>>121
それは違う。

日本では渡来人や曽我氏を味方につけた聖徳太子が、物部氏に戦争で勝利したが神道が捨てられることはなかった。
一方、ヒジャーズでは遊牧民や若者を味方につけたムハンマドの啓示宗教がオアシス都市マッカのクライシュに勝利し、多神教は捨てられた。
ムハンマドは生前アラビア半島からユダヤ人とキリスト教徒を追放するよう命じた。
ムハンマドはアラビア半島から多神教を追放するよう遺言して亡くなった。
聖徳太子とムハンマドの行いは真逆であり、どっちもどっち論は現実に対する理解を歪める。
聖徳太子(厩戸皇子)の死後、子の山背大兄王が暗殺されるなど政情不安はあったものの、
あくまで権力闘争であり宗教戦争ではなかったので、イスラム世界のように抗争が長く続くことはなかった。

キリスト教徒やイスラム教徒は、日本に一神教を広めるうえで、多文化共生を謳う聖徳太子の存在は明確に邪魔と感じており、
聖徳太子の権威を失墜させることで仏教と神道を日本の思想体系から排除する必要を感じているだろう。