正史『三国志』 三十二巻
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正史『三国志』 三十一巻
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1468575779/ ポイントはこれ
1.由来は万葉集に収められた大伴旅人「梅花宴」の序(和歌ではない)「初春令月、気淑風和」から
2.この詩は中国・後漢王朝時代の張衡「帰田賦」からの本歌取り(オマージュ)元ネタは「仲春令月、時和気清」
「黄帝内経」からのパクリというのは間違い。そもそも黄帝内経は医学書
3.元ネタである張衡「帰田賦」は「政治が腐敗しきって世の中が全く良くならないので田舎に帰らせていただきます」という内容
4.張衡を失望させた政治腐敗を招いたのは2人の皇帝。1人は順帝、もう1人はその父親「安帝」
5.この安帝は後漢王朝の皇帝だが、中国史にはもう1人安帝がいる。それは「東晋」王朝の安帝
後漢は三国志の直前、東晋は三国志の直後といえば日本人にもわかりやすい
6.東晋の方の安帝は知的障碍者で子無し、ひたすら政治を混乱させて最後は殺されたというどうしようもない愚帝
7.1以外にも令は命令の令、清和会の「せいわ」と韻を踏んでいるなど安倍が喜んで選ぶ要素満載
8.旧暦2月のことを令月という。新天皇の誕生日は2月23日
以上、「令和」は「国書からの引用と見せかけて実は漢籍由来」「元ネタは後漢の安帝の政治を批判した詩」
「さらに安帝にはもう一人東晋の安帝という更なる愚帝がいる」「それでいて普通に天皇誕生日を祝う意味もある」と何重もの意味を持つ元号なのであった 曹操って勢力を急拡大させているところが端折られているけど、
何故急激に勢力拡大できたのだろうか?
董卓を暗殺しようとして追われて、呂伯奢を殺害して地元に帰宅して、
父の知り合いの豪族等から支援を受けて兵を起こして、
董卓討伐連合軍を起こしたあとから、逃げて来た皇帝を洛陽で保護して、
許昌に都を移したあたりからの急激な勢力拡大の経緯が知りたいのだけど、
あまり情報がないんだよね
呂布と戦い殺害、袁紹を滅ぼすあたりまでで、逃亡して地元に戻ってからとは
勢力に大きなギャップがありすぎる そもそも曹操の地元ってどこなんだ?
当時は洛陽が首都で、曹操も祖父の曹騰も洛陽で暮らしてたんじゃないの?
地方に領土とかあったの? 曹操の地元は沛国譙県じゃないの?そういう意図の質問ではなくて? 義理の祖父の代からずっと洛陽暮らししてると思ってて、故郷と呼べる地元があったのか知らなかったんだけど
そういう地元があるなら、そこに一度戻って再起できるんだね
地域基盤がどこなのか気になったんだ あれだけ一緒にいる夏侯氏が譙出身だから曹操自身がそこまで繋がりがなくとも一族としては基盤の役目くらいは果たせんじゃね? 東郡太守を拒否ったあと典軍校尉として復帰するまでの間地元に引きこもってたみたいだし地元と繋がりあったんでない? 曹操の父親が養子に貰われる前の実家とも強い繋がりがあるんだなと改めて思う
現代日本の感覚で考えてもしょうがないけどすごいな >>42
超絶遅レスだけど
卑弥呼神社が一社もないのは、邪馬台国が日本じゃなかったからだよ
俺が想定してるのは、インドネシアのジャワ島とかバリ島付近
あの辺に倭人伝で記述されるタイプの女王国が確認できると
民族学者の大林太良が書いてるのを読んだり
東洋史学者の内田吟風の論文を読んだりして
絶対そうだと思った 訂正
× 邪馬台国が日本じゃなかったからだよ
〇 邪馬台国は日本にはなかったからだよ 周瑜が魯粛を推挙するが
『三國無双』では周瑜が若者なので逆にしか見えない 昔は魯粛がモブキャラで、実質周瑜→陸遜みたいな感じだったからねえ 成都の西北に姜維が築いた姜維城があったらしい
羌系異民族対策の城か? 姜維城のあった辺りが唐では維州になったんだが
姜維の維から取ったっぽい 現在の日本は十常侍がのさばってた後漢末に似てるな
もちろん十常侍は統一教会自民党
いずれ黄巾の乱みたいな大きな反乱が起きそう 選挙を信用してるとかw
まあマトモな政党ができる可能性もゼロとは言わんが SNSで細かくガス抜きされてるから大規模な暴動、反乱は起こらんと思うけど
SNSで組織されてる犯罪集団がだんだんと過激になってきたな
犯罪集団が犯罪で資金を得て、政治家とくっついたらかなり怖い 日本には清流派知識人も袁紹みたいに宦官皆殺しにできる人物もいないか 日本を三分するほども二分するほども影響力ないからな 曹操が冠の色で身分を分けたらしいんだが出典分かる? 清流派知識人ってほぼほぼ曹操政権に取り込まれたんだっけ?
時代がずれてるから生き残ってないかもだが 曹操、劉備、孫権などは民衆からしたら最悪だろう
大義も理念も何もなくただ戦をして荒らしただけ 賊と呼ばれた会稽の許昌なんかの方が民衆にとって良かった可能性も? 劉備とか漢王朝復興とか言ってたが復興望んでた民は居たのだろうか >>454
あれでも自民党はまだ自浄作用あるんだよなぁ
野党なんてどこも悲惨だぞ ねーよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
昭和までならあったかもなwwwwwwwwwwwww >>471
自民党はマスゴミの大嫌いな派閥があるからな親分がかばっても他派閥の親分に連合組まれると太刀打ちできない
民なんとか党は責任云々と水をむけられると逆切れするし
共産党は党員に貧乏生活を強いてるのにトップは豪邸で贅沢なものを食って逆らうものは粛清という恐怖支配
公明党は醜聞があると即切るけど、誰もが死んでいるのは分かってるのに、誰もその事を言わない名前を呼んではいけないアレ
200歳になっても年金を受け取り続けても、野党も新聞も雑誌も誰も話題にしないし問題にもならない絶対タブーがあるから気持ち悪い 過疎スレならスレ違いも許されると思っているような奴らに他者を非難する資格があるだろうかいや無い >>470
但し後には劉氏でも漢を名乗らなくなるんだよな
つまり政治的価値が無くなったわけで 「一つの中国」を支配する資格があるのは唯一漢だった時代だからね
魏や晋でも大陸全土を支配した後はなんでも良くなったんじゃないかな
後世に理想とされる時代と思われなかったのが大きいか? 特に後漢末期の混乱が大きかったかな
蜀漢が天下を取れなかった一因もそこにありそう 邪馬台国に使いした張政の官の塞曹掾史って
聞かない官名だな
塞曹って何や? 張政は20年くらい日本にいた説あるけど、
それであの方向の適当さはおかしい 呉も倭国に来てるはずだけど、使者の名は
伝わってないんだっけ? 日本に呉の赤烏の年号を持つ鏡が伝わってるんだが、
赤烏は三本足のカラスだ
ヤタガラスとも何か関係がありそうだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています