<ネット世代の雑評論 Wikipedia探訪「大和」「倭」.htm>
大和とは本来の意味は奈良盆地の東南地域の事を指す。
もっと言えば三輪山麓一帯の事らしい。ヤマト、諸説あるが山のふもとだとかそういう意味らしい。

< ヤマト = 山のふもと >

<地名篇(その五).htm>
「やまと」は、マオリ語の

  「イア・マト」、IA-MATO(ia=indeed;mato=deep swamp)、「実に・深い湿地がある地域(大和国)」

の転訛と解します。

 かつて大和国の中心部、奈良盆地にはその中央に大きな湖がありました。
このことは、縄文時代以降の遺跡の分布や古墳群の所在状況などからも明らかです。
ただし、その湖がいつごろから縮小しはじめ、いつごろ完全に乾陸化したのかは定かではありません。
おそらく神武天皇が大和へ入ってきた縄文時代の末期または弥生時代の初期には
いまだに大きな湖が存在し、その周辺に先住の部族がたむろしていたものと思われます。

 「やまと」とは、この乾陸化以前の「大きな、深い湿地」が存在するというこの地域の最大の地形的特徴を表現した地名です。

<【Ocean Newsletter】橘の由来 |海洋政策研究所 Ocean Policy Research Institute.htm>
垂仁天皇は奈良県桜井市纏向(まきむく)を都とし、皇紀632〜730年(紀元前29〜紀元90年)在位とされている

この時代は奈良盆地の大部分は水没していたといわれ、現在とは違って都は難波津を通じて水路で海につながっていたと考えられており


以前、どこかで読んだのでは、縄文時代後期の陸稲は山中で行われていて、それは丸い湖のまわりをぐるっとまわる丸い集落となっていた
こういう説だった、たとえるなら「メイドインアビス」みたいな感じかな

 ヤマト = ヤ(感嘆語・大きい) + マ(丸い) + ト(集落・戸)