【メロヴィング】フランク王国【カロリング】
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中世のフランク王国について語るスレです。 初代国王クローヴィス以前のファラモン、メロヴェ、クローディオ、スンノ、メロバウドゥス、Genobaud、Malcomer といった指導者もありです。 ≫190 やはり禿頭王って名前がつくんじゃない?w >>194 いや、禿げたら霊威もなくなった扱いになって廃位や退位すべしとされてたんやろか?てこと >>163 ドイツ語の文献ならある Andreas Fischer Karl Martell Der Beginn karolingischer Herrschaft https://www.kohlhammer.de/wms/instances/KOB/appDE/nav_product.php?product=978-3-17-020385-3& ;world=BOOKS アンドレアス・フィッシャー著 「カール・カルテル〜カロリング朝支配の始まり」 >>163 単独の評伝等はないが日本語で読めるものなら「あだ名で読む中世史〜ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」(岡地稔著、八坂書房)でカール・マルテルの「マルテル」はどういった意味かについて言及されている 図書館で借りて読んでみては? カール・マルテルのマルテルはマルス由来のラテン語起源個人名かと思ってた >>199 カール・マルテル (Karl Martell) のMartellは Latin語「鉄鎚」の意でよいの? 南フランスは、西ローマ帝国滅亡後も、古代的な相貌をとどめていた しかしカール・マルテルの侵略戦争により、古代的な姿は完全に 払拭されてしまった クローヴィスは有能というよりむしろ狡猾、残忍な人物で、ライバルとなりうる 人物を片っ端から殺して成り上がっていったんだよな 481年にサリ族の王に即位し、その後リブアリ、上フランクの両部族を統合 500年にはブルグンド王国を制圧、507年には西ゴートを撃退した 498年にはランス司教レミギウスの手により国王として塗油を受けた 後世のブルゴーニュ公国とかブルゴーニュ伯国の君主は ブルグント王の血は全く引いてなさそうだな 534年ブルグンド王国がフランク王国に征服された時点でブルグンド国王はブルグンド族の血を引いとらんだろ メロヴィング王家の開祖とされるメロヴェウスは、母がネプチューン(海神)と呼ばれた 怪獣と交わって生まれたとされる 日本神話でも、天皇家には海のサメの血が流れているとされていなかったっけ? メロヴィング朝の王は海神の血をひいているがゆえに、 超自然的力を備えるものと信じられた 手をかざすと傷が癒えるとされたのも、そのためである アウストラシア王シギベルトの王妃ブルンヒルドは、ネウストリア王クロタール2世に よって10人もの王の死の責任を負わされ、駱駝に結び付けられ、 四つ裂きの刑に処された この時代はまだまだ野蛮だよな ブルンヒルドは「ニーベルンゲンの歌」で対立する二人の妃ブリュンヒルドとクリームヒルト両方の モデルになったとされる。つまりブルンヒルドが居なかったらワグナーが「ニーゲルングの指輪」を 作ることもなかったかもしれない。 キリスト教に改宗したにもかかわらず、メロヴィング期には地位の高い人間は 一夫多妻を行っていた クロタール1世とおそらくダゴベルトが同時に複数の王妃を持っていたし、 宮宰ピピン2世はプレクトルディスと離婚することなく、アルパイダを娶って、 彼女との間にカールをもうけただけでなく、別の妾も持っていた メロヴィング朝期までは、ゲルマン人の王たちは、東ローマ皇帝の委任のもとに 王国を統治しているのだというタテマエになっていたのだよな メロヴィング諸王が発給した国王文書の書体や形式は、皇帝府のそれではなく、 ローマ時代の地方属州政庁のそれを採用している >>210 ライバルのフレデグンドのほうが多くの暗殺の裏で手を引いてたのにもかかわらず、 かの女は天寿を全うしたんだよな。 全く皮肉なことだな。 カロリング朝の時代には、聖別や説教が行えず、騎馬の訓練や狩猟に明け暮れる 司教や修道院長がおおぜいいたとか 彼らは軍事遠征があれば喜んで武器を携えて出軍した フランク王国関連のYouTube動画 【ゆっくり解説】悪女VS悪女、フレデグンドとブルンヒルド【中世ヨーロッパ】 https://m.youtube.com/watch?v=BqtsbuUq5rg 【ゆっくり解説】あだ名はハゲ・シャルル2世 https://m.youtube.com/watch?v=F8ZySU7ZaF4 クローヴィスの改宗 世界史に影響を与えた出来事ランキング https://m.youtube.com/watch?v=Ttci13BtDDI 【約8分半動画】「王」が治めた神聖ローマ帝国【歴史小話】 https://m.youtube.com/watch?v=wrwJTrqYTr0 【ドイツ片田舎】チャンネル∽歴史館 #1「憧れのカール大帝*シャルルマーニュ−プロローグ〈序章〉編」Karl der Große/ Charlemagne/ Charles the Great 1 https://m.youtube.com/watch?v=V6a6DfCtpj4 【ドイツ片田舎】チャンネル∽歴史館 #2「憧れのカール大帝*シャルルマーニュ−〈本編〉」 Karl der Große/ Charlemagne / Charles the Great https://m.youtube.com/watch?v=_ZX2QijHw6o 佐藤彰一先生の「フランク史 I クローヴィス以前」が刊行されたのは大きいね ローマ帝国末期を扱ったピーター・ブラウンやランソンやパーキンズの本はローマ帝国からみた蛮族という構図だったけど、フランク族側からみたこの時代の本ってこれまであまりなかったので早速買って興味深く読んでみた フランク王国の通史ってこれまであまりなかったのでこれは非常に嬉しい II はメロヴィング朝、IIIはカロリング朝という感じになるのかな? グレゴリウスの「歴史十巻」やアインハルトの「カロルス大帝伝」でももう一度引っ張りだして読んで予習しとこうかな https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/098276.html 2016 11/30 著者に聞く 『贖罪のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー >西洋の修道制についての通史の仕事とは別に、フランク史の分野での著作を考えています。 >こちらは注付きの学術書の体裁となります。 >フランク人の起源の問題に取り組む予定なので、北西ヨーロッパの青銅器時代にまで論が及ぶことになるでしょう。 >考古学を主力とする先史学と、文字記録を素材とする歴史学をどのように結びつけるか、 >方法論の上でも工夫をしなければならない著作になると踏んでいます。 ゴート人の方はまだ日本だと本が皆無に近いな いまだにグルトゥンギやテルウィングと東ゴート人や西ゴート人が同一視されてるようなのしかない パウルス・ディアコヌスの「ランゴバルドの歴史」、コルヴァイのヴィドゥキントの「ザクセン人の事績」、サクソ・グラマティクスの「デンマーク人の事績」の邦訳は出てるのにヨルダネスの「ゴート史」はまだ出てないな 西ローマ帝国のうち結構な割合を閉めてたブルグント族もほとんど何も無い 佐藤彰一先生の「フランク史」読んだけど、今まで知らなかった学説 が出ていた。 「匈奴のフン族の系譜関係がソグド語文書で証明された」 「クローディオはサリ族ではなくラインフランク出身」 「そもそもサリ族という部族は存在せず、サリという言葉は仲間たちを意味する普通名詞」 現在の学界での評価はどんなもんなんだろうな? オランダ語はフランク語の末裔の一つとかどっかで見た事あるが,その割には 発音にしろ表記にしろ独自の進化を遂げてるな。 ・aa,uuみたく同じ母音を続けて表記 ・他のゲルマン系言語でfとなるやつがvになる ・ijやuiといった母音の綴りとその発音 ・gを【x】で発音 とかいろいろあるけど ガロロマン組み込む前の原フランク人はネーデルラントに住んでたそうだが, 当のオランダ人・フラマン人にフランク人の末裔という意識とかあんの? クローヴィスにちなむルイとカール大帝にちなむシャルルはフランス王室で よく見かける名前となったな ・そもそもフランク同盟に加わった諸部族の総称が「フランク人」であってフランクは部族名ではない ・フランク人にサリー支族やリプアリー支族なんていなかった >>228 フランク人というのは現代でいえばアメリカ人や漢民族みたいな感じのものじゃないかと思う バイエルン人も恐らくその類いだろ ゲルマン諸民族にローマ人やケルト人などが加わった集団というイメージがある ローマ人もフランク人と同じくローマ市民権もってる諸民族の呼び名 そういやゲルマン人も元はゲルマニクス属州のローマ人に対する「田舎もん」みたいな言葉だしな ガリア人から見たライン川の向こうの奴ら、じゃないのか。 >>223 シルウァヌスの反乱を一般的な「コンスタンティウス2世の疑い深い性格」のせいだけにせず、 正教派のシルウァヌスとアリウス派のコンスタンティウス2世の宗教的対立があったのではないかとする推測は意外な着眼点だった 右腕を「刃の義手」にした中世イタリアの戦士の遺体が見つかる 2022.01.19 WEDNESDAY https://nazology.net/archives/103457 ナイフは右肩経由で歯に固定? 問題の遺骨は、イタリア北部にある、6?8世紀頃のロンゴバルド王国時代の共同墓地で発見されました。 そこには男性のほかに何百もの遺骨が埋葬されており、人間以外にも首なし馬や猟犬の骨も見つかっています。 えらく物騒な遺骨が出土していますが、このロンゴバルド族は好戦的な民族として知られ、 568年にスカンディナヴィア半島からイタリアに侵入。今日の北イタリアにロンゴバルド王国を建国しました。 その後、774年に初代神聖ローマ皇帝のカール大帝の軍によって滅ぼされています。 調査の結果、埋葬された男性は40?50歳と推定されており、右腕は前半部から先が切断され、代わりにナイフが置かれていました。 https://nazology.net/wp-content/uploads/2022/01/fd84efc5a60e0a84d01c717c442560ca-579x600.jpg >>237 フランク史II「メロヴィング朝の模索」出ましたね 待望のメロヴィング朝の日本語書籍が出たのは嬉しい反面、非常に複雑な歴史なので読むのが大変そう このあだ名、ちょっと酷いよね ちび Pépin le Bref ピピン短躯王 でぶ Karl der Dicke カール肥満王(3世) はげ Charles le Chauve シャルル禿頭王(2世) 隠さないで…もっと君のかわいらしい顔をみていたいから……(ちょっと意地悪か優しく言う) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる