イスラム教は何故、日本で広まらなかったのか
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>>98
明代と清初は基本的に民間交易禁止の海禁政策じゃないの? >>101
長崎に入港してた清船は公的な外交使節などではなくただの商船ですが >>102
それは遷界令解除後の清中期あたりからの話では?
明朝の時代、倭冦が隆盛となり、勘号貿易と言う名の使節交易が行われていた理由を考えれば分かるはず あまり先進的ではないしなぁ、むしろ当時の日本人から見ても野蛮だろ。
「多神教徒・無神論者を見つけしだい殺せ」なんて
7世紀の日本でも拒否されただろうな 見つけたら殺せっていうのは戦争の時の啓示で、
日常の行いを規定した恒久的なものじゃないだろ
降参するなら受け入れろとも言っている
だからインドのヒンドゥー教徒は何億も生きている
キリスト教徒の隣人愛は同じ信者の間でだけ適用され
異教徒を殺すのにイエスは理屈すら付けていない欺瞞
野蛮に見えても正直な方がいいね >>85
明治以降はそうかもね
それより前はまともに日本に入ってきてないからなあ
インドネシアのイスラム化だってそれなりに時間かかってるし >>100
日本は鎌倉仏教の時点でかなり世俗化してるからねえ
面倒な宗教はその時点で流行らん気がする 対立越えた世界へ 朝日地球会議2018〈1〉:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S13694462.html
2018年9月25日05時00分
東京大先端科学技術研究センターの池内恵准教授は、日本と中東の関係の転機として、
15年1月に表面化したシリアでの日本人拘束事件を挙げ、「日本ではISが国際問題から国内問題になった」と述べた。
「ISの理念はおそらく今も生きている」とする一方、領域支配がほぼ消滅したことで、
中東で「ISという共通の何かがなくなることで、秩序が見えにくくなっている」と説明した。
(会場からの質問に対して)
池内さんは「一つの枠組みで世界を見ることが難しくなっていく時代」との認識を示した上で、
「あたかも衝突によって世界が終わるというような危機感は考えすぎ、杞憂(きゆう)と思う」と答えた。
サヒーフ・ムスリム フィタン及び最後の時の書
二人のムスリムが相戦うことについて
http://www.muslim.or.jp/hadith/vol3-732.html
ハンマーム・ビン・ムナッビフは伝えている
アブー・フライラは、預言者のハディースを多く伝えたが、これもその一つである。
アッラーのみ使いは言われた。
「“最後の時”が至る頃には、ムスリムの二大グループが相戦い、相方間に大虐殺が行なわれる。
(相方がそれぞれ正当性を主張したとしても)相方の言い分は、同一で良し悪しはあり得ない」
アブー・フライラは伝えている
アッラーのみ使いは「“最後の時”が迫る頃には、騒乱が多くなる」と言われた。
「どんな騒乱ですか」と聞かれた時、み使いは「殺し合い、殺し合い」と言われた。 池内恵はその功罪を測れば罪のほうが大きい
対イスラムの興味を削ぐような下世話な偏見ばかり撒き散らし、
アラブやイスラムについて研究者や専門家が育たない環境を作っている
結局井筒俊彦のほうが役に立っている >>109
申し訳ないけど「下世話な偏見」というのはあなたの偏見なのでは?
池内氏の発信している情報は腑に落ちる優れたものだと思うよ。 いや、欧米目線でイスラムを見下しているあさましい物言いだと思うよ
読んでそれを感じずかえって心地良いのなら、
お前の中にすでにある偏見が強化されているからにすぎないよ >>104
同時期に日本は「和を以て貴しとなす」だからな
全く運命が分かれた 和することなく戦い続けるからこそ、軍事技術や宣伝工作や詭弁の水準が向上する。
終わりなき殺し合いが一神教世界の発展を促した。殺し合いこそが発明の母だ。 ムスリムマンセーしないと研究者が増えないのでマンセーするのは仕方がない。
しかしマンセーしすぎると勘違いがどんどん増える。 中東イスラーム研究家の池内めぐみさんは「コーラン」の発音アクセントが「高覧」なのが個性的で面白いと思う。 >>114
別にムスリムマンセーする必要はない。むしろイスラム教の脅威を煽ったほうがイスラム研究の志願者が集まる。
研究医が病原菌の研究をするのは、病原菌を広めたいからではなく病原菌の脅威を抑えたいからだし。 >>104
大抵の場所で拒否されてた事を理屈つけて肯定しちゃう宗教だったから強かったんじゃね
と言うかインド人の間でヒンドゥー教が生き残ってる時点で……
北欧やケルト、ギリシャローマ神話を熱心に信仰する人がもはやほとんど居ない時点で同調圧力や迫害&征服に関してはキリストの方が一枚上手なんじゃなかろうか…… 鎌倉〜室町あたりの武士にジハードの概念持たせたらやばそう >>116
そんなことをすると文献とか見せてくれない。
研究はマンセーが基本。
細菌の比喩は正しくない。
社長を研究するのに社長をおだてないと情報が引き出せない。 >>116
中韓の脅威をいくら説いても嫌中嫌韓を煽っても、
東アジア研究者なんて激減する一方なんですが?
ネットの浅い語学不要論によって、
中国語どころか語学そのものが大学の選択必修から外されて
大学の非常勤講師が軒並みクビになってるのが今の日本ですが?
それが日本人の浅ましさだよ
嫌いなものに興味は持たない、よく知らないものはバカにする、それが日本人
少なくとも今の日本人
半植民地状態で屈折した心情で占領国同然の列強から文物を学んだ明治の日本人はもういない >>112
「以和為貴」は日本人の気質でも何でもなく、戦後処理の命令にすぎない。
蘇我・物部抗争でさんざん豪族や天皇が殺されてようやく崇仏派が勝った時の勝利宣言でもある。
「仲良くしろ」は実際には「言うことを聞け」という命令なんだよ。
イスラームと同語源のサラーム(平和)が具体的には「戦いの後の秩序」を意味するのと同じ。
さらには中国の西部や西北にやたらと「安」「寧」「平」「康」などの字のついた地名が多いのも、
血なまぐさい反乱鎮圧・住民大虐殺の痕跡であるのと同じ。
コーランにおける「異教徒に遭ったら殺せ」は戦争中の命令の啓示。だから「相手が降参したら受け入れろ」
と後に続く。コーランはいつもアメとムチ、脅しと寛容の対句のワンセット。脅しだけ引用するコピペが多すぎ。
実際には十七条憲法の戦後処理と言ってることは大差ないのだ。 啓示宗教がそもそも日本に合わない
神の権威の元、全ての野蛮な行為が正当化されてしまう
一神教は知性と理性の敵 >>121
それは違う。
日本では渡来人や曽我氏を味方につけた聖徳太子が、物部氏に戦争で勝利したが神道が捨てられることはなかった。
一方、ヒジャーズでは遊牧民や若者を味方につけたムハンマドの啓示宗教がオアシス都市マッカのクライシュに勝利し、多神教は捨てられた。
ムハンマドは生前アラビア半島からユダヤ人とキリスト教徒を追放するよう命じた。
ムハンマドはアラビア半島から多神教を追放するよう遺言して亡くなった。
聖徳太子とムハンマドの行いは真逆であり、どっちもどっち論は現実に対する理解を歪める。
聖徳太子(厩戸皇子)の死後、子の山背大兄王が暗殺されるなど政情不安はあったものの、
あくまで権力闘争であり宗教戦争ではなかったので、イスラム世界のように抗争が長く続くことはなかった。
キリスト教徒やイスラム教徒は、日本に一神教を広めるうえで、多文化共生を謳う聖徳太子の存在は明確に邪魔と感じており、
聖徳太子の権威を失墜させることで仏教と神道を日本の思想体系から排除する必要を感じているだろう。 聖徳太子は馬小屋で生まれた。つまりイエスの勘違いである。
天皇家はイエスの親戚です。
真のイエスの家系を引き継ぐのは大日本帝国だけです
事実皇室がキリスト教徒密接なのはこのためです >>124
宗教対立の話じゃない
蘇我と物部の権勢争いであって、文化の輸入を行うかどうかという国策の争いだ
お前勘違いしてるわー
大事なのは勝者が秩序をもたらすと言う意味での「みんな仲良く」にすぎないということ
日本で俗流に解釈されている「みんな仲良く」としての「以和為貴」は「誰も悪くない、誰が正しいということもない」
という「喧嘩両成敗」の意味だが、十七条憲法のそれはそんな意味ではなく、勝者のもたらす秩序にすぎない
物部氏が没落して廃仏派が無くなったのはまさに弾圧後の状態じゃねえか
神道そのものが滅びなかったのは、太子の意図と関係なく仏教そのものが現世利益中心の土俗的信仰と共存する宗教だからだ
チベット仏教とボン教、タイのピー、ミャンマーのナットなどがそれで、オカルト性に乏しい仏教は、
落ちこぼれ信者の受け皿としてそれらを黙認する 126続き
日本人はケンカや戦争を繰り返す血なまぐさい民であり、ちっとも平和を愛する民族なんかじゃないだろ
「多文化共生を謳う聖徳太子の存在」 そんなもんどこの布教者も鼻で笑って無視するわ
「日本の思想体系から排除する必要を感じているだろう」 被害妄想、自意識過剰、そもそもが誤読の産物 日本の宗教体系の在り方を決定づけた聖徳太子の権威失墜は、一神教の拡大に必要不可欠。 一神教にとって、神仏を擁護する天皇の存在が邪魔。天皇の権威を失墜させるには聖徳太子の権威を失墜させるしかない。 今さら聖徳太子の評判なんて落とす意味なし
すでに実在すら疑われている
しかもキリスト教勢力と全く関係なく
知らないのは田舎の引きこもりの老害だけ だが待って欲しい。
厩戸はウマイヤに発音が似ている。聖徳太子はムアーウィヤの前世ではないだろうか。 ユダヤ関係もそうだがセム語と日本語を結びつけたがる人は
語根や派生語、活用形の全てについて関係づけろよゴルアと思う だが待って欲しい。
シリアのアレッポにあるウマイヤド・モスクこそは、厩戸皇子つまり聖徳太子の霊廟なのではないか。 >>127
> 「多文化共生を謳う聖徳太子の存在」 そんなもんどこの布教者も鼻で笑って無視するわ
法華宗に他宗教への誹謗中傷をやめるよう力づくで認めさせた織田信長とか知らないの?
時の権力者による“寛容を求める恫喝”を鼻で笑って無視できるはずがない。 >>135
聖徳太子の行いじゃなくて、聖徳太子の存在そのものが
今の日本の若い世代(といっても40代以下)にはほとんど忘れ去られているんだよおじいちゃん
知っていても沢山の人の話を聞き分けた、ぐらいだろ 「以和為貴」は日本人の気質でも何でもなく、戦後処理の命令にすぎない。
蘇我・物部抗争でさんざん豪族や天皇が殺されてようやく蘇我派が勝った時の勝利宣言でもある。
「仲良くしろ」は実際には「言うことを聞け」という命令なんだよ。 ムハンマドは聖徳太子のような生温い和平に甘んじることなく戦い続けたことで世界帝国を築くことができた。 聖徳太子は自分は手を汚さず汚いことは蘇我にやらせたってだけ >>136
聖徳太子の知名度て紙幣の肖像のおかげやったから
福沢先生に交替したら知名度激減してもたわ >>127
日本人ごときでケンカや戦争を繰り返す血なまぐさい民と言えるならこの世の中に平和を愛する民族なんかどこにもおらんわ ケンカや戦争を繰り返すと殺戮と収奪によって富の集中がもたらされ軍事技術への大規模投資が促進されて科学技術が発達する。 米国で科学技術が発展し続けられるのは、銃社会で戦争に匹敵する殺し合いが日常生活の中にあり、
貧富の格差による富の集中があり、大学や研究所が予算獲得で軍事研究する恵まれた環境があるから。 41 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2018/09/27(木) 00:07:18.57 ID:CRNykCiu0
>>1
>東京都豊島区にあるモスク「マスジド大塚」に集うムスリムの母親たちに聞いた。
この手の啓蒙記事だと名前出されるマスジド大塚
この前ダッカテロ起こして日本人たくさん殺した奴がマスジド大塚で働いてた件では
名前出されなかったのに、偉そうな啓蒙記事には登場するんだな >>146
今はアメリカに原爆落とされて一時的に去勢されてるだけ
GHQの思想統制で尚武の文化全般を根絶やしにされたのに
武道は復活しゲーム・アニメ・マンガは毎日戦争してる
リアルの戦争はいつでも復活待ち 日本人は一度立ち上がると「えぐい」戦争をするんだよ
バンザイ突撃、カミカゼ特攻、特攻専用の回天という武器、
テロでも空港で機関銃を乱射、地下鉄で毒ガスをまき散らす、等々
えぐい戦法の開発競争ではトップクラスにいてよく外国で模倣もされる
ドイツの戦艦ごと突撃命令とかそりゃ海外にもあるっちゃあるけど、
日本は実際にそういうのを最初にやった国である率が高い >>152
太平洋戦争しか念頭にないってのは視野が狭い。
日本軍の場合、日清・日露・日中戦争など他の戦争では特攻作戦は採用されていない。
実際のところ、玉砕攻撃は様々な国の軍で行われている。 小部隊とかが勝手に体当たりとかやっているだけ。
日本は組織的に最上部も知っている。 そんな戦法を公式に作戦としてやるのは日本軍とソ連軍だけやろ 日露戦争でも決死隊あったろ
後の戦争になるほど総力戦の性質が強くなるから、
直近の第二次大戦が典型になるのは当然じゃね
総力戦っていうのは諜報や宣伝も含めてイデオロギーの戦争の性質が強いってこと
アメリカが善玉悪玉にこだわって道徳の戦争にしたがったのもそれ
日本の場合は最悪の戦術すら宣伝材料にしてたよね 日本人のいじめの酷さを見ろよ
こんなクズ民族生きている価値はない 戦後の高度成長期は、世界中で一般にみられるものを日本固有のものと決めつけて日本を貶めたり腐したりするのが流行った。
今は一般人も色んな情報にアクセスできるようになったから騙される人が減った。左翼が非武装中立を唱えなくなったのと期を同じくする。
今どき山本七平とか名前を出したら失笑もの。
山本は、日本に溶け込めず、かといって本場キリスト教社会にも溶け込めず、偏った知識と体験をもとに日本社会にマウンティングしようとした愚かな作家。 と、時代に取り残された惨めな左翼くずれが申しております。 >>1
東アジアのイスラム化の流れを食い止めた
マガリャンイスの偉業に感謝を >>158
>山本は、日本に溶け込めず、かといって本場キリスト教社会にも溶け込めず、
山本はイザヤ・ベンダさんとかいう偽名でユダヤ人と称して著書書いてたから
キリスト教やのうてユダヤ教 そもそも布教してないし、キリスト教も布教してない
@そもそも北東アジアで大規模なムスリム移住、布教がない
Aキリスト教ですらフルボッコ追放=ムスリムが流行る要素がない
しかも日本でキリスト教禁じた理由がイスラムにも共通する事項でイスラムは受け入れられないだろう フィフィてオーヤンフィフィの親戚?
どっちも外人だし 日本にいるイスラム教徒は現場仕事が多そうだから、急いでいる時に礼拝をしていたら親方に怒られるんでね?
例えば、ペンキ屋で働いている時、塗っている途中で放り投げて礼拝したら、「乾いちまうだろ!」って怒鳴り声が飛んで来る。
ゴンドラに乗って高所で作業している時に、下でサポートしている奴が突然礼拝を始めたら死ぬかも知れない。
大丈夫なのか? イスラーム世界
礼拝で乾いてムラが出来ても、礼拝でムラが出来たといえば
依頼者が納得、むしろ褒められる
礼拝中なので天国に行ける・・・・はず
よって日本をイスラーム化すればよい
西欧化できたようにイスラームかも出来るはず >>168
礼拝時間はそんなタイトなもんじゃない
時間じゃなくて時間帯で決まっている >>163
山本名義のキリスト教入門書が山ほどあるのも知らんのかこのバカは >>173
ほなら何やったら信じられるねん
エルカンターレか? >>174
それは難しい話。
夕方に沈んだ太陽ですら、翌日の朝に昇ってくるかどうか
悲観的な宗教も有ったようですし・・・ エルカンターレのイタコは
西からのぼったお日様が東に沈む
とか言いそうやけどな ムハンマドの守護霊が取り憑いたっていう「アラーの大予言」っていいのかあれw 知られてないからな
ちなみにアッラーは第十次元のエルカンターレより下位の第九次元の霊な イスラムのアッラーは最高神を装っているに過ぎない。実際は悪魔。断言する。 >>180
”神”も”悪魔”も、相対的な物だからね。
あえて”魔”の存在を”神”と崇める場合もあるし。 倭国は、昔で言うところの倭奴国である。
唐の都の長安を去ること1万4千里。新羅の東南の大海の中にある。
倭人は山ばかりの島に依り付いて住んでいる。
倭国の広さは東西は5か月の旅程で、南北は3か月の旅程であり、代々中国と通じていた。
その国には城郭が無く、木で柵を作り、家の屋根は草で葺いている。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。
倭国の王の姓は阿毎氏で、大将軍に諸国を検察させていて、小島の諸国はこれを畏怖している。
西暦631年、倭国は使者を送って来て、地方の産物を献上した。
西暦648年、倭国王は再び新羅の遣唐使に上表文をことづけて、太祖へ安否を伺うあいさつをしてきた。
日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、日本に改めた。」と言ったり、
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した。」と言ったりする。
その日本人で唐に入朝する使者の多くは尊大で、誠実に答えない。それで中国ではこれを疑っている。
彼らは「我が国の国境は東西南北それぞれ数千里あって、西や南の境はみな大海に接している。
東や北の境は大きな山があってそれを境としている。山の向こうは毛人の国である。」と言っている。
703年、その大臣の粟田真人が来朝して国の特産物を献上した。 日本におけるイスラームのイメージが
悪いからに一票 日本人なんてどうでもいい
俺にはイスラム教のほうがかっこいいよ
遠巻きに知ったかで頓珍漢なこと言って
何でも毛嫌いして多数決で安心してるお前らなんかより >>184
ならさっさとイスラムに改宗してその本場に移住しろ。
いや、お前にそんな根性がないことは知っているがな。 イスラム教のかっこよさはテコンVに通じる。
http://gogotsu.com/archives/43139
韓国サイト「テコンVとマジンガーZをスペック比較して戦わせたらテコンVが圧勝!」 日本人から見ても野蛮だからだろ。
多神教徒と無神論者は見つけ次第殺せなんて文言見たら普通に引くだろ。 殺しのライセンス、サウジに与えるな=圧力継続訴え−国境なき記者団:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018102000534&g=int
【パリAFP時事】サウジアラビア総領事館でサウジ人記者ジャマル・カショギ氏が殺害されたとされる事件について、
国境なき記者団(本部パリ)のドロワール事務局長は20日、ツイッターに投稿し
「サウジに対する圧力を消し去ろうとするいかなる試みも、妥協策に応じることも、結果としてサウジに『殺しのライセンス』を与えることになる」と警告した。
事務局長は「カショギ氏が死んだとサウジは認めただけで、殺害の真相解明のためにサウジに対する強力な圧力を断固として続けてほしい」と世界に訴えた。
カショギ氏以外にも「調査報道を行い議論を提起する記者を収監し、むち打ち刑に処し、誘拐し、殺しているのがサウジだ」と非難、収監中の記者たちを釈放するよう求めた。
(2018/10/20-19:53) 戦国時代に日本に来たのがキリスト教系の商人や宣教師のみで、イスラム商人はまったくこなかった。
宋や元の時代はイスラム商人が南シナ海を行き来していたが、この時代は徐々にイスラムが制海権を喪失しつつあったのかも。 中央公論 2019年1月号
●イスラームの波と移民受け入れが交錯する
日本の「こころ教」とイスラーム「神の法」
池内 恵
・・・日本人の多くが暗黙のうちに前提にし、しばしば言葉の端々に表す宗教観がある。これを「こころ教」と私は試みに呼んでいる。
人間は各人の「こころ」が感じるままに宗教あるいは信じるものを選べばいい、という考え方である。これ自体が一つの信仰といって
もいい。各人の宗教が仏教、キリスト教、神道であっても、あるいは無宗教と自認していたとしても、共通して抱かれている信念である。
これは日本人にとって各宗教を超えた上位の信念と言えるだろう。
・・・この「こころ教原理主義」は厄介なところがあり、ムスリム(イスラーム教徒)との適切な関係を個人あるいは共同体として結ぼう
とする時に、やがては障害となって立ち現れるかもしれない。
これは欧米社会がムスリム移民との関係において抱える問題とも、異なる性質のものである。欧米社会の場合は、個人の人権や
自由といった規範に優越する神の命令に基づく規範を、イスラーム教が信者に課しているということを認知するがゆえに、摩擦や衝突
が生じてくるからである。
イスラーム教の観点からは、人間が神に命じる法を受け入れるか受け入れないかを選ぶ立場にはない。神はムハンマドを通じて
この法を既に下してしまっている。受け入れないのであれば人間は死後に地獄に落ちるしかない。
しかし日本では、各人の「こころ」が、その感じるところに従って、当人にとって必要な宗教を取捨選択できるという、ある種非常に
ラディカルな信念が行き渡っており、これが一神教の前提を知らず知らずのうちに覆している。
このことを一神教徒、特に啓示法の要素が明確に信仰の中核に位置づけられ体系化され現代においても教育によって広められて
いるイスラーム教の信者は、敏感に、驚きをもって感じ取る。日本側はそのような受け止め方の存在を感じ取らない。ここに非対称性
があり、ギャップがある。
(続く) >>191 (続き)
今のところはこの非対称性とギャップは、相互の無関心によって、問題化することが回避されているが、それはいつまで続くだろうか。
日本が実質上の移民国家となり、これまで以上にイスラーム圏から、当面は特に東南アジアから、移民を受け入れれば、やがては
イスラーム教の規範と、日本社会で無意識のうちに強固に信じられているこの「こころ教」の乖離は、摩擦や衝突に発展するかも
しれない。
律法を中核とすることによってイスラーム教は、信者に政治的・社会的な共同体への帰属意識をもたらす。イスラーム教徒が帰属
する共同体を、アラビア語で「ウンマ」と呼ぶ。これは「宗教政治共同体」と訳してもよいと私は考える。このウンマは「国」というものとも
「宗教団体」とも違う。特に地理的な範囲は明確ではなく、一人一人のイスラーム教徒はエジプトにいようが米国にいようがインドネシア
にいようが、「ウンマ」の一員である。
宗教団体としてのイスラーム教の「教団」が物理的に、組織として存在しているか否かはさほどの意味を持たない。神が啓示の法を
下してしまった以上、それを受け取った各人はすでにイスラーム教の法を下された共同体に属している。
その共同体は、本来は、イスラーム法の有力な解釈によれば、指導者としてのカリフ、あるいはイマームに率いられることが望ましい。
しかしイスラーム教徒たちを一つの政体としてまとめ、統治し、率いるカリフが不幸にして存在しなかったとしても、ウンマの実在は全く
疑われることがない。ウンマの存在は神が律法を下して示した以上、人間がそれを組織的に地上に実現できていなくても、厳然として
存在するのである。
イスラム教徒が所属しているウンマの実在を拒否する権限、そして能力を、人間は持ち得ない。これもまた日本の「こころ教」の観点
からは納得がいかないことだろう。ないものはないはずだ。また、もしあったとしても、それぞれの信徒が嫌なら抜ければいいではない
か、活動に参加しなければいいではないか。参加していなければイスラーム教団に入っていることにもならないだろう、と。目に見えない、
現世の組織としての形を取らないものを認知しない、ある種の強固で頑強な世俗主義が日本には根強い。
(続く) >>192 (続き)
現代のイスラーム教とムスリムをめぐる諸問題は、人間の側の意志や必要性によって作られる国家と法よりも上位に、神の啓示した
法に基づくイスラーム教の共同体があるという信念が、イスラーム教に元来あり、それがイスラーム教徒の間で再認識される傾向が
続いていることに端を発する。
アラブ世界では、近代になっても、婚姻や相続といった日々の生活の基本はイスラーム法に従って行われ続けてきた。イスラーム法
の解釈と適用が宗派ごとに行なわれてきたことからも、宗派ごとに社会の紐帯が存在し、政治的な帰属と動員が行われることは自然な
ことである。
イスラーム教の法や共同体は、人間の意志を超えた神の命令として捉えられており、イスラーム法の施行や、カリフ制のイスラーム
共同体の設立が失敗に終わったとしても、それは人間の側の失敗に過ぎないものと受け止められ、神の命令の無効性を示すとの解釈
が公になされることは、まずない。
むしろ、アラブ世界と中東というイスラーム教の中心で発信されたイスラーム教施行の要求とカリフ制・イスラーム共同体の再興への
訴えは、数十年の時差を持って、今まさにイスラーム世界の周縁である東南アジアに到達しつつある。
日本は(朝鮮半島と共に)近代以前にイスラーム教の布教が及ばなかった例外的な場所であり、人間の側の「こころ」の思いや受け
止め方、人間社会の都合を全く考慮しない神の法の論理と、神の法に従う者たちが領域や国家を超えて帰属する政治共同体の実在を、
社会の中で目の当たりにした経験を極端に欠く、世界でも稀な地域である。
中東に発したイスラーム法とイスラーム共同体の復興の要求、すなわち「イスラーム再興」の波が東南アジアにいよいよ本格的に
及ぼうとする時期になって、偶然にも日本は移民に国を開く新機軸を打ち出す。全く異なるこの二つの動きが偶然にも交錯する時、何が
起こるのだろうか。知らず知らずのうちに日本は人類史上稀な実験に踏み出すのかもしれない。 「広まらなかった」という事には大した意味はない
今の日本で「広まりつつある」という事実が重要
ウンマに幸いあれ >>194
同意。
https://twitter.com/fukuda326/status/1081713734043656192
エジプト、カイロで爆弾事件、警察官1人死亡。AFP通信報道。
ナセルシティの教会近くで発見されたかばんの爆発物処理中に爆発した模様。教会を狙ったテロの可能性。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>195
コプト教徒とかギリシャ人とか、
圧倒的少数のくせにさっさと入信なり移住なりしないからだよ
スペインの異端審問だって、
改宗すれば助けるって言ってんだから温情だったんだよ 日本がイスラム化されるような状況なら
世界のどこにも安住できる移住先はなさそう うぬぼれ異教徒日本人はグチグチと悪口ばっかり
陰湿でいじめ大好きで将来性のカケラもない
イスラム教のほうがかっこいいわ
ウンマに幸いあれ >>198
同意。日本社会は悪い。ウンマこそ人類の希望。
「ロンドンには多くのスパイ」暗殺警戒で英遠征拒否 米NBAのトルコ人選手
https://www.sankei.com/world/news/190106/wor1901060008-n1.html
米プロバスケットボール、NBAのニックスに所属するトルコ人のカンターは
17日にロンドンで行われるウィザーズ戦について「暗殺の恐れがある」として、遠征に同行しない考えを示した。
AP通信が5日までに伝えた。チームは「ビザの関係」と説明した。
カンターはトルコのエルドアン大統領に対して批判を繰り返し、
2016年のクーデター未遂事件を画策したとされる聖職者を信奉している。
4日の試合後「ロンドンには多くのスパイがいて、私を殺すことなど簡単だ」と語った。(共同) 日本社会は世界に類を見ない抑圧社会であり、ウンマのように不信仰者をいつでも殺せる自由で開かれた社会ではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています