世界における王制・君主制 Part.10
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日本の皇室の話はこちらにもあります 皇室・王侯貴族 https://egg.5ch.net/emperor/ 日本史 https://lavender.5ch.net/history/ 日本皇室のみの話題は荒れやすいのでお控えください(世界史観点からの比較を除く) >>980 過ぎたら次スレ立ててください ◆参考サイト 欧州の王室などの家系について ttp://nekhet.ddo.jp/ 欧州の王室人の現在の消息(英語) ttp://www.hellomagazine.com/royalty/ 欧州以外の王室(英語) ttp://www.4dw.net/royalark/ ※前スレ 世界における王制・君主制 Part.9 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1529229888/ NG推奨コピペ定型文一覧 ・やりきれない ・屈強な男たち ・吹っ飛んで ・共和にまさる ・最後の皇帝 ・訳の分からないオッサン ・生身の王 ・旧時代の残滓 ・時代の大勢 ・単なる象徴 ファラ王 世襲ムバラク キム王朝 聖イシュトバーン ゴールデンバウム王朝が倒れた結果、国家機密の名の下に秘匿されていた多くの史料が白日の下に晒されようとしていた。 帝国歴46年、開祖ルドルフの死によって揺らぐかに見えた銀河帝国の支配体制は、ルドルフの孫で第2代皇帝となったジギスムント1世と彼の父親で摂政となったノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムによって受け継がれ、共和主義者の大弾圧が行われた。 一方、領民に対しては比較的公正な施政を施し、いわば飴と鞭を使い分けて帝国の支配体制の礎を固めたと言える。 第3代のリヒャルト1世は、政治より美女と狩猟と音楽を愛したが、それでも最高権力者としての枠を踏み越えることなく、気の強い皇妃と60人ほどの愛妾達との間でごく無難な一生を送った。 ゴールデンバウム家は女系だったのか、 でも家名は変わらないだな。 変わるとしたら ゴールデンバウム=ノイエ・シュタウフェン家? ゴールデンバウム王朝最後の皇帝だったあの暴れん坊の男の子は 結局どうなったの? ノイエ・シュタウフェンって貴族が実在したのか調べてみたら、当たり前だがいなかったw でもシュタウフェン家というドイツ貴族が17世紀まで存在していた。 ルドルフ1世の父方の祖母にあたるアグネスがこのシュタウフェン家の出身。 >>6 最後の皇帝はカザリン・ケートヘン1世で女帝、暴れん坊の男の子はその前のエルウィン・ヨーゼフ2世で最終的には行方不明になる。 >>8 サンクス しばらく銀英伝見てなかったんで記憶違いしてたみたいだわorz >>4 続き 第4代のオトフリート1世は、父より真面目だったが、健康で禁欲的で散文的で当時と未来の人々を退屈させる点において比類ない人物だった。無表情にかつ精密に連日のスケジュールを消化することが彼の目標であるかに見えた。 音楽・美術・文芸のいずれにも興味がなく、自発的に読んだ本は始祖ルドルフ大帝の回想録と家庭医学書だけであると言われる。 灰色の人と呼ばれる彼は陰気な保守主義者で、あらゆる変化や改革を忌み嫌い、崇拝するルドルフ大帝の前例にしがみついていた。 ある日、昼食を終えたオトフリート1世はスケジュールに従って15分間の散歩のために庭園に出ようとした。 そこへ急報が入って、軍の基地で大規模な爆発事故が生じ、1万人以上の将兵が死亡したと知らせてきた。それを聞いたオトフリート1世は無感動に「そんな事故の報告を聞くことは、今日の予定にはない」と発言した。 如此く、彼にとってはスケジュールが神聖不可侵のものだったが、自分自身でスケジュールを組み立てるような独創力には乏しかったので自然、その任に当たる皇帝政務秘書官エックハルト子爵の責任と権限は増大していった。 エックハルトが、やがて枢密顧問官と皇宮事務総長を兼ねるようになると、誰の目にも皇帝オトフリート1世はエックハルトの傀儡にしか過ぎなくなっていることが明らかになった。 オランダのオラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾは現在、すべてのヨーロッパの君主(旧王室を含む)の最も最近の共通の祖先。 血の広がりという点でいうと、全く話題にならんが、ホーエンローエ=ランゲンブルク家もすごい。ちなみに現在の侯爵は従叔父のチャールズ王太子と親交がある。 ランゲンブルク家 1764年に神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンから帝国諸侯に列せられる >>10 オトフリート1世の死後、その子カスパーが帝位についた。カスパーは父よりも祖父リヒャルトに似て音楽を愛したが、その音楽以上に愛したのは合唱隊のカストラートであった。 カストラートとは、ボーイソプラノを保存するために去勢された少年歌手のことで、すなわち皇帝カスパーは同性愛嗜好者だったのである。 同性愛嗜好者を社会に害毒を流すとして大量殺戮したルドルフ大帝の子孫に同性愛嗜好者が誕生したわけで、歴史の皮肉以外の何物でもなかった。 依然として国政の実権を握っていたエックハルトは、自分の娘をカスパーに嫁がせ、皇帝の外戚となってその権勢を確固たるものにせんと目論んだが、この件に関してのみはカスパーは断固として拒否し、寵愛するカストラートのフロリアン少年と別れようとはしなかった。 業を煮やしたエックハルトは、遂にフロリアン少年の殺害を図り、兵士を連れて皇宮に乗り込んだ。そして野薔薇の間に踏み込んだ瞬間、リスナー男爵が指揮する一隊によって射殺されたのである。 以前からエックハルトの専横を憎んでいたリスナーは、皇帝の意を受けて奸臣誅殺の挙に出たのだったが、事件の混乱が収まってみると、当の皇帝は玉座に退位宣言書を残し、いくらかの宝石を携えてフロリアン少年を連れて姿を消してしまっていた。 即位後ちょうど1年であったが、以来完全に行方不明になってしまった。 カスパーなんて俗な名だ ネタ抜きでカスパーって名前の王侯貴族っている? 皇帝どころか王族や貴族の名前でも見たことないけど >>10 ,>>12 フランツヨーゼフやルートヴィヒ2世をモデルにしたような設定だね。 >>15 >>15 ホーエンローエ=ランゲンブルク侯カール・ルートヴィヒの子孫 現在の君主 リヒテンシュタイン侯ハンス・アダム2世 ルクセンブルク大公アンリ ベルギー国王フィリップ スペイン前王妃ソフィア スウェーデン国王カール16世グスタフ オランダ国王ウィレム=アレクサンダー 旧王室 オーストリア大公カール(ハプスブルク家) ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ(サヴォイア家) バイエルン公フランツ(ヴィッテルスバッハ家) ブラガンサ公ドゥアルテ・ピオ(ブラガンサ家) パルマ公カルロス(ブルボン=パルマ家) >>17 ちなみに旧王室の方は全てミゲル1世の子孫 ジャン大公は従兄のオットー大公より長寿を保つかな? 同世代のミハイ1世は去年96歳で亡くなられたし、他にエディンバラ公もいるけど、ここは夫婦揃って長生きだな。100歳まで生きそうw しかし、1921年生まれの王族方は長生きの人が多い ルクセンブルク大公家は子沢山で後継者にもまず困らないけど、肝心の長男のところには中々子供が授からないからな。 せっかくベルギー名門貴族のラノワ伯爵家の令嬢と結婚したのに… まあ、こればっかりは他人がどうこう言ってもしょうがないけど。 >>13 カスパーハウザーが元ネタなんじゃないの?銀河英雄伝説はよく知らないけど ベルギーは名門貴族が多い 現在ベルギー貴族最高位の prince(全部で8家) Prince Swiatopelk-Czetwertynski Prince de Habsbourg-Lorraine Prince de Ligne Prince de Lobkowicz Prince de Merode Prince de Chimay Prince d'Arenberg Prince de Croy 伯爵以下も名門ばかり、逆にオランダの貴族はベルギーが独立してからはこれといった貴族がほとんど居なくなってしまった。 >>12 140日の空位の後、先先帝オトフリート1世の弟であるユリウス大公が帝位に就いた。 重臣たちはユリウス本人より、その息子であるフランツ・オットーの実力と人望に期待したのであった。実際、即位した時にユリウスはすでに76歳であり、早晩フランツ・オットーが帝位に就くであろうと思われたのである。 ところが、ユリウスは思いほか頑健で玉座に居座り続け、彼が95歳に達した時、歴史上最年長の皇太子フランツ・オットー大公が74歳で先に病没してしまったのである。 大公の子息は早逝していたため、その孫つまり皇帝ユリウスの曾孫にあたるカールが24歳にして皇太曾孫となったのである。カールは数年を待てば青年のうちに帝冠を戴けるはずであった。 ところが、彼にしてみれば自分が物心つく前から老人であったユリウスが不気味な存在に思えたのかもしれない。この老人は永遠に老人で、永遠に玉座に座り続けるのではないか。そんな強迫観念に囚われたのか、遂に皇帝を弑逆することを決意する。 帝国歴144年4月6日、96歳の皇帝ユリウス1世は5人の寵姫と共に夕食をとっていた。 老いた皇帝の急死は重臣たちを驚かせたが、同時に安堵感をもたらした。正直なところ、ほとんど例外なく、皆がうんざりしていたのである。盛大だが心のこもらぬ葬儀はカール大公に指揮されて執り行われ、喪が明ければ彼が帝位に就くものと誰もが思った。 しかし、5月1日の戴冠式で帝冠を戴いたのはカール大公ではなく、故フランツ・オットー大公の次男の子、カールの従兄弟にあたるジギスムント・フォン・ブローネ侯爵だったことが人々を驚かせた。 無論、この間の事情は公表されず、300年以上も国家秘密されてきたが、事実はこうであった。 ユリウス1世が頓死した時に同席していた5人の寵姫は、危急に際して狼狽するばかりで適切な看護を怠ったとして、カール大公よって殉死を強いられた。 その中の1人が死の寸前、腕輪の内側に口紅で真相を書き記し、形見と称して近衛師団の士官である兄に届けさせていた。 そこには、カール大公がワイングラスに毒物を塗って献上し、自分はカールに買収されて共犯となったこと、その事情を知る自分を殉死と称して抹殺しようとしていることなどが記されていた。 妹の救出が出来なかったその近衛士官は復讐を決意し、カールに次ぐ帝位継承権を持つジギスムントのもとへ証拠の品を持ち込んだのだった。ジギスムントはカールを追い落とす大義名分を得て狂喜し宮廷内工作の結果、カールに帝位継承権を返上させる事に成功したのだった。 無論、皇帝が皇太曾孫に毒殺されたなどと公表するわけにはいかず、秘密裏に政変が進行したのであった。カールは宮廷の一室に監禁された後、郊外の精神病院に移され、厚い壁の中で一応の礼節をもって遇された。 長寿を保ち曾祖父を凌ぐ97歳まで生きたが、彼が死去した時、世はジギスムント2世からオトフリート2世を経て、オットー・ハインツ1世の時代であり、70年以上も前に帝位に就き損ねた老人の名を記憶する者は宮廷内にはもはや存在しなかったという。 カールの死んだ、帝国歴217年から自由惑星同盟との間にダゴン星域の会戦が行われ、帝国軍が歴史的大敗を喫する帝国歴331年までの間に、ゴールデンバウム王家は更に8人の皇帝とそれに伴う善悪美醜さまざまな物語を生むことになる。 学芸省から提出された非公式の途中報告書に目を通しながら、ラインハルトは時に冷笑し、時に考え込んだ。彼はヤン・ウェンリーほど歴史に関心を持たなかったが、未来に思いを馳せるものは、過去を知らずに済ますことはできない。 とはいえ、全ての指標が過去に存在するわけでもない。誰かについて行くということは彼には出来なかった、誰もが彼について来るのだから。 >22 貴族?その人らは他家の王族と結婚できる? もっとも今は庶民も平気で王族と結婚する時代だけど >>23 名前が似てるけど違う 日本語版Wikipediaのハプスブルク家の系図だとルドルフ1世の祖母アグネスがホーエンシュタウフェン家の出身となってるけど、間違い。 ベルギー貴族の「Prince」は公爵? 「Duke」も公爵だから日本語だとややこしいな 序列は「duke」よりも「prince」の方が上? princeは大公と訳したりするけどgrand dukeも大公だったり。 いっそprinceは「親王」と訳す?・・・すると王族と誤解するか。 ヨーロッパといってもイギリス、フランス、ドイツで全然違うからな イギリスはdukeよりもprinceの方が上だし ドイツだとprinceよりもdukeの方が上だし フランスはイマイチよくわからん、でもモナコ大公の「大公」は違うと思うw モナコ公って実はモナコ侯なんじゃね? リヒテンシュタインと同じ HSH Prince だし フランス語でもducという語は使われてないし。 ヨーロッパ最古の名門ブルボン家の君主(スペイン・ルクセンブルク)も3世代後にはいなくなってしまうな このままだとブルボン家に限らず古くからの王室が一般人男性に取って代わられて、ヨーロッパから由緒ある王室は消滅することになる。それでも君主制自体は続いていくだろうけど。 後継の男子がいる限り男子に継承してもらうことがそんなに差別的で悪いことなのかな? 旧王室の人も君主に返り咲いて長子相続・女系継承ってなるくらいなら、旧王室として男系継承しても文句の言われない今のままがいいのかも。 スペインもルクセンブルクも女系の論理でブルボン家が継承した経緯があるのに 男系の論理を振りかざして継承していくわけにはいかんだろ。 その点リヒテンシュタイン家は凄い、ヨーロッパで唯一男系男子による継承法を固守している。 スウェーデンってあの当時王位継承法を変える必要性ってあったのか?王子誕生したその年に変えたんじゃなかっけ? 男子優先相続にしても、長子相続に変えるにしても王位継承に関することは、せめて王室の判断に任せればいいのに。 ヨーロッパの場合は政府が独走してる面が多いと思う スウェーデン王室のベルナドッテ家自体それほど大した歴史がないんだから別にいいじゃない 祖先のベルナドットからして平民出身のフランス人なんだし。 ところで、今年はベルナドッテ王朝成立200周年!現国王のカール16世グスタフはスウェーデン歴代君主で最長の在位記録更新。 ルクセンブルクは長男夫婦は子に恵まれないままなんか?不妊症? >>39 結婚して6年も経ってるから多分そうだと思う。 なんかかわいそうだな、せっかく貴族の娘と結婚しておいて 弟はどこの馬の骨とも知れんアバズレと出来婚した挙句継承権の無い子供を二人もこさえてしまったというのに まあ、でもこればっかりは上の人も書いてるけど、他人が言ってもしょうがないことではあるな。 それよりも将来女王になる王女の婿選びって大変だと思う。王侯貴族から迎えられたら結構なことだけど、今の時代まず無理だろうし。 話題と全然関係ないけど、 ドイツのライニンゲン侯爵家の資産が1957年の時点で15億ドルもあったと知ってびっくりした。 紀州徳川侯爵家も戦前は1500億円の資産があった。もっとも戦前のうちに当時の当主がほぼ全財産使い果たしてしまったけど。 モルガン・スタンレーの金融アナリストジャン・クリストフ・ボナパルト氏が ナポレオン8世としてコルシカ島と両シチリア王国、それにカタルーニャの君主になる可能性はありますか? >>45 あのおっさんが道楽に現を抜かさず、戦後も参議院議員をきっちりやって養生していれば 今の滅亡寸前の状況に陥ることも無かっただろうに >>47 それが出来てたら、少なくとも現在の状況よりマシだったのは確かだな。 しかし、1ヶ月で数億浪費とかやばすぎ。 小室圭王子「紀子さまは帰国子女だから、日本語があまり理解できないのでしょう。僕の話もわかっていないご様子なんですよ」 徳川家も今や断絶の危機 宗家→次期当主に跡継ぎなし 尾張家→鍋島の血筋の人が養子になったのは良いにしても、跡継ぎがどうなるか 紀州家→半分断絶してるようなもの 水戸家→まだ大丈夫 慶喜家→去年断絶 御三卿はほとんどが途絶えそうな状態 名門細川家もどうなるのか、現在当主のあの人には長男がいるけど、娘しかいないし。近衞家へ養子に入った弟の孫にでも継がせるのだろうか? やはりブルボン家やハプスブルク家の子孫繁栄ぶりは凄い。 どの(現存中の)家系がヨーロッパで最も古いのかな? エティヒョン家(ハプスブルク家) ジラール家(ロレーヌ家) ロベール家(ブルボン家) エステ家(ヴェルフ家) レニエ家(ヘッセン家) ヴェッティン家(ザクセン家) >>51 近衛さんとこは一人息子だけど息子が4人子供作ってうち3人が男らしいよ >>51 田安の方言地図の娘2人、子どもいないのか。 一時皇太子妃候補だったような。 >>55 その近衞さんは血筋が凄すぎる。奥さんも久邇家出身だし、今時ほんと珍しい。 男子3人もいるから次男あたりに細川家を継がせればいいと思うんだけどな。 ルーマニア王冠の守護者マルガレータ陛下 ミハイ国王が崩御したらどうなるのかと心配したが、代替わりしても共和国政府からも公認されてるし、ルーマニアはほぼ君主制と言ってもいいと思う。 ミハイ国王の葬儀はオットー大公以来の規模だったな。 >>51 ケーキさんお妾がたくさんいて種付けまくりだったのにか。 モナコ公は子持ちのダンサーを嫁に迎える先進的なところ テオドラのような女傑がでるかもしれない 嫁の血統なんてどうでもよくね そういう時代でしょ ローマ時代は気にしていなかった 帝国諸侯は新参は軽んじられたらしいけど 何代続けばえらそうに出来たの ギーズ公フランソワ・ジョゼフくん本当にかわいそう… フランソワ・ジョゼフはきわめて病弱で、4歳になっても周りの支えが無ければ歩行が出来なかった。1675年の春、居城のリュクサンブール宮殿において、抱きかかえていた乳母が誤って彼を落としてしまい、頭部を強く打って死亡した[1]。 ギーズ公爵位は未婚の大伯母マリー(ギーズ姫)が相続したものの、彼の死によってギーズ家本家は事実上断絶した。 フランスで絶大な権勢を誇ったギーズ家も最後はあっけなかった。 >>54 嫡出系にかぎらず庶系でも男系にこだわるなら、 サマセット家(プランタジネット家=アンジュー家) ブラガンサ家(カペー家=ロベール家) なんかも。 >>65 こんなガイジしか跡継ぎにできるのが生まれてこなかったとか近親交配しまくってたのか? 僕の家系は平家の末裔だよ つまり桓武天皇の末裔ということ 平家の皆さんがおごらなければ、平清盛が後白河法皇と仲良くしてれば 僕もヒキニート極貧生活にならないですんでたのかな? ヘッセン大公家は呪われていたとかwikiにあるけど、具体的に何の呪いなの? 例えばシカゴ・カブスだとヤギを追い出したという原因があるから初めて呪いが成立する 原因も分からんのに呪いとか騒いでたの? >>69 源平藤橘の末裔なんて、上は大臣から下は乞食まで、あるわな。 後白河は天皇としての実績はなかったが上皇になってからすごかったよな 日本史と言わず広い世界史でもこんなに上手く立ち回った策士はあまりいない 自分の名字由来検索してみたら 全国人数約2500人ほどの比較的珍しい?名字だった。 それでルーツが清原氏(天武天皇の皇子舎人親王の子孫)ということだった。 >>69 で、平家の興隆とおまえの生活はなんの関係があるの? 後醍醐と後白河と正親町をいいとこ取りしたら最強の天皇が出来る!気がする… ギーズ公がフランス国王になる可能性はあったのだろうか? ギーズ家は分家なのに本家のシャトノワ家よりも強大な大貴族になってしまった。しかし最終的にはギーズ家は断絶して、シャトノワ家は現在までハプスブルク家として存続している。 >>77 アンリ3世の死去まで勢力を温存、 アンリ3世の死去でヴァロワ朝断絶。 史実では血統論理で何世代も遡ったブルボン家に王位が継承されるわけだが、 ギーズ公の勢力が温存されていれば選挙の論理で王位を獲得。 選挙に持ち込めば“公職選挙法”がある時代でなし、武力で脅そうが金銭で買収しようが問題無い。 選挙の論理で王位を獲得するのは断絶した当のヴァロワ家の元のカペー家の前例があるので、無理筋ではあるまい。 >>67 Princeだけど王子でなくて公 モナコ公とかのPrince すでに君主です、王様にはなりません 17世紀にブルボン家とロレーヌ家の和平の一環として、ルイ14世の弟オルレアン公フィリップの王女とロレーヌ公が政略結婚するけど、一部から不釣り合いな縁組と見なされていた。しかし、ルイ14世は貧乏なロレーヌ家に嫁ぐ姪に90万リーブルの持参金を付けて送り出した。 当時、ロレーヌ家は格下に見られていたが、それでもロレーヌ公の婚姻政策の見事な采配によって神聖ローマ皇帝を輩出する。 このロレーヌ公、息子をハプスブルク家の相続人であるマリア・テレジアと結婚させるばかりではなく、娘をルイ15世と結婚させようと画策するなど凄い人。 >>78 アンリ4世って強運だよな。 徳川家康とかぶる。 >>79 君主のPrinceからKingになった人おるよ。 オランダ国王のウィレム一世。 1802〜1813 オラニエのプリンス 1813〜1815 ネーデルランドのプリンス 1815〜1840 ネーデルランド連合王国の国王 誤訳でないよ、最初は小さな大公ってタイトルだったけど 大公のイメージだとおっさんだからあえて王子様に >>80 子孫が1918年まで続くハプスブルク帝国の皇帝になるんだからそう考えると、この結婚政策は功を奏したことになるな。 そういえば君主制が廃止された国で後年オリンピック実現したした国で 仮に五輪開催した時自国君主なら名君扱いされていた人物居るんだろうか? 世界的にはラーマ9世(プミポン国王)より評価高くなる可能性もあったのかな? 王女嫁がせたロレーヌにスペイン継承戦争始まったら 速攻攻め込むフランスも大概だな やっぱフランスと帝国の間の立地がやばいか >>84 むしろ「小さな大公」だと両親に甘やかされて育ってデブの一人息子ってイメージw フランツ・シュテファンは政治・軍事はほとんど無能だったけど、経済や財政に関しては天才的だった。七年戦争時には戦費を無償提供するなど莫大な財産を築いた。 弟のカール・アレクサンダーも軍人としては無能だったが、ネーデルラント総督として手腕を発揮、ネーデルラントの負債を解消して、黒字転換させるなど経済に明るかった人。終始、穏健に改革を推し進め、ネーデルラントの人々からも人気があった。 しかしロレーヌ家は代々軍人の家系で、祖父のシャルル5世は第二次ウィーン包囲や大トルコ戦争で戦果を挙げた名将なのに。祖先のルネ2世もブルゴーニュ公を討ち破った名将なのに。 >>89 いきなり経済・財政面が得意な公が出現した感じだな。>>80 でも述べられているように、 それまでは戦争得意でも「貧乏なロレーヌ家」という印象なのに。 セボルガ公とモナコ公には是非会談してほしい 同じ公同士で ロレーヌ家が遡れるのは11世紀ごろまでか。名門貴族というわけでもなく、田舎貴族というわけでもなさそう。 日本語版Wikipediaではそれより前の歴史は分からないな、ドイツ語版やフランス語版ならもう少し詳しく分かるんだろうけど、読めない… 現在的な感覚が当時でもあれば、経済・財政面が得意と認められるなら、 政治・軍事が無能とみなされることはなかったろうな。 外交や治安維持、戦場での指揮は苦手でも、現在なら政治・軍事はそれだけではない。 政治面では経済財政政策も重要だし、軍事面では補給等「主計」分野も重要と。 質問だけどフランケン大公とフランケンシュタインてなにか関係があるの? ロレーヌ家が貧乏っていう話は単に公国がフランスに占領されて、収入が無くなったからだと思う。だから生活のため神聖ローマ皇帝に仕えて軍人になり、フランスに対抗した。 フランスから公国を返還されたときは、公国の土地は戦争で荒廃してたらしい。しかしレオポルト・ヨーゼフの30年以上の治世において復興した。 またパトロンとして芸術家を公国に呼び込み、劇場などを建てるなど文化面でも繁栄する。フランツ・シュテファンが受け継いで長く統治していたら、もっと豊かな国になってたかも? ヨーロッパの旧王室の人はフォーマルなところでは自分の持っている王室勲章を佩用しているな。 君主制が廃止されたのに勲章をなんで付けてるのって思ったが、調べてみると、実際運用されていた勲章だったら現在でも問題はないらしい。 また政府によって承認されている場合もあるため、旧王室の当主が勲章を授与したり佩用することも普通に認められている。 ハプスブルク家の金羊毛勲章なんかは、カトリック教徒であるベルギー国王、ルクセンブルク大公、リヒテンシュタイン侯など現役の君主にも贈られている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる