【メロヴィング】フランク王国【カロリング】
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中世のフランク王国について語るスレです。
初代国王クローヴィス以前のファラモン、メロヴェ、クローディオ、スンノ、メロバウドゥス、Genobaud、Malcomer といった指導者もありです。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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058 カールマンが息子にピピンと名付けてカールが怒ったとか >>13
サターン派ハビル三世は、イギリス王国が少しでも有利に働くように世界中に間者を送り込む事を提案したのが、フランク王国に漏れてしまい、ハビル三世はイギリスが暗殺さざるおえなくなった。
その為イギリスはフランク王国に只ならぬ憎しみを抱くようになったのが、本当の話w
自業自得なのに他人のせいになんかするから…悪魔崇拝のトップにまで上がったんだねw フランク語、ウィキには北の低フランク語がオランダ語なんかのご先祖様で
南の高フランク語がドイツ語フランケン方言(カール大帝が都置いたアーヘン
あたりの方言)のご先祖様って書かれてたような 北部イタリア人にはフランク王国の後裔だという認識はあるのだろうか >>23
北部イタリアは、トルコユダヤ、ギリシャ人の混血だというのが正解。 >>22
フランケンは未来に出てくる生贄の話をイギリスが変えちゃって全く別物。 >>14
フランスに乗り込んだイギリス人は、早速フランス王国の国王になったんだよな。 アルジェの女たち
未来のフランス人、特に女性は自堕落な生活を送るしかできなくなるような絵。
黒人が心配してうるさく言ってるが、フランス女性は生返事。
傷を癒す事もないまま、正義を重んじた後遺症だ。 >>28
閂
これもそう、自堕落なフランス女性に男性が多分お酒を取り上げた時の絵 美術館の絵は、未来の絵が多い。
生贄もかなり出てきている。
日本とは直接関係のないもの、アフリカが関係してくるもの。
フランス人はイーリスになる事になるだろう。
わかる事はあまりない。 フランス南部、田舎の方はイギリスに特に酷い扱いを受けている。
隠れて一生を過ごすか他の国に逃亡するかしか選択肢がない女たち。 岩波文庫の「メロヴィング王朝史話」
上下2冊をあわせても500頁以下、本の厚さ合計2.5cm
1冊にならんもんかね 冷たいイギリス人。
それがわたちとなんの関係があるのよと。
だったらなんなのよと。
ジャップのくせに引っ込んでろと。
ここはいつの間にかイギリスの掲示板になってる図々しいイギリスはんかくさい女どもw ロンスヴォーの戦い
カール大帝の敗北は1回のみなのか? メロヴィスが始祖でメロヴィング家なんだから、
ピピンが始祖ならピピニング家とすべき 始祖クロヴィスの祖父メロヴィクスに因んでメロヴィング朝。
始祖ピピン3世の父カール・マルテルに因んでカロリング朝。
おかしくない。この時代のゲルマン人は姓が無いのでご先祖様の名前を家名にするわけだ。 >>35
南フランスは人が少ない田舎で、イギリス人がフランス女を漁りに来ていたから。 現在のフランスでフランクの血統を色濃く残してるのって貴族の血を引く人だったりするん?
あと現在のドイツで同じくフランクの血統を色濃く残してるのってフランケン大公領だった
ところの人達? メロヴィング朝の名はメロヴィッヒ(マルヴィッヒ)という人物にちなんでるけど
同じヴィッヒで終わる名前のフランス語形でもルートヴィッヒはルイなのに
メロヴィッヒのほうはメロヴェとなるんだな フランク語の流れを汲む言語としてはオランダ語なんかがあるそうだけど,
当の”フランク語”が現在も続いてたらなあ…とは思った。 >>37
フランク人には姓がなくカロリングは宮宰カール・マルテルに因み「カールの」程度の意味しかないらしい
カール・マルテルの父はピピン2世(中ピピン)でその父はアンゼギセル
アンゼギセルの父はメッツ司教のアルヌルフということからカール・マルテル以前はこの一族のことはアルヌルフィング(アルヌルフの)と呼ばれていた >>40
はいそうです
しかしながらカロリング家の血統はLudwig(IV.) das Kind の死(911年)で断絶してしまいます
その東フランク王位を継いだのは同じフランケンのコンラディナー家の Konrd I. です
しかし、彼には嫡男がいなかったのでザクセンのリウドルフィング家の Heinrich(I.) der Vogler を後継者に指名して918年に歿します
このコンラディナーも Konrad I. の弟のエーバーハルト3世が相続しますが、939年に反乱を起こし戦死し断絶してしまいます
この件によりフランケン太公位(領)は消滅し、皇帝(ローマ王)の直轄となります
Konrad I. 娘婿、もしくは妹の子がザーリアー家のヴォルムスガウ伯ヴェルナー5世であり、その子孫がザーリアー朝として後にローマ(ドイツ)王およびローマ皇帝を世襲することになります フランク人の間ではキリスト教の聖人名って普通に使われてたん?
ゲルマン起源の名前しか見かけん感じやけど フランス語での
狼:Loup 発音:ル
8月:Aout 発音:ウ
で思った事
フランス語って綴りとか発音の面で他のラテン系言語とは一線画してる感が
あるけど大きな影響を与えたのはフランク人?ガリア人?
フランク語の末裔の一つといわれるオランダ語もようつべ聴く限りだと
フランス語ほどには綴りと発音が乖離してない感じだし,8月を意味する
語彙の綴りも
オランダ語:Augusutus
フランス語:Aout
って具合にオランダ語のほうが本来の原型をとどめてるような…
>オランダ語:Augusutus
オランダ語:Augustus
だったorz オランダ語ってドイツ語低地地方方言みたいなもんだし 高地ドイツ語>低地ドイツ語(オランダ語)>フリジア語>古英語
っていうクラインになるんだっけ。 クロヴィス1世(466年頃 - 511年11月27日)は、メロヴィング朝フランク王国の初代国王(在位481年 - 511年)である。
日本では大半の書籍では、フランス語読みの「クロヴィス」でなく、英語ないしドイツ語読みに近いクローヴィス1世の表記が用いられる。 クロービスがフランク族を統一してメロビング朝を創始したのは、481年
「メロドラマ、芝居(481)がうまいクロービス」と覚える トゥルネーは、ベルギーのワロン地域、エノー州の市。
ベルギー最古の町であり、フランク王国初代のクロヴィス1世が生まれた地であるため、フランス揺籃の地とも言われる。
世界遺産も2件登録されている。フランス国境に近い。 クロービスは、ベルギー出身
フランク王国の首都をパリに置いた
千年の古都・パリの歴史はここに始まる メロビング朝を語る上で忘れてはならないのは、「首都がパリだった」ということ
カロリング朝は、そうではなかった
シャルルマーニュ大帝は、帝国の中心をライン川沿岸に移した そもそも、サリー系フランク族の歴史は、ユリアヌス帝が
フランク族を中心とするゲルマン系集団を
今のベルギーの地のトクサンドリアに
帝国の同盟軍として入植させたことにはじまっている。
メロヴィング朝の歴史は彼らがローマ帝国の遺産を背景にして
ガリアを中心に覇権を打ち立てた時代。
カロリング朝の時代は、ガリアを本拠地とするフランク王国が
ゲルマニア方面に前線基地を置いてゲルマニア征服を遂行した時代。 クローヴィスのフランク語形ってHlodawigというんだな
ttps://www.youtube.com/watch?v=jefaToEtXH4 >>56
クロドウィクス、クローヴィス、ルートヴィヒ、ルイ
これらは同義異形の人名なんだよな。 フランクとイングランドの接点,
カール大帝がアルクィンを招聘したことと、西フランクから土地をもらった
ヴァイキングの子孫がイングランドを征服して同地にフランクの文化を
もってきた事ぐらいしか知らんかった(´・ω・`)
>>57
ヒトラーの親父の名もこれらと同系だったなんて >>58
そもそも、カール(カルル)って人名そのものが、
アングロサクソン語のケオルル(チェオルル)=「自由身分の男」に由来しているという説もある。
それから、サリー系フランク人の葬送文化に石棺を埋葬するときに行列状に並べる、というものがあるが、
この風俗がイングランドにまで伝播していて、アングロサクソン小国群にフランク王国が大きな影響力を
及ぼしていた証左とされている。 メロドラマに弱い(481)、クロービス1世
夏が恋しい(751)カロリングにピピンときた スコットランドのメアリー=スチュアートがフランスからの帰国後,ダーンリー卿との
間に生まれた子にシャルル=ジェームズと命名。
(シャルルはルイと並ぶフランス王室の典型的な名前)
↓
シャルル=ジェームズ本人はジェームズと名乗る
(スコットランド王としてはジェームズ6世、イングランド王としてはジェームズ1世)
↓
シャルル=ジェームズは自分の子供にもシャルルと命名
↓
シャルルがイングランド王チャールズ1世として即位しチャールズの名が
英語圏に広まる
という感じで英語圏におけるチャールズという名の歴史が人名関連の書籍で
触れてあったけど,それまではカール,シャルルに相当する名が英語圏では
用いられてなかったとも書かれてた。
>>59氏が挙げてるケオルルがこういう形でイングランドに逆輸入されるなんて… 西フランク(フランスとなった後も含めて)の貴族・王族は
いつ頃までフランク語を話してたんやろ? イベリア半島を支配下においてた西ゴート王国のゴート人と違って
フランク人のほうは意外とイメージが湧きにくい(´・ω・`) だって、「フランク人」って実質的に、ラインラント出身を中心とする
群小ゲルマン系部族とガロ・ローマ人の混成戦士集団だもん。 ケルトやラテン系とかも混じった集団だよね。というか、相当ローマ化された連中だけどね。 ローマ帝国の「同盟軍」という地位の部隊をベースに
集団形成を進めた連中だよね。 アウクシリアだったっけ?
ゲルマン系戦士の墓から、良くローマ軍支給のベルトとかスパタが出てくるんだよね。 同じフランクでも西フランク地域ではRobertの名を持つ諸侯・騎士を
たまに見かけるけど(ノルマンディー公となったヴァイキングのロロも
Robertと名乗ったっけ),東フランク地域でもポピュラーな名前だったん
やろか? フランクじゃないけど,トイトブルクでローマ軍倒したアルミニウスって
ローマの市民権&騎士階級所有者だったのな へぇ、初めて知ったよ。ありがとう。
ここ数年、トイブルクの正確な位置が割り出されて発掘中なんだよねぇ。 >>54
そらそうだろうよ
カロリング(アルヌルフィング)家の根拠地がアウストラシアなんだから へぇ、嘘ばっかりイギリス人だな。ありがとう。
ここ数年、イギリス人の正確に頭のおかしさか表沙汰になってその上発狂中なんだよねぇ。 >>73
またじゃない、お前はここに今日はじめてじゃんw >>73
Nazeing、Waltham Abbey、EN9 2DY、イギリス
ペトリー ランセン 42
イギリス海軍 下っ端 ジビエがフランク語由来(隼狩りを意味するGabaiti)なのを知ったのは
つい最近のことですたorz
そういやフランス語はフランク語由来の単語が結構あるみたいですが
ドイツ語やイタリア語はどうなんでしょ フランスの首都がパリなのも、フランク王国が北から来た征服王朝だから
要は中国の首都が北京なのと同じ >>77
ガリア語由来もあるそうです。
南フランスの言葉は、フランクの影響がほとんどありませんが。 やっぱり、サリー系フランク人の民族形成が行われた「本拠地」って、
今のベルギー辺りなんだよなぁ。 メロビング朝の本拠地は、ライン川の下流
カロリング朝の本拠地は、ライン川の上流・中流 ちょっと嘘を指摘されたからって、すぐキチガイというテロリスト国家イギリスw
なんでも新しい言葉を作るのは子分中国共産党の真似だよなw >>82
ネウストリアといえば、木村拓哉主演映画「HERO」 >>85
よくイギリスから日本語を習ってのこのこヘッタクソな日本語で叫びにくるよなw 王妃「あなたン〜、私の妹なんだけど、もう年頃なの。
誰かいい人いないかしら」
王 「そうか、探しておこう」
王 「妹御の相手、決めたぞ」
王妃「それはよかったわ。で、どなた?」
王 「ん・・・この国第一の騎士だ・・・」
王妃「え?」
という逸話、メロヴィング王朝史話にあるはずなんだが、見つからない >>87
基地外、病院へいけ
くらいしか言えなくなったのかいw
イギリス人は白人至高主義が日本でも有効だって余裕あったのにねぇw
ヘッタクソな日本語で不快なだけなのにw メロヴィング朝の王たちは、事実上一夫多妻制だったからなぁ。 >>92
重装騎兵部隊が成立してくるのがカロリング朝期、
封建制で養われる騎士身分が成立してくるのが10世紀くらい、
だったっけ。 のちに西フランクから土地をもらったヴァイキングが中心地と
したとこでしたっけ>ルーアン >>93
確かそうです。
スコラだったかそんな名前です。 たしか、姉妹丼のメロヴィング朝の王様の言った言葉は
「この国第一の男を夫にしてやったぞ」
じゃなかったかな。 >>98
いや、もっと後世のキルペリクとかそこら辺の話じゃなかったっけ。 >>94
のちにイギリスから土地を奪ってイギリス人が中心の国になったフランス イギリス人はフランス人に対して、絶対的な強制を押し付けた。
負けたフランス人は聞くしかなかったが反発するとイギリス人は拷問し殺す事を楽しみにしていたヒトモドキ。 フランクフルト・アム=マインもフランクにちなむ地名ですね なぜ東フランクはカロリング家が絶えたらフランクの名を捨てたのに、
西フランクはカロリングが絶えても現代までずっとフランクの名を保ち続けてるのか
ガリア系の名にすればよかったのに >>103
西フランクはメロヴィング朝以来のフランク王国の本土。
東フランクはフランク王国によって軍事占領されたゲルマン系諸部族の部族大公の地。
カール大帝の帝国は「フランク王」と「ローマ皇帝」を一人の君主が兼ねる体制だったが、
そのうちフランク王国本土たる西フランクでは君主がフランク王位を継承。
一方、フランク王国による被征服地で部族大公の寄り合い所帯だった東フランクでは、
この寄り合い所帯の盟主を部族大公たちが持ち回る体制が確立されていき、
その盟主がローマ皇帝位を継承した。
こういう下地があるので、西フランク>フランス王国ではカロリング朝の断絶後の
地方分権化をカペー家の歴代の王たちが中央集権の回収に向かい、
東フランク>神聖ローマ帝国では分権化が温存され、
部族大公>領邦君主の連合政権としての方向性が強化されていくことになる。 東フランクとはいっても、ローマ帝国やフランク王国に属していた古いヨーロッパ部分と、
ザクセン戦争で征服された新しいヨーロッパ部分では
相当文明度に差がありそう >>105
実際、文明度、人口、経済活動密度ともに
ネーデルラント>ラインラント>スイス>北イタリア
という土地の連鎖、いわゆる「ロタリンギア」地帯が
フランク王国旧領のなかで隔絶した地位を保ち続けるんだよね。
産業革命より前の段階で、この地域の人口密度は
旧西フランク、旧東フランクの主要部分より
ひとケタ高かったらしい。
結局、フランク王国分割後の歴史を大雑把に言うと、
西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国が
ロタリンギアの領有、覇権を奪い合う歴史になったと言ってもいい。
それが、ポストモンゴル時代、ルネサンス時代に金融制度が
革命的に進歩すると、このロタリンギア地帯が独自の政治勢力として
台頭してくる。
最初は北イタリアの諸都市で、次いでネーデルラントで高度な産業社会が勃興、
両地域を結ぶスイスの峠道の関税利権が重要度を増す。
この流れで起きたのが、スイスとネーデルラントの独立闘争。 何にせよカペーの血筋が現在まで残ってるのは、面白い。 昔のスウェーデンではゴート人としての民族意識が高まっていた時期もあった
そうですが、オランダやベルギーでフランク人としてのアイデンティティが
高まっていた時期はあったんでせうか スペインにゴート人としての意識があったかというと、早くにイベロ・ローマ人と融合してなくなっちゃったからねぇ。 ゴート人としての意識というのはつまり北方の野蛮人としての意識ということか? >>107
日本で「万世一系の天皇」とよく言われるけど、フランス王室のほうがよほど一貫性は高い
カペー朝からヴァロア朝、ブルボン朝と王朝が交代したとされてるが、あれは本家の跡継ぎがいなくて分家から跡継ぎが出ただけであり、日本だったら特に問題とされないところだろう イギリス王室にはそこまでの一貫性はなく、大陸の貴族が来英して即位したりしているが、それでも、イギリス王室の血筋をなんらかの形で引いていなければ、候補にも挙がらない
その点、ロシアでは、リューリク朝と血のつながりがない、単なる外戚でしかないロマノフ朝が王朝を建てた 神聖ローマ皇帝のように血統原理を基に諸侯による選挙で選出されるのが民主的で非常に良いような気がする スペイン王国の起源は、西ゴートにも逆らい続けて同化しなかったバスクだろうから、
それが西ゴートの後継者を名乗るのはおかしい イギリスは狡猾な手段でフランスを負かしている。
そして、フランスに乗り込み全てを奪っていっている。
フランスを駒にヨーロッパを制覇しようとしたイギリス。
失敗に終わったが、動いたのはフランス。
ゴミのような歴史を重ねたイギリス。
ただそれだけのヨーロッパの歴史。 フランスは立ち直ろうとしていた。
今その疲れが酷いと感じる。
それから立ち直れるのが難しいフランス。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています