マウリヤ朝
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
それはともかく、日本語サイトで集められる情報といったら、これくらいが限界だ わざわざこのスレにまでやってくるような人間はマウリヤ朝やクシャーナ朝のwikiなんて基本すぎてとっくの昔に見てるから、いまさらそんなものいちいち貼らなくていい >>200
いやいや、そんなことないよ
自分が知ってるからといって、他人も知ってて当然と思うのは、世の中に対する初歩的な誤解 >>191
それはつまり、非セム系言語でありセム文字に向いていないにもかかわらず
ずっと母音文字に恵まれなかったイラン系言語が、
ほとんど例外的に母音を完全に表記する文字を得たっていうことなんだよな
他の例外としてはアケメネス朝期に作られた楔形文字風の古代ペルシア文字と
ササン朝期に聖典アヴェスタの発音を精密に記録したアヴェスタ文字があるが
どちらもほとんど日常的にペルシア語を表記するのに使われなかった
ペルシア人はアケメネス朝ではもっぱらアラム語とアラム文字を使い、
ササン朝期にはアラム語を訓読してアラム文字でペルシア語の送り仮名を振るというパフレヴィー語で読み書きし
イスラム教化した後にはアラビア文字で不完全に母音を表記する新ペルシア文字の体系を作った
早くからギリシャ文字にも接していたのになぜ多くのイラン系民族は母音を書く便利さを選ばなかったのかは不思議だ ブラーフミー文字はインダス文字の末裔という説がある >>204
人によって母音がまちまちな場合は母音の無い文字の方が便利なんだよ もし日本の文字に母音が欠落してたら東北人や出雲人は、
胸を張ってスシをススと発音できるな 古来インドは豊かで快適で食と資源に恵まれているから他国に攻め入る必要なんかないんだよ!
古来からの貧困と乾燥に喘ぎ続け生存が困難なペルシャは侵略するしか生きる道がなかったんだよ!
と言ってみるテスト 普通にインドの戦象はディアドコイ戦争に駆り出されてる >>211
ハンニバルなんか、象兵でアルプス山脈を越えたくらいだ
イタリアに入ったときは、出発時より象の頭数がだいぶ減ってたようだが >>212
大王の遠征はガンジス川で止まったのに、ディアドコイ戦争でインドの象が出てきたって本当なのか?
インドは無関係じゃなかったのか >>214
セレウコスがマウリア朝とアフガンの覇権を争って、覇権を認める代わりに戦象部隊を提供させた。 カシュガルとかにもゾウが連れてこられてたので
ヒンドゥークシュやパミールを越えることさえ可能だ >>215
その戦象部隊って他の有力武将との前線に投入できたのか? そんな東の果ての地から 戦象部隊の運用のじっさいがどうだったのか知らないのだが
山越えはそもそもアジアゾウは現在も山間部にも生息して木材切り出しに使役されているのだから問題ないとして
(マルミミゾウは知らん)
大量の糧食と飲用水を一体どうやって運搬したんだろうか
現在のインド共和国内部なら現地調達も昔は北部の砂漠化が進んでなかったからなんとかなったろうが
ペルシャ高原は昔から乾燥地帯だろ?一体どうやってインドからシリアまで戦象部隊は移動できたんだろ? >>219
海岸沿いに移動すれば、インドから中東方面へ象を送ることは可能。
下図を見れば分かるように、そのルートはもともとアジア象の生息範囲だった。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/75/Elephant_spread.png
これならディアドコイ戦争でインド象が多用されたのも理解できる。 >>209
>古来からの貧困と乾燥に喘ぎ続け生存が困難なペルシャは侵略するしか生きる道がなかったんだよ!
ペルシャが貧困ねぇ・・・
古代ではメソポタミアや大シリア、アナトリア、エジプトと並んで世界有数の穀倉地帯だったとこだけど ゾウって馬10〜20頭分だろ?
水や食料もそれくらいと考えれば普通に携行可能 >>223
そうだ。そして、馬とは頭数がケタ違いに少ない
馬を何千頭も連れていくのと比べたら、象を数十頭など、たいしたことはない。
むしろ、近代になってもイギリス軍などは、象を兵糧の運搬に使ってたくらいだ >>209
貧困てww
アケメネス朝ペルシアの超大国っぷりに比べれば
今日のアメリカも影が薄くなるほどなのだが >>225
同時代の日本人もアケメネス朝ペルシアを凄い超大国と認識してたか?
当時の日本人は「ペルシア?なにそれ?」やろ
そんなのとても超大国とは呼べないぞ >>225
アメリカは、アケメネス朝の領土だった地域を軍事侵攻して、戦果をあげたことがあるが、
アケメネス朝は、アメリカの領土となる地域を軍事侵攻して、戦果をあげたことがない >>228
ローマ帝国のことなら、当時の日本人も、後漢から情報を得て知ってただろう 古代ペルシャが貧困とかはじめて知りましたそれに関して良い書籍や論文を紹介して下さい 弥生時代だもんな
倭の国王とやらが単発的に後漢に使者を送ることがあった程度の交流 >>225
マウリヤ朝の時代にアケメネス朝は存在してない セイロン島に仏教を布教したのはアショーカ王ではなく息子のマヒンダ >>41
ペルシャがマケドニアに滅ぼされたので、
危機感を強めたインダス地帯とガンジス地帯が統一しマウリヤ朝が拡大していった >>242
すごいな
そんな大昔なのに、グローバルな視野を持ってたとは >>245
カウティリヤね
ティの部分の母音も明確に短母音 >>243
グローバルな視野というより、脅威が間近になったことへの危機感だろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています