信長の一人称は鷲であった。
室町幕府で鷹が人気だったからである。鷹より強い鷲を使っていた。
信長は洒落とか動物占いとか大好き。
だから、男のも女にも人気があった。

日本刀より強いと考えた薙刀を自分を護衛する女人兵にもたせて、自分の側に仕えさせていた。
原題豆知識だが、薙刀に日本刀で勝つには、小手を武器に応用することである。
つまり、薙刀の柄を日本刀で斬ってしまえば、簡単に薙刀に勝てるが、戦国時代にそれに気づいた武士はいなかった。

秀吉は、信長をことを信長様と呼び、他のものをほとんど彼奴と呼んでおった。

家康は、最高機密に書き記したものこそ、「もののふがとれ」であったが、「男心をつかむ」ものを大事にするように生きてきたため、
江戸幕府は平和をもたらした。

そもそも、内裏の警備員であったサムライは、本気を出せば簡単に公家に勝てるし、内裏に出入りするサムライも多かった。

ちょんまげは、まげを結うことは自分ではできないため、お付きのものがまげを結うのが下手なため始まった髪型である。

内裏に勝てると考える公家など一人もおらんが、武士にはたくさんいた。