一二○六年の春の、ケンテイ山脈の中のオノン河の水源地での即位式で、テムジンの義理の兄弟の大シャマン、ココチュ・テブ・テンゲリは、
かれに「チンギス・ハーン」という称号を授けただけではなかった。ココチュの口を通して、つぎのような天の神の託宣がくだったのである。

「永遠なる天の命令であるぞ。
天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主なるチンギス・ハーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を、地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても歩けなくなるであろう。
これは永遠なる天の命令である。」

この神託は、チンギス・ハーンを地上の全人類の唯一の君主として指名し、
チンギス・ハーンの臣下とならない者は誰でも、天の命令に服従しない者として、破滅をもって罰するという趣旨である。
この天命を受けて、チンギス・ハーンとその子孫に率いられたモンゴル人たちは、世界征服の戦争に乗り出したのである。
モンゴル人たちは、このチンギス・ハーンに授けられた世界征服の天命を固く信じていた。
モンゴル人にとって、無条件で降伏せず、かれらに抵抗する者は、天に逆らう極悪人であり、極悪人を殺し尽くすのは、天に対する神聖なる義務を果たすことだったのである。

ここで問題になるのが、残忍凶暴な殺戮者・破壊者という、ヨーロッパ人がもち伝えた、チンギス・ハーンのイメージのことである。
実際のところ、チンギス・ハーンのモンゴル軍が、撃ち破った敵を皆殺しにした話は、ただ一例を除いて、すべて都市民に対するものである。
その例外の、遊牧民に対する唯一の虐殺事件は、テムジンがチンギス・ハーンと名乗る前の一二○四年、タタル部族に対しておこなったものである。

(岡田英弘『チンギス・ハーンとその子孫』)