ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
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701
西からエフタル、突厥、柔然と並んでいて
柔然は突厥の東にいたからどうやって
西へ移動したのかわからない
↓
704
厳密に言うと柔然が滅んだあと
その名を騙った突厥の従属部族で本物ではない >>702
匈奴を「きょうど」ではなく「フンヌ」と読ませると良いのかもね >>667
アレクサンドロス大王の英雄譚も良いけど
個人的には十字軍の方がワクワク感が半端ない
異教徒ぶっ倒して聖地奪還とかこれ以上のロマンはないわ
聖十字架を発見した騎士たちの感動も一入だったろう >>715
少年十字軍の末路が気になる
2万人の子供達が参加して
最後には奴隷として売り飛ばされたそうだが
やっぱりロリショタ性奴隷として売り飛ばされたんだろうか 西欧では王侯貴族といえども所詮はゲルマン蛮族の末裔だから
古代ローマ文明の唯一の生き残りとも言えるカトリック教会が高い権威を持ったんだよ >>399
ユダヤ教
キリスト教
イスラム教
全部崇めてる神は同じ
ただしキリスト教だけ父(唯一神)と子(キリスト)と聖霊の三位一体(3つだけど唯一神)とかよく分からない事を言ってるから
ユダヤ教徒やイスラム教徒から
それは屁理屈じゃね?一神教じゃなくね?って論争の種になっている お前ら少しは京都大学学術出版会から刊行されている傑作『西洋古典学事典』を読め。
よいな。 フランス革命の時、貴族は国外に亡命できた連中以外は皆殺しにされたの? 現在でも貴族は残ってる
けども逆差別を受けてると以前テレビでやってたぞ >>723
逆差別もあろうけど、パリやらにほぼハイクラス専用の店とかも結構あったりして、何や彼やと影響力あるよね
ちなみに王政復古時にウジャウジャ帰国もしてるなフランス貴族 >>715
とかいう坊主の釣りに騙されて
中東の野晒し死体に成り果てぬ ロシア革命の生き残りもちらほら
「赤い伯爵」アレクセイ・トルストイみたいな人もいたし、多少はね? >>2
キリスト教が入って文明が後退して貧しくなったんだから、因果が逆だろ。
イスラム圏の隆盛で、イスラム圏に保持されていた天測や冶金技術の再導入が為され、法王庁の権威失墜。
ルネッサンスと宗教改革が始まり、新旧両派の血を血で洗う抗争〈三十年戦争〉の結果、両社ともくたくたに疲弊し、
もはや宗教の時代ではなくなるとようやく気付いて近代に向けて再開した進歩が急加速、 >>120
ブリソン人・ゲール人・アングロ人各派諸部族入り乱れての抗争時代 >>710
モンゴルの匈奴航空は、英語ではフンヌエアーだぜ・・ ゲルマン人はなかなかローマ化しなかったけど
キリスト教はすんなり受け入れたな サラセンやバイキングが跋扈する時代はローマ一強時代に比べて地中海貿易が衰退したかというと、そうではなさそうだ
この時代からイタリアは多強時代に突入して都市国家が発展してルネサンスにつながっている
モンゴル侵攻とペスト大流行が13世紀で、この時代にベネチアとジェノバは地中海の覇権を巡って衝突をした
基本的には良くも悪くも世界貿易は拡大し続けているのだろう でもイスラム海賊がヒャッハーしてるからローマ時代のほうがいいな
ポンペイウスみたいに海賊一掃してくれないと安心できない 地中海をイスラムに抑えられたのでカール大帝はゲルマニアに活路を求めた
サグセン戦争によりドイツが建国するとそれに影響されてポーランドや
ロシアも建国して東欧が定住化文明化していった
蛮族らが定住化したのでモンゴルが攻めてきても民族大移動は起きなかった
かつてプトレマイオス朝によってエジプトが地中海の穀倉化すると
黒海北岸のボスポロス王国は穀物輸出競争に敗れたので
ギリシャ人による黒海北岸の農業開拓は停滞してしまった >>738
「ヨーロッパ」の領域が800年ぶりに東へ拡大したのはイスラムのお陰か >>740
地中海から締め出されたのでヨーロッパで拡大せざるえなくなった
ギリシャ人の場合はアレクサンドロス大王がオリエントを征服したので
ヨーロッパへ移住する必要がなくなった
アレクサンドロス大王の征服がなければおそらくアナトリアではなく
ウクライナがギリシャ化したかもしれない >>738
フランク王国はフランスの原型なので
シャルルマーニュと呼ぶべきだろう >ヨーロッパへ移住する必要がなくなった
めっちゃ移住しとるが
エジプトや北アフリカへの移住何て紀元7世紀頃にはすでに始まってるからな つうかポスポラス王国も知らんのか
当時の黒海や地中海沿岸でギリシャ人がいないとこなんてないからな >>742
それを考えると、ギリシアはオリエントの一地方、
ローマはヨーロッパの原点という風にいえふな 地中海沿岸はギリシャ人にとって最適だったけど
黒海北岸はギリシャ人にとって寒過ぎたようで
温暖なシリアやエジプトへ大量移民が可能になると
黒海北岸へ入植者は減少するのでポスポラス王国は
過疎化衰退してしまう事になった
さらにポスポラス王国からもより温暖な地へ移住する
ギリシャ人もかなりいた事だろう >>722
>>726
帝政ロシアの身分制度だと、軍の将校と、管理職以上の役人は基本的に全員貴族だから、
貴族を全員処刑・追放したら、行政機構が崩壊する。そもそもレーニンが貴族だし。
(貴族しか軍や役所で出世できないのではなく、平民でも出世すれば貴族に任ぜられる)
フランスも、多くの貴族が処刑されたのは、ジャコバン派が実権を握っていた一時期だけだし、
その時期だって、建前としては反革命とかの罪状で有罪になっていて、
貴族であることを理由に処刑されたわけではなく、革命期にずっとフランスにいたのに生き延びた貴族もたくさんいる。 100人余りの歩兵が魚の鱗のような陣形や盾を持った陣形を組み、土で築いた城の外に木の城を築いていた。
『漢書・陳湯伝』
これひょっとしてパルティアとの戦いに負けたローマ軍の敗残兵かな? >>1
水道橋やパンテオンなんかを作る技術者集団がいても、混乱でバラバラになったり
パトロンがいなくなれば腕を振るう機会もなくなるなぁ。
仕方なく農業か牧畜なんかで糊口をしのいでいる間に、技術も失われてしまう
ゲルマン人「ウホッ?学問?建築?芸術?そんなもんどうでもいいから飯寄越せ!」
教会「神さえ信じていればいいのです。余計な本は燃やしますね。あと邪教の者は処刑です」
こいつらじゃ雇い主にならないからな
たとえば建築技術でも50年くらい誰も使用しなければ継承する者がいなくなり断絶する
考古学の発掘から西ローマ帝国滅亡後から数十年後あたりには生活水準がかなり衰退していたことが証明されている ローマ建築は耐久性に優れ過ぎていたのでメンテナンスフリーで
技術の継承が途絶えてしまったのかも?
ササン朝ペルシャのメソポタミアとイランの建築は
日干し煉瓦なのでこまめに煉瓦を交換しないとすぐに風雨で傷んでしまう >>715
十字軍w確かに楽しいけど
第1回十字軍の前に行われた民衆十字軍なんて
五胡もビックリの虐殺狼藉ヒャッハーな挙句
エレサレムに程遠いトルコ辺りで正規軍と戦闘になって一瞬でほぼ全滅
赤眉賊や黄巾賊もビックリの烏合の衆w シリアあたりからペルシア、中央アジア、華北に至る日干煉瓦建築地帯は
古い建築がなかなか残らない
それに比べてローマやエジプトの石造建築は半永久的に残る シリア アレッポ ダマスカス パルミラ
ペルシア ペルセポリス エスファハーン
中央アジア ブハラ サマルカンド コーカンド ヒヴァ テュルキスタン >>742
ポカイア人の南フランスやドーリス人のシチリアへの入植も知らないんですかヤダー
オリエント地方の入植もアレクサンドロス以前から始まっていてペルシャ軍も歩兵の主力部隊はギリシャ人なんですけどね >>749
レパント地方へのミケーネ人の入植は紀元前13世紀
アナトリアにミレトスが建設されたのは紀元前11世紀
エジプトにナウクラティスが建設されたのは紀元前7世紀
一方クリミア半島への移住が始まったのは紀元前5世紀からで植民地としての開拓はもっとも後発なんだけどね そんな高校世界史教科書でも書いてある事は
お前以外の人もみんな知っているよ馬鹿が クーロス像 紀元前7世紀
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/15/87/45/src_15874503.jpg?1281578589
メンカウラー像 紀元前26世紀
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/88/Menkaura.JPG
ギリシャ人はもともとトゥキディデスが言うように元々は略奪を主とする海賊に過ぎなかった
それが各地に入植するにつれ、特にエジプト人から建築、芸術、学問を学び文明人となっていった
もしアレクサンドロス以前に東方への植民がなければ、ガリアやゲルマンとそう変わらない野蛮人の群れに過ぎず
ミレトス学派やイオニア学派も存在しなかったであろう >>759
知ってたら>>749みたいな間抜けなことはかけないわな
インドへの植民もアケメネス朝時代には始まっており
アレクサンドロス大王もインド遠征の際に当地のギリシャ人移民にあっている >>760
けど瞬時に師匠であるエジプトを越えてるんだよな
例えば日本が中国を越えるのにどれほど長い時間がかかったか考えると驚異的 >>761
要するに規模の違いだな
10万人が移住する事と100万人が移住する事に
違いがないという事ならばあなた言う通りだ NHKの「古代ギリシャ白い文明の真実」はよかった
古代ギリシャは貧しく、多くの若者が各地へ傭兵として離散していく事となった
その結果、帰還した傭兵によって世界中の技術がギリシャへともたらされた >>761
お前が何人かはわからないけど
日本人は喧嘩腰の相手とは議論はしない
お前はお前の同胞と議論しなさい ゲロノイは本当にギリシャ人だったのだろうか?
ギリシャ人だったとすればギリシャ本土からの移民なのか?
ではなくてゲロノイの地こそギリシャ語派の発祥の地で
ギリシャ本土へ移住した者と残留した者に分裂したのか? チンチンが本体というのは言い得て妙よな〜
同じ型のY遺伝子をユーラシアに広めたのは事実なんだし 虐殺レイプやりたい放題
その辺一般のモンゴル人はあんま知らないのでは
たぶんモンゴルの大河ドラマみたいなので美化されてるんだと
ちんちんもどーかと思うがコロコロコミックじゃなあ >>770
金!暴力!セックス!をここまで地で行った男もいないだろう
>>771
アレクサンドロス大王のマケドニア軍も
アケメネス朝を占領した時は略奪・暴行しまくりよ チンギス・ハンに比べたら董卓も石虎もまだ可愛いもんよ >>770
まだ、こんな頭の悪いガセ信じてる奴いるのか
本人の墓も見つかってないどうしてそんなことがわかるんだ
>>771
そんなんどこの戦争でもそうだし
戦国大名も奴隷狩りやレイプは当たり前にやっていたが日本人にとって「英雄」なのは間違いないだろう 信じられますか?これが20世紀の軍隊です
山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。
ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」
朝香進一「初年兵日記」
1938年8月29日
南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。
婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。その残酷さは目をおおわせるものがあった。
梶村止『観測小隊長の日記 大陸を戦う』
11月29日 晴(待機)
思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありゐたり。
猪瀬直樹監修「目撃者が語る日中戦争」P60〜P62
「上陸すると、手当たりしだいにぶっ殺す。銃剣で刺すなんて生やさしいものではなく、棍棒でやるんだな。男も女も、バリッとなぐられ、ブワッと血を噴き出して死ぬんだよ」
みんな殺せという命令が、抗州湾上陸の直後に出された。河野さんは、たしかに命令伝達書を見た。そこには、つぎのようなことが書かれていた。
―共産主義の暴虐を許さず、共匪の跳梁を粉砕するため、農夫、工夫はもとより、女子どもにいたるまで、全員殺戮すべし。
『歩兵第四十三聯隊 U 支那事変編』よりM・S(原文実名)陸軍伍長の手記
徴発といえばなかなか言葉は良いが、人様の品物をだまって持って行くという仕儀だ。内地なれば完全な泥棒行為だ。だが戦場ではこれが自然の習わしになっているらしい。
習わしになっているかも知らないが、誰に教えられるともなしに僕等はその行為を自然にやっている。最も自然に・・・・。
「前田吉彦少尉日誌」
一二月十六日
朝に比べて帰りは街上また大変な人出で無統制に徴発を許した為かそれとも勝手にやっているのかその辺の窓や扉を勝手にやぶって食糧や衣服、 こんなものを両手に抱えている兵隊が多かった。 日本軍に捕らえられた捕虜の死亡率
オーストラリア 35.8%
カナダ 28.2%
イギリス 24.8%
ニュージーランド 30.5%
アメリカ 38.8%
オランダ 22.7%
インドネシア 76.6%
ナチスドイツの連合軍兵士捕虜
捕虜数 235,473人
死亡数 9,348人
死亡率 4% 中国歴代皇帝で粛清をやらなかったのは趙匡胤、光武帝、チンギスハン
この3人しかいないという現実 >>780
チンギスハンが中国の皇帝だったとは初耳 >>781
法天啓運聖武皇帝という立派な漢風の廟号をもつ皇帝ですが何か >>783
漢風の廟号をもつ朝鮮王は全て中国の皇帝ニダ バカ?朝鮮人で漢族の文武百官から帝号を送られた奴なんていないじゃん >>783
チンギスハンがいつ中国を統治したんだよ? チンギスハーンを中国人として扱うのは、
今の中共政権がウイグル、チベット、内モンゴル、満洲を中国の一部にして支配するのに都合がいいからである
元朝は中国→元朝を作ったクビライハーンは中国人→クビライハーンの祖父のチンギスハーンも中国人と無理矢理に解釈する >>780
始皇帝もしなかったと聞いたけど違うん? チンギス・ハーンは中国以外でも大量虐殺をしたから評判が悪い
人口が多い中国だけなら目立たなかった
例えば19世紀の太平天国の乱で3千万人も死者が出たらしいけど
幕末の日本で3千万人も死んだら全滅だ >>2
キリスト教ってローマ帝国時代に広まってんじゃん
皇帝が国教に指定するといわなきゃいけなくなるくらいに広まって影響力つよくなってんじゃん >人口が多い中国だけなら目立たなかった
中国北部の人口が、「5千万人から9百万人に減った」と言われてるんだから、多少は目立っただろ それって三国時代の人口が900万ないのと同じ理屈で
動乱期はみんな豪族の私有民になって戸籍から抜けるので把握人口がそれだけになるって話
大体そんなに減ったのなら中国の郡県や都市のほとんどがなくなったはずだが
現実は一県も減っていない あくまで戸籍上の話だからな
ちなみにローマ帝国崩壊後は教会が戸籍の管理とかやってたらしい
この村には何人いるとかね まぁ、その土地の支配者層だからね…セナトール貴族からの。 >>3
>しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる
中国も漢王朝の滅亡後は三国時代や五胡十六国時代など分裂状態になったけど
ヨーロッパにおける暗黒の中世ほどの大崩壊には至らなかったのはなんでだろう? >>801
漢と唐の滅亡期も文明の大崩壊期じゃないの?人口が激減したようになっている >>803
実際に人口減少以上に人口が今どれだけいるか把握出来なくなるというのが文明の崩壊ではないかと 漢は唐として復活したし、その後の宋や明も相変わらず大帝国。
ローマ帝国は滅亡後、西はゲルマン諸王国が乱立して旧領がブツ切りになって、
東はビザンツ帝国がどんどん縮小して、二度と大帝国として復活しなかったし
(ユスティニアヌスの時ですらローマ帝国の領土には及ばなかったし
カール大帝の時も西ローマ帝国の全領土にも及ばなかった)、
文化・生活水準がようやくローマレベルに戻るのが1000年以上のちのルネサンス。 中国は乱世になっても知識階層は残ったが
中世ヨーロッパは僧侶以外文盲なのよね 西ローマ皇帝の末裔っておらんの?
ロムルス・アウグストゥルスとその子供たちは生かされたようだが
子孫はどうなったのかな?ゴート戦争に巻き込まれて殺されてなきゃいいけど・・・ ロムルス アウグストゥルスの血筋を引く子孫が今もいる >>805
ドイツやロシアが建国して農業が盛んになったから
ヨーロッパの人口は中世の方が古代よりも多い
旧ローマ領外では文化・生活水準は古代よりも向上した >>810
それ、中世農業革命後の話だから
ローマ滅亡から400年以上経ってる ならばその後の宋や明も相変わらず大帝国とか
1000年以上のちのルネサンスとか書くな >>812
お前さん無茶苦茶言ってるの理解する気もないだろう
欧州中世ってくくりはめちゃめちゃ長くて、5世紀後半から15世紀中頃まで、おおよそ1000年あるわけ
中世農業革命は11世紀頃の話で、ローマの滅亡とは繋がりがほとんどない代物なの(一般的な西ローマ帝国滅亡の解釈からは600年も離れてて、それまでローマ時代の人口に全く届いていない)
東アジアの大帝国に関しては、地勢的な面も大きいから評価は避ける(評価は分かれるが、「銃・病原菌・鉄」の論考は読んでおくべき)けども
ローマ滅亡後の方が人口増えたとか、因果関係がなさすぎて失笑しかない >>812
あと、自分に批判的なレスする人間が全部同一人物だと思うなと
別人だ >>813
オレも別人で横から失礼するけど、
てことはつまり、中世の方が(西ローマ帝国滅亡とは関係無いけど)古代よりも人口が多かった、てのは合ってるのね? >>817
中世農業革命後の、ドイツ、フランスにおいては正しい
12世紀後の話だけどな
イタリアにおいては正しくない >>818
イタリアも同時期には全盛期ローマ時代よりちょっと多めくらいに人口戻しとるやろ スペインは後ウマイヤ朝時代にはローマ時代よりも人口が多かったかも 13世紀のフランドル地方の播種率はローマ時代の3倍に及んだ(ヨーロッパ全体とは言ってない) >>820
ローマ時代における奴隷まで含めた人口に並んでたかどうか微妙
ローマ時代のイタリアにおける奴隷の人口は、なかなか通説的なの見つかんないんだけどさ >>824
それってさ、古代ローマの人口を過大評価しちゃってる可能性もある、ってことにならない?
まあ厳密に人口統計がとれる時代の話じゃないから難しいのは分かるけど 中世ヨーロッパの人口と古代ローマ帝国の人口比べて前者の人口の方が多いというのはごく当然の話だと同時に無意味な比較だと思うんだが… ローマ帝国=ヨーロッパではないからな
中世のオリエントや北アフリカと比較しないと >>825
勿論そうだよ
ただ、今の人口推計的には古代には奴隷集積地だったイタリアは、中世後期までローマ盛期には及ばなかった「らしい」って話
>>826
人口、とくに地域別の人口については、線形に増えていくのは自明でないで、当然ではない
近代以降の人口爆発期と同じに考えてはいけない カール大帝「ワイが西ローマ皇帝やで」
早雲「ワイが北条やで」 西ローマ皇帝を名乗るならあとイスパニアやブリタニア、マウレタニア、アフリカ
も回復せんとな 地中海沿岸については、無秩序な農地開発による傾斜地の表土流出と、
それに伴う海岸の沼地化によるマラリアの蔓延が大きいという農学者の説もあるね。
もともとあまり穀物生産に適していなかった地中海北岸は、ローマの経済的繁栄にともない
リカード的な地域分業が推し進められ、傾斜地を利用した商業作物生産が主力となった。
この状態で今度は経済が衰退すると、農地の管理が行き届かなくなり、斜面は表土流出して荒廃する。
自給自足に戻ろうにも、ボロボロの岩山と化したイタリア半島の斜面では麦もまともに作付できない。
肥沃な表土は低地に流れ去り、港湾を埋めて沼地と化した。でも夏に雨が降らないから(アルプス山麓のロンバルディア以外では)
東アジアのような稲作もできない。放置された沼地では蚊が大繁殖してマラリアの温床になった。 カール大帝の頃まで西ローマが存続できてればなぁ
ローマの元老院によって正式な西ローマ皇帝を名乗れただろう
もし東ローマが邪魔してもカール大帝なら跳ね除けられる可能性高い 東ローマのユスティニアヌス帝がニカの乱で廃位になって
東ゴート王国が滅びなければローマの元老院も存続したはずだけど
フランクは東西ゴート王国に挟み撃ちにされそうだな
フランクはゴートによって地中海から排除されそうだから
北方で勢力拡大を強いられて史実と同じくザクセン戦争はありそう 東京23区 920万人
横浜 370万人
大阪 270万人
名古屋 230万人
札幌 190万人
神戸 150万人
福岡 150万人
川崎 150万人
京都 140万人
広島 120万人
さいたま 120万人
仙台 110万人 >>832
ヴァンダルに北アフリカの穀倉地帯を奪われたのが致命傷
そしてフン族との決戦で最後の力を使い果たした 東ローマのユスティニアヌス1世がニカの乱で廃位になったのならば
おそらく東ゴート王国が代わりにヴァンダル王国を滅ぼしたかも
ヴァンダル王国は東西からゴート族らに挟み撃ちされそうだな
フランクも東西から挟み撃ちにされてラングドックを奪回されそう 西ローマ・西ゴート連合軍 VS フン族
と言われるが、この時期の西ローマ軍はゲルマン傭兵だらけだから
実質的にはゲルマン軍なのよね >>1
日本の田舎でも近い将来こうなりそう
インフラが老朽化しても財政難で維持できなくなりそうだし ならねーよバカキッズ
インフラが縮小するのとインフラ技術者がまったくいなくなるのとではわけがちがう >>838
フン族側もゲピド族と東ゴート族が主力だった
カタラウヌムではゴート族どうしが戦った ウァレリアヌス帝の頃からローマ軍はゲルマン系ローマ人が主力だが
プラエトリアニに至っては創設当初からゲルマン系主体 >>843
> プラエトリアニに至っては創設当初からゲルマン系主体
Numerus Batavorumと混同してないか 親衛隊はセウェルス帝による総入れ替えまで大半が本土イタリア系だったはずだよ
ゲルマン系なのは皇帝の戦地警護を担ったバタウィ護衛隊 ウァレリアヌス帝の頃にはローマ軍はイリュリア系ローマ人が主力なのでは?
ウァレリアヌス帝の息子ガッリエヌスはイリュリア人将軍らに帝位を奪われた
ウァレリアヌス帝親子はエトルリア出身の名門だけど息子の暗殺後からは
イリュリア人とかバルカンの騎兵出身者らが帝位をほぼ独占するようになった 代名詞を使わない特徴的な文体の人いるけどアスぺか?
健常者にも分り易いようレスになるように推敲してやるよ
ウァレリアヌス帝の頃にはローマ軍はイリュリア系ローマ人が主力なのでは?
その息子ガッリエヌスもエトルリア出身だけどイリュリア人将軍らに暗殺され帝位を奪われた後は
バルカンの騎兵出身者らが帝位をほぼ独占するようになった >>840
廃墟化した鉱山都市工業都市とか既にあるわけだけど
それとヨーロッパで起きたことは同じとは言えないような
ちゃんと教育を受けて文明の利便の維持できるとこに人が移動してるわけで ちゃんと教育を受けて文明の利便の維持できるとこ=東ローマ帝国領 シルクロードの終端にして交易貿易の中心地を持ち豊かなシリアエジプトアフリカを保有した東ローマでないと維持出来ないレベルの金食い虫なんだよなぁ その東ローマでさえイスラムやら十字軍やらで途中から維持しきれなくなってくる
これだから中世は… 全盛期ローマとイスラムとモンゴルで三國志とか見てみたい 野蛮でもガリア人やゲルマン人はローマが衰退しなきゃ手も足も出なかった
それまでは勝てないから逃げ回ってた ローマの奴隷も侵略者であるゲルマンの軍に加わったようだ アーサー王伝説の元ネタがイアジェゲス族の言い伝えってマジかいな アレはいろんな伝承が混じってるので元ネタなるモノは複数有る >>856
ブリタニアに駐留したサルマタイ将兵のブリタニアでの伝説ではなくて
ブリタニアの来る以前からサルマタイに代々伝わっていた伝説という事かな? >>373
ネストリウス派なんて中国やモンゴルにまで伝わってる 右はセムハムの平均顔だろうけど
たぶんそこそこ金持ち(ニートが長男でも大丈夫)な中産階級なんで左みたいな細面でも不思議ではない
色は右だろうけどw 右はイギリスの労働者階級とかに多いケルト顔みたい
右みたいな顔した俳優は洋画によく登場しているよね ガロ・ローマ人は政治的にフランク族化
フランク族は文化的にローマ化
そしてフランスになっていくのね イタリアはゴート戦争で廃墟に・・・
そして神聖ローマ軍によるローマ劫略の結果、ルネサンスは終焉 フン族以降、アヴァール、ブルガール、ハザールと遊牧国家が興隆している面を見れば一概には暗黒とは言えない。 ローマ帝国末期もこんな感じだったのだろうか
侵入してくる東西ゴート、スエヴィ、フランク、アングロ・サクソン、ヴァンダル・・・
そしてフン(ウンコじゃないよ) >>862
現実といっても想像だろ
もう少し人を惹きつける顔だったかもしれないだろ
麻原みたいに 中東のセムハム系だから実際はこんな感じだよな
いつの間にか西洋の絵画では金髪碧眼になってるけど 日本人が考えるアラブ人ってベドウィンだろうけど
シリアとかヨルダンあたりはぱっと見、ヨーロッパ系と見分けつかないよラニア女王とか
日本人が釣り目、出っ歯、頬骨が出てる並みの偏見だと思う ロシアとオスマンの正教イスラム教徒大交換会でやってきたロシア在住のムスリムの大量入植してなかったっけ?
あそこら辺はビザンツ支配時代にも特に詳しくないけど混血してそうなイメージがあるし、キリストの時代と今の時代の現地人は別物だと思う >>876
目は細い帆とが多いし、今から60年前は栄養状態の悪さから唇が薄く
出っ歯に見えたな
ただ頬骨は偏見ナシで韓国かと
いまでも半島の民は頬骨が出てる 当時は朝鮮も日本の一部だったので妥当な評価ニダ
ホルホルホル >>878
仏像は真逆だろ
自分たちに寄せてるわけじゃないからな フン族を破壊者というが、アッティラほど積極的に技術者を雇い学者を召し抱えた王は同時代には居なかったと思う。
ギリシャ人だろうがペルシャ人だろうが、ローマ人だろうが、民族宗教にはこだわらずに有能であれば取り立てたから、
アッティラ軍の攻城能力も格段に増強された。 クレオパトラはオリエント風のエキゾチックな美女として描かれるが
実際の彼女はギリシャ系なのよね 10年ぐらいまえにやってたNHKの番組で
ブリタニアに駐屯してたローマ兵が現地人と家族をつくるために軍団から
脱走することが相次いだらしく、
それを記す記録が写ってたけど、
現代英語で脱走兵を表すdeserterというのと一字ぐらいしか違わない
単語がまんま書いてあったので、西洋すごいと思った。 まあ現代でも文明崩壊が起きて
メーカーとかの技術者を全員あぼーんして、工場も発電所も全部アボーンすれば
生活レベルは一気に南北朝以前まで戻りそう
江戸には江戸なりにノウハウやテクノロジー、あと環境整備があったけど
今の世代はその知見を完全に失伝している
電気が禁止されたらどこまで戻るか見当もつかない・・・ >>3
素人の妄想
帝政ローマの船舶を使った交易わ2世紀後半から衰退して
地産地消が進み地方毎の纏まりと分裂が進んで行く、ガリア帝国とか キリスト教は単に世界化したローマに必要とされた
脱民族の宗教だっただけで
キリスト教の思想が文明を衰退させたとかはあり得ないね
このスレに「流通の崩壊」の話をしてる奴がいるけど
それが主点だろ。
まぁ「流通が崩壊しても平気なように」「大規模奴隷農業」ではなく「自立した市民の農民の小規模農業」なら大丈夫だっとか
土地改革の話にしたり、気候変動の話にもできるだろうけどな
俺はキリスト教はまさに文明保存の図書の保管庫の役割を果たしたと思ってるけどね。
>>1にもあるけど「神父以外」ということは「神父」や教会だけは必死に文書を守ってたわけだ。
イベリア半島でイスラムから大量の文書を手に入れた時も
翻訳作業でプラトンやアリストテレスを西欧社会に広めたのは教会だからね >>494
徳川コインこと大判小判見つけた位にはなるんじゃないの? ローマ時代は風呂が盛んだったからね
でも中世になるとキリスト教の影響で風呂文化が廃れて不潔になった >>889
ならなんで4世紀のそう豊かではないブリタニアの農村からですら遠く離れた南欧産の食器が見つかっているんですか?
オスティア港は2世紀が最盛期なんですけど
地産地消だったのは同時代の漢だろ
例えば春秋時代から中原では鉄製農具が普及していたのに対して集安の玄菟郡時代の県城あとからは後漢代に入ってもなお石器が見つかっている
なんで同じ国でも文明レベルがちぐはぐだったのかというと漢では国内交易すらほとんど行われていなかったから >>886
それはよく言及されるお話しだね
ファラオとしての仕事してる時は流石にエジプトの伝統的装束だったそうだけど、普段はギリシャ風の
服装してたみたいだしな >>892
実際の中世の風呂文化は隆盛と衰退の激しいアップダウンで、一概には言えないが
疫病のせいで衰退したりもしてるので多分認識が逆やで?
キリスト教が風呂文化を規制したのは即ち都市の風呂屋が売春の温床だったから
疫病の温床でもあった訳や >>881
ドクトルジバゴのオリジナル版でアラブ人俳優がロシア人医師を演じてるのだが
多分言われてみないと気付かないと思う 都市が発達して人数が多くなるまでは風呂屋が中世にもあったからな
人が集まり処理しきれなくなって衰退してしまったけど 白人つってもイタリアやスペインなどの南欧は色黒多い >>890
いや。キリスト教の思想がどうのこうのというよりは教会の問題だな
カトリックは教育にアリストテレス哲学を教会で公認とした。
そしてそれに質問することも、疑うことも、改善することも異端とした。
これは事実なので科学史としては停滞を招いたのは事実
これが変革するのはガリレオガリレイが新科学対話を著すまでかかってる
三民制だから神父と騎士と農民以外の職人は神の加護がないとされてるしな
だから職人は職人に口伝で伝えるために神学との差が大きい 中世ヨーロッパなんて僧侶以外文盲
勿論、王侯貴族もな
かの有名なカール大帝でさえ文盲だった
ローマ時代なら庶民ですら文字読めたのに・・・ >>899
そりゃあもとは白人に支配された地中海の土着民だから
白人の血がわずかに混ざっている程度の自称白人なのよねえ でも数カ国語も出来た。
現代日本人のほとんどは日本語しかできない。 >>901
中世でも、初期、中期、盛期、末期で全く違う
中期以降は商人と都市貴族が、盛期以降は中流以上の貴族は文章書けるようになっている
初期は酷いもんだが >>902
……お、おう?
西欧史勉強したことあるか? ロムルスの時代に庶民と貴族の差もなかろうし、多分全員文字もかけない
十二表法時代には少なくとも庶民か庶民に取り次ぐものに文字が読めた間接証拠では有る >>903
中国人や韓国人より明らかに外国語会話能力は劣るよなぁ・・・ >>893
集安は知らないが、ローマ時代のイギリスの農村で石器が使われてなかったわけではない
あと、帝政時代の西方の交易は、軍団駐屯地中心になされていたから、
ブリタニアで南欧の商品が登場するのはおかしくない
集安と比較するなら、マウレタニアとかガリシア地方じゃないとだめなんじゃ
>漢では国内交易すらほとんど行われていなかったから
古代中国で遠隔地交易が盛んだたのは春秋から前漢の頃で、
後漢時代はすでに衰退していたから、集安の遺物もこの趨勢の反映かも知れない
いづれにせよ、「漢では国内交易すらほとんど行われていなかったから」というのはデタラメ >>908
中国人も韓国人も一般人は母国語しか話せないよ 十二表法の時代って、いわゆる庶民=プレブスの認識で良かったっけ?
ともかく、あれは慣習法の成文化という象徴的な意味合いの方が強くて、
識字率の高低とはあんまり関係ない気もするけど… >>909
>ローマ時代のイギリスの農村で石器が使われてなかったわけではない
ソースは?
>あと、帝政時代の西方の交易は、軍団駐屯地中心になされていたから、
>ブリタニアで南欧の商品が登場するのはおかしくない
それ全然反論になってないけど
2世紀に交易が衰退したのなら、なんで辺境のブリタニアで見つかった陶器のほとんどが南欧制なんですか?
日常生活品を他の属州の交易に全面的に依存してるってことだよね >>911
一応アレは知識階級の横暴を防ぐための成文化なんで >>909
南仏に交易に影響を与えるレベルの大規模な軍団基地なんてないだろ
ローマを矮小化しようとしすぎて歴史を直視できてなさすぎ 中国史ファンって何でも中国が絶対的至高じゃないと気が済まないからすぐ他文化の矮小化に走る
古代の中国人に頼まれた訳でもないのに気持ち悪いんだよ 教会こそがローマ文化の保持者で、
カトリックかギリシア系正教に改宗することが
ヨーロッパ人化=ローマ化する唯一の手段 >>912
>ソースは?
現地の博物館で遺物を見たから
https://finds.org.uk/database/images/index/institution/BH/objecttype/MINIATURE+OBJECT
こういうやつ
しかし、今調べてみると、少なくとも石斧は奉納用で、実用ではなかったようだ
この点訂正する
>陶器のほとんどが南欧制
>日常生活品を他の属州の交易に全面的に依存してる
今一応ざっとブライアン・ウォード=パーキンズの『ローマ帝国の崩壊』を確認したが、
陶器のほとんどが南欧製とは書いている部分を見つけることができないのだが、
そういう記載のあるところを教えてくれないか?
彼はp145図5-3やp270の図2で、ブリテン島生産の製品がブリテン島内の交易を通じて
ブリテン島内で利用されている図がある
彼が書いていることは、帝国各地で分業がすすみモノカルチャーになった、
と書いているわけではなく、広域貿易もローカル貿易も両方あったが、
5世紀以降どちらも衰退した、という話だと思うのだが
あと勘違いしているようで申し訳ないが、俺は>>889ではない。横レスだとはっきり書かなかったのは申し訳ないが >>914
>南仏に交易に影響を与えるレベルの大規模な軍団基地
南仏にあるのはグローフザンクの陶器で、それが西方属州に広く見られる話
4世紀に軍団基地を中心とする広域経済に重心が移行したと考えられる
理由のひとつは、例えば4世紀の帝國西部の貨幣鋳造所が軍団駐屯地近辺に作られていること
など。 >>889の以下の文言は、
>帝政ローマの船舶を使った交易わ2世紀後半から衰退
恐らくこれがソースだと思われる
https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Roman_economy&oldid=599303265#/media/File:Mediterranean_shipwrecks.jpg >>918
4世紀だけ切り取って帝政ローマすべてを語るのは無理があるというかめちゃくちゃだろ >>920
>>893が4世紀の話をしているから、4世紀の西方経済についてレスしているのだが・・・ >>921
じゃあ帝政末期とかけよ
なんの言い訳にもならんわそんなん >>922
>じゃあ帝政末期とかけよ
恐らく、君みたいな早合点するタイプは、帝政末期と書いたところで、
>帝政末期だけ切り取って帝政ローマすべてを語るのは無理があるというかめちゃくちゃだろ
とレスしてくるのではないかな? >>893
>集安の玄菟郡時代の県城あとからは後漢代に入ってもなお石器が
いまさらだが、このソースを教えてくれないだろうか
手持ちの集安遺跡の資料を見たが、漢代の遺跡についての記載がまったくなく、
ネットをあさってみたがまったく見つからない。探し方が甘いのかも知れない
漢代の遺跡や遺物の書かれている資料があれば貴重なようなので知りたいと思う >>924
中央公論社から出ている「高句麗の歴史と遺跡 」に記載がある
集安の下古城子土城これは初期の高句麗城郭という主張するものもいるのだが
遺構が漢代に遡ること、土城であるということから考えて高句麗人が玄菟郡の県城を奪取したものとする説が有力
で、この漢代の移行からは当時の石制の武器が見つかっている >>926
ありがとう!大学図書館にあることがわかったから読んでみる(来期になってからの話だけど) ローマ時代のブリタニアで日常的にイベリアで作られたアンフォラがブリタニア時代のイングランド各地から
見つかっているという英語論文があったのだが今探してみたがすまんが見つからんかった
代わりに傍証となるサイトを張っておく
https://www.supeinnooriibuoiru.com/mei-ri-nooiru/romadi-guo-noshi-shi-wozhi-etasupeinnooributian
>「西ローマ帝国全土に最も多く存在していた、もしくは最も典型的だったアンフォラはバエティカのオイルが入ったものでした。ベルギー、ゲルマニア、スイスを含むガリア、全ブリタンニアでアンフォラが出土しています。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012400030/?P=4
>イベリア半島にあった工場の大半は、アンダルシア地方の海岸から、ポルトガルのタホ川河口にかけて点在していた。
>これらの街から出荷されたガルム入りのアンフォラは、ローマ帝国全土で見つかっている。アンフォラが発見された場所をたどれば、
>ローマ帝国各地の消費者にガルムを届けていた、陸と海にかけて広がる広範なネットワークが見えてくる。
> 当然ながら、イタリアには大量のガルムが供給されており、ローマのテスタッチョの丘では数多くのアンフォラが見つかっている。
>テスタッチョの丘とは、食品用陶器の破片ばかりが30メートルを超える高さまで積み重なっている場所だ。
>ガルムはまた、陸路で西ヨーロッパを越え、遠くイングランド北部の山岳部にあるハドリアヌスの長城まで到達している。
>文明世界の最北端にあたるこの寒い土地でも、兵士や市民は地中海の日光に照らされて発酵した魚醤の風味を楽しむことができたわけだ。 >>929
わざわざありがとう。しかしモンテテスタッチョは、3世紀後半に衰退している
その記事にも250年間、と書いてあるよね
陶器のグローフザンクの衰退年限を詳細に書いている資料を見つけることができないでいるのだが、
パーキンズは、20年−120年と書いているね(p151)
またブリテン島のグローフザンクも1世紀がピークだとある
http://potsherd.net/atlas/Ware/SGTS
断定するわけではないので、誤解しないで欲しいが、パーキンズが掲載している3−4世紀のブリテン島生産の
陶器の図とあわせると、
・南欧のグローフザンクは確かにブリテン島で利用されていたが、2世紀後半には衰退した
・代わって3−4世紀にはブリテン島内部で生産された陶器が利用されるようになった
となり、4世紀には地産池消に移行した、という見方もできてしまう。
パーキンズは、5世紀に急激に衰退した、と書いているが、その直前のブリタニア
経済が地産池消か遠隔交易かについては確認した限りでは触れていないようだ 自己レス
>>930
はブリタニアのであり、帝政ローマ全てについて述べているわけではないので念のため >>910
ビッグバンや東方神起のような韓流アイドルたちのマルチリンガルっぷりはマジ凄いわ 五井直弘の「漢代の豪族社会と国家」によると漢代に入っても、半地下式の家つまり竪穴式住居の跡が見つかっている
しかも洛陽の郊外から
その、一方で豪農層は「台榭高楼」とよばれる楼閣建築の豪邸に暮らしていたとか
城壁の内と外、豪農と貧農とでは相当な格差があったらしい >>933
確かにその通りだが、五井直弘の「漢代の豪族社会と国家」の記載で若干補足させてもらうと、
半地下式の小農民の住宅は、前漢のものは木造だが、後漢のものは土台も壁も焼きレンガとなっている。
竪穴式住居というと縄文弥生時代のような住宅を想像してしまうが、少ないながらも
瓦も出土していている。
もうひとつ、台榭高楼の明器が多数出土しているのは現在のところほぼ河南省だけで、
他の地域の明器は半地下ではない普通の邸宅か二、三階建ての大型建築となっている。
遼陽の三道濠遺跡の小農邸宅は半地下ではなく、普通の邸宅となっている。
断定するものではないが、中原の方が貧富の差が激しく、高楼がある一方で小農の住居は貧相、
逆に、周辺地域の方は中央に比べると貧富の差は(あくまで比較の上で)小さく、高楼と呼べる
ほどのものがない代わりに小農の邸宅も、平均的にはましな造りだった可能性がある 日本なんて平安時代でも庶民は竪穴式住居よ
源氏物語に出てくるような優雅で風流な暮らしをしてたのは貴族だけよ
この辺は中世ヨーロッパとも似てるかな
ローマ帝国や江戸時代は庶民もそこそこ豊かだけど 明治時代は賞賛されるけど、庶民は重税に苦しんでたのよね
納税が江戸時代までの米納から金納に変わって不作だろうが一定額を払わないといけなくなったから >>935
>日本なんて平安時代でも庶民は竪穴式住居よ
俺も中学の授業で教わったが、本当なのだろうか
日本で瓦ぶきの屋根が農家で広まったのはいつごろなんだろ
瓦であれば立派だというわけではないと思うが。
白川郷など藁葺きでも堅牢だし。板葺き屋根に石が載せてあるのは貧相だと思うが >>1
ローマ法による市民としての一個人が個人として尊重される法治国家 → 神判や決闘による裁判が横行 中世って暗黒時代と思われがちだけど、中世の時代に基本的人権の考え生まれてるから必要な時代だったんだぞ
民主主義政治の欠陥は古代ローマでも明らかになってたし
「少数意見にも耳を傾ける」「異なる意見でも同じ人間として認める」
って中世を経ないと実現しなかった 言論の自由やどの人間も普遍的に権利を持っているという発想自体は
ローマ時代にもあったし古代バビロニアやペルシャ、中国にも見られる思想で取り立てて言うほどの事ではない 中世がなきゃ封建時代がなく地方自治もないんじゃないか
欧州と日本だけに騎士道や武士道があったわけで
他の国が文明国になれないのは封建制が不完全だったのでは? >>941
まあ、哲学史においては、「最初に言論の自由を唱えた人」といったら、「スピノザ」というのが定番だけどね。
17世紀オランダの人。
思想内容が「無神論だ」といって迫害されたため、隠遁しながら言論の自由を唱えた。 >>943
権力が分散してバラバラなのに、一定の秩序ができているというのが、民主主義・資本主義の社会の特徴。
欧州や日本の中世社会が、その揺籃となったのは不思議でない。 >>935
> ローマ帝国や江戸時代は庶民もそこそこ豊かだけど
ローマの庶民というのは市民のことだと思うが、
下に遙かに多い奴隷や属国民がいた
市民は特権階級だから豊かであたりまえ=平安時代の貴族に相当 市民だから豊かというわけではないし属州民奴隷だから貧しいというわけではない
そもそも平安貴族(五位以上)は100人もいない元老院議員以上の超特権階級なのだから比べること自体が大間違い 市民って確か最盛期500万人〜1000万人だっけ? アテネの市民も奴隷を持てたのは上流市民だけで
下流市民は奴隷よりも惨めな生活を送っていた
「アテナイ人の国制」
奴隷は――あるいは寄留民とか解放奴隷(apeleutheros)とかは――、自由民によって打擲さるべしという法習がもしあったとしたら、
アテナイ人を奴隷だと思って殴ることしばしばであったことだろう。というのは、当地では、民衆は奴隷たちや寄留民たちよりもより善いものは何も身にまとっていないばかりか、姿形も何らより善くないからである。 A.D. 47の統計だと6,944,000
これは女や子供も含む ローマ市では市民でも家賃払えずに追い出されて一家で路頭に迷うケースも珍しくなかったという まっとうな「市民」は奴隷を所有しているものだけどな ローマ市民全員に奴隷がいきわたるには数億単位の人口が必要なのでそれは無理 奴隷の割合は人口の15パーセントくらいらしいから奴隷を持たないのが普通でしょ
市民は法律的な特権があるけど経済的豊かさに直結するものじゃないから別に貴族ではない そういう奴隷をもたない無産市民が増えたのでマリウスの改革とかができてたわけで
本来市民兵は奴隷かそれに類する農奴みたいのを抱えてる小農場主 ローマ帝国滅亡期から中世のスレだとゆーのになのになぜか
共和制期のローマ前提で語る奴がわくのな >>938
>>958
きみアスペっぽいよね
リアルだと興味ある話題には饒舌だけど、それ以外の事には寸分の関心も示さないし聞いてないタイプだろ 唐突に何の脈絡もなくバルカンの騎兵がどうとか話し始める奴が
本スレのほうにいるけどあれもアスペだろうな >>962
>中国の話を出すチンカス
↓こいつのことね
>>893
>地産地消だったのは同時代の漢だろ
>>933
>五井直弘の「漢代の豪族社会と国家」によると レス内容が面白ければどうでもいい
ボケ老人みたいに延々と同じ話しか出来ないバカアスペのほうがよっぽどゴミ スレタイにそったレスしかしていけない何てルールないんだが
アスパはキャパ低すぎて雑談できないんだからTwitterにでも行け 面白けりゃいいってのは共感するけどいくらなんでもスレチ推奨はねえわ
ここ雑談板じゃなく専門板ってことは忘れるなよ
雑談したけりゃなんJやVIPにでも行け 文明水準の話してるんだから比較対象として別の時代や国の例が出てくるのは当然なんだが
その程度も許容できないほどアスペが酷いならブログやTwitterで勝手に一人で知識ひけらかしてればいい ようはアレだな
アスペアスペと吼えている奴は、帝政ローマ時代の奴隷の話について来れなくて
共和制時代の奴隷の話に固執したのを指摘され、面子がつぶれて罵倒モードに入った、と
そういうことはな話を戻してやろう
>>957
>そういう奴隷をもたない無産市民
無産市民の定義が間違っているよ こういう陰謀論ぶち始める奴も何かの障害なのか
よっぽど興奮してるのかアンカー打ち間違えてるし スレの趣旨や話の流れに沿わずに
比較対象だとかこつけて他所の話を続けるほうが
よっぽど「勝手に一人で知識のひけらかして」る状態だと思う >アンカー打ち間違えてるし
失礼、メシ食いながらうってたもんでね
>>957
>そういう奴隷をもたない無産市民
無産市民の定義が間違っているよ 帝国滅亡後の中世スレなのに帝政ローマ時代の奴隷がどうとか語ってるお前も十分スレ違いだけどな
単純に自分の興味のない話できないだけだろお前 ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へって変化の主題を
帝国時代を語らずにどうやって展開するんですかねえ スレ違いでもそれでみんな盛り上がってるのならそれでいいよもう
話の流れ断ち切ってまでスレ違い連呼する人最近よく見かけるけど同じ人かな?
過疎スレ以外は昔からこんなもんだよ ローマ帝国滅亡ネタなのにローマ帝国ネタがスレ違いとか暴論過ぎて笑う >>973
>帝国滅亡後の中世スレ
>>1をよく読んでくれよ
滅亡後ではなく、滅亡前の帝国最盛期と滅亡後の比較の話
まさか「人類史上最も幸福な時代」の出典も知らずに参加しているわけではあるまい 暗黒の中世には奴隷制はとっくに崩壊してコロヌス制に移り変わってるんだから充分スレ違いだけどな 昨年からスレタイとはあんまり関係ない話題で育ってきたスレだったのに
自治厨のせいで滅茶苦茶だよ 俺は「スレ盛り上がりのためなら多少のスレチもいい」と思う派ではあるけど
こうもアスペアスペと他者を罵る人には共感できない そういえば
このスレ300〜400番台で
西晋の懐帝の処遇は悪くなかったって必死に喚き
>>435で返り討ちにあって
「ヽ(`Д´)ノもう来ねえよ!プンプン」と退散した輩もアスペ野郎だろ。 >>978
20世紀中盤頃までの学説はその通りだが、ラティフンディウムは
プリニウスやタキトゥスなど主にイタリア半島とその近辺に言及した史料が根拠で
コロヌス制はローマ法大全やエジプトのパピルス文書に主に依存した学説
これら地域も性質も違う史料を継ぎ接ぎして奴隷制→コロヌス制→農奴制という図式が成立したもの
現在はこの説は修正されてきていて、上の三段階発展図式が必ずしも当てはまらないと
考えられるようになってきた。各地域毎の状態とその変遷を明らかにする方向に進んでいる
パーキンズの本もこの文脈で登場してきていて、近年の日本で盛んに帝政末期の本が出版されているのも
そういう流れ。だからこそ最近のこの辺の議論は面白いわけだが
とりあえず、6月に出版される南川高志編『378年 失われた古代帝国の秩序』をみんな買って読もう! 昨年のレスまで遡って粘着してる奴いるけどどんだけ根に持ってるんだよ
建設な方向に持っていけない奴らは来なくていいよ >>972
「本来の市民」といってるのに噛付いたやつがいるので全然スレチではない
そして無産市民は土地を持たないのでそういう意味での農業用の奴隷をもたないんだよ
「本来想定した市民」の話なんで全く間違っていません 無産市民って奴隷も土地もないのにどうやって生活してたの?
市民のどれくらいの割合いたの? 中国史ファンってアスペというか発達障害率が本当に高そう アスペというタームに異常な反応を示すのは本人がそうからなんだろうな >>987
そうだろうね。
昨年のレスとか言っているけど
まだ3か月も経ったいないからね。
正体丸わかりwww >>985
>>935から開始された奴隷の議論は帝国最盛期の「実情」の話
大カトーが描いたような「本来想定した市民」という共和制時代の回顧思想の話などしていない。
ここでは>>1の最初から、「帝国最盛期と中世の実際はどうだったの?」という話をしているのであって、
「本来の想定」の話をする文脈にもないのに、その話をしたがっていることこそ文脈の読めない「知識のひけらかし」だろう 自分で自分にレスしてるバカってバレないとでも思ってるのかな >>992
>>984クン乙。
>>982と>>987と>>990は同一人物による(・∀・)ジサクジエーンということにしておきたいんですね。
わかりますww >>984をいじったら面白くなることがわかった
次スレでも試してやろう >>986
>無産市民って奴隷も土地もないのにどうやって生活してたの?
小作人、その日暮らしの日雇い、その日暮らしのレベルの職持ち労働者(末端の商売人や雇われ職人含む) >>993
悪いけど、俺も
> >>982と>>987と>>990は同一人物
だと推測しているよ。あと>>994もね
このところ罵り続けているだけでまともな議論をしない奴を不快に思っている人が
俺以外にもいることがわかったがね。
>次スレでも試してやろう
こちらも試してやろう。 そういうのは構うと余計にムキになってへばりつくのでスルー推奨 >>997
ハズレだよ馬鹿wおれは987と994だけだしw ガイジが発狂していたスレでした
めでたしめでたしwwwwwwwww このスレッドは1000を超えました。
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