来なかった
古代ゲルマン人は城塞に籠城したりせずに森林や沼沢など
自然の地形を活かしてローマ軍を撃退した
ゲルマンのゴート族は森林がまばらな黒海北岸に移住したけど
故郷と同じように城壁のない無防備な集落で暮らしていた
無防備だったのでフン族の襲撃でゴート族は逃げ出した
スラブ人は丘の上や沼沢地に囲まれた集落に住んでいたので
フン族が来ても逃げ出さなかった >>251
アウグストゥスはゲルマニアが欲しかったのではなく
イタリアを守る天然の堀としてエルベ河が欲しかった
ドナウ河が上流では川幅が狭くなってしまうので
イタリア北方で最も川幅の広い河川がエルベ河なので
エルベ河を防衛線にしようとした
ドーバー海峡の向こう側のブリタニア
ドナウ河の向こう側のダキア
ユーフラテス河の向こう側のアルメニア
これらの領有を避ける事でアウグストゥスは防衛線の短縮を目指していた
防衛線の短縮化の為にエルベ河を防衛線にする為にゲルマニア西部を領有しようとした
そしてライン戦線とドナウ戦線を エルベ・ドナウ戦線として統合しようとした ローマ帝国がチート過ぎただけで周辺地域と同レベルに戻っただけじゃない? 欧州が蛮族襲撃から復興し出した時点ではまだイタリアが圧倒的に先進地域であった
ゴート族と無関係のフランスの建築様式をゴシック様式と呼んだ辺りからイタリア人の衰退への焦りを感じる ゴート人ってワードは当時から蔑視的なニュアンスがこもってたのかなヴァンダル人みたいに 文明の崩壊では通常、文化や技術の喪失だけでなく、新たな文化や技術が勃興するのが普通なのに、
(古代のミケーネやヒッタイトの崩壊では鉄器文化の拡散が見られたし、中国の五胡十六国時代には、
古代漢文化が消失した一方で、仏教文化が勃興した。)
古代ローマの崩壊に関しては全面的な後退ばかりで何故か新たな文化や技術の創出がほぼ見られないという特質がある。 古代ローマの崩壊後に鐙が普及し始めて
誰もが重装槍騎兵になれるようなった
古代ローマ時代にはカタフラクトは
イラン系諸民族やアルメニア人とかトラキア人と
イリュリア人など騎馬民族の特技だった
鐙無しで両腕で槍を構えて突撃するのは農民には難しいので
ローマ帝国はバルカンをゴート族に荒らされると
たちまち軍事力が弱体化して防衛力を失っていった
鐙のおかげで西欧人やアナトリアのテマ農民が
騎士やカタフラクトになれるようになった
鐙が普及しなければバルカンがスラブ化した時点で
東ローマは滅亡していたはず 西欧に鐙を伝えたのはゴート族かアヴァール族かアラブ人のいずれかとされるけど
アヴァール族が西に出現した頃に東ローマとササン朝も鐙を軍に採用しているので
アヴァール族が中国の鐙を西方に伝えた可能性が大きい
東ローマとササン朝によりアラブ兵も鐙を使用するようになり
パルミラのカタフラクトはイラン人傭兵だったけど鐙のおかげで
アラブ人自身が騎兵になる事が容易になったので
鐙の無い時代のイラン人の軍事的優位が崩れ
やがてアラブ人はイスラムの大帝国を建設する事となる ササン朝とアクスムのイエメンの支配権をめぐる抗争で
575年にマアリブ・ダムの維持が断念されイエメンの農業が衰退して
農民がベドウィン化して後にイスラム軍の大きな戦力となったけど
おそらく鐙の普及で農民のベドウィン化が促進されたと思われる それからアラブが荒ぶり始めるわけですね わかります >>268
フランス革命は流血もあったが、自由・平等・博愛など実りもあった
ロシア革命は専制を倒したら更なる専制になったという誰得状態の壮大なギャグ >>274
こと、ロシア国内に関しては
帝政期よりも遥かにマシになったんだよ、農奴がいなくなっただけでもな 所謂民主的要素が広まったのを実りとかいうがそれは今の価値観を絶対視する価値観に洗脳されてるな どっちに転んでも暴力による専制以外に治めようのない土地がユーラシア
そのユーラシアの統治者が務まるのはロシア以外居ない
まがいなりにもユーラシアを統治し続けてたロシアの人類史上の功績は認めるべきだと思う >>276
いや、ロシアの農奴に関しては、民主主義だの社会主義だのと言った思想性は関係なく
生活が良くなった、それも飛躍的に
それだけ帝政ロシアの農奴の生活水準が酷かった 農奴がいなくなったのホロドモールで飢えて死に絶えたからでは? コルホーズにおける農民の生活も楽なものではなかったがな >>274
マルクス「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」 白丁さんたちの服が染められないは技術がないのとは違う問題でしょが 欧州の古代から中世への移行はキリスト教の拡散と引き換えに
ローマ時代の文化的な蓄積をほぼ喪失した、って感じ。 無地ならたいしたことないが漂白した白ならそれなりに貴重 >>281
ホロドモールでググってみたら?
ロマノフ朝がどんなに酷くても何千万という人間が餓死したり親が子どもを食べて生き残るなんて悲惨なこと一度もなかったから >>288
知ってるってば
ホロドモールがいかに凄惨で凄まじい惨禍だったかも知っているし、それがウクライナを中心としたものだったことも
ただね、ロマノフ朝の農奴なんて定期的に大飢饉で大量の餓死者出してるんだよ、それも近世に
一度もなかった、って何言ってんだの世界
18世紀にも1000万世帯(人じゃないぞ世帯だぞ)の餓死または離村(離村者は罰っせられるから行方不明のち死亡の可能性大)
ソ連は大概ひどい政権だが、それでもロマノフ朝よりゃマシ キリスト教化によってギリシャでは数学や化学などの学術が喪失し、
ルネッサンスでアラビアの文献からこれらの古代ギリシャの学問を逆輸入する結果になっている。 ロシアはポーランド分割でベラルーシとウクライナを
併合したりして19世紀に人口が急増していったから
18世紀に1000万世帯の餓死または離村はありえないのでは?
ピョートル大帝の治世の総人口は1000万人にすぎなかった
たしかにイワン雷帝とかはスターリンがお手本にするぐらい過酷で有名だったね
当時はロシアではないけどウクライナでポーランドに抵抗したコサックの
ボグダン・フメリニツキーは手加減しない戦ぶりでウクライナを灰燼に帰した 反革命だか反共の書き込みする奴らは大体ネットで真実だから
どこの本にそれ書いてんの?って聞けば黙る
そもそもスレ違いだけど いまの時代にわざわざイデオロギッシュな書き込みする必要性がないんだよなあ ま293や294は半世紀前なら革命万歳
見たいものしか見ない
ま、時流に流されるタイプさ 294は違うね、ごめんなさい
スレチなんでこの辺で よく読まず考えもしていないお前自身が半世紀前なら革命万歳タイプやろうなぁ
ネっトで真実と馬鹿にしてるが本が正しいことを前提してる時点で同じあなという 古い本(一次資料は除く)の方がネットよりあてにならんよな
ネタとして30年前の本を読んでみると今ではありえないような説が通説として書かれてて驚く 社会的常識も違うしね
相撲界の暴行が問題になってるが、暴力に対する容認度合いが違う50年前ならたいした問題になってない
モンゴルは昔の日本的な常識があるのだろう 通勤電車の座席や、大学受験予備校の中の生徒用ラウンジに灰皿があって、多くの人々がそこで喫煙していたかんな>1980年代後半の日本
社会常識は政策一つで短期間に激変する で常識が違うと色々古書を読むとき誤解する
常識は書物には残さないからね 50年前じゃなくて10年前でも全然問題になってないと思うけどな
この板は文科系の青瓢箪ばかりだから知らないだろうけど一昔前の体育会系とかあの程度の体罰なんてザラ あの程度の体罰はざらだが、それが社会的の容認されるかは別
とくに財団法人で国技を掲げるプロスポーツでは別
10年前なら問題になってるでしょう、
そしていちいち他人を下げてマウンティングしないと書き込めないのかお前は
お前の狭い社会なんて知らんわ。お前の世界と相撲業界の差もわからんくせに
ボクチンはおまえよりエライとしかかけんのか >>289
は?お前正気かよ?カザフスタン地域とかホロドモールで人口が4割減ったんだが
たった1年でこれだぞ
ロマノフ朝がソ連並みに酷い専制国家だったらスターリンみたいなろくに働かず強盗殺人で生計たててた畜生野郎なんて
最初に逮捕された時点で死刑にされてるって スターリンの粛清は酷いし、これが大祖国戦争で3000万死んだ原因の一つだし
農奴を解放して国民全員を奴隷のようにしたことから見てロマノフ朝よりましとはいいにくいわな ホロドモールで食糧を全て奪い去られた人民が、食糧を確保しようとして処罰された主な例
・畑でわずかな小麦を拾い集めた農婦が有罪判決が下される
・二束のとうもろこしを盗んだために銃殺刑になった
・自分の自営地で実ったとうもろこしを刈り取った農婦が10年の刑がくだされ、その2週間後に夫が餓死した
・玉ねぎを十個畑から掘り出した農婦が十年の刑になった
・死んで埋められた馬の肉を食べた多数の農民がOGPUによって銃殺刑になった
・小麦を引き抜いたとして妊娠中の女性が板切れで打ちすえられ死亡
・集団農場のじゃがいもを掘り出したとして三人の子供を抱えた母親が警備員に射殺され、子供たちも全員餓死した
・穀物をむしり取ったとして7人の農民と14歳と15歳の子供達3人が銃殺された
スターリンとか何度も身代金誘拐や強盗殺人を起こしてるのに精々流刑で済んでるから恐るべき刑の緩さだ
ソ連の異様な厳罰主義その反動と言えよう >>304
むしろスターリンをちゃんと処刑できなかったロマノフ朝にかなり問題ありそう 相撲界で体罰が問題視されようになったのって時津風部屋で死者が出てからでしょ
むかし貴乃花親方が部屋住みの連中を竹刀で滅多打ちにしてる場面が肯定的に放送されていたが
今なら大問題になってた 稽古場での竹刀は今でも問題になってない
5センチ以上の裂傷させるほどの私刑は昔から問題になるよ スターリンは共産主義者と言うよりは大艦巨砲主義者だった
とにかく巨大な戦艦が欲しくて欲しくてたまらなかった
スターリンは戦艦建造を妨げる者達と生涯戦い続けた
共産党や軍の幹部を粛清しナチス・ドイツを滅ぼした
第二次大戦後になっても時代遅れの戦艦建造の固執していた
スターリン死後ただちにベリヤ達は建造中の戦艦をスクラップにした スターリンはアメリカに移民すれば良かったのだろうな
アメリカならばソ連ほど海軍拡張に反対する者はいなかったはず ネットで真実って言われて発狂してるのかしらんけどスレ違いすぎ
政治厨ってそういうところが気持ち悪いんだよなあ 農奴の話をし始めたアホが悪いのでは?
あの人類史上の壮大な実験で壮大な失敗
ロシア革命マンセーなアホが関係ない話をしまじめてるぞ 間違えて覚えてたスレでポモドーロと間違えるっていうレスがあった
どちらも赤く染まるぞとのこと >>314
あくまで理想に過ぎなかった原始共産主義をリアルでやったポル・ポトを超える猛者はいないよ 有史以降、原始共産制とされる主な例には以下がある。
古代ギリシアのスパルタ - ただし支配階級間。しばしば私有財産制のアテネと対比される。
古代〜中世のゲルマン人 - しばしば私有財産制のローマ帝国と対比される。
近代以降、国家規模で原始共産制を目指したとされる主な体制には以下がある。
毛沢東による文化大革命時代の中華人民共和国
自国民を大量殺戮したポル・ポト派による民主カンプチア ゲルマン、ケルトみてると原始共産「的」だよね
戦士階級と他は別格だが、族長の地位が低いw
なんかわりあい勝手なことをみんな王に言ってるし、話し合いで解決してる。
カエサルが勝手に決めてるのとは違う >>321
しかし、ゲルマンもケルトも、文献資料ほとんど残ってないから、ローマ側の史料か考古学的見地からの
推測しかできないから、その辺はなんともなあ 王や族長の権力が小さいのは原始的社会では普遍的な現象ではないか? >>322
そいつをいっちゃあオシメーよ
焦土作戦を一部でもできたヴェルチンレトリグスが特異 生活は土人そのものだけど北欧神話みたいな高度な物語を残してる >>323
日本も縄文時代まではそうだった
弥生時代から階級が出てきた 縄文時代に戦争はなかったといわれる
弥生時代になって農耕が伝わり、村における指導的立場の者が登場し、余剰生産が出てきて、
それをめぐって争いが起きるようになる >>325
現代に伝わる北欧神話は、13世紀のエッダがその基礎であって
それ以前の神話がどのようなものであったかは、研究がそこまで進んでいない 日本人が土偶を作ったり、狩猟生活している時に
ローマ人は大浴場に入ったり、コロッセオで観戦したり、帝国各地から集められた名産品を食べまくってたわけね >>333
そこで考える余裕もあって哲学者まで出てくる >>336
ええそれらやギリシアエジプト、インドも含めほとんどですよw
地域も一部ですし、さらにその中の一部しかそういう生活をしてない ローマ帝国 漢帝国
人口 5400万人 7100万人
面積 5001km^2 面積 4841km^2(利用可能地のみ)
軍隊 30万人 100万人
現在日本に換算した場合
税収 2746億円 15兆円
GDP 3兆8400億円 75兆円 GDPなんて産業革命以前はたんなる人口統計と変わらん >>338
どっちもフン族(匈奴)にボコられたねw ビザンツは滅ぼしたのがオスマン帝国で、ある意味良かったと思う。
オスマンはその後大帝国になり近隣西洋諸国を圧迫し近代まで続く長期国家となったし
首都も継承しイスラム寺院に改築されたけどハギアソフィア他旧寺院が現在まで保存されている。
やはりローマの後継国は強大な世界帝国だあってほしかったしね。
もしスラブ系の適当な国に滅ぼされてたら強国にもならず寿命も短く旧領土は分裂したまま
コンスタンティノポリスは廃墟になってたのではと思う。 ビザンツはササン朝に降伏すれば最も被害が少なかったのだろうな
イスラム化もトルコ化せずにビザンツ文化自体は存続し続けただろう
ヘラクレイオスがカルタゴに逃げ戻ってしまえば良かったわけだ ビザンツはロシアに継承すればよかったかも
もしかしたら、ソ連は誕生しなかったかも!? >現代に伝わる北欧神話は、13世紀のエッダがその基礎であって
>それ以前の神話がどのようなものであったかは、研究がそこまで進んでいない
ローマの歴史観では極悪非道の野蛮人であるアッティラが、
ゲルマン系の神話では公正で気前のいい王になっちゃってる。 >>344
アケメネス朝がポリスを破壊しまくってたじゃん >>345
ソ連が誕生しなかったら間違いなく北とかいう国も誕生しなかった なんてこったい >>314
失敗して大勢死者だしたのは文化大革命
ソ連は反乱する力をそぐためわかっててやってるのだから余計たちが悪い 退位後のロムルス・アウグストゥルスは概して幸運だった。
退位したときの彼はまだ若く、オドアケルはその命まで奪おうとはしなかった。
息子ロムルス・アウグストゥルスを帝位につけた実の父オレステスはオドアケルに殺されたが、
ロムルス・アウグストゥルス自身とその家族はカンパーニャに送られ、
そこで恩給をもらい余生を過ごしている。
後にオドアケルが敗れたときも、新たに権力者となったテオドリック大王から恩給をもらい続けることができた。
カンパーニャでは何百年も続くことになる修道院を建てるなどの業績を残したが、
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によるイタリア支配権の回復をその目で見ることはなかった。
この永嘉の乱により、洛陽は破壊され何万人もが殺害され、
懐帝は玉璽と共に前趙の都平陽に拉致され、
懐帝の皇后羊氏に至っては劉曜の妻とされた。
懐帝は生かされたものの、劉聡により奴僕の服装をさせられ、
酒宴で酒を注ぐ役をさせられ、杯洗いをさせられ、
劉聡外出の際には日除けの傘の持ち役にされたりという屈辱を与えられ、
人々からは晋皇帝のなれの果てと嘲り笑われて屈辱を嘗めつくした後の313年1月に処刑された。
こうして西晋は事実上滅亡した。
ふむ・・・ このオッサン相変わらずwikipdiaの知識を真に受けて適当なこと書いてるな
懐帝は杯持ちと傘持ちはやってたがこれは当時は中々高位の貴族が行う職務であって実際、公の位に取り立てられており中々の厚遇である
それでも匈奴の臣下となったことは屈辱的なことには違いなく晋の遺臣の中にはそれを不服として嘆くものもいたので
謀反の神輿として担がれるがれる前に始末しただけの話 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています