>>105

実際、文明度、人口、経済活動密度ともに
ネーデルラント>ラインラント>スイス>北イタリア
という土地の連鎖、いわゆる「ロタリンギア」地帯が
フランク王国旧領のなかで隔絶した地位を保ち続けるんだよね。

産業革命より前の段階で、この地域の人口密度は
旧西フランク、旧東フランクの主要部分より
ひとケタ高かったらしい。

結局、フランク王国分割後の歴史を大雑把に言うと、
西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国が
ロタリンギアの領有、覇権を奪い合う歴史になったと言ってもいい。

それが、ポストモンゴル時代、ルネサンス時代に金融制度が
革命的に進歩すると、このロタリンギア地帯が独自の政治勢力として
台頭してくる。

最初は北イタリアの諸都市で、次いでネーデルラントで高度な産業社会が勃興、
両地域を結ぶスイスの峠道の関税利権が重要度を増す。

この流れで起きたのが、スイスとネーデルラントの独立闘争。