日本語の起源は百済語
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近年において、韓国の金容雲らによって日本語は百済語が起源であるという説が提唱されている。 水谷千秋は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、
実際に中国からの移民と考えて間違いない、と述べている。
『三国志』魏書巻30辰韓伝に、「名國為邦(訳:国を邦と言う)」とある。
辰韓(秦韓)の民は秦から亡命してきたと言うが、
前漢の初代皇帝劉邦が自らの諱(劉邦)を憚って「邦」を「国」と言い換え、
漢代以後の漢語では「邦」のことを「国」と言うが、辰韓人(秦韓人)は「国」のことを
「邦」と言っており、かかる事実関係により、辰韓人(秦韓人)は秦語を使用していることは
決定的とみられている。
>秦語、は丸々のちの日本語である。
そこでは国を邦(邦人)、弓を弧(琉球弧)、賊を寇(元寇)、行酒を行觴と称し(回し飲み)、
互いを徒(学徒)と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。〉 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」 隋の使節団は
「そこの人々は華夏の人々 =(中国の古代国家「夏」)と同じである」と報告している。
始皇帝陵、兵馬俑と武人埴輪の甲冑が良く似て居り、墓の回りに土器類を大量配置。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/08/77/src_11087751.jpg?1451096009
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/008/144647630137934814179.jpg
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「三つ巴(ともえ)紋」
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
http://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html これが、ヘブライ語(アラム語)語彙と日本語の似た言葉の多い理由。 千葉県芝山町の山高帽子ともみ上げ巻き毛人物埴輪が、なんと言っても効くなあ。
超正統派そのもんだし。
地中海世界から東へ延びる交易ルートが、千葉県芝山町まで横一文字だから、物も人もやってきたということだな。 芝山の埴輪は、ユダヤ人が来ていることの証拠だから、そんなら他にどんな外国人集団が来ていてもおかしくないわな。
まったく、ごく普通に外国人の集団が日本にやって来ていた。
国語語彙の語源は、みな始めからやり直し。
日本人にへんな頑固者が多いのは、そのせいだったか。 >>897
しかしだ。
ユダヤ人が諏訪の守屋に来て、先祖の祀りだと言い、四国の剣山のユダヤの祭祀場についても言っているのに、なんで芝山の埴輪に言及せんのだろう。
これこそ、一目瞭然なのにな。
ユダヤ人はそういう点には頭が働くから、本命は芝山で、守屋はそちらに目を引いておくダミーという線もある。
もっとも、守屋は祭祀がはっきりしているから、そちらが大事なのかも知れんが。
どちらにしても、芝山がクローズアップされんのは、かえって何かあるな。 伊勢神宮、内宮、に有る「八咫の大鏡」の背面にヘブル文字が有るのは内緒だ。
(エヘイェ・アシェル・エヘイェ)へブル文字をコピペしたがこの板は文字化けの様だ
"I am that I am"
『我は在りて有る者なり』
『旧約聖書』の出エジプト記3章14節 伊勢神宮、内宮、に有る「八咫の大鏡」の背面にヘブル文字が有るのは内緒だ。
אהיה אשר אהיה (エヘイェ・アシェル・エヘイェ)
"I am that I am"
『我は在りて有る者なり』
『旧約聖書』の出エジプト記3章14節 伊勢神宮の鏡の背面については真偽さだかでないが、日本〜モンゴル〜カザフ〜地中海の交易路に乗って東西のお宝が行き来し、また同時に人集団の行き来もあったということだな。
もはや、日本語語彙にひそむ西方言語語彙は、明らかにこの交易路に乗ってやってきたということだ。
パジリクの勾玉と芝山のもみ上げ巻き毛が、その証拠だ。
この二つを挙げた投稿者は、歴史の真実を突き止めていたようだ。
わははははは。 パジリクの壁画には馬の飾りに勾玉が使われてるからね
中央アジアや欧州では勾玉模様をペイズリー、イランではボテ模様と云って
織物などで広くデザイン化されてる模様。 ペイズリーの起源には諸説あるそうだけど、パジリク古墳群出土の2500年前の皮製容器に、このペイズリーが描かれているそうだ。
ウィキでは、ナツメヤシの葉と関連があるふうに解説しているな。
パジリクの勾玉起源説は、面白いなあ。 芝山ってそんな重要な土地だったのか
どうりで新東京国際空港が建設されるわけだ
今も千葉県は千葉氏の隠然たる支配が続くなど
古い歴史が生きている土地柄だしな 勾玉は日本の縄文遺跡から発掘されるのでパジリク起源とは言えない >>906
勾玉が縄文時代からあるのはその通り。
その縄文発祥の勾玉の絵が、2300年前頃のロシア・アルタイ地方の古墳群から出た。
勾玉が交易でアルタイ地方にまで運ばれていたことが分かる。
一方、ペイズリーと呼ばれる模様がヨーロッパやイラン、中央アジアなど広域で用いられてきたが、このペイズリー模様の形の原形がパジリクの勾玉ではないか、というもの。
ただ、これまではその形はナツメヤシの葉が原形だろうとされている。
しかし、勾玉が原形であれば、面白いという話。 勾玉の現物が出土したわけでもないのに何を先走ってるんだ? >>908
そんじゃ、なんで絨毯の絵に勾玉が描かれているんだ。
写真のない時代だから、現物見てなけりゃ、絵に描けんよ。 でも現物ないんでしょ?
実際に現地に運ばれて地元住民の間で広く知られてる物品じゃなきゃそれを描いてもなんじゃそりゃ?って思われるだけなんだよなあ 勾玉の形をしているものは日本製の石製品だけなのか?
他人の空似じゃないのか?
現物が出るまで留保するのが学問の世界立場だろう >>910
みな知ってたんじゃないの。
勾玉の意味づけが出来てなけりゃ、馬の胸や鼻筋に飾らんだろ。
広く周知されてないと、そんなことできん。
葬られた人間が、その意味を知っていることが前提になる。 >>911
推定するのも学問の一つ。
学者は、推定せんのか。 根拠があれば推定するけど、うっすい思い込みで妄想はしないよ いずれにしても、西方からの文物人民がモンゴル、朝鮮半島を経由して日本にやってきたのは明らか。
その証拠の一つとして、朝鮮語の語彙の他の国の語彙との共通性が挙げられるのだが、この朝鮮語の語彙の発音が微妙なケースが少なくない。
今回の語彙も頭を悩ますのだ。
モンゴル語 khuree=骨格
日本語 kara(カラ)=体格
モンゴル語と日本語のこの語彙の発音、意味の類似は分かりやすい。
しかし、朝鮮語で骨格の意味を表すのはgolgyeog(コルギョン)。
これが漢語由来なのか、それともモンゴル語由来なのか、微妙なのだ。
gyeog(ギョン)は(格=カク)に対応し、gol(コル)は(骨=コツ)に対応しているとみることもできるからだ。
しかし、ツングース語をみると、(骨)はkuerなので、朝鮮語のgol(コル)に類似する。
このケースでは、漢語由来であるよりも、モンゴル語のkuree由来とみるのがよいようだ。
これで、モンゴル語khuree(骨格)、朝鮮語golgeog(骨格)、日本語kara(体格)がつながりそうだ。
ちなみに、モンゴル語のkhuree(骨格)は、キルギス語のkarakas(骨格)につながっているようだ。
みな、ひとつながりの語彙とみることができる。 >>914
学者も推定はするんだから、素人が推定するのは何の問題もない。 日本の神道とは、日本古来の自然崇拝アニミズムと中国からの道教の影響と
ユダヤ教、神秘主義カバラが混交したものでカバラの聖典がトーラ、トラの巻
道教自体がユダヤ教の影響が強いと云われる儒教と混交している。
表神道が陰陽師、裏神道が「 漢波羅 」で道師を八咫烏とも言い修験道と深い繋がりがある
ユダヤ教は一般的には一神教と云われるが、本来は多神教でたくさんの神々がいる。 実は漢字のなかには明らかに旧約聖書の内容が含まれており
特に哲学、思想的な漢字には聖書的な漢字が多い、多様されるのが「羊」
旧約聖書の出エジプト記12に記された過越における生贄の子羊の血は、
イスラエルの民を護り、救うもの
イエス・キリストを神の子羊と表現したり、「義」などは我は羊とはイエスの事。
「船」などは船に八口(人口と言うように人の事)とはノアの箱舟に八人の人を乗せた話。
「田」とはアダムとエバは、「エデンの園」に暮らしていました。聖書によるとエデンの園からは、
地下水がわき出ていて、四つの川が流れ出るとなっていました(創世二・一〇) 。
「裸」はアダムとエバは、罪を犯す前は、裸でした。
果実を食べた罰として、衣を着るようになり、以前の状態を意味する言葉に思えます。
まだまだ多数あります。
これらから漢字は旧約聖書に熟知してる人達が造りだしたと思われる。 漢字は秦の時代に整理されて現在に伝わった物で
日本に伝わったのが漢王朝時代だから漢王朝の文字と言う事で「漢字」
後の漢民族とは関係はない。古代の漢民族がどんな民族だったのかは不明。 >>915
釣りにマジレスだが朝鮮固有語は뼈だな。골격の語源は辞書で調べれば秒で判るぞ >>922
骨には、ppyeoとgolがあるようだ。
golgyeogの語源は、なに? >>923
小学生なのか?
今時それぐらい小学生でもググれるぞ 八咫烏とは賀茂氏の事。
日本で唯一、天皇が挨拶に行く(賀茂祭、葵祭り)神が、
京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)
(斎王代とは皇室から差し出された内親王・女王のこと、天皇の代理)
この両社は皇室にとって特別な神である由縁。 平安京以前からあるから土着の神に挨拶しないとねという感じなんだろうね >>926
斎王が設けられたのは、平安時代初期からだけどな。
それまでは、斎王は伊勢神宮にしかなかった。 漢波羅が葛城鴨の出自なら、葛城鴨が吉野川縄文人系なので、漢波羅は吉野川縄文人系の一派だということになる。
漢波羅と葛城鴨は同族なのか。
別だという説もあるようだがな。 >>926
斎王代は、戦後の葵祭において、本物の斎王の代理を務めるようになった民間の女性のこと。 土地神さまで銅鐸との関係が深く、加茂/鴨、三輪/美和の地名や神社から出土する。
(例) 出雲の加茂岩倉遺跡からは39個の銅鐸。 賀茂氏は、天孫族よりも前に
日本列島に移住し、そしてヤタガラスとして神武天皇の大和盆地入りを先導します。
実は賀茂氏は大八洲(おおやしま、日本列島)の地主さん、(土地の領有権者)
(天皇家、皇室)は大和マンションの大家さん、(立法や政治を行う、運営統治権者)
松尾大社の秦氏はヤマトマンションの管理者さん、(施設管理や有力住民との交渉官僚)
前三者が三位一体の神として運営するのが高天が原。
ヤマトマンションの住人(日本人)の自治会長さんが軍事権を持った摂政、関白、太閤
征夷大将軍、(源氏、平氏、藤原氏、橘氏など) 近代では内閣総理大臣とも云う。 >>932
神武と葛城鴨は、同族。
神武が本家筋。
葛城鴨の一派である漢波羅が、天皇の親衛隊を務めるのは当然。 >>924
朝鮮語の語源辞典持ってない。
golgyeog(骨格)の語源、頼むわ。 モンゴル語、朝鮮語、日本語のそれぞれの語彙に、同系とみられるものがあることが分かった。
タガログ語、日本語、朝鮮語の語彙では、この3者をつなぐ語彙がほとんどみられなかったのとは対照的だ。
南方系の語彙は、どうやら日本止まりのようだ。
一方、西北系の語彙は、朝鮮半島を経て、明確に日本に達している。
それだけ通交が多かったということだろう。
そこで、今度は、フィンランド語との関連をみてみよう。
フィンランド語の祖形は、満州の遼河あたりであることが分かっている。
フィンランド語 suo(スオ)=沼
朝鮮語 seubji(シウ)=湿地、沼
日本語 sawa(サワ・沢)=湿地、小さい渓谷
これをみると、3者は発音がかなり類似しており、意味は同じだ。
これらが、同系の語彙であることが分かる。
遼河の言葉はウラル語であることが想定されているので、この満州のウラル語語彙が朝鮮半島、日本と関連があるのはほぼ間違いないだろう。
この語彙の発祥がどこにあるのかは、定かではないが。 >>935
追加
これらにキルギス語を加えることができる。
キルギス語 saz=沼、沢
日本語のsawa(サワ)=湿地・沢は、このキルギス語に似ている。 沢の上古音は「さは」sapa
どう考えても南島祖語の*sapaq由来だ
タガログ語のsapaとかと同系統
似てるとかいう語呂合わせじゃない完全一致だ だいたい沢は山から流れる水のことで、動きのない沼とか湿地とは全く違う
まず日本語を勉強してみてはどうか >>939
大辞林
さわ(沢)
@ 山あいの谷川
A 水が浅くたまり、葦・荻などの草の茂っているところ。
辞書くらい引いてから、書き込むように。 どっちが本義か考えろよ
沢って聞いて淀んだ沼を想像する奴がお前以外に何人いる? >>938
タガログ語まsapaは、小川、渓流、川などの意味であり、湿地、沼の意味はない。
940で述べたように、日本語の沢には谷川と湿地の二つの意味があり、このうちタガログ語のsapaは日本語の沢の(谷川)の意味と似ている。
一方、フィンランド語のsuo、キルギス語のsaz、朝鮮語のseubjiは共に沼、湿地の意味であり、日本語のサワ(沢)の(水が浅くたまって葦などが茂っているところ)の意味と似ている。
したがって、日本語の(さわ=沢)には湿地の意味はなく、フィンランド語やキルギス語、朝鮮語の語彙とはつながらない、という主張は認めることができない。 >>943
はじめから辞書ひいて、それから書けよな。 いやだから単語には本義と派生義っていう概念があってな
いややっぱりもうええわ 百済が日本に支配されてたんだから百済人が日本語話してたんだろうね ついでに、これはどうや。
フィンランド語 vene(ベネ)=舟
朝鮮語 bae(ベエ)=舟
日本語 hune(フネ)=舟
わははははは。 >>949
黒歯常之なんて、もろに日本人の名前だよな。 『三国史記』の巻37にある高句麗の地名の表記が手がかりとされているが、
それによれば、例えば「三ミツ-密」「五イツ-于次」「七ナナ-難隠」、、「十トヲ-徳」、
「兎」をウサグム、「鉛」をナマリ、「谷」をタンと発音していた。高句麗語で判明している
数詞4つすべてにおいて日本語との間で一定の音韻的共通性が認められるとして、
日本語との関係を考える研究者も存在する。
『鶏林類事』には「九つ」が「鴉好<gako>」と書かれているという。
「g=k 通音」→「gako<鴉好>」→「kako」→「koko」とも読めるらしい。 >>953
鴉は影母だから/ga/という音を持ってたとは思えないな
それに/koko/っていう同じ音の繰り返しならなおさら違う声母の字を当てる必要が無い >>953
鶏林類事は高麗語=新羅語系=現代朝鮮語
高句麗は扶余語系 楽浪郡には倭人たちも多かったからね、隼人のS字模様の盾も漢人墓から発掘されてるし
楽浪海中に倭人ありと有名な記録も有るし、倭人が近くに居て詳しかったんだろ。 >>953
なんで日本語読みするんだ
鴉好なんてahoでahopのことだろ
本当に知識が小学生レベルだな ○ 「高句麗語」の古語「密<mitu>」は「三つ」を表すという。
○ 「高句麗語」の「干次<utsu>」と「五つ<itutu>」は「同系語」だという。
「u=i 通音」のため「utsu<干次>」が「itsu<5つ>」に転訛している。
○ 「高句麗」の古語「難隠<nanon>」と「七<nana>」の「同系語」あるという。
「語末」の「n」音の脱落傾向のため、「難隠<nanon>」→「nano」→「なな<nana>」となる。
○ 『鶏林類事』には「九つ」が「鴉好<gako>」と書かれているという。
「g=k 通音」→「gako<鴉好>」→「kako」→「koko」。
○ 「高句麗語」の「徳<tok>」と「十<tou>」の「同系語」であり。
「k」音の脱落傾向あり。「徳<tok>」→「to」→「十<tou>」。 それそもそも高句麗語じゃなくて
高句麗内の日本語地名なんじゃない? モンゴル語、フィンランド語、朝鮮語、日本語が共有している語彙はいくらもあるのだから、高句麗語の語彙が日本語の語彙として用いられていたとしても、何の不都合もない。
また、高句麗語の数詞が日本語の数詞として用いられていたとしても、中国語の数詞も別に用いられているのだから、交易上そのような数詞の共有の必要があったということでいいのではないか。 しかし、キルギス、モンゴルから満州、朝鮮をへて日本に至る交易路上では、色々な語彙が行きかっていたのは間違いない。
現在、日本語固有のものと考えられている語彙も、この交易路上における語彙移動の結果であることが判明する。
例えば、次の語彙は、明らかにこの地域の通語彙ではないか。
フィンランド語 koiv(コイブ)=樺
朝鮮語 hwa(ハア)=樺
日本語 kaba(カバ)=樺
朝鮮語のhwa(ハア)は、語頭のk音が落ちたもので、(k)hwaが元々の発音だろう。
また、モンゴル語のkhusan=樺、カザフ語のqayin=樺、エストニア語のkask=樺も語頭のk音が共通していて、同系の語彙の可能性がある。
語彙の中には、このように相当な広域で行きかっているものがあるようだ。
狭い日本にゃ住み飽きた〜♪ >>962
失礼な
和語漢語外来語の違いは小学校で習うだろ
それが分からない奴は小学生以下だよ >>962
樺の中国語発音は、hua(ファ)だ。
漢音は、ka(カ)だ。
フィンランド語のkoivも、日本語のkabaも、ともに語尾がv<
b音がついている。漢音のどこにv、b音があるのだよ。
朝鮮語のhwaは、フィン語や日本語のv、b音に当たる。
朝鮮語のhwaはk音が落ちたものだろう、と書いてあるだろ。
毎度のことだが、ちゃんと考えてから書け。
小学生みたいな短絡思いつきで書き込むな。 頭がホイ卒だから漢語の意味を理解していないのか(´・ω・`) 毎度のことだが、オンライン韓国語辞典で「樺」を検索してみろよ、一分もかからんぞ まぁ韓国語hwaのwはbの弱化したものだと言いたいんだろうが、元々のハングルの綴りはhoaだからな
単にローマ字転写の都合上でwが出現してるに過ぎないんだよ残念だったな ガイジが言語学ですらない妄想でファビョってんな
まあこんなクソスレに相応しいといや相応しいwwwwwwwwwwwww >>970
hwaもhoaもおんなじ。
(k)hwa、(k)hoa、kaba、koivu、おんなじ。
ぐつぐつ理屈つけても、無駄。
そんなことより、朝鮮語はなんでこんなに語頭音を消してしまうのか、研究発表しろ。
そのほうが、どんだけか、皆さんのためになるか。 >日本語の起源は百済語
つまり韓国は百済と断絶してる、ってことか。 >>974
百済と高句麗は唐・新羅連合に滅ぼされた、逆に言えば唐・新羅連合が百済と高句麗を滅ぼしたのだから、その新羅の延長線上にあるのが韓国ということじゃないのか。
新羅は、百済と高句麗の国を滅ぼして、その領土・人民を我が物にしたということになるので、韓国は百済とは断絶しているということになるよね。
だから、韓国が百済文化云々、高句麗文化云々というのは、滅ぼした国の文化という認識なんじゃないの? >>975
そうとも言い切れん
蒙古や女真に国を滅ぼされた人らなんか断絶するどころか増え続けてるやんか 百済は支配層と被支配層で言語民族が異なるので滅んだら終わり 大陸や朝鮮半島では、その王朝文化と一般人民は連続しないケースが多い。
例えば、唐王朝文化と一般人民の文化は別という認識が当事者間にあるとすれば、戦争などで滅ぶのは王朝とその文化であり、一般人民の文化は無関係ということになる。
中国などは、つい最近まで、人民の意識はそんなだったようだ。
そうすると、朝鮮半島もそんなもので、王朝の当事者と、一般人民は別という意識ではなかったか。
とすれば、百済王朝は滅んだ国、勝ち残った新羅王朝が半島全域の領土、人民の支配者という意識が当然にある。
で、その繰り返しで、李氏朝鮮を経て、今の左翼政権が半島南部域の領土と人民の支配者という意識であるかも知れない。
今度の選挙で今の野党が政権与党に返り咲いたとしても、領土、人民の支配者が入れ替わっただけということになるのは必定。
人民まるごと一億玉砕なんて、ありえんということだな。 韓国人が
「百済を継承しているのは韓国ではなく、日本である。」
ということに何か意味あるの? >これら↓が音読み日本語の元祖である、なお訓読み日本語は古来よりの言語である。
「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」 隋の使節団は、
そこの人々は華夏の人々 =(中国の古代国家「夏」)と同じである」と報告している。
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦語、(陝西方言。長安に都があった頃の標準語で、この亡民が秦代・前漢代の渡来を物語る)
水谷千秋は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、
実際に中国からの移民と考えて間違いない、と述べている。
『三国志』魏書巻30辰韓伝に、「名國為邦(訳:国を邦と言う)」とある。
辰韓(秦韓)の民は秦から亡命してきたと言うが、前漢の初代皇帝劉邦が
自らの諱(劉邦)を憚って「邦」を「国」と言い換え、以後長安に都では邦の字の使用を禁じた。
そこでは国を邦(邦人)、弓を弧(琉球弧)、賊を寇(元寇)、行酒を行觴と称し(回し飲み)、
互いを徒(学徒)と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。〉
漢代以後の漢語では「邦」のことを「国」と言うが、辰韓人(秦韓人)は「国」のことを
「邦」と言っており、かかる事実関係により、辰韓人(秦韓人)は秦語を使用していることは
決定的とみられている。 >>949が結論を出してる
百済が日本に支配された記述はあるけど、日本が百済に支配された記述は存在しない 今の韓国語では自分たちの仲間を「僑胞キョッポ」と呼び
辰韓、新羅人らの言語と現代韓国語とは全く違い、
まるで民族がソックリ入れ替わったかと思うほどに感じる。 >>979
単に、百済の遺民(一般人民ではない)が逃げ込んだところ、というような意味じゃないの。 恐らく新羅の古墳から出土する黄金の出土物やローマンガラス製品は
秦氏の先祖が辰韓時代に製作した工芸品で勾玉なども加工したんだろう
日本列島に渡ってからでも彼らはハイテク集団として絹織物やガラス玉などが有名
こう云った工芸品の技術は中国では国家管理の集団で簡単に一民衆では真似できない。
これらの集団が記録では可なり多勢で移民帰化したようで、この時言葉も入って来たんだろう。 >>986
ローマンガラスの起源はウリナラニダ<丶`Д´> 「韓国と百済は断絶しているが、日本は百済を継承している」
と韓国人は何を言いたいのか? >>986
秦(ハタ)については、すでに多くの説があるが、元々は弓月君と呼ばれ、後に波陁(ハダ)、波多の姓を賜ったとされる。
その波多の由来として、弓月氏の織る絹は柔らかく暖かいので人肌のようだとして、波陁の姓を賜ったというもの。
実際には、その波陁、波多は、絹を織る機(ハタ)から来ているのではないかとされる。
ところで、秦氏(弓月氏)はユダヤ人の渡来者ではないかとされる。
その真偽はさだかでないが、ヘブライ語(アラム語)では、布、布地、織物、生地などをbadと言うらしい。
発音はバド。
とすると、秦氏が賜ったという波陁(ハダ)姓とヘブライ語で布を意味するbadは、よく似ているということになってくる。
渡来した弓月氏の集団は、自らをヘブライ語でbad(バド)=布織り屋と称していたのではないか、と考えたくなるのだ。
そうすると、 ずいぶんと多神教要素の強いユダヤ人ですね
長旅の途中で宗旨替えしたのかな? ユダヤ人といっても、聖職者ばかりではないですからなあ。
普通に生活者で、いろんな生業についていたはず。
金融などを行ったのはヨーロッパの話で、普通の職業に就くのを止められたから。
ほかの土地では、そのような規制はなかったでしょう。
布屋さんしててもおかしくないですね。
ただ、千葉県の芝山には、超正統派が来ていたという人もいます。
これは、聖職者というべきでしょう。
秦氏より百年ほど後の渡来のようです。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。