>>668-669
そんな風には思わないがなあ。
その文献、通時的分析が、ほぼ中期朝鮮語の例に尽きてるだろ?
まともな朝鮮語研究がそうであるように、吏読だの郷歌だのは直接の語形としてほとんど出てこない。使うとしても傍証だけ。
済州島含む朝鮮語全方言のバリエーションは、1443年以降の漢城(ソウル)の朝鮮語で説明がついてしまう。
それにしてもずいぶん均一な言語だ。
1443年には、首都はソウルにあり、李氏朝鮮の支配領域はほぼ現在の南北朝鮮と同じ範囲だった。
そりゃ「慶尚道から広まった」ようには見えなくて当然。
・ソウル中心の蝸牛分布
・緩やかな南北対立
・遠隔地への集団入植(慶尚道→咸鏡道の例が有名)
この3つだな。