科挙の歴史
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
金持ちの家に生まれてただ勉強して酒を飲んで女を抱いて36ぐらいで科挙に及第して
試験地獄と言いながら幸せなんじゃないの >>189
いや、そやから十三経を暗記しただけで策問回答できるかちうんや ttp://youmei.asablo.jp/blog/2009/02/01/4094868
太子監の一つが前身な北師大学堂は外国人が教官だったり生徒を外国に
留学させてるけど,近代的な学問の要素を取り入れた場合の科挙にも
興味があるw 生員止まりじゃ科挙官僚とは言えないでしょ……
清末生員とか金で買えるし……
この下の人は進士になってさらに清末、民国を生き抜き1949年には全人代の代表に選ばれたらしい
張 元済
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%85%83%E6%B8%88 と言うかこの人に限らず進士→民国〜中共官僚は意外と居る 北京大学学長でヨーロッパへの留学経験を持つ蔡元培も
進士を経て官僚となった人物か
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A1%E5%85%83%E5%9F%B9 >>200
その人92歳まで生きてるやん
その時代にしては驚異的な長生きやな 最後の清朝皇帝が皇帝な満州帝国で漢民族向けの高等文官試験を
科挙と称した架空世界(非漢民族は別称)
もちろん殿試には溥儀自ら立ち合いますw 殿試だけどここでの順位が配属先の官庁を決めるという意味では
フランスのENAに近いんかな? 中共創設メンバー見てると秀才や挙人ならちらほらいるけど、進士は見当たらないなあ・・・ 科挙ネタではないが
民国期(北洋軍閥期)の官僚ってテクノクラートより人文系が優遇されたんかな? >>19
胥吏だけど江戸時代の日本でいえば武士以外の層から採用された
代官所手代あたりがわりかし近いんやろか?
(給与なんかはおいといて) 殿試の後、地方の役人として派遣された人は癒着防止のため
地元に配属されたなかったと 満州国の政治家の中にも進士はおったんかな?
清朝の遺臣が請われてあるいは自らの意思で満州国に渡ったりとか。 日本でも下級武士で採用された例とかあっても
福沢諭吉が門閥制度を憎んだりしているし
今の社会のように事実上の差別は根強いからねえ 華夷序列思想に
凝り固まったチャイナマンが
他の世界に留学をしたのは
仏教経典を取得するためにした
インド世界以来だね 逆に西洋の大文明世界からチャイナマンの
ところに留学など聞いたことがない
チャイナマン文化は結局物事を現象で
終わらせてしまって再現性を重視しないからだよね
基礎研究という概念がない >>212
天は人の上に人を作らず 人の下に人を作らず
などと言いながら、自分の娘の婿には士族以上の身分を望んでいるからなぁ 天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず
などとはそもそも福沢諭吉は一言も言ってないからな >>191
年功序列がはっきりしているのがあちらさんの自慢だろうに >>205
殿試は不合格を出さなくなったから順位づけのためだけだからなあ
フランスのグランゼコール制度も科挙に似てはいるけど >>219
井上靖の小説「敦煌」の主人公の趙行徳は、
殿試落ちて放浪して西夏の漢人部隊に拾われて、
読み書き出来ることから、西夏の漢文担当書記になったよな。
まぁ、所詮小説だからフィクションのわけだが。 でもこの仕組みだと、殿試で落ちるやつは普通に出てきそうなんだけどな。
文章語としての文言はパーフェクトに出来るけど、口語は南方の訛りが強すぎて、口頭試問を受けてもまったく会話にならない例って出てきそうw
「殿試は全員合格」だとしたら、どこで口語のスクリーニングをかけたんだろ? >>220
「一神教の神はイエスがメシアであるという
話を信じる連中の中で、
誰が偉いだの偉くないだのといった序列をつけなかった」
という程の意味だ >>220
言われているけれど違うって書いてあるよ 劉瑾の財産は処刑後に没収されたが、『二十二史劄記』によれば、没収財産は金250万両、銀5,000万両、その他無数の珍宝があり、当時の明朝歳入の10年分に相当するものであった。 人の上になんたらと言われているけど実際は違うって言ったんだよ
その理由は学問の差だと 結局、勉強は記憶
暗記が勉強の全て
立派な人間になる必要はない
ただ、試験に通ればいい 今は目の前のことだけでいいや
ただ、繰り返し読もう アメリカのIT大手が優秀な人材を集めたいってんで
試験を工夫したけど、結局試験制度ではバカしか
集まらないんで勧誘制にかえたとかいう
話がなかったっけ?1500年も科挙の愚かさに
気づかなかった支那もすげえよな 試験に通るのって疑わずにそのまま受け入れる馬鹿だもん
司法試験合格者の法曹が馬鹿ばかりなのもな
何だよ自白事件って
どうして自白なんてものが当てになると思うんだか
証言も同様でこんないい加減なものな >>229
どうせ公平な入学者選抜しても
不公平な入社・就職選抜がまっている
大差はない 試験をやるとどうしても試験に通ることだけに特化した
勉強のできるバカが来てしまうんだよなこれはすごい逆説で
皮肉な話だそもそも人間の能力を可視化(実証)するのが
目的だったのにダメな人間しか集まらないんだもの
科挙をやりまくっても科挙から世界史に残るような偉人はゼロ
科挙のない欧州の天才学者は数知れず
この差はやはり総合的な知能の差なのだろう 違うと思うな
例えば欧米でもピアノや楽器で超絶技巧レベルで全くミスをしない達人を集めるだろ?
そうするとそういうタイプの人間からはほとんど優れた作曲家は生まれない
実際生まれてない
そういう感じ >>235
19世紀あたりからの試験制度は実質科挙だが 本当の天才は一芸特化だから総合点はそこまで高くないわけで 史上最高天才候補の一人フォン・ノイマンは間違いなく天才やけど人格的には酷かったらしいな
ロスアラモスの研究所で核開発してたとき他の研究員は激しく葛藤しつつ苦悶しながら研究してたけど
ノイマン一人だけは嬉々として研究してたらしい
一芸特化というのはそういうことや >>238
暗記型採用試験?
以前教会や宗教でそういうのないかって質問したんだけど
ないってレスされたけど >>231
アファーマティブアクションや既存のエリート選抜システムへの反発から試験一元制を導入しろという主張のアメリカ人も一応たまに見かけるが…
正直それがアメリカ人気質やアメリカの大学制度とどこまで噛み合うかは未知数だなあ >>243
キリスト教だとまず聖書の暗記と書き写しだろうなあ
聖書は古代支那でいうと春秋戦国と四書五経を
まとめたような書物で、これらの暗記や独唱などは
基本であったろう。それとキリスト教だと中世から
ユークリッドの幾何学を学ぶ。 >>244
それは良くないだろうなあ
支那清朝でも征服したばっかの異民族を介入するために
科挙で甘く点をつけてたというのが反発を招いたと
あったし、勉強のできる無能が集まるのは競争社会の
アメリカで、投資家がこれを許さないだろう。試験だけが
基準だとガリ勉バカの中共から逃げてきた中国人や
カーストから逃げてきたインド人だらけになる。つうか
もうなってるからなあ。数学五輪や科学五輪の代表が
ほぼ全員中国から逃げてきたやつで笑ったわ >>245
あったのだろうじゃなく
実際あったのならそれもほぼ科挙だな
記録あるのか知らんけど 司法試験もどう見ても自白の強要なのを任意だと書かないといけない
傘をさしてないと怪しいとか傘を持っていなかっただけだろ
他人が共犯だと自白したら逮捕されるってふざけるな >>247
あったよ。聖書の暗記なんてイスラムでは最重要科目だった
ユークリッド幾何学は当時の神学生が苦戦してたと聞いた
やっぱ数学が苦手な人は
多いんだね古今東西 だって数学って言葉で説明しないじゃん
三角比でさえ長さの比率だって気がつかなかった
一言言葉の説明をしないんだよなあ 神学教育はギリシャ譲りで哲学や修辞学を教えるのは大きな違いだと思う。
抽象論理を操る訓練は丸暗記教育とは違うし、それが近代科学を産む母胎になった。 >>240
確か本家科挙でも一芸特化の試験をやったことがあったよな。
本流の合格者以上に使い物にならなかったのと、
本流からのいじめで1回か2回かで終わり。 >>252
むしろ科挙の勉強なんて哲学と修辞学がほとんど全てだろ 王朝の最初は問題解決能力がありそうなやつを登用し、
中頃は無難なやつ、
後期はおべっか使いが受かる
をずっと1500年くりかえし。
それ以外の人材登用の
方法の探求や基礎研究一切なし
やっぱ保守はだめだね 落ちこぼれが生まれるのは言葉で説明しないから
できる奴は見れば分かるだろうなんだろうな 法学の試験もふざけた理屈を書かないと点数をくれない 無能かどうかはわからないが、科挙型受験好成績のが犯罪率は低いだろな グレー行為でとどまる、
どこまでがアウトかをきちんと理解して限界を漂う >>255
基準が変わらないならそんな性格変化は起こらない気がするが
科挙で受かるのは良くも悪くもエリーとタイプ 参考答案を読み込むことにした
松屋にハンバーグを食べに行く 司法試験もふざけた理屈で冤罪や自白の強要を正当化する文章を書かないといけない
連日深夜までの取り調べは社会通念から考えて任意捜査の限界を超えてはいない 裁判官になってもくだらない理屈を書いて有罪判決を下すだけ
検察官になっても被疑者を苦しめて自白させるだけ
弁護士は無意味な弁護をする寄生虫
官僚もくだらない仕事
学者はくだらない研究 科挙って中国が近代国家になってからは旧い悪習みたいな扱いだったんだろうか? 科挙は支那の民主主義ですよ
西洋みたいに感情任せの投票と多数決による
ものとは一線を画す
古代支那の科挙制度はアリストテレスが最上の
政治制度、つまり名君の独裁の次点として唱えた
「最優秀者による独裁」制度であろう。 欧米の投票制度は宗教戦争を開始する前の模擬戦争なんだと
思うな。それは住民たちの「Aか反Aか(カトリックかプロテスタントか)」といった
信仰を明らかにするための作業であって、民主主義などとは関係がない。
ましてやよい政治・良い政策とはなんの関係もない。第一話し合いという
作業が両者にはないのだ。現在のアメリカを見てると投票は宗教戦争の
一形態に過ぎないことがよく分かるよ。
みんなはどう思う? アメリカなんか共和党と民主党の二択でどっちも庶民の敵 そういえば「庶民党」という政党を聞いたことないなあ
あってもよさそうなもんやのに
なんだ無いんやろ 人民党や国民党ならたくさんあってありふれた党名なのにね
庶民党は無い シンプソンズであったな
大統領選挙で共和党:地球人を奴隷にする、民主党:地球人を奴隷にする
どっちに投票する?ってのが 和田秀樹
受験は要領16ページ
たしかに、こんな受験制度があるのは、実際、日本の将来のためには情けないことではある。
いまのままでは、創造性や個性的なセンスを持つ者は排除され、
命じられたことをおとなしく憶える「暗記バカ」ばかりがエリートということになる。
これでは、画一的人間ばかりつくり、オリジナリティを封殺してしまう。
とはいえ、私たちは、今も昔もその制度のもとで生きているのも事実だ。
大学入試に挑戦するなら、この暗記力テストを避けて通るわけにはいかない。
だからこそ、このバカバカしいテストを要領よく切り抜けていこうというわけである。
大学入試を”暗記力テスト”と割り切れば、対策は簡単なはずである。
なまじ思考力を鍛えようと思ったりせずに、出題されることだけを、要領よく丸暗記していいわけである。
もちろん、思考力は実社会に出たら必要だが、受験では無用に近い。
たとえば、国語で独創的な読解をすることはすばらしいことだが、それでは点にはならない。
点になるのは、再転換が欲しがっている、パターンにはまった”感動”に基づいた模範答案なのだ。 アジア人は「秩序と序列」がすべてなので、
男性という力が必要ない。だから「おとなしくて可もなく不可もない」という
小役人的な人間が好まれる。
だけど中東や欧米は問題が多発するのでそれを解決できる
男性的な力を要求される。
で、アジア男性はモテない。男性じゃないから。
欧米男性はモテる。男性だから。
アジア人なんて全員女性でもいいんじゃないかな。
存在自体に意味がないし。 アジア人というより日本人だろ
三国人はうるさいといわれる
ドイツ人のがおとなしいろう >>243
それは、暗記した内容の直接的文言のみ問うのではないということ。
或る命題や経典などの内容について、諸説さまざま突き合わせたうえで、
それを回答者自身はどう解釈するか、また、その根拠は何かを問う、ということだよ。
だから、たとえば、ユダヤ教のタルムードは端的に言えば学説集一覧だし、
またたとえばキリスト教の中世スコラ哲学の論文は、その論述内容自体が、
或る命題に対する諸説を列記した問答から論拠と結論を導き出していく、
という様式になっているのがごく普通なんだな。 判断じゃないよ
司法試験と同じで正解とされていることを書かなければいけない
それに反する場合は説得力というけれど判例自体に説得力はない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています