建武の親政の時に、武家政権を倒した禁中は、踊り念仏と陀茶尼の修法(立川流)を流行らせました。
そして、陀茶尼の修法は、邪教として忌み嫌われた。

明治維新の前にも、ええじゃないか騒動で、踊り念仏が流行ってる。

つまり、天皇家の禁術がこの二つなのではないかと推測しているのです。