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秦漢帝国
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001世界@名無史さん
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2018/04/01(日) 18:52:49.720
中華帝国の歴史、ここに始まる
0851ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/05/27(月) 03:37:05.470
>>849
前漢のときもほとんど一緒なので
帝国ってそんなもんじゃないっすかね

初めからヤバさを感じるのは
単于頭曼以降の冒頓時代の匈奴帝国の中の人ですか
あ、あと始皇帝さんの中の人もですね


>>836
間違いないかと思います
0852世界@名無史さん
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2019/05/27(月) 03:42:23.300
>>836
比べるなら張騫と甘英、班超と衛青か霍去病じゃない?
0853ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/05/27(月) 03:45:37.990
>>834
おいらは初めからそのイメージはないですね

超低識字率時代に全国一律の
完全放置国家が成立できたのかは気になりますが

秦代各地の書簡で
法律上の地域差(慣習法)的なのってあるんでしょうかね?
0854ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 04:01:16.350
おいらようわからんのは
>>520の法三章のエピソードっすねぇ

これが法になじんできた関中に向けて布告されたのでなければ
なるほどとも思えるのですが
関中人民の支持を取り付けるのに利用されてるのが
めっちゃ解せないところです


出ず、稼がず、働かず、のニート三章はどの程度やってたのだろうか、、、
0855世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 06:22:06.730
>>844
それはアッシリアだろう?
壁画に数々の残虐行為を誇るように描き残してるのは。
アケメネスのペルシアは穏便だったはず。
0856世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 06:25:03.100
>>852
張騫は軍事的才能皆無だもんな。
0857世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 06:33:12.920
>>849
岩波文庫のアナバシス読んだことがあるけど
結構、版図内にペルシア王に服さない部族が跋扈してるね。
近代国家の領土のイメージじゃないな。
0859世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:21:24.380
古代ペルシャ帝国のダレイオス大帝もそうだし、ブルボン朝フランス王国の太陽王ルイ14世もそうなのだが、即位直後で地方の諸侯たちが大反乱を起こし、それを鎮圧することで、かえって専制が固まった

前漢も、呉楚七国の乱を乗り切って全国支配体制を固めた

それでも、近世の明清帝国と比べたら、「皇帝」というより「盟主」に近い程度の統制力だが
0860世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:33:26.390
モンゴル騎馬軍団の登場で、機動力が大幅にアップした

歴代王朝が、各地の豪族を儒教官僚に置き換える取り組みを五百年、千年と粘り強く続けた結果が、明清帝国の中央集権体制となって結実した
0861世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:47:27.860
>>858
反乱には厳罰だったろう。
権力闘争なんだから。
支配下の地方の首長を皮剥にしないだろ。
アッシリアと違って。
0862世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:53:56.010
この「地方領主から儒教官僚への置き換え」を最も強力に推進したのは宋朝

よって、宋以後は中央と地方の関係が大きく変わる

早い話が、地方のトップは「独立経営者」から「サラリーマン(それも転勤族)」に代わった
0863世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 10:05:44.400
>>861
そりゃそうだろうな

アッシリアはひどすぎるな?
0864世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 11:54:34.440
アケメネス朝は統一法典がなかったし、地方太守もほぼ世襲制で軍事力を有していた

秦漢には統一法典があった
0865世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 14:51:23.590
>>853
秦律の地域差があるか、どの程度かはなかなかわからないかもね。
里耶秦簡(紀元前222年紀元前208年)は湖南省で出土。
睡虎地秦簡(紀元前217年に死去と思われる官吏の墓)は湖北省。
王家台秦簡も湖北省。
王家台秦簡の秦律・效律の内容は睡虎地秦簡とほぼ同じ。

これらはみんな楚の旧領。
秦が征服した地域ではあるが、
文書の決済手順などが厳格に規定されている模様。
文書行政がしっかり施行されていたと解釈できるんじゃないか?
0866世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 15:00:42.920
アナバシスでは、スカスカのアケメネス朝の統治ぶりが目出つわけだが、
古代ローマでも、「黄金の驢馬」なんかを読んでると、町から離れると盗賊の治外法権地帯が目立ち
ローマ末期の5世紀になっても、イサウリア人などという、500年以上
帝国国内の領域にあり続けているはずなのに、ほぼ独立している蛮族がいきなり登場して驚く

イサウリア人がいるところとクセノポンの旅したところは近いので、あのへん限定なのかも知れないが
0867世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 15:11:07.600
>>863
アッシリアがあまりに残酷でひどいので諸民族が離反した。
反乱した諸民族が結集して旗頭になったのが、
バビロン(カルデア)のナボポラッサルとその息子のネブカドネザル。
この新バビロニア王朝によって、アッシリアの天下は短命に終わる。

同様な苛政で民衆が離反し、
秦の天下が短命だったと思われてたけど、
行政竹簡が出土してきて、
あれれ?結構、まともな統治じゃん。
良民に過重な負担がかからないようにしてるし。
と、イメージが一変。
始皇帝が正義の英雄として
映画やドラマ、漫画に取り上げられ、
現在に至る。
映画キングダムのヒット、良かったね。
0868世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 16:52:42.320
>>867
>映画キングダム

長澤まさみの楊端和が美しい
0869世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 17:04:38.770
>>868
完全に同意。

でも史実の楊端和って普通に男の部将なんだろう?
うまくフィクション化したなぁ、と感心する。
0870世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 17:38:59.970
>>858
そいつらは皇帝を僭称するという一番やってはいけないことをしたからな
カルドゥコイとかアケメネス朝の本拠地の目と鼻の先に暮らしていたのにも関わらづ一度も納税せず皇帝にも臣従せず
なのに基本放置
またエジプトやピシディアは建国当初からしょっちゅう蜂起していたのに一度もおとり潰しにあってないとこ見るとローマよりも寛容かも
0871世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 18:56:20.050
>>862
中央から地方に送られてくるのは上層部だけで、あとは現地採用組

現代の人民解放軍も上層部だけは転勤族
0872世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 18:59:55.150
清の朝廷にとっても、広東省などは遠い南のハテ

阿片戦争でも、なぜか清朝より日本人が危機感をもって国内改革に乗り出した

正確にいえば、「このままではイギリスに東アジアを征服される」という強烈な危機感をもったオランダが、江戸幕府に厳重に警告してきた
0873ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 22:25:43.660
>>865
ほうほう

おいらの秦律理解は睡虎地どまりなのですが
けっこうしっかりしてるんですね

そうすると原本みたいなものがあったのかもしれませんね

秦の文章行政は配達から拝領まで
全部記録とってたみたいなので
しっかりというか厳格だったんじゃないかと思います
おそらく写しが発送元にも残ってるんじゃないでしょうか
0874世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 22:28:44.240
>>872
太平天国を倒して洋務運動で力を付けつつあった清に対する警戒心もかなりあったんじゃないかね
0875ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 22:36:38.460
>>861>>867
アッシリアのあれは自己喧伝であって
実際はそうでもなかった説みたいなの
あった気がしますね

それでもアッシリアの支配地域はやっぱ治まらない感じです
0877世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 06:11:13.740
>>876
キュロス2世の子孫が断絶しちゃったんだから、
傍系の誰がなっても簒奪じゃないだろう?
キュロス大王の息子の暗殺に続く大混乱を誰かが収め、
崩壊しだした帝国を再建しなくちゃならない。
とするダレイオスの主張は理にかなってる。
見事にそれをやってのけたことが重要。
ダニエル書の文言からすると、
ダレイオスはキュロス大王の政治方針を引き継ぐことを重視してる。
それが正当なキュロスの後継者であることのアピールとも言える。
そして大きな成功を収め、見事に帝国は復活、最盛期を迎えた。
後世のへそ曲がりの学者の評価なんぞより
成し遂げた実績を評価すべき。
0878世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 06:30:32.670
>>873
明清に比べると、残ってる史料が圧倒的に少ない秦漢の研究って
少ない史料に基づきあれこれ推測を重ねていく感じなんかなぁ?
明清期は史料が多過ぎて、一生かけても全部に目を通せないかもしれないが。
0879世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 08:14:43.660
>>878
その代わり、新たな史料が発見されるたびに、ちょっとした騒ぎになる

古代史はどこもそうだろう
0880世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 08:20:42.990
班超は、鄯善国(楼蘭)に使者として行った時に、初めは歓迎されたのが次第に雰囲気が悪くなってきた。
その時北匈奴の使者も来ていたのである。

このままでは殺されると考えた班超は怯える部下達に「虎穴に入らずんば虎子を得ず(不入虎穴焉得虎子)」と勇気付けて、北匈奴の一団に切り込んだ。

班超たちは36人しかおらず北匈奴ははるかに多かったが奇襲を受けた北匈奴の使者達は慌てふためき、見事班超たちの大勝に終わった。
これにより鄯善国は漢に降伏した。
0881世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 09:52:21.240
>>880
班超がいなければ、後漢は弱小国で終わってたな。
0882世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 20:33:20.350
前漢の衛青は、幼少から匈奴と境を接する北方で羊の放牧の仕事をし、匈奴の生活や文化に詳しかった。だが、奴隷のように扱われ、時には父親などから虐待を受けていたという。
逸話として、人に従い甘泉宮に訪れた際に甘泉宮にいた人から「あなたには貴人の相があり、将来は出世するだろう」と言われたものの、
衛青は「鞭で打たれるような生活から脱却できればそれで十分」と答えたという。

・・・匈奴征伐に際して車騎将軍に任命され、匈奴の事情に通じていたことから十数回出陣し、連戦連勝して匈奴の首を数万討ち取り、匈奴の領土(現在の内モンゴル自治区のバヤンノール市)を奪い取るなど、多大な功績を挙げる。

大将軍に出世後、武帝の姉である平陽公主を妻とした。彼女はかつて衛青を使用人として使っており、また曹時(曹参の曾孫)との間に嫡子がありながら病を理由に離縁されていた。

甥の霍去病が台頭すると、人気・軍功ともに譲ることになる。しかし霍去病が24歳で死去したため、軍の第一人者であり続けた。
0883世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 20:35:19.580
霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。

衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。
その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。
その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。
衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。
武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

また衛青が李広の末子の李敢に襲撃されたことに憤慨し、その李敢を射殺した逸話によって世間からは義侠の士として人気があったという。
0884世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 20:45:07.550
万里を径り沙漠を度り
君が命を受けて匈奴に奮う
矢刃砕け刀尽く
老母已に死せり
恩に報ぜんと欲すと雖えど
将た何処にか帰せん
0885ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/29(水) 00:48:18.380
>>852

張騫と甘英さんの中の人の報告書
どっちが優れてましたかね?

http://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/sangoku/saiiki3.htm


武帝 前139頃 月氏、西に移動して大夏を破って支配する。
武帝、張騫を西域に派遣する。
武帝 前129頃 張騫、大月氏に到着する。
武帝 前126頃 張騫、西域から帰国する。
武帝 前121 匈奴の渾邪王、漢に降伏する。
西域諸国、匈奴の支配を脱す。
武帝 前118頃 武帝、張騫を烏孫に派遣する。
武帝 前116頃 張騫、副使を西域諸国に派遣する。
武帝 前115 張騫、烏孫から帰国する。
武帝、武威・酒泉郡を置く。
武帝 前114頃 張騫の副使、各国の使者を伴い帰国する。



和帝 97 西域長史王林、車師後王[シ豕][革是]を斬る。
班超、甘英を大秦に派遣する。
和帝 100 蒙奇・兜勒国、漢に内属する。
和帝 101 安息王満屈、漢に師子・条枝大爵を贈る。
和帝 102 班超、漢に帰国する。
0886世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 03:40:42.250
>>877
「断絶しちゃったんじゃなくてダレイオスが断絶させた、ダレイオスに殺されたガウマータ(いわゆる偽スメルディス)の方がカンビュセスの弟で正統な継承者だった」というのが現代の歴史学者の見解。
正統な継承者から王位を簒奪し殺害しておいて「あいつは実は偽物だったんだよ」と言ってるのがダレイオス、ということになる。
0887世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 06:06:05.280
>>886
簒奪したなら、国がまとまるかな?
ペルシア人やメディア人はみんな長いものに巻かれる民族なのだろうか?
ガウマタがいた頃までは、反乱が相次ぎ、帝国は崩壊寸前で、
ダレイオス即位後、帝国がやっとまとまり、繁栄に向かうことができたのは何故だろうか?
0888世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 06:43:21.590
>>887
まあこの話題に深入りするとスレチになるが、ペルシャ人の伝統として君主専制よりも合議制の傾向が強かったみたいだから、必ずしもキュロスの血統じゃなくても貴族集団に支持される君主なら良かった、ということじゃね。

あと、小都市国家アンシャンの王から急激に膨張して広大な領域帝国の君主になって、それに相応な支配体制を整備できたかどうか。できなかったキュロスの血統は王位を失い、それができたダレイオスとその血統が長く支配を維持できた、と。
0889世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 08:22:21.410
キュロスとカンビュセス親子はエラム系アンシャン人だという説もあるね
ダレイオスが初代イラン系ペルシャ人の王だという説
当時イラン人が多数派になりエラム人が同化消滅しつつあった
0890世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 08:45:47.650
>>875
アッシリアは南の方ばかり領土拡大していたので
北から侵入したスキタイとかがメディアとカルデアに
加勢したのでアッシリアは包囲殲滅された
マケドニアも東の方ばかり領土拡大したので
西からケルト人やローマが攻めて来た

アケメネス朝とローマは四方に領土拡大したので
本国が帝国領のほぼ中央だった
アッシリアとマケドニアは本国のすぐ北が異国のままだった
0891世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 08:47:24.240
>>888
貴族集団に支持される君主というのは重要だね。
古代ペルシア人の集団って、ルール(法)厳守で、
ルール>王 というところがある気がする。
キュロスは征服戦が好きなだけで、
勝った後は良きに計らえで人に任せっぱなしだよなぁ。
戦いにしか関心がなく、統治に関心がなかったんじゃないか?

秦の力の始めは、商鞅の変法。
法は大事。
行き過ぎもあるけど。
0892世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 09:09:24.120
>>889
ペルシャの支配者テイスペス,キュロス1世,カンビュセス,
およびキュロス2世は皆それぞれ「アンシャンの王」という称号を持つ。
テイスペスがエラムからアンシャンを奪ったからだが、
もともとエラム人なのかい?
0893世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 09:38:32.090
>>885
甘英がローマまで行ってれば、評価できたのに。
0894世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 10:38:26.840
>>892
クル(キュロス)はヴェーダ文献のクル族と同語源という説がある
もとはペルシア系だったがかなりエラム化していたとする
0895世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 12:01:54.440
秦漢時代の頃の日本はちょうど弥生時代に相当する
0896ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/29(水) 19:14:00.170
>>857>>866>>890

ヒッタイトなんかも
領域内の部族みたいなのに
何度か首都ハットゥシャおとされちゃってるし

逆に長駆バビロン劫略しちゃったりと
やっぱかなりスカスカなんでしょうねぇ
0897ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/29(水) 19:25:04.050
>>891
古代ペルシア人の集団は
酒を飲まないと会議すらできない
ダメ人間ぞろいだったという話を
どこかでみかけましたが
どうなんだろう、、、
0898世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 20:19:47.810
中国も春秋期わ都市国家間はスカスカしてたし戦国期でも六国が秦に他の都市無視して首都落とされたりしてるしな
>>887
継体も簒奪でしょ、易姓革命かもしらんが
0899世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 02:59:06.800
>>898
継体は文献的にも考古学的にもちゃんと証拠出しての簒奪や革命を証明してる人おらへんで
適当に推測だけしてる人はおるけどな

アケメネス朝の簒奪が文献的なおかしさを指摘されてるのとは大分違う
0900世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 08:26:22.800
>>897
かなりの宴会好きで大酒飲みだったが
酒を強いることは禁じられていた。
少なくとも王の諮問を受けた賢人会議は席上でシラフだったと思いたいが。。
案外。。。。。。
0901世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 08:34:20.180
>>898
秦漢以後もスカスカなんじゃ?
だから県城を城壁で囲む必要があった。
点の支配が限界で、残りはきっと解放区だな。
0902世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 09:36:04.770
>>901
宋代以降、県城の城壁の外に「卿紳」に指導される農村世界が形成されていく。
その「卿紳」たちから奪権していったのが「中国共産党」の支配する「解放区」。
0903世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 09:44:20.940
>>899
アケメネス朝も継体朝ももっともらしさは同程度じゃね?
どちらも状況証拠や史料の検討から、当事者の主張は怪しいとしてるわけで
0904世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 09:48:20.180
少なくとも、雄略朝期の急進的な権力集中政策の反動による混乱を収拾したのが、
継体朝だったのは確かだな。

古墳時代の同時代の金文による一次史料で名前が出てくる大王が雄略と継体だけ、
というのも興味深い現象。
0906世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 21:51:20.080
先秦時代なんか、あの広大な大陸に人口二千万人だろ
しかも、現代とは違って深い森林に覆われていた

まったくの別世界をイメージする必要がある
0907世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 21:55:40.620
言語も、もしも現代人がタイムマシンに乗って当時の中国に行き、人々の会話を聞いたとしたら、
中国語というより、ベトナム語とかタイ語とか、東南アジアの言語に聞こえるだろうと言われている
0909世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 22:45:18.290
>>907
甘粛から関中に出てきた秦人だとチベット語に近い言語を話してたんじゃないかな。
0910ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/31(金) 00:04:53.480
>>422>>421>>398

西域に目を奪われガチだけど
秦漢代は中華の南域が大幅に拡張された時期

北は強すぎたので南でヒャッハーしてみました
0911世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 10:44:37.690
>>910
広州付近や広西付近、海南島、ベトナムは交州九郡で直接支配。
ベトナムは何百年も中華王朝に支配されてるのに、
よくまぁ同化せずに独立を果たしたものだな。

一方、漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)で朝鮮半島北部中部を400年間直接支配。
こちらは、よくまぁ、あの朝鮮半島を長期間支配できたものだな。という感想を持つ。
0913世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 13:23:01.810
>>910
戦国〜秦で大幅に南限が広がったのに漢初の動乱で盛大に喪失してるけどね
前漢はむしろ秦より南限が後退していたりするからなぁ
楚漢戦争期なんて黥布の九江、淮南辺りがほぼ南限になってて
その後漢代通じて時間掛けて南方に拡大してる

代わりに、秦代には南海貿易の交易路に点在していた都市の支配だった荊州が
南陽は前漢末辺りから、南郡以南の五郡が後漢を通じて開拓されたことで
領域的な支配が進んで、ここらが完全に北部と接続された地域に変化してはいる
0914ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/01(土) 21:24:05.660
>>911
やっぱ東の四郡はめんどうだったのでしょうかね、、、

>>913
ほほぉ、なるほど

そしたら始皇帝の中の人は
南海貿易はどのくらいやったんだろうか
0915世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:14:16.660
南海貿易が盛んになったのは、唐の後期くらいからではないか?

それ以前は、シルクロードの陸路が中心でしょ
0916世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:15:18.430
シルクロードの陸路だって、前漢の頃は未開拓だったような?
0917ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/01(土) 22:30:38.270
>>473>>474>>790

霊渠で直接的にミナミと接続されるようになったので

始皇帝の中の人はともかく
後は運河沿いに開拓が進んだっぽいですね

そもそもミナミに出かけていった理由が
南海貿易を志向していたとしても
なっとくできる要素ではあります
0918世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:02:04.040
南海交易わ漢代からやってるけど時代と伴に段々大規模に
でも自前でインド越えて西洋まで行くのわ宋代に成ってから
0919世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:52:13.450
今のような船が昔からあったわけでなくて、草船、丸木舟から少しずつ進歩したらしい
竜骨発明前は平底で大型化できず、外洋に出られれないので沿岸伝い航法
0920ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 00:00:13.500
南海交易自体は遅くとも殷代からやってますけどね


後漢時代は領域の進出も合わさったのか
建造船の発達と海洋地理学的な発展がみられます
0921世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:08:24.740
ジャンクはキール(竜骨)を使わない大型帆船だけど
これ、独特の技術発達のおかげで外洋航行可能な上、明代までは西洋帆船より優れた点が多かったという謎技術

アヘン戦争まで現役だったから、性能に関しては推定ではなかったりするところもまた凄い
まあ、未だに現役なイスラムのダウ船には負けるけど
0922ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 00:11:59.410
そういえば鄭和さんの船は
構造なんかは推定されてたんでしょうか?

というか、残ってるやつそのままだったりするのかな
0924世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 03:51:44.320
>>918
ん?

秦はベトナム遠征で南海貿易を強化したりしてるように南海貿易の始まりは漢代どころの話じゃないよ
始皇帝が統一事業終わった後に速攻でベトナム方面攻め込んだりしてる事から考えても
戦国時代にはもう旨味も経路もある程度出来上がってたことが推測できるし
0925ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/06/02(日) 06:05:52.940
>>923

宝船サイズでかすぎるけど
ジャンクなら建造可能なんだろうか、、、
そんでもってちゃんと寄港できるんだろうか、、、


短足おじさんの一言


鄭和の宝船の大きさ

 13日のエントリー皇帝の夢」で中国明朝時代の鄭和の大航海の話を取り上げた。
その艦隊の旗艦を宝船(ほうせん)と名づけていたのだが、現代の常識で見ても信じられない大きさである。


見つかった宝船造船所遺跡

ソース
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/Chapter3.pdf 英文です。

上掲ソースの元は
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/FU-South-East-Asia-Archaeology-Brochure.pdf

私はこのキムラ ジュン氏については知識が無い。ただトヨタ財団の援助での研究なので信頼して良いと思っている。

そしてこの造船所遺跡なのだが・・・
まあこのバカデカい造船遺跡を見ればそれ以上説明扶養と思います。
この遺跡、長さは421m、幅41mなのだという。
伝えられる宝船の長さは137mなので、長さは十分。しかし幅は56mと伝えられているので幅が不足だが、造船上は問題ないらしい。
0926世界@名無史さん
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2019/06/02(日) 06:32:51.140
>>914
朝鮮半島南部を直接支配しなかったのは面倒だったんじゃないかなぁ?
南部の三韓なんてそれぞれ小国の連合体みたいで、
征服しようと思えば楽勝な気がするが。
0927世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 06:56:14.400
>>926
ああいう、南北に長い地を征服するのは容易なことじゃない

「イタリアは長すぎる」というナポレオンの言葉は有名
0928世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 07:07:52.780
現在のタイの主要構成民族のタイ族は
BC1000年頃にはムアン・ルン(西安の北西)、ムアン・パー(現在の重慶)、ムアン・ギャオ(長沙)という都市国家(ムアン)を形成。
BC215年に秦がムアン・ギャオを攻撃したため
タイ族は逃れて南下、雲南省にムアン・ペーガイ(哀牢国)を形成。
漢の武帝によって哀牢国は滅ぼされたものの一度は復活再建した。
しかし結局、後漢によって滅ぼされた。
多くのタイ族は東南アジアに移って、
移住したところで王国を形成していったんだろうね。
雲南省には少数民族として、タイ族が残ってる。
水掛け祭りのパフォーマンスがあって
水を浴びせられたぞ。
暑いときだったから気持ち良かった。
0930世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 09:42:49.110
>>924
南海交易の始まりわ一般に漢代と看做されてて、それ以前は定期的な交易じゃ無く稀に往来が有った状態
0931世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 12:59:12.260
>>928
それラオスの教科書にあるトンデモだよなあ

>BC1000年頃にはムアン・ルン(西安の北西)、ムアン・パー(現在の重慶)、ムアン・ギャオ(長沙)という都市国家(ムアン)を形成。
ルン=隴
パー=巴
ギャオ=เงี้ยว(ngíao;シャン族)

大した根拠もなくここもあそこもとウリナラ認定して自国風の名前を付けるもその根拠は結局は漢文というお粗末さ
0932ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 13:36:59.280
>>930
ふむふむ、なるほど

そしたら漢代には何処から何処に
定期航路ができていて
どの程度の頻度で運行されていたのでしょうか?
0933世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 15:19:55.260
>>930
「一般に漢代」というけどざっと検索かけてもコトバンクで
ブリタニカを出典に秦のベトナム遠征から始まったとか書いてるあるけど
貴方の言う一般とはどこの一般なのでしょうか
0935世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 22:50:57.360
>>934
中国の史学界の一般ってことは元になった論文あるんだろうね

誰のどの論文が元になって一般化したの?
0936世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 23:40:33.300
一帯一路政策で海のシルクロードをアピールしてるから
一昨年から古代南海交易に関する宣伝や論文が数多沢山出てるよ
0937世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 02:54:23.720
秦代で南シナ海沿岸まで中華文明圏が延びたんだからそれ以降から南方との通航の記録が出てくるのも当然だろうねえ
0938世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:29:13.900
>>936
で、漢代からってのはどこから?

秦のベトナム遠征から南海貿易ってのが普通の話だと思ってたけど
「一般的」と言うからには俺が間違ってたのだろう
確認したいからどの学者の何て論文で漢代スタート認定されてるの?
0939世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:34:32.360
あーあと一杯論文出てるっていうけど一杯じゃわからんから
端緒となる論文とか代表的なの例示してみてくれよん
0940世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 20:14:47.820
>>938-939
関于中国古代海上絲調之路最早始発港研究述評
東南亜与海上絲調之路
古代海上絲調之路対南海区域的影響

何れも漢代を南海交易の始まりとして居るね
はい、完全論破
0941ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/03(月) 21:43:43.960
>>940
ほほぅ、うほほ

それには何処を拠点にどの国と
どの頻度で貿易したことになってるんですか
めっちゃ気になります

まぁ、秦代に定期交易がなかった理由は容易に想像がつくので
あったとしても定期便は漢代以降でしょうけど
0942世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 23:30:20.850
>>941
そりゃ統一からあっという間に滅んでるからな
王朝が維持できてなきゃ定期便なんて成立せんわな

>>940
漢代に定期的になった、安定的なルートとして確立されたという話やんけ
始皇帝がルート整備して南海貿易は既に秦には始まっていたし
秦以前からもある程度行われていたって事は背反しないのだが
「スタート地点」は漢以前だし、漢で持続的になった、って話を勘違いするなよ

南越が始皇帝の遺産ガメて南海貿易していたのもあるしな
0943世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 23:54:41.650
最初から定期的な交易が始まったのわ漢代と書いてるよな
それと>>933は誤りで中印間の接触は楚の時代から有る
0944世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 00:47:36.850
>>930
うん?だから「始まり」は秦以前って言ってるでしょ?

君は>>930で何故か定期的な交易だけが南海交易だと言ってるけど
もっと前から交易自体は存在してて南海貿易は漢より前から始まってるって言ってるんだけど?
0945世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 19:29:36.700
南海交易わ一般に漢代から始まったと看做されて居る
それ以前の不定期、偶然な往来や交流も推認出来るけどね
0946ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/04(火) 19:56:14.290
しょうもないから別の話にいくか、、、、

>>921>>920
漢代の船の船体構造がどんなものか
調査可能なんだろうか、、、

ジャンクとして出てくるのは結構遅そうですね
0947世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 20:51:23.000
ジャンクは宋代に完成を見たって言われてるよね(だから、東南アジア交易が一気に拡大した)
それ以前も技術的には同系列なんだろうけど、唐代や漢代の船は考古学的な発見難しそうだなあ
0948世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 21:49:29.660
ジャンクを過大評価するのはどうかねえ。「外洋航海」も可能って、沿岸航海に毛の生えたレベルでしょ?

ヨーロッパの外洋船はマゼランの時代にすでに、インドネシアのモルッカ諸島からインド洋を突っ切ってアフリカの喜望峰まで直行するレベル。しかも完全に未知の大洋を。まあ航海術のレベルも大差あったろうけど。
0949世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 23:11:59.090
西欧の航海術は中国のそれをモンゴルが伝えた物な
大型の外洋航海ジャンクはガレオン以上に外洋航海用
0950世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 23:25:55.550
>>948
その時代にモルッカ諸島から喜望峰まで直行って、船乗りは自分の位置をどうやって知ったんだろう?
緯度は天体観測で分かるけど経度は分からないはず。
0951ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/04(火) 23:40:55.510
>>950
ログを取ったのではないでしょうか、、、

>>947
地中海から離れたとこの
船発達過程の情報はみたことないっすねぇ
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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