ハプスブルク家を語る
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ハプスブルク家(ドイツ語: Haus Habsburg)は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)の貴族。
古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。
中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系となった。
また、後半は形骸化していたとはいえ、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国の皇帝位を中世以来保持し、その解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占したため、ビスマルクによる統一ドイツ帝国から排除されるまで、形式的には全ドイツ人の君主であった。
ヨーロッパ随一の名門王家と言われている。 来月の11月11日でカール1世が退位してからちょうど100年。 もうそんなに経つのか
まるで昨日のことのように生々しく思い出される ハプスブルク家がスイスを諦めたのはオーストリア公アルブレヒト2世のとき? スイスってなんでハプスブルク家から独立しちゃったのかな? アルブレヒト2世の父アルブレヒト1世の恐怖政治に抵抗した結果。 >>15
ハプスブルク家がスイスへの請求権を放棄したのは1474年かな。
盟約者団(スイス)とフリードリヒ3世及び従弟ジークムントが永久講和を締結したときのこと。らしい… ハプスブルク家の前身とも言われているクライン大公国のアンデックス・メラン家について教えてください >>20
ハプスブルク家としてはグントラム金満公
エティヒョー家としてはアルザス公エティヒョーが最古の人物 >>25
ハプスブルク家の前身はエティヒョー家だと思う。 マリア・テレジアはフリードリヒ大王と結婚すればよかった
ドイツ統一が加速しただろうし、オーストリアがドイツから締め出されることもなかった
ハプスブルク帝国が崩壊することもなかっただろう >>31
んまぁ、もちろんそうですけど。そういう事例はありますよね。 >>29
ドイツ統一に関しては、ハプスブルクだけらどうこうではなく、ハプスブルク君主国が抱える広大な非ドイツ人地域
が問題なのだよ
だから、仮にオーストリア-プロイセンが成立したとすれば、逆にドイツ統一が困難になった可能性すらある
オーストリア-プロイセンの外にある帝国へのフランスの影響力が大きくなっただろうしな
(ドイツ内にオーストリアまたはブランデンブルクに対抗できる勢力がない以上、頼るはフランスってことになる) そもそもフリードリヒ2世とマリア・テレジアが結婚したとして子供生まれるのか? 自国で冷遇されてたウジェーヌ・ド・サヴォワの才能を見出した プリンツ・オイゲンはルイ14世の庶子という俗説があるな
それはともかく、レオポルト1世は帝国の中興の祖といえる有能なのに知名度がない オイゲンの母親はルイ14世の愛人だったからあながち根拠のない俗説と断定することもできない気がする。
ナポレオン3世はDNA型鑑定でボナパルト家とは血縁関係がないことが判明してしまったけど。 マクシミリアンの霊廟に行ってみたいわ
飾られてある像の元ネタ殆ど知らないけど スペインのハプスブルク家についても
カルロス1世(=神聖ローマ帝国皇帝カール5世)はフランス語を話すフランドル人
みたいな感じだったんかね? >>42
カールは、死ぬまでフランドルにアイデンティティあったみたいなこと何かに書いてあったな ハプスブルクというとどうしても18Cに入ってからのオーストリアの
イメージが強すぎたんで16〜17Cのスペインに君臨したのがハプスブルク
だといわれてもあまりピンと来なかった。 >>29
>>34
フリードリヒ大王はどうも女性には興味がなかったっぽい
一応結婚してはいたが義務的なものに過ぎなかった
王妃には興味を示さず夜の営みもなかった >>50
カッテの母とレギーナ大公妃の曾祖母がともに、ヴァルテンスレーベン伯爵家出身 ヨハン・パリチーダやラディスラフ・ポストゥムスに興味があるわ ヨーハン・パリツィーダ(ドイツ語: Johann Parricida、1290年頃[1] - ?)は、ハプスブルク家の成員。添え名の「パリツィーダ(Parricida)」は「尊属殺」を意味する[2]。
オーストリア公ルドルフ2世とプシェミスル家出身のボヘミア王女アネシュカ(アグネス)の子で、父方の祖父にローマ王ルドルフ1世、母方の祖父にボヘミア王オタカル2世を持つ。1308年、伯父であるローマ王アルブレヒト1世を暗殺した。 骨肉の争いはあまり聞かないが実際はどうだったのだろうか? ハプスブルク家には強固な当主の概念があったため、外戚に家を乗っ取られることも、また一族内で争いが起こることもまれであった。
甥に暗殺されたアルブレヒト1世、フリードリヒ3世・アルブレヒト6世兄弟やルドルフ2世・マティアス兄弟の争いといった例はある。
ほとんどは他の王侯がそうであるように政略結婚であった。しかしその割には夫婦仲が円満で子宝に恵まれたケースが多く、多産は伝統とも言える。そのため現代でもハプスブルク家に関して、陰謀などの血生臭いイメージはあまり無い。 >>45
従兄弟(はとこ?)のイギリス王女アメリアと両想い。
カッテとの逃避行も目的地はイギリス。
それが叶わなかったから操を立てたのかも。
甥がいたから王朝存続も安心だったし。
少なくとも女を受け付けなかったわけではない。
アメリアはフリードリヒに操を立てて生涯独身。
超シスコンで、親父嫌いで、親友を自分のせいで死なせ、金髪、戦の天才、
あれ、どこかで聞いたような? ルドルフ大帝のモデルの一人がフリードリヒ大王らしいけど、似てないよね? >>56
Reinhard von Lohengramm >>56
アメリアの死後、大事に隠し持ってたフリードリヒ大王の太子時代の肖像画が発見されてんだよな >>39
>ナポレオン3世はDNA型鑑定でボナパルト家とは血縁関係がないことが判明してしまった
I世とルイの父親が違う可能性もあるので、まだ何とも >>62
3世って父母が離婚した時に「母に引き取られて」いるのだよなぁ
どう考えてもそういうことなんだと思うよ 同じく、ナポレオン1世がマリア・ヴァレフスカ伯爵夫人との間に儲けた庶子のコロンナ=ヴァレフスキ家の子孫のDNAと現在のボナパルト家のDNAを照合した結果、見事に一致した。
一方、ナポレオン3世の庶子の子孫のDNAとは一致しなかった。
ともかくナポレオン3世が不義の子、父のルイが不義の子、両方の説が成り立つが、どちらにせよナポレオン3世がボナパルト家の人間ではないことが確実となった。 パーヴェル1世の父親がピョートル3世自身ということはないのか?
ロマノフ家こそDNA鑑定してほしい。 ハプスブルク家で出生に疑義のある人物はあまりいないな、マクシミリアン1世やマクシミリアン大公ぐらい? マクシミリアンがナポレオン2世の子だとしても、子孫残してないからこの話はあまり意味ないよね。結局、噂レベルの話だし。 乙女戦争〜ディーブチーバールカ、狼の口〜ヴォルフスムントという二つの歴史漫画は面白いぞ >>70
乙女戦争は記憶喪失ネタでかなり萎えた。
最後まで読むけどな。 ここまでエリザベート(フランツ・ヨーゼフのヨメ)なし。
イヴォ・アンドリッチの「ドリナの橋」では小説の舞台となったボスニアの田舎町に
住むイタリア人が少年達から”ルッケーニ(エリザベートを暗殺したイタリア人)”と
呼ばれてからかわれる描写があったような フランツ・ヨーゼフ1世からカール1世への帝位継承ってかなりの傍系継承だよね。
カール1世はフランツ2世の玄孫、フランツ・ヨーゼフ1世の大甥にあたるから本来なら帝位とは無縁だった。 >>56
>>57
>>59
超強力なライバルがいた点でもラインハルトと被るフリードリヒ大王 マリア・テレジアとフリードリヒ大王
ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリー >>75
血縁が遠いから皇帝が自分の孫娘をカールと結婚させる計画もあった 孫娘のエリーザベト・フランツィスカは、ハプスブルク家の男系にあたり、今度は血縁が近すぎることが理由でカールの母の反対に会い実現しなかった。 もしフランツ・フェルディナント大公が即位してたら子供に帝位を継がせたのかな? >>80
皇帝から「帝位か結婚か、どちらかを選べ」と言われて、「両方頂きます」って言ってのけた人だからな。ありえそうな話。 幼少期に両親が暗殺されて同時に失う
ナチスのオーストリア併合に反対した結果、ヒトラーによって強制収容所送りにされ、2万ヘクタールの領地を没収される
収容所で健康を害しており、2人とも40、50代で死去 ラースロ5世(ラディスラウス・ポストゥムス)がフニャディ一派に叔父のウルリク・ツィレイを殺害された報復に、フニャディ兄弟をブダに呼び寄せて、捕え,兄のフニャディ・ラースローを処刑した時点で、
フニャディー兄弟の母(フニャディー・ヤーノシュの奥方)であるシラージ・エルジェーベトとその兄であるシラージ・ミハーイが率いるフニャディ一派が武装蜂起し、ラースロー5世はマーチャーシュを連れてプラハに逃げます。
プラハでラースロー5世は結婚式の準備中に急死(死因は最近、急性白血病と判明。当時は毒殺の噂が流れた)してしまいました。
マーチャーシュはボヘミア王国の摂政だった、ボディエプラディのイジーにそのまま捕えられますが,イジーの娘と結婚することを条件に開放されたのでした。 >>81
だからさあ、皇帝にとってサラィェヴォ事件は天佑なわけで(実際そんなことをツィートしてたし)、何で亡国に繋がる宣戦布告をしたかなあ。
宣戦しなきゃ黒幕と疑われるから? >>85
話が噛み合ってそうで、噛み合ってないぞw >>65
エカチェリーナ2世とピョートル3世はそもそも性行為が成立しなかったと主張する人もいるが、さすがにその場合はピョートル3世もパーヴェル1世を認知しないんじゃないかと思う。 >>86
いや、そのくらい関係が悪かったわけで、流石にセルビア人ありがとうとは言わなくとも、戦争するこたぁなかったじゃんというだけ。 アウグスト・ルートヴィヒ・フォン・スナルクラン・ド・グランシー(August Ludwig Freiherr von Senarclens de Grancy, 1794年8月19日 エトワ城、ヴォー州 - 1871年10月3日 ハイリゲンベルク城)は、スイス出身のドイツ・ヘッセン大公国の軍人、廷臣。男爵。
ヘッセン大公妃ヴィルヘルミーネの愛人であったとされる。
ローザンヌを本拠とする貴族家門スナルクラン・ド・グランシー家の一員であるセザール・オーギュスト・ド・スナルクラン・ド・グランシー男爵(1763年 - 1836年)と、その妻クローディーヌ・ド・ロリオルの間の長男として生まれた。
ヘッセン大公国の軍隊に仕官して長く軍人としての経歴を築き、陸軍少将および大公家の厩舎長にまで昇進した。
1810年代末より、主君のヘッセン大公ルートヴィヒ2世の妻ヴィルヘルミーネに、侍従として仕えるようになった。大公妃は1809年に第2子を出産してからは夫と別居していたが、1821年以降さらに4人の子供を産んだ。
大公妃の産んだ下の4人の子供は表向きは夫君の子とされたものの、実父はスナルクランだという憶測がヨーロッパ諸国の君主、閣僚、大使たちの書簡の間で飛び交った。 オーストリアの公爵はライヒシュタット公とホーエンベルク公の2つしかない。 カミさんや子供の影に隠れて存在感の薄いフランツ1世
(オーストリア皇帝じゃないほうね)
フランツ・ヨーゼフ1世以外は存在感の薄いオーストリア皇帝 フランツ・フェルディナントが暗殺されず帝位を継承してたら
フランツ・フェルディナント1世と名乗ったのか、はたまた
フランツ2世と名乗ったのか >>96
一番影が薄いオーストリア皇帝はフェルディナント1世 >>97
普通にフランツ2世だと思うけど、それだと神聖ローマ皇帝フランツ2世との区別がややこしくなるw でもフランツ・ヨーゼフ1世も最初はフランツ2世になる予定だったし、フランツ・フェルディナント1世の可能性もないわけじゃないか。 ナポレオン3世がフランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンを
メキシコ皇帝に据えてたけどその後…(´;ω;`) メキシコ皇帝マクシミリアンは1867年失脚し銃殺刑に処された。「顔だけは撃たないでくれ」と銃殺隊員のメキシコ兵に金貨を配ったが、逆に狙い撃ちにされたという。 皇帝即位に兄のフランツ・ヨーゼフは反対してたし、マクシミリアン本人も断ろうとしていたけど、皇后になりたい妃のシャルロッテに説得されて受けてしまった。 ウィーン宮廷には、マクシミリアンはフランス皇帝ナポレオン1世とフランツ1世の皇女マリー=ルイーズの一人息子であるライヒシュタット公爵フランツことナポレオン2世と母・ゾフィーとの不倫による婚外子ではないかという噂があった。
その場合、マクシミリアンはナポレオン1世の孫、フランツ1世の曾孫ということになる。このゾフィーとナポレオン2世の不倫問題とマクシミリアンがその賜物であるという説は歴史家によって退けられている。
これが本当なら、ナポレオン3世なんかよりよっぽど正統性があるように思える。 ハプスブルク家はなぜか帝国崩壊後に子孫が激増した。 君主制崩壊後に子孫が急激に激増したのはヴァルデック=ピルモント家、わずか3人の男子しかいなかったのが、現在では28人の男系男子を数える カール1世って影薄いよね…2年しか在位してないからしょうがないけど >>109
それでもハプスブルク帝国最後の皇帝として永遠に記憶される。 >>104
マクシミリアンの処刑後、フランスとオーストリア=ハンガリーとの
関係って冷え込んだりした?
悪いのはマクシミリアンを巻き込んだヨメだと思うけど。 >>111
決定的な関係悪化にはならなかったけど、1867年のパリ万博の際、フランツ・ヨーゼフは皇后を伴わずに訪仏し、「妻はマクシミリアンを売り渡したフランス人のところへ行きたがりません」と嫌味を述べている。 ナポレオン2世ってかわいそう。マリー=ルイーズひどすぎ! フランツ・ヨーゼフ1世とナポレオン2世は従兄弟同士 >>20
12世紀の「領地持ちのグントラム」が遡れる範囲でのハプスブルク最古の先祖
グントラムの孫ヴェルナーが築いたハービヒツブルク(鷹の城)が家名の由来
その後オットー2世が伯爵位を得てハプスブルク伯を名乗った 。 ごめん10世紀だった、あとヴェルナーは曾孫だった。
グントラム金満公の孫ラートボトはメッツ伯家(のちのロレーヌ家)のイタと結婚している。 >>121
アルザス公アダルリック(エティヒョー) ロレーヌ家のフランス語版Wikipediaの内容わかる人いる? ロレーヌ家のフランス語版Wikipediaの内容わかる人いる? 日本語版Wikipediaだとロレーヌ家の祖先はジラール家になってる。 エティヒョー家の系図はどこまで信憑性があるのか不明 ・14世紀への移行期には、ハプスブルク家の素性をローマ市民の一族、それもコロンナ家とする伝説ができた。コロンナ家の起源はトゥスクルム伯を経てユリウス家(ユリウス・カエサル)に至っていた。
・ローマ人説と並んで、フランク人説もある。フランク人を経てカロリング朝、メロヴィング朝、トロヤ人まで遡及するもの。ローマは素通りされている。
これは西部との結合を目指すもので、マクシミリアン1世が強く主張した。
・素性に関する空論が時代遅れになっても、ハプスブルク家の起源をシュヴァーベンとエルザスのアレマン公エティヒョー家に求める説は依然として残った。ロートリンゲン家もエティヒョー家起源とされる。提唱者は17世紀のフランス人ヴィニエ。
その後のハプスブルク=ロートリンゲン家には、歴史的伝統と神の配慮という神聖さが添加された。
この説は、ハプスブルク家がドイツを支配する際に「キリスト教的・ゲルマン的」イデオロギーとなった。
12世紀のグントラムは確実に生きていた人物で、彼がエルザスのノルトガウ伯グントラムと同一人物なら、エティヒョー家起源説は正しいことになる。
終始一貫してユリウス一門を自称してたわけじゃなくて、一族内でも主張はブレてたんだな。 ジラール家(フランス語:Girardides、ドイツ語:Gerhardiner)またはマットフリーデ家(ドイツ語:Matfriede)[1]は、ヨーロッパでもっとも古くから続く貴族の家系の一つであり、その起源は8世紀にさかのぼることができる。
その家名は時代によって変わり、初期の世代はジラール家(ドイツ語:ゲルハルト家、始祖ジェラール伯から)またはアダラール家(ドイツ語:アダルハルト家、フランク王ルートヴィヒ1世のセネシャルであったアダラール1世から)と呼ばれ、
パリ伯やメッツ伯(メス伯)を継承し、カロリング家とはたびたび姻戚関係を築いた。
11世紀半ばはマットフリーデ家(マトフリード家)と呼ばれ、メッツ伯を継承したが、ロレーヌ公となった後はシャトノワ家と呼ばれた。
さらに18世紀、ロレーヌ公フランツ3世シュテファンがオーストリア女公マリア・テレジアと結婚した後は、ハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ばれるようになった。 現在のハプスブルク家の家系図とかではどうなってるの? ジェラール1世(パリ伯)
ルタール1世(パリ伯)
アダラール1世(メッツ伯)
アダラール2世(メッツ伯)
ジェラール1世(メッツ伯)
ゴットフリート(ロタリンギア宮中伯)ジェラール2世(メッツ伯)
リシャール(メッツ伯)
アダルベール2世(メッツ伯)
ジェラール4世(メッツ伯)
ジェラール(ロレーヌ公) ロレーヌ家の祖先については大きく二つの説があって、一つはハプスブルク家と同じアルザス公エティヒョーを祖とするエティヒョー家説、二つは上にも出てるパリ伯ジェラール1世を祖とするジラール家説がある。
一昔前はエティヒョー家説もとられることが多かったが、現在ではエティヒョー家説を提唱する学者はほとんどおらず、ジラール家説が有力となっているらしい。 一応フランス語版をグーグル翻訳で翻訳したけど、当然間違いもあるだろうけど大体こういう内容だった。 ドイツ語版だとジラール家→シャトノワ家→ロートリンゲン家→ハプスブルク=ロートリンゲン家になってる。 ハプスブルク家もロレーヌ家もそれぞれアルザス=ロレーヌの古くからの貴族だからお互い関係が深いな。 高校の世界史教科書で地方貴族とされてたフランツ・シュテファン ロレーヌとブルゴーニュがいつもごっちゃになるんだけど皆さんは地理的にちゃんと把握されておられるでしょうか?
ザクッとでいいので現在の地名でどの辺からどの辺までがブルゴーニュでロレーヌか教えて下さい
フランスの地理には非常に疎いもので宜しくお願いします >>142
ロレーヌ:フランス北東部の地方、パリ盆地の東部からボージュ山脈の西斜面まで広がる高原地帯で、ルクセンブルクとブルゴーニュ、ドイツとフランスの間の十字路にあたり、古くからしばしば領有が変った。
ブルゴーニュ:フランス中東部の地方、リヨンの北部に位置する山がちの地方。北流してセーヌ川に注ぐヨンヌ川と南流してローヌ川に注ぐソーヌ川の上流部に当たる。 フランツ・フェルディナント大公の孫フランツ・フェルディナント・ホーエンベルクは、ルクセンブルク女大公シャルロットの長女エリザベートと結婚している。
この二人の長女が日本のテレビにもたびたび出演するアニタ公女で、彼女は幼少期にルクセンブルクの宮廷で育てられたらしい。 レストレーションは無理だよな
民族主義が基本の現代で、ハプスブルク家が民族統合の象徴になれる国って無いもの
むしろ男系を前面に出して、アルザス・ロレーヌの地域住民の首領になるほうが戦略としては現実的かな?
今後はロレーヌ家で行けばいいよ
だいたいハプスブルク家よりヴォーデモン家の方が血統も上だし歴史も古い、何せシャルルマーニュの末裔だし >>141
ロートリンゲン地方はヨーロッパ屈指の要衝地帯だし資源もある。ヨーロッパ諸侯がこぞって欲しがり戦争仕掛けるような場所。領地が小さいと言っても結構格はある。
広いばかりで、まとまりの無いど田舎が所領の大半だったハプスブルク家からしてみればフランツ・シュテファンとの結婚は願ってもない縁組だったんだよね。 すぐに放棄させられたけど。 帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦 昨日の深夜、BSプレミアムでエリザベートの特集があったけど見逃したorz マリー・アントワネットとエリーザベトだったらマリー・アントワネットの方がまともだと思う。二人とも最期は悲惨だけど。 よく考えたらマリア・テレジアとフランツ・シュテファン、マリア・アンナとカール・アレクサンダーでハプスブルク家とロレーヌ家の二重結婚なんだな。 弟(マクシミリアン)
息子(ルドルフ)
妻(エリザベート)
甥(フランツ・フェルディナント)
が相次いで非業の死を遂げ第一次大戦のさなかに亡くなった
フランツ・ヨーゼフ1世(´・ω・`) フランツ・ヨーゼフ1世「もし帝国が滅亡しなければならないなら、少なくとも品位をもって滅亡すべきである。」 >>154
銀河帝国皇帝フリードリヒ4世「どうせ滅びるならせいぜい華麗に滅びるがよいのだ」 フリードリヒ4世「よいではないか。人類の創成と共にゴールデンバウム王朝があった訳ではない。不死の人間がおらぬと同様、不滅の国家もあるまい。余の代で銀河帝国が絶えて悪い道理がなかろう。どうせ滅びるなら、せいぜい華麗に滅びるが…よいのだ。」 >>156
フリードリヒ4世のこの達観してる感じ好きw 「インディジョーンズ若き日」の大冒険って外ドラでインディが
カール1世と会うシーンがあったような ×:「インディジョーンズ若き日」の大冒険
○:「インディジョーンズ若き日の大冒険」 特別名君ではないが悪君でもない、凡庸な人物という評価>フリードリヒ4世 カール5世以降のハプスブルク家の君主で傑出した人物って
マリア・テレジアとヨーゼフ2世くらいだよね、他は凡君ばっか
でもだからこそハプスブルク家の栄華は長続きしたのかもね >>162
レオポルト1世、レオポルト2世は名君、むしろヨーゼフ2世は無能とはいわないが、それほど有能ともいえない。 レオポルト1世ってオイゲンを取り立てて、オスマン帝国からハンガリーを奪取、ハプスブルク帝国再興のきっかけをつくるなど、ハプスブルク家中興の祖といえる皇帝なのに知名度があまりない気がする。 即位前は放蕩の限りを尽くして勘当同然だった
みたいな説明があった筈。
治世も臣下に投げっぱなしで万暦帝がモデルっぽい。 戦国時代の日本と交流してた頃のスペインはハプスブルク朝時代か スペインはハプスブルク朝時代に黄金時代とその後の衰退を
味わってるような 皇帝の名でもあるマクシミリアンはマクシムとエミリアンの
造語だってのを人名関連の書籍で読んだことがある。 スペインはブルボン家に王朝交代したらパッとしなくなったな、凋落の一途を辿る一方だし、何度か王政廃止されるし、そのたび王政復古するのはすごいけど。
オットー大公が1961年にフランコからスペイン王位を打診されてるけど、現在の状況を見る限り断って正解だったかも。 >>165
そこからカール6世までの皇帝の功績って
マリア・テレジアがちょっと後で目立つことで概ね見えないことにされてるな >>162
カール5世の弟フェルディナント1世は頗る有能
治世の大半でカールの影に徹してたし即位から10年程で没してるから目立たないけどな >>165
>オスマン帝国からハンガリーを奪取
奪取後のハンガリーでハプスブルクに対する反乱がおきたけど,
リーダーであるラーコーツィ・フェレンツ2世の亡命を受け入れたのが
他ならぬオスマン帝国w >>170
受け入れてたら(その後を引き継いでスペイン国王となってたであろう)
息子のカールがベネズエラのチャベスに"Por que no te callas"と
ゆうてたんかな? スペイン国王になってたらそれぞれ、
フランシスコ・ホセ1世とカルロス5世になってたのか。 >>176
オットー大公は「フランツ・ヨーゼフ2世」になるはずだった。
名前もフランツ・ヨーゼフ・オットー フアン・カルロスとフェリペとクリスティーナ夫妻のアホ共のせいでスペイン王制はガタガタだしな
フアン・カルロスは動物愛護団体の名誉総裁であるにもかかわらず現地では合法とはいえ象を狩りまくって大炎上、
フェリペは立憲君主の立場も忘れて露骨な中央政府寄りの発言でカタルーニャ市民の気持ちを一方的に踏みにじった
クリスティーナ夫妻に至っては公金横領問題で刑事事件にまで発展するという前代未聞の大醜聞を起こした
スペイン国民の中にも最近は王制廃止派も増えつつあるというし、このままではレオノールの即位まで王制が維持出来るかどうかも怪しいな フアン・カルロス1世も晩節汚さなければ名君だったのに… >>180
カタルーニャのときは内心はどうあれ、中立を保って形だけでも対話や融和を呼びかけるべきだったと思う。
あれでは国王自ら王室に対する不信感に火に油を注でしまったも同然。 スペイン王制は風前の灯…とまではいかなくてもかなりヤバいのは確かだな
特にカタルーニャ市民なんかは心が完全に王室から離れてしまっているし、もはや修復不可能なレベル
エレナ王女のところのバカ息子辺りが王制にトドメを刺すんじゃないかと個人的には思ってる アブスブルゴ家がスペイン国王になってたらここまでグダグダにはならなかったかも? >>185
いやオットー大公がスペイン国王になってたらという話 >>170
確かにフランコ総統はオットー大公にスペイン王位を打診していたみたいだな
血統主義者ではあったようだが必ずしもブルボン家にはこだわっていなかったようだな
だがオットー大公が断ったことでスペイン・ハプスブルク朝の復活は幻と化した
その後はブルボン家のバルセロナ伯ドン・フアンの擁立が検討されたけど
バルセロナ伯があまりにもリベラルだった為にそれもお流れとなり、
最終的にバルセロナ伯の息子のフアン・カルロス(後のフアン・カルロス1世)を担ぎ出すことでようやく落ち着いた、と 同じブルボン家でもスペインとルクセンブルクでは大違い。 ユーロバブルで、EUのもと民族対立、地域対立、宗教対立は止揚されて解決したと早とちりしたんだよ。
経済が躓くと忽ち噴出。
レティシアは平民バツイチ以前にカスティリャ人なわけで、スペイン王妃にしちゃいけないんだ。
ベルギーのフィリップも、建国以来の禁忌である「ベルギー人との結婚」(アホのロアンですらやらなかった)をやっちったからな。
最後のベルギー国王になる可能性はある。 ベルギーはレオポルド2世の代で王制が倒れなかったのが不思議なくらい
近代史上稀に見る大虐殺者だぞ オットー大公もスペイン王位を承諾すればよかったのにな、千載一遇のチャンスだったのに
祖国への想いは分かるけど万に一つも有り得ないオーストリア帝位やハンガリー王位の復辟よりは
遥かに現実的だったはず >>190
次代のアルベール1世が名君だったから王制廃止を免れたのかも、
ベルギーはオーストリア=エステ家が継承できたらよかったのに… >>191
1961年は長男カールが生まれて、さらに帝位継承権を放棄した年、タイミングが悪かった。あと、本人がスペイン王位にそれほど関心がなかったのもあるかもしれない。 オットー氏は社会主義時代のハンガリー大統領就任要請も辞退してるんだよな。
まぁ先見の明があった事は間違いない。 ブルボン家のアンジュー公ルイス・アルフォンソに第4子、オルレアン家のヴァンドーム公ジャンに第5子がそれぞれ生まれるそう。ブルボン家はますます安泰。
現在でも男系男子130人以上いるし。先代パリ伯アンリは11人の子供、40人の孫、111人の曾孫が生まれている。 >>195
アンジュー公ルイス・アルフォンソ(ルイ20世)はスペインのフランコ総統の曾孫でもあるんだよな >>161
皇帝としてみたラインハルトの評価ってどうなるんだろ
そもそもの簒奪の動悸自体めちゃくちゃでよくまわりは従ったなとも思うけど >>197
元々は姉のアンネローゼを皇帝フリードリヒ4世に連れて行かれたのが発端で
フリードリヒ4世、ひいてはゴールデンバウム王朝に対する復讐が目的だった
しかしラインハルト個人の動機を差し引いてもゴールデンバウム王朝の圧政を憎む人々が多かったから
利害が一致してゴールデンバウム王朝打倒に繋がった
それにラインハルト自身も理想的な専制政治を自らの手で実現させたいと考えていたし、
名君としての資質も十分に備えていたからローエングラム王朝成立は必然だった >>197
「カイザーラインハルトは征服者でとしては比類なかった、しかし統治者としては三流であった」
「皇帝ラインハルトはその早世によって名君となった」 >>200
原作2巻(OVA1期)で終わるつもりだったんでしょ。
あんなに長くやるんだったら、死なせるんじゃなかった、みたいなこと言ってるよw >>194
ハンガリー大統領候補になるつもりはないかと尋ねられたこともあったが、オットーは議会政党の利害によって選出されることを嫌った。
また、ハンガリー大統領になるよりも欧州議会での仕事のほうがハンガリーのためにできることが多かったため、辞退した。
オットーはこれについて次のように語っている。「もしも状況が違っていたなら、つまりハンガリー国内のほうがハンガリーのために働けるのだったら、私は違う形を選択したでしょう」 ゴールデンバウム王朝はハプスブルク王朝よりもロマノフ王朝に近い
ロマノフ王朝は専制政治のお手本みたいなもんだし
デカブリストが自由惑星同盟ならボリシェヴィキがイゼルローン共和政府ってところか スペインの話題が出てたけど、次期女王とカール大公の長女の名前は同じ名前なんだな
オットー大公がスペイン王を受諾していたら、スペインにはF1レーサーの王配陛下ができていたかも
それにしてもスペインでは王政が不人気で隣国では王政復古の動きが強まってるとはなんたる因果か >>204
>スペインでは王政が不人気で隣国では王政復古の動きが強まってる
詳しく
ポルトガル?フランス? ゴールデンバウム王朝が倒れた結果、国家機密の名の下に秘匿されていた多くの史料が白日の下に晒されようとしていた。
帝国歴46年、開祖ルドルフの死によって揺らぐかに見えた銀河帝国の支配体制は、ルドルフの孫で第2代皇帝となったジギスムント1世と彼の父親で摂政となったノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムによって受け継がれ、共和主義者の大弾圧が行われた。
一方、領民に対しては比較的公正な施政を施し、いわば飴と鞭を使い分けて帝国の支配体制の礎を固めたと言える。
第3代のリヒャルト1世は、政治より美女と狩猟と音楽を愛したが、それでも最高権力者としての枠を踏み越えることなく、気の強い皇妃と60人ほどの愛妾達との間でごく無難な一生を送った。 第4代のオトフリート1世は、父より真面目だったが、健康で禁欲的で散文的で当時と未来の人々を退屈させる点において比類ない人物だった。無表情にかつ精密に連日のスケジュールを消化することが彼の目標であるかに見えた。
音楽・美術・文芸のいずれにも興味がなく、自発的に読んだ本は始祖ルドルフ大帝の回想録と家庭医学書だけであると言われる。
灰色の人と呼ばれる彼は陰気な保守主義者で、あらゆる変化や改革を忌み嫌い、崇拝するルドルフ大帝の前例にしがみついていた。
ある日、昼食を終えたオトフリート1世はスケジュールに従って15分間の散歩のために庭園に出ようとした。
そこへ急報が入って、軍の基地で大規模な爆発事故が生じ、1万人以上の将兵が死亡したと知らせてきた。それを聞いたオトフリート1世は無感動に「そんな事故の報告を聞くことは、今日の予定にはない」と発言した。
かくの如く、彼にとってはスケジュールが神聖不可侵のものだったが、自分自身でスケジュールを組み立てるような独創力には乏しかったので自然、その任に当たる皇帝政務秘書官エックハルト子爵の責任と権限は増大していった。
エックハルトが、やがて枢密顧問官と皇宮事務総長を兼ねるようになると、誰の目にも皇帝オトフリート1世はエックハルトの傀儡にしか過ぎなくなっていることが明らかになった。 モンテネグロは王室の現当主を儀礼・式典での自国代表という形で迎えてるね. オトフリート1世の死後、その子カスパーが帝位についた。カスパーは父よりも祖父リヒャルトに似て音楽を愛したが、その音楽以上に愛したのは合唱隊のカストラートであった。
カストラートとは、ボーイソプラノを保存するために去勢された少年歌手のことで、すなわち皇帝カスパーは同性愛嗜好者だったのである。
同性愛嗜好者を社会に害毒を流すとして大量殺戮したルドルフ大帝の子孫に同性愛嗜好者が誕生したわけで、歴史の皮肉以外の何物でもなかった。
依然として国政の実権を握っていたエックハルトは、自分の娘をカスパーに嫁がせ、皇帝の外戚となってその権勢を確固たるものにせんと目論んだが、この件に関してのみはカスパーは断固として拒否し、寵愛するカストラートのフロリアン少年と別れようとはしなかった。
業を煮やしたエックハルトは、遂にフロリアン少年の殺害を図り、兵士を連れて皇宮に乗り込んだ。そして野薔薇の間に踏み込んだ瞬間、リスナー男爵が指揮する一隊によって射殺されたのである。
以前からエックハルトの専横を憎んでいたリスナーは、皇帝の意を受けて奸臣誅殺の挙に出たのだったが、事件の混乱が収まってみると、当の皇帝は玉座に退位宣言書を残し、いくらかの宝石を携えてフロリアン少年を連れて姿を消してしまっていた。
即位後ちょうど1年であったが、以来完全に行方不明になってしまった。 無論、この間の事情は公表されず、300年以上も国家秘密とされてきたが、事実はこうであった。
ユリウス1世が頓死した時に同席していた5人の寵姫は、危急に際して狼狽するばかりで適切な看護を怠ったとして、カール大公によって殉死を強いられた。
その中の1人が死の寸前、腕輪の内側に口紅で真相を書き記し、形見と称して近衛師団の士官である兄に届けさせていた。
そこには、カール大公がワイングラスに毒物を塗って献上し、自分はカールに買収されて共犯となったこと、その事情を知る自分を殉死と称して抹殺しようとしていることなどが記されていた。
妹の救出が出来なかったその近衛士官は復讐を決意し、カールに次ぐ帝位継承権を持つジギスムントのもとへ証拠の品を持ち込んだのだった。ジギスムントはカールを追い落とす大義名分を得て狂喜し宮廷内工作の結果、カールに帝位継承権を返上させる事に成功したのだった。
無論、皇帝が皇太曾孫に毒殺されたなどと公表するわけにはいかず、秘密裏に政変が進行したのであった。カールは宮廷の一室に監禁された後、郊外の精神病院に移され、厚い壁の中で一応の礼節をもって遇された。
長寿を保ち曾祖父を凌ぐ97歳まで生きたが、彼が死去した時、世はジギスムント2世からオトフリート2世を経て、オットー・ハインツ1世の時代であり、70年以上も前に帝位に就き損ねた老人の名を記憶する者は宮廷内にはもはや存在しなかったという。 カールの死んだ、帝国歴217年から自由惑星同盟との間にダゴン星域の会戦が行われ、帝国軍が歴史的大敗を喫する帝国歴331年までの間に、ゴールデンバウム王家は更に8人の皇帝とそれに伴う善悪美醜さまざまな物語を生むことになる。
学芸省から提出された非公式の途中報告書に目を通しながら、ラインハルトは時に冷笑し、時に考え込んだ。彼はヤン・ウェンリーほど歴史に関心を持たなかったが、未来に思いを馳せるものは、過去を知らずに済ますことはできない。
とはいえ、全ての指標が過去に存在するわけでもない。誰かについて行くということは彼には出来なかった、誰もが彼について来るのだから。 >>209
140日の空位の後、先先帝オトフリート1世の弟であるユリウス大公が帝位に就いた。
重臣たちはユリウス本人より、その息子であるフランツ・オットーの実力と人望に期待したのであった。実際、即位した時にユリウスはすでに76歳であり、早晩フランツ・オットーが帝位に就くであろうと思われたのである。
ところが、ユリウスは思いのほか頑健で玉座に居座り続け、彼が95歳に達した時、歴史上最年長の皇太子フランツ・オットー大公が74歳で先に病没してしまったのである。
大公の子息は早逝していたため、その孫つまり皇帝ユリウスの曾孫にあたるカールが24歳にして皇太曾孫となったのである。カールは数年を待てば青年のうちに帝冠を戴けるはずであった。
ところが、彼にしてみれば自分が物心つく前から老人であったユリウスが不気味な存在に思えたのかもしれない。この老人は永遠に老人で、永遠に玉座に座り続けるのではないか。そんな強迫観念に囚われたのか、遂に皇帝を弑逆することを決意する。
帝国歴144年4月6日、96歳の皇帝ユリウス1世は5人の寵姫と共に夕食をとっていた。
老いた皇帝の急死は重臣たちを驚かせたが、同時に安堵感をもたらした。正直なところ、ほとんど例外なく、皆がうんざりしていたのである。盛大だが心のこもらぬ葬儀はカール大公に指揮されて執り行われ、喪が明ければ彼が帝位に就くものと誰もが思った。
しかし、5月1日の戴冠式で帝冠を戴いたのはカール大公ではなく、故フランツ・オットー大公の次男の子、カールの従兄弟にあたるジギスムント・フォン・ブローネ侯爵だったことが人々を驚かせた。 オトフリート1世はフランツ・ヨーゼフ1世に似てる気がする >>205
ポルトガルではなんと共産党が君主制支持を表明した。 フランツ・ヨーゼフが第一次大戦終了後も生き抜いて、
オーストリア=ハンガリーの終焉を見届けてたらという
歴史のIfにも興味がある フランツ・ヨーゼフが生きててもやはり君主制廃止されてたのだろうか? スペインは今でも男子優先の長子相続制で、もしフェリペ6世に男子がいたら、その子が次期国王になってた。
しかし国民は、不景気なこともあり「王室はお金を気にせず子供作れていいね」というものすごい雰囲気があり、結局、現国王夫妻は第3子を諦め、レオノールが後継者に事実上確定した。 >>217
子孫を残して王朝の安泰を図ることが国王の義務という時代ではなくなったという証左かもしれない。 オットー大公がフランコからのスペイン王位を辞退した背景には、亡命中のオットー大公たちをアルフォンソ13世がスペインに招き入れて、手厚く庇護してくれたこともあったんじゃないかと思う。 >>217
厳格なサリカ法が今でも生きているリヒテンシュタインなんかと違って
女子にも王位継承権があるし、男子にこだわる理由も無いしな フェリペ6世って、レティシアと結婚する前に、貴族と交際してたが母でギリシャ王族のソフィアが高望みしてしまった結果、現在に至る。
スペイン王室は公金にまで手を出すくらい貧乏だから、どうせならカール大公みたいにティッセン=ボルネミッサ男爵家のような大富豪から妃を迎えればよかった。 ボルネミッサ男爵家自体は17世紀から続くトランシルヴァニアの貴族で、その女性相続人がハインリヒ・ティッセンと結婚。1907年にフランツ・ヨーゼフ1世から承認されてティッセン=ボルミネッサ男爵となる。
この二人の次男が美術品収集で有名なハンス・ハインリヒでイギリス王室に次ぐ美術コレクションを所有しており、このハンス・ハインリヒの長女フランツェスカがハプスブルク家のカール大公と結婚した。 民族主義が勃興した19世紀を持ちこたえただけで十分。
第一次大戦がなくとも解体は避けられなかったと思われ。
どの民族集団も自分達は搾取されてると思い込んでいたのだから。 >>223
ちなみにハンス・ハインリヒの最初の妻リッペ=ヴァイセンフェルト侯女テレーザとの間に生まれた長男ゲオルク・ハインリヒはメラン家のカタリーナ・エレオノーレ伯爵夫人と結婚、長男シモンがいる。
この長男の家系は血統ロンダリングに成功し、血統的にもれっきとした貴族になった。 >>222
ノルウェーの下着モデルと一緒にオランダ皇太子(現国王)の結婚式に行ってたけど、あれとは別? >>227
自分たちが「搾取されてる」と各民族が思っていたという話であって、実際に搾取されていたかは別問題
そういう話なわけだが
本当に目に付いた単語以外は読み取れないのが多いな最近 >>227
搾取されてると「思い込んでいた」
日本語ワカリマスカ? 現在、鉱山財閥ティッセン社(現在のティッセンクルップ)の創業者アウグスト・ティッセンの男系はティッセン=ボルネミッサ男爵家のみとなっている。 >>228
どうやらマジキチの尻尾を踏んでしまったようだな
脊髄反射で3レスとか怖い
おまえの論は戦争がなくても多民族だと解体するなわけだが、ユーゴがあるからその論は破綻する
オーストリアハンガリー帝国の諸民族が搾取されていると思い込んだという主張の根拠もない
つまり、ただの妄想である >>232
まあ落ち着け、文体違うだろ
俺は>>228だが他は違う
で、搾取されていたと感じていたのは、青年チェコ党とかクロアチア革命軍とかの事績で明らかなんだ、これが そういえば西京子さんがオットー大公が結婚の規定を緩めたのはカール大公のためと記してたな
トスカーナ系の貴賤結婚の家系出身のカミラ・ハプスブルクと真剣に交際しておりそれで緩めたと
夫以上に貴族意識が高く、しかし皇族で唯一ゾフィーに挨拶したツィタ皇后が存命なら孫の結婚をどう思ったんだろう >>233
根拠はあるとな
しかし、第一次を民主主義対帝国主義で捉えてる俺からすると戦争、つまり英米の後押しがないのに帝国が崩壊するとは思えんな
後ろ楯がない状態でナショナリズムが隆盛したとして各民族の力だけで帝国を倒せるわけがない
それなら統治が巧かったとしても、ユーゴなど存在出来るはずがない
各民族に配慮した緩やかな帝国の選択肢もあった以上、意図的に連盟国が四帝国潰しに動いたと考える方が違和感がない >>235
オーストリア帝国の諸民族が欲しかったのは自治であって民主主義ではない
その証拠に独立後も諸国は国王を頂いた(ハンガリーは例外) >>236
帝国内の諸民族が民主主義をいらないと断言出来るのはすごい自信だな
王がいてもイギリスのような統治体系は十分あり得るだろうに
そこまで歴史のIfを民族主義からの決定論で決めつける理由はなんだ? >>237
他人に根拠を求めておいて自分は1つも根拠を提示していない件について オーストリア=ハンガリーの君主にはいなかったけど,よその君主では
フランツ・ヨーゼフ2世がいたのな
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%952%E4%B8%96 >>234
ハプスブルク家の貴賤結婚の緩和は実は1950年代に始まっており、そのためカール1世の五男ルドルフ大公はロシア貴族のクセニヤ・チェルニシェヴァ=ベゾブラソヴァ伯爵夫人と結婚することができた(チンギス・ハーンの血を引いてるかも?)。
孫世代でいえば、四男カール・ルートヴィヒ大公の長男ルドルフ大公がツィタ皇后存命中にベルギー貴族のヴィランファーニュ・ド・ヴォジェルサンク男爵夫人エレーヌと結婚している。
しかし、カール大公の結婚に関してはハプスブルク家の中でも反対があり、オットー大公の弟たちはカール大公の結婚式に出席しなかった。 フランス第五共和制政府はエルザス=ロートリンゲン地方をハプスブルク=ロートリンゲン家現当主カール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏に返還すべき
アルザス=ロレーヌ大公国のシャルル・ド・アブスブール=ロレーヌ大公 突然ですがここで問題
オーストリア=ハンガリー二重帝国の正式名称は?
ググらずに答えよ >>241
>シャルル・ド・アブスブール
シャルル・アズナブールに見えたw シャルル=アズナブール、
赤い衣装が大好きなフランスの歌手ね。
彼はアルメニア系で、祖父はニコライ2世の料理人だったとか。
ちなみにアルメニア名はシャア=アズナヴーリアン。 20年ほど前の来日公演のとき、
何かウケを狙ったのかアルメニア名とフランス姓をごちゃ混ぜにして
「シャア=アズナブール来日公演」と宣伝していたな。 >>235
高校生くらいかな?
どこから突っ込んでいいのやら、突っ込みどころ満載だが。
一つだけ突っこみ入れると、ユーゴは最終的に解体したし、オイルショック以降、経済が拡大しないなかで、「俺たちは搾取されている」と考えたスロヴェニア、クロアチアの動きが大きかった。
現代では国際法上、基本的に人民自決権の行使は一度のみなので目立たないが、「経済的に搾取されている」から独立運動、というのは結構あるよ。 ハプスブルク朝の体制下でヨーロッパ以外の地域を植民地化したことも
ありまつ。 >>240
現在では貴賤結婚は完全に廃止されて、結婚に関する条件はキリスト教徒であること、宗教婚をあげることの二つだけらしい。 >>248
大清帝国天津租界地(zh:天津奥租界)
ニコバル諸島、ナツナ諸島、アナンバス諸島及びソロモン諸島(計画のみ)
Wikipediaだとこれしかないけど他にもあったの? >>241
ロレーヌ家はロレーヌはもちろん、アルザスも祖先にあたるエティヒョー家がアルザス公として支配していたから、アルザス=ロレーヌとは歴史的に深い繋がりがある。 >>251
ロレーヌ家はエティション家とは別の子孫じゃないの? オットー大公は財産没収されて亡命中どうやって生活してたのかな? Franz Joseph Otto Robert Maria Anton Karl Max Heinrich Sixtus Xaver Felix Renatus Ludwig Gaetano Pius Ignazius von Habsburg-Lothringen
フランツ・ヨーゼフ・オットー・ローベルト・マリア・アントン・カール・マックス・ハインリヒ・シクストゥス・クサーヴァー・フェリックス・レナートゥス・ルートヴィヒ・ガエタン・ピウス・イグナティウス・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン >>242
帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦 >>242
1915年以降は、オーストリア諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦(ググってないよ) >>195
オルレアン家のヴァンドーム公ジャン王子の第5子(三女)が10月9日に誕生。 「こども作りすぎ!」「税金の無駄!」と叩かれる現王室より国民の干渉や反感を受けない旧王室のほうが気が楽でいいのかも。 同じブルボン家のスペイン王室は女子の継承も可能だからと3人目作るのは無駄と一部に批判されたんだったか
子供が生まれるたびに祝砲ならしてたら税金の無駄だと叩かれただろうね
王族が通うのが当たり前だったスイスの寄宿学校はリヒテンシュタインなど一部除いて現役王族は通ってないし ハプスブルク家はヨーロッパの徳川家って感じがするよな 日本で当てはまる家はないんじゃないかなあ
東洋は西洋と違って家から出た時点で相続権失うから
婚姻で領土拡張は出来ないし >>265
養子に厳しいかは微妙なラインだが(同族だと問題にされないこともあるし、日本とは扱いが違うだけ)、
庶子に関してはキリスト教の影響が極めて大きいね 日本は(中華も?)側室でも子供を作った女性は丁重に扱われるからな
正室との子供じゃないと認めないっていうのはキリスト教的文化だと思う そもそも側室という概念がないか
欧州では歴史的用語として不倫って言われるしな 神に祝福された婚姻によって生まれた子供と
それ以外の庶子
で、明確に扱い違うからね
まあ、庶子の中にも化け物みたいな才能の持ち主がいて、歴史に名前残してたりもするけど ハプスブルク家は貴賤結婚から生まれた子供も庶子扱いみたいな気がする。 ヨーロッパでは今は婚外子でも嫡子でも遺言がなければ相続の権利は同じなんだってね
そもそも結婚していないペアが増えているが
LGBTの法的な権利が強かったり、そういう差別・区別の歴史の裏返しなんだろうな >>268
姦通のことを不倫なんて呼ぶのは30年前頃以降の日本だけや >>272
昔から嫡子でも法定相続人として認定されてないと相続の権利はクソ雑魚だったよ >>261
今ではオットー大公みたいに長男が生まれるまで7人子供つくるなんてことは不可能
カール大公は娘たちをスイスのル・ロゼに通わせてたらしい、現王室がこんなお金持ち学校に通わせたら非難轟々だっただろう ハプスブルク家はイギリスやフランスみたいに皇族個人に爵位を与えることはないんだな
みんなオーストリア大公で一律だし >>275
オットー大公は兄弟もみんな子だくさんだから尚更 >>277
トスカーナ大公、エスターライヒ=エステ大公、モデナ公、テシェン公くらい? ハプスブルク家の中でもオーストリア=エステ家の貴種感は別格。みんな王侯貴族と結婚してる。イタリア貴族の令嬢と結婚したアメデオ大公は第二子はまだなのかな?
あとローレンツ大公の弟マルティン大公の長男がバルトロメウス大公(Bartholomaeus)って名前がすごい。 なんだかんだでハプスブルク家は他の旧王室のように分裂しないだけいいよね、旧王室のブルボン家、ロマノフ家、サヴォイア家、ヴェッティン家など有名なところはほとんど分裂してるし… >>281
最有力な皇族である皇太子のオットーが長生きだったのが大きかった。
もし夭逝していたら相続で揉めたろう。 最後のカール一世は退位後すぐ亡くなったな
最後の皇帝が溥儀みたいに退位後も長生きしとったらまた違う歴史になったやろか 愛新覚羅家は宣統帝の末弟の溥任氏が中心となって纏まっていたらしいが。 今考えるとオットー大公の葬儀はすごかったな。今年5月にヴュルテンベルク家の葬儀があってフィリップ国王やハンス・アダム2世など現役の君主が参列してたけど、葬儀自体はこじんまりしたものだった。ちなみにカール大公も参列してた。 >>285
当主が亡くなったのかと思ったら、長男の人が交通事後で亡くなったのか 上でオルレアン家の話が出てたけど、ヴュルテンベルク家とオルレアン家は二重結婚してる。
先代パリ伯アンリの娘が現在のヴュルテンベルク公カールと結婚、先代ヴュルテンベルク公フィリップ・アルブレヒトの娘が現在のパリ伯アンリと結婚している。 つまりヴァンドーム公ジャン王子とヴュルテンベルク公フリードリヒ王子は従兄弟にあたる。 カール・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルク(ドイツ語: Carl Herzog von Wurttemberg、1936年8月1日 - )は、ドイツの起業家。現在のヴュルテンベルク家家長。
ヴュルテンベルク公フィリップ・アルブレヒトとその妻のトスカーナ大公女ローザの次男としてフリードリヒスハーフェンに生まれる。
リートリンゲンの旧制高校に通い、さらにテュービンゲン大学で法学を専攻した。大学卒業後、アルツハウゼン城のヴュルテンベルク家財産管理局で家産の運営に関わった。
1959年6月29日に兄ルートヴィヒが継承権を放棄したのに伴い、翌1960年1月19日にアルツハウゼンにおいてヴュルテンベルク家の相続人に指名され、1975年の父の死を受けて家長位を継承した。
同家の財産管理局はおよそ5500ヘクタールの森林、およそ2200ヘクタールの牧草地及び耕地、モンレポスにある50ヘクタールのブドウ農園、カナダ、オーストリア、スペインなどの森林を含む700カ所におよぶ国内外の地所、そして各種企業の株を管理している。
さらに管理局はヴュルテンベルク家が旧王家として保持する70の重要文化財の維持費をも負担している。
カールは社会活動や慈善活動にも関わっており、ドイツ赤十字社やバーデン=ヴュルテンベルク州文化保護財団をはじめとした、小児癌患者の支援団体、フリースクール団体、文化保護団体、青少年支援団体に参加している。
バーデン=ヴュルテンベルク州文化保護財団では、1985年の創立当初から2002年まで副総裁を、2002年から2008年まで総裁を務めた。
またカールはテュービンゲン大学とホーエンハイム大学の名誉理事、テュービンゲン大学友愛会および大学法人総裁を務めている。
カールは詩人ルートヴィヒ・ウーラントにちなむ「ルートヴィヒ・ウーラント賞」を創設したが、これは地域研究に功労のある人々に授与される賞である。
さらにカールはヴュルテンベルク・ヨットクラブの名誉会長で、前スペイン王フアン・カルロス1世とは親友の間柄でもある。
2002年、カールは教皇ヨハネ・パウロ2世より、ベネディクト会出身のゲプハルト・フュルスト司教を通じてロッテンブルク=シュトゥットガルト司教区にカトリックの学制を設置する許可を与えられた。
2008年11月8日には、ファレンダー哲学・神学大学より名誉神学博士号を授与された。 カール・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルク(ドイツ語: Carl Herzog von Wurttemberg、1936年8月1日 - )は、ドイツの起業家。現在のヴュルテンベルク家家長。
ヴュルテンベルク公フィリップ・アルブレヒトとその妻のトスカーナ大公女ローザの次男としてフリードリヒスハーフェンに生まれる。
リートリンゲンの旧制高校に通い、さらにテュービンゲン大学で法学を専攻した。大学卒業後、アルツハウゼン城のヴュルテンベルク家財産管理局で家産の運営に関わった。
1959年6月29日に兄ルートヴィヒが継承権を放棄したのに伴い、翌1960年1月19日にアルツハウゼンにおいてヴュルテンベルク家の相続人に指名され、1975年の父の死を受けて家長位を継承した。
同家の財産管理局はおよそ5500ヘクタールの森林、およそ2200ヘクタールの牧草地及び耕地、モンレポスにある50ヘクタールのブドウ農園、カナダ、オーストリア、スペインなどの森林を含む700カ所におよぶ国内外の地所、そして各種企業の株を管理している。
さらに管理局はヴュルテンベルク家が旧王家として保持する70の重要文化財の維持費をも負担している。
カールは社会活動や慈善活動にも関わっており、ドイツ赤十字社やバーデン=ヴュルテンベルク州文化保護財団をはじめとした、小児癌患者の支援団体、フリースクール団体、文化保護団体、青少年支援団体に参加している。
バーデン=ヴュルテンベルク州文化保護財団では、1985年の創立当初から2002年まで副総裁を、2002年から2008年まで総裁を務めた。
またカールはテュービンゲン大学とホーエンハイム大学の名誉理事、テュービンゲン大学友愛会および大学法人総裁を務めている。
カールは詩人ルートヴィヒ・ウーラントにちなむ「ルートヴィヒ・ウーラント賞」を創設したが、これは地域研究に功労のある人々に授与される賞である。
さらにカールはヴュルテンベルク・ヨットクラブの名誉会長で、前スペイン王フアン・カルロス1世とは親友の間柄でもある。
2002年、カールは教皇ヨハネ・パウロ2世より、ベネディクト会出身のゲプハルト・フュルスト司教を通じてロッテンブルク=シュトゥットガルト司教区にカトリックの学制を設置する許可を与えられた。
2008年11月8日には、ファレンダー哲学・神学大学より名誉神学博士号を授与された。 >>281
逆にハプスブルク家のようにまとまっている方が珍しい >>281
分裂中の旧王室で最も正統性のあると思う家長
ブルボン家(オルレアン家)→パリ伯アンリ
ロマノフ家→ロシア大公女マリヤ
サヴォイア家→ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ
ヴェッティン家→マイセン辺境伯アレクサンダー 今更だけど、ザクセン王室の分裂っぷりは凄い。
個人的には男系男子がいる限りは男系で継承するべきだけど、ことザクセン王室に関しては女系のザクセン=ゲッサフェ家のアレクサンダー王子に正統性があると思う。 >>294
1日ドイツ貴族法委員会がザクセン王室を断絶したと判断したことについて、
先代同王室家長の故マイセン辺境伯マリア・エマヌエルの相続人(外甥で養子)である現マイセン辺境伯アレクサンダー殿下は、アルベルティン家は断絶していないと反論されました。
マイセン辺境伯殿下はその根拠として、
自身の養子相続は1922年に制定されて最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世も署名した「アルベルティン系ヴェッティン家協会」規則に基づいていることを挙げられ、
オーストリア大公カール殿下から(2012年同王室家長として)金羊毛勲章を贈られていることにも触れられました。
少なくとも、ハプスブルク家からは正統なザクセン王室と見なされているみたい。 ロマノフ家のマリヤ大公女の長男ゲオルギー大公はまだ結婚してないけど、どうなるんだろう? サヴォイア家はウンベルト1世の男系が断絶確定、しかし、まだサヴォイア=アオスタ家が残っている。ここは男子がいてとりあえず安泰。 スペインもルクセンブルクも後継者は女子だから、3世代後にはブルボン家の王室は消滅することになる >>299
スペイン王室は19世紀に女系相続があったし。 イザベル二世の王配は傍系だけどボルボンの男系だよ。 >>302
レオノール王女がブルボン家の王子と結婚できればいいけど、まず無理だろうね
シチリア=ブルボン家のカラブリア公の王子が年齢も近いし、スペインとも関係が深いからいいと思うけど カラブリア公ペドロ王子は4男3女で7人も子供がいる。3人目を打ち止めにされたスペイン王室では考えられない。 >>302
イザベル2世は愛人がいて子供のアルフォンソ12世が不義の子説とかなかった? 現在のパルマ公は母親がオランダ王女の関係でベアトリクス女王からオランダ貴族に列せられてる。 >>311
ここまでくれば女系優先の継承法でもいいような。
王子と王女がいれば王女が優先。長子が男子、次子が女子でも次子の女子が優先というような。 南洋諸国の酋長家みたいに完全女系継承とか。
酋長本人は男性だけど、酋長の子に継承権は無い。
高位の継承権者は酋長と同母の姉妹の子。
次いで、母方の祖母(母の母)の女系子孫。
乱婚気味の社会で確実に血縁関係があるのは同母のきょうだいということで、
そうなっているのかな、とも。 男性酋長も自分の子(と信じる妻の子)はかわいいもの。
酋長の妻は他氏族の酋長の姉妹ということも多く、
その場合は自分の子は妻の出身氏族の継承権がある。
で、前近代は他氏族の酋長継承争いへの介入が氏族間戦争の原因だったことも多い。 >>310
オランダ国王とポリスジョンソンの区別がつかんw >>317
ウィレム=アレクサンダー国王とカール大公ははとこ同士 オランダ王室の男系であるアムスベルク家は鍛冶屋発祥らしい。 公証人の子だったか?
ナポレオン政権で木っ端貴族はダヴーとかマルモンとか。
タレーランは大貴族だけど。 >>323
カール14世ヨハンの父アンリ・ベルナドットは地元の検察官か何かで祖先は羊飼いだった。 >>322
調べたらマジだった
ベルサイユの薔薇でマリー・アントワネットと知り合いやった記憶があったけど 初代が平民でも王朝が現在まで200年に亘って続いているから大したもの 平民は文盲も珍しくない時代に
平民でありながら公証人という職を得ている人の子というのは
それなりの素養というか下地はある。
いや、今現在でも公証人の子ならそれなりの家庭の子だろ。 ド平民の子といっても、
豪農の子で読み書き計算ができて
親のツテで公務員になれた劉邦と同じか。
朱元璋みたいな境遇ではないと。 >>329
逆に朱元璋は別格、他に類を見ないほど悲惨な境遇から皇帝になった。 劉邦とベルナドッテはかぶるところがあるか。
平民のそれなりの家庭の子で、その時代の平民としては教養がある。
若い頃は教養はありながら同時に無頼でもあって、
同じ平民階層の知識人とも不良ともつきあえて、男にも女にもモテモテの美男子。
朱元璋は別格か。生育環境は悲惨で容姿はブサイクなところからの出発。 ナポレオン没落後も引き続き欧州各王家に認められ続けたんだから
それなり以上の素養はあったんだろ。
子孫も代々認め続けられているが、現王のように、
お忍びで街中で風俗遊びに興じて、お気に入りの風俗嬢の過激サービスで悦に入っているのを
マスコミに報じられるような、下層出身の政治家と同じようなゴシップも。 平民でも子孫が200年にわたって、ヨーロッパ王室と婚姻関係を結んで、
血統ロンダリングしてきたのに、ヴィクトリア王太子の代で台無しになった。 カール・ルートヴィヒ大公の息子たちはベルギー貴族になってるんだな、ローレンツ大公はベルギー王族だし、ハプスブルク家はベルギーと関係が深い。 ヨーロッパの祖母ヴィクトリア女王、ヨーロッパの義父クリスチャン9世、この2人の子孫ではないヨーロッパの国王はオランダ国王のみ。 グリュックスブルク家はドイツの貧乏貴族みたいな感じだったのに、いつの間にかヨーロッパ王室の牧場になった。 しかし王配になる人物が平民でスポーツジムのトレーナーだからね、王配が平民出身ってスウェーデンが初めての例。
今までは王族じゃないにしても、最低限貴族出身の男性が王配だった。 気をてらうことをカッコイイと考えている節があるなあ >>340
イギリス
フィリップ:エリザベス女王の王配、グリュックスブルク家出身
デンマーク
ヘンリク:マルグレーテ女王の王配、一応フランス貴族のモンペザ伯爵家出身
オランダ
ハインリヒ:ウィルヘルミナ女王の王配、メクレンブルク家出身
ベルンハルト:ユリアナ女王の王配、リッペ家出身
クラウス:ベアトリクス女王の王配、アムスベルク家出身 フランツ・シュテファンは何人?
フランス人?ドイツ人?アルザス人? >>344
祖先はフランク貴族のジラール家だからドイツ人 >>345
フランク貴族ってフランスだかドイツだかベネルックスだか分からんではないか >>340
>王配が平民出身
そういや現在のスウェーデン王室の祖も平民出身なのよなw >>345
ジラール家の祖がパリ伯ジェラール1世だからフランス人じゃないの? 関係ないけど、ハノーファー家の長男に第2子が誕生するらしい。 >>351
早いね。今年生まれたばかりじゃなかったっけ? >>352
2月に長女エリーザベトが生まれたばかりで、第2子は長男らしい。 そう。王国だったのがのちに上下分割されたロレーヌ公国になった。 ちなみに上ロレーヌはそのままロレーヌ公国、下ロレーヌはブラバント公国になった。 フランク王国って分裂したり、くっついたり、ややこしくて世界史で覚えるのに苦労したw >>362
そもそもドイツとは何か?
という問いから始めねばならぬ ロレーヌはフランス
ロートリンゲンはドイツ
竹島は日本
独島は韓国 >>364
エルサレムはユダヤ教の聖地
アル・クドゥスはイスラムの聖地 >>362
ロレーヌ人にはオランダやベルギー、ルクセンブルク、スイスなど独仏間にある諸国と同様に
“ドイツでもフランスでもない”という意識があると他スレにあったな。 ロレーヌ住人自身が独仏への帰属意識が低い。
「我々はドイツ人」、または「我々はフランス人」という意識があれば
その時代時代の独仏の力関係がどうあれ国境線は安定するんだろうが。
といって、「我々はロレーヌ人」という意識もまた低いので、
オランダなど他の独仏間の国のように独立国を形成することもないと。 我々はロレーヌ人というより我々はアルザス人という意識のほうが強い。 >>369
どういう意味?
ロレーヌ人が、自分たちを「アルザス人」として規定することほあるまい
なんだかんだと別の文化圏だぞ フランツ・シュテファンがマリア・テレジアと結婚せず、単にロレーヌ家として続いてたらどうなってたのかな? ロレーヌ家って地味にすごいよな
ハプスブルク家のっとたし、支流のギーズ家はフランス王になる寸前までいった
ギーズ家はフランスで保守本流のフリして実質外様だからな >>370
ロレーヌ人が自分たちをロレーヌ人だと思う気持ちよりも
アルザス人が自分立ちをアルザス人だと思う気持ちの方が強い アルザス語とかいうて誤魔化してるけど
ドイツ語の方言やん フランス人だからドイツ語というのに抵抗があるんじゃない? >>372
ギーズ家は分家なのに本家のシャトノワ家よりも強大な大貴族になってしまった。しかし最終的にはギーズ家は断絶して、シャトノワ家は現在までハプスブルク家として存続している。 >>368
スペイン人とポルトガル人はそれぞれの国への帰属意識が強くて
時代時代の両国の力関係にかかわらず国境線が安定しているというな。
国境付近の小さい村々でも「ここはスペインの村」「ここはポルトガルの村」という
意識が昔から強いとか。 >>378
ポルトガルは今のかたちになって以来、ヨーロッパでは寸土も、と言っていいくらい領土拡大してないからかな。
スペインの各地方の方がそのあたりはややこしいからな。
旧アラゴンでもカタルーニャとそれ以外は違うし。 >>368
ロレーヌの住人は独仏両方の国旗を各家庭に用意していて、
どっちの軍が侵攻してきても、旗を振って歓迎の意を示すというな。
保身からなんかもしれんが、どっちかに帰属意識があればそんなことしないよな。 ロレーヌ家はハプスブルク家をのっとったというより、
逆にハプスブルク家にのっとられた感じがする… >>380
いや帰属意識よりなにより生き残りが大事だから
帰属意識を見るに言語がドイツ語系ってのは大事な話 >>381
ハプスブルク家最後の当主のマリア・テレジアの“功績”かな。
自らが政治・外交を主導、ロートリンゲン家の夫にはそれに関わらせず、
「乗っ取られた」といのを感じさせない。
夫婦の役割が逆だったら乗っ取られた感が強くて、今は一般に「ハプスブルク家」と略される
ハプスブルク=ロートリンゲン家は「ロートリンゲン家」「ロレーヌ家」と一般には言われていたかも。
マリア・テレジアが政治にではなく、夫のように蓄財に才があったとしたら
元手がロレーヌ家とは比較にならないくらい大きいだけに、
今でも大きいハプスブルク=ロートリンゲン家の資産は更に膨大だったかもしれんが。 >>371
領地をフランスに奪われて、
力があるわけでもないので、
トスカーナのような替地を得られるわけもなく、
単なる領地無しの貧乏貴族。 ロレーヌ家が遡れるのは11世紀ごろまでか。名門貴族というわけでもなく、田舎貴族というわけでもなさそう。
日本語版Wikipediaではそれより前の歴史は分からないな、ドイツ語版やフランス語版ならもう少し詳しく分かるんだろうけど、読めない… >>376
既に出てるけどロレーヌ家は男系では11世紀ごろまでしか遡れなくて、それ以前の祖先については当時の文書が少なく、歴史家の間でも意見が分かれてるらしい。だから男系という点だけ見れば、それほど由緒正しい家系とも言えない気がする。 >>386
ロレーヌはマリア・テレジアとの結婚で失っただけで、結婚しなかったらそのままロレーヌ公国が続いていたんじゃないのかな? ロレーヌ人としての民族意識が強くなって、
独仏間に挟まれて苦労しながらも
オランダやベルギーと同じく
今でも独立国を形成しているかもということか。 ロレーヌ家(フランス語:Maison de Lorraine, ドイツ語:Haus Lothringen)は、ヨーロッパ貴族の家系の一つ。シャトノワ家(フランス語: Maison de Chatenois)とも呼ばれる。
元来はロレーヌを統治した公爵家であったが、18世紀に婚姻によりハプスブルク家を相続してハプスブルク=ロートリンゲン家となったことで、ヨーロッパ史上において重要かつ最も長きにわたって統治した王家の一つとなった。
現在当主はカール・ハプスブルク=ロートリンゲンでオーストリア皇帝、ハンガリー、クロアチア、ボヘミア、ガリツィア・ロドメリア、イリュリアの王およびエルサレム国王の称号を有する。 でも700年ちかくロレーヌ公位を世襲したのはすごい。 >>393
結婚式もロレーヌのナンシーで挙げてたしね。 ロレーヌ、調べてみたら意外に大きかった。
地域圏の広さは東京都の約11倍(九州の6.5割程度)、人口は宮城県と同じぐらいである。
面積:23,547km²
人口:2,333,504人(2005年) >>395
公国として続いていても、独立できたと思う。 アンドラやリヒテンシュタインよりは余裕で大きいが
だからこそ狙われそうで。
仏独共に「相手には渡したくない」と考えるだろうし。 英語版WIKIだと9世紀のメッツ伯アダルハルドまで遡れる
カロリング家家宰アダラルドの息子の可能性もあるそうだがまぁないだろうな 日本語版Wikipediaによるとジラール家のパリ伯ジェラール1世(779年没)は、
宮宰カールマンの娘ロトルーデと結婚してる。 イムレ大公の第3子(三女)ユリアナ大公女が誕生。
ハプスブルク家は女子が多い気がする… >>378
カスティーラとアラゴンなんかも別の国意識があって、
ハプスブルク朝期は別々に政府のある同君連合、
ポルトガルも同様に政府があって、君主だけ同じの別の国。
事実、当時日本に両国の商船が来航していたけど日本側は別の国の商船と認識。
「鎖国」までの過程でも、1624年にスペイン船来航禁止、
1639年にポルトガル船来航禁止と両国の同君連合期だけど別扱い。
しかし、ポルトガルの「スペインとは違う」とう意識はイベリア半島の他地域とは
格別に強かったのかな。同君連合すら嫌って「独立」。
同君連合ではなく、ハプスブルク家から別人をポルトガル王に立てていれば
ポルトガルのハプスブルク朝も長く続いたか? >>400
パリ伯からメッツ伯、ロレーヌ公になったのか。 >>404
メッツ伯もロレーヌ公も由緒ある爵位だから左遷ではないと思う。 >>406
放棄しなかったらマリア・テレジアと結婚できないことになる 外交革命後にフランスから返してもらえばよかったと思うの。 もしロレーヌ公国が続いていたらカール大公は
シャルル・ド・ロレーヌ公殿下になってたのか >>409
ロレーヌ公国が続いていてもオーストリアと同君連合なら
1次大戦の結果廃位だろな。(その後のロレーヌはフランスに併合か、連合国側に温情があれば共和制で独立維持)
史実のトスカーナ大公と同じく宗家とは別個に公をたてて、大戦では宗家に反して連合国側につけば
今現在もロレーヌ公国は残っていたかもしれんが、その場合の現公はカール大公ではない(現在はジギスムント大公?)。 威コ隆盛ナル朕ノ良友ニ復ス
陛下ノ鍾愛セラルル皇甥カール・フランツ・ヨーゼフ親王殿下トジタ・ド・ブールボン・プランセス・ド・パルム女王殿下ト
本年十月二十一日結婚ノ式禮ヲ擧行セラレタル旨同月二十六日附の親翰ヲ以テ報セラレ朕欣然之ヲ領セリ朕ハ此ノ慶事ニ對シ
陛下及陛下ノ皇室ト歡喜ヲ同フシ茲ニ誠實ナル祝詞ヲ呈スルト共ニ成婚両殿下ノ悠久ニ幸福ヲ享有セラレンコトヲ懇祷ス
此ノ機ニ際シ朕ハ陛下ニ對シ至ノ敬意ト不淪ノ友情トヲ致ス
明治四十四年十二月七日
東京宮城ニ於テ
陛下ノ良友
睦仁 >>411
カール大公とツィタ公女の結婚に明治天皇からフランツ・ヨーゼフ1世への祝辞 明治の日本もすでに旧公室となっていたブルボン=パルマ家のツィタを、
ジタ・ド・ブールボン・プランセス・ド・パルム女王殿下と王族扱いしていたのか。 そんなにしょっちゅう来るくらいやったらいっそのこと日本に住んだらよかったのに >>408
フランスはフランスの都合でポーランド王の座を退いたスタニスラス・レクザンスキに
代償としてフランツから奪ったロレーヌを与えちゃってる
如何に外交革命であろうともロレーヌ取り上げるのはさすがにスタニスラスに不義理過ぎて無理
しかもスタニスラスはポーランド内に持ってたいくつかの所領も
王位を捨てる事で放棄せざるを得なくなってるし >>417
スタニスラス・レクザンスキは1766年に死んでるから、それ以降なら可能かも。
フランスにはロレーヌ放棄の代わりにトスカーナかネーデルラントを放棄とか? >>418
んー、ちょっと難しいかもしれない
と言うのも「外交革命」というとあたかも両方が仲良くしてるかのようだけど
実際はオーストリアによるフランスへの対プロイセン軍事支援要請と関係改善なので
オーストリア側からさらにロートリンゲンの返還要請って「お前が得するばっかやんけ!」って
フランス側に思われてしまう
んでトスカーナ、ハプスブルク領低地地方放棄って相当難しい
ロンバルディアがむき出しになっちゃうし、トスカーナ、ハプスブルク領低地地方は
ともにオーストリア財政のドル箱で失うとガチ傾く
オーストリアの財政を支えたのはフランツ1世の財政的才覚
彼の名前で多額の借金をできたことでマリア・テレジアは長く戦争できたわけだが
そのフランツ1世がロレーヌを失ってから得た最初の看板がトスカーナ
66年時点だとフランツ1世は崩御してからまだ1年で
そんなところで「トスカーナ大公」を放棄することが投資家に与える影響って結構バカにできないと思う
とか色々考えると割と難しい2つだね そりゃまぁトスカーナの方がロレーヌよりはるかに豊かだろう今でも >>420
ロレーヌ地域圏とトスカーナ州の一人当たりの所得はほとんど差がない
人口は圧倒的にトスカーナの方が大きい(およそ1.5倍) 意外にもロレーヌ公の称号はロレーヌ家が現在まで保持している。 ネーデルラントはウィーン会議でオランダにあっさり譲渡しちゃってる >>423
代わりにヴェネツィアとロンバルディアだから。
が、その後の喪失の可能性を考えると飛び地でもオーストリアとしては南ネーデルラントの方が良かったかも。 フランツ1世の弟でネーデルラント総督だったカール・アレクサンダーは、ネーデルラントの人々から人気があったらしい。 >>425
カール・アレキサンダーの在世中からプロイセン相手に
「バイエルンと南ネーデルラントの交換」なんて提案をしているから
基本方針として遠方の領土は切り離し、領土はまとめたいというのがあったんじゃないか。
時代的に植民地ではない飛び地領土はもはや維持できなかったのだろう。 >>423
そのオランダはハプスブルク家から南ネーデルラントを割譲されたはいいけど、それから間も無くベルギーが独立。
ウィルヘルミナの代には同君連合のルクセンブルクが分離してしまうなど、当初のネーデルラント連合王国から比べると領土が縮小した。 よく考えたらイギリス王室とベルギー王室はヴェッティン家で同族なんだな。
今は同族なのにあまり仲が良くないが… 19世紀 に消えるべき反動国家だった。
第一次世界大戦でやっと崩壊、遅いわ。 日本の天皇が外国の君主の葬儀に参列したのは、
このベルギー国王の葬儀のみ エリザベスが死んだら男系的にはグリュックスブルク家になるのか >>434
うん。でも公式にはウィンザー家のまま。 >>432
色々、私的感情優先でやりたい放題やってるよな。
ボードゥアンは、コンゴ独立式典で植民地支配を堂々とコンゴの文明化として肯定し、ルムンバに反論されたのにな。 >>436
それはエリザベス女王とエディンバラ公の男系子孫の姓をマウントバッテン=ウィンザーとしただけで、家名を変更したわけではない。
チャールズの代になっても、正式に家名の変更をしない限りはウィンザー家のまま。 正式発表されてなかった?
因みに次期英国王はジョージ七世と名乗るそうだ。 >>439
「姓」と「家名」の違いって。。。
日本人に日本の姓(氏)と家名(苗字)の違いを説明するのは大変なのに、
外国のをそんな短いレスで納得させるのは難しいと思うぞ。
(姓と氏、家名と苗字も厳密には違うし。。。) 何も難しくないと思うけど
ドイツだとホーエンツォレルン家がプロイセン、ヴィッテルスバッハ家がバイエルンと名乗ってるのと同じようなもの >>440
まだされてない。チャールズ王太子が即位したら自動的に家名が変わるわけではない。
(あくまで個人的な)姓をマウントバッテン=ウィンザーとしたのは1960年で、チャールズ王太子は生まれたときはウィンザーだったが、アンドルー王子などは生まれたときからマウントバッテン=ウィンザーが姓となっている。
ちなみに傍系王族(ジョージ5世の子孫)は今まで通りウィンザー姓を名乗る。 >>442
ハプスブルク家は家名と姓が同じだね
ハプスブルク=ロートリンゲン家
カール・ハプスブルク=ロートリンゲン
ロレーヌ家も同様
フランソワ・エティエンヌ・ド・ロレーヌ >>446
チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ、ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイスだから、当分はないな。 そもそも、英王室で「ジョン」って付けることまずないでしょ シャトノワ家(フランス語: Maison de Chatenois)とはなんなんだろう? 世界史版の方がテーマ別にいろんな時代や事象をくぐれていいな。
未だ邪馬台国やってるぐらいしか進んでいないペースだよ日本史は。 本当なら三月革命で滅んでいるべきだった。
よく第一次世界大戦まで延命できたものだ。 ロレーヌ家の正嫡として、ハプスブルクなんてケチのついた家名は捨て去って、
ロレーヌ姓だけ名乗ればいい。 ロレーヌ家がロレーヌ公になる前の家名はなんていうの? ウィキ見るまではロレーヌがロタール由来だとは思いもよらんかった。
ラテン語で月桂樹を意味するラウルスから派生してたのかと。 世界史でやったメルセン条約で分割された中フランク、ロタールの国がロタリンギアじゃなかったか。 オーストリア帝国はフランツ・ヨーゼフ1世の在位期間がべらぼうに長かったのよな ロレーヌはロレインという読みで英語圏での女性名に用いられてんな >>464
若くして即位し、長生きしないとな。
昭和天皇しかり、エリザベス2世しかり。
女王は君主の最高齢はともかく、最長在位は子供の時に即位したルイ14世を立て抜けるかな。 >>466
エリザベス女王は今年在位66年だから、
フランツ・ヨーゼフ1世の68年まで2年(これは確実に抜くだろうけど)、
ルイ14世の72年まではあと6年だから微妙かも… ママは100歳まで生きたからね。
矍鑠としてるかどうか、摂政を立てるかどうかはあるけど、可能性は十分でしょ。 君主じゃないけど、オットー大公は1922年から2006年までの84年間、ハプスブルク家の家長だった。 エディンバラ公はグリュックスブルク家の傍系のデンマーク王家の傍系のギリシャ王家の傍系なのによくエリザベス女王と結婚できたと思う。
現に当時から、貧乏な亡命王族で王配としては不相応だと思われてたみたいだし。 本家のギリシャ王家は王政廃止されたけど、傍系がイギリス王家に返り咲き 新書で見たけど、レアもの シード系カテゴリーの祖なのか? >>470
エディンバラ公当時は評判悪かったんだ
むしろ、非カトリックで国や家督を継ぐ必要がない亡命王族って
王配にはピッタリだと思ってた
第二次大戦後だと亡命してない王族の方が少ない気がするし >>474
ジョージ6世がエディンバラ公をあまりよく思ってなかったらしい。 >>475
女王ママとも折り合い良くなかったみたいだぞ。
ウィンザー公の場合と違って、王族の端くれではあったから許容したんでしょ。 >>470
傍系とはいえ、血筋はすごい。
祖父にギリシャ王ゲオルギオス1世 、曾祖父にデンマーク王クリスチャン9世、高祖父にロシア皇帝ニコライ1世、高祖母にイギリス女王ヴィクトリアがいる。 マリア・テレジアはプロイセンのフリードリヒ2世のほかにスペインのカルロス3世との婚約の話もあった。 カール6世の2人娘はどちらもロレーヌ家の公子と結婚してるんだな
カール6世の1人息子が成人すれば良かったのにな >>481
マリア・テレジアに夭逝した兄がいた。
成人していたら少なくともオーストリア継承戦争はなかった。 なんでカール6世は親戚とはいえ、小国のロレーヌ家のフランツ・シュテファンを婿にしたのかな? >>484
女帝の意思だったようだ。
結果的に大正解だったが。 フランツ・シュテファンはマリア・テレジアのことが好きだったのか? >>487
逆に好きじゃなかったら16人も子供作れんだろw フランツ・シュテファンのお父さんは、
息子をハプスブルク家へ婿入りさせるだけでなく、娘もルイ15世に嫁がせようとしていた。 しかしマリア・テレジアも子供たちの扱いの差が酷いな。
基本政略結婚の道具扱いなのに
お気に入りのマリア・クリスティーナは恋愛結婚を認めて莫大な持参金も用意、領地はチェシン公国にネーデルラントという厚遇ぶり。 フランス王家とギーズ家の血で血を洗う権力闘争はなかなか面白いです。 >>493
なんか慈母っていうイメージがあるけどね フランス宮廷でも、帝国等族で独立した君主扱いのロレーヌ公と、あくまでフランスの公爵であるギーズ公では
差があったはず
同じ公でも由来がまるで違うからねぇ >>488
愛情と妊娠は関係無いぞ。
強姦だって妊娠するんだし。 少なくともヤな女とは強姦といえどもしないだろ。
義務感から2〜3人の子を成すくらいはできても
それ以上子があるということはは何回でもヤりたいくらいには気に入っているんだろな。 >>493
マリア・クリスティーナはえこ贔屓された分
兄弟姉妹には嫌われてて、母亡き後は冷遇されたらしい
しかし妹のマリア・アマーリアは恋愛結婚を認められなかったけど
実はその相手は後にプファルツ選帝侯位の推定相続人になったから
マリア・テレジアに見る目がなかった ギーズ公フランソワ・ジョゼフくん本当にかわいそう…
フランソワ・ジョゼフはきわめて病弱で、4歳になっても周りの支えが無ければ歩行が出来なかった。1675年の春、居城のリュクサンブール宮殿において、抱きかかえていた乳母が誤って彼を落としてしまい、頭部を強く打って死亡した[1]。
ギーズ公爵位は未婚の大伯母マリー(ギーズ姫)が相続したものの、彼の死によってギーズ家本家は事実上断絶した。
フランスで絶大な権勢を誇ったギーズ家も最期はあっけなかった。ギーズ家の悲劇。 マリアテレジアは可愛いのにマリーはなんでブスなんだろ 権勢を維持したままだと早晩王家から討滅され、類族まで含めて処罰された可能性もあるので、
あそこらで断絶したのは結果論としては良かったのかも知れず<ギーズ家 ギーズ家の傍系のエルブフ公家は1825年に断絶するまでフランス貴族として続いていた。
マリー・アントワネットからはロレーヌ家の同族ということで何かと優遇されてたらしい。 >>494
ユグノー戦争はブルボン家(プロテスタント)とギーズ家(カトリック)の争いだよね。 >>506
天下を獲ったプロテスタントのブルボン家がのちにフォンテーヌブローの勅令を
出してナントの勅令を撤回することになるのよな 今更だけどロベール家の血統が現在まで続いているのはすごい >>510
ロレーヌ家も8世紀のパリ伯ジェラール1世から続いている。 >>509
教改革派教会→カトリック教会→改革派教会→カトリック教会 フランツ・シュテファンの母親のエリザベート・シャルロットは賢い女性で、夫のロレーヌ公が死去した際、夫が自分の死後に息子を補佐するため組織した顧問団を廃止、自身が摂政となった。
息子はウィーンの宮廷にいてロレーヌを不在にしていたため、公国は彼女が統治した。のちに息子がロレーヌを放棄したときは息子を責めたという。その後はコメルシーの城に隠棲する。 メクレンブルク家は10世紀から。
帝国諸侯でありながら、起源はスラブ人の酋長。
我が国で例えれば三春藩主家→子爵家の秋田家の起源はエミシの酋長(か?)
というような、ちょっと一般的な諸侯とは違う異質な起源。 異質な出自といえば、イングランドではノルマンコンクエストを機に
アングロサクソン系貴族はにほとんど駆逐されたけど、
人臣筆頭公爵ノーフォーク公ハワード家はアングロサクソン系貴族だな。 ヴェルフ家も古いよなあ、と思っていたが、あれも史実でわかるところだと9世紀までか >>522
レニエ家ってなにかと思ったら、ヘッセン家のことか。 ハプスブルク家も7世紀のアルザス公アマルガルまで遡れるかも? レニエ家(レニエけ、仏:Famille des Regnier, 独:Reginare)は、ロタリンギア発祥のカロリング朝時代以降から14世紀まで現在の北フランス、ベルギーおよび南オランダを領した貴族の家系。ロレーヌ公およびエノー伯、ブラバント公、ヘッセン方伯を出した。 ヘッセン家(ドイツ語:Haus Hessen)は、中央ドイツのヘッセン地方を支配していた諸侯の家系。ブラバント公であったレニエ家から分かれた家系である。 ヴィッテルスバッハ家やホーエンツォレルン家も名門だけど表に出るのは11世紀以降だしね。 その辺で貴族層の交代みたいなものがあったのだろうか
みんな11世紀に現れるなんて。 そう考えると、男系でフランク貴族まで遡るハプスブルク家はなかなかすごいな。 >>531
フランク貴族?アルザスの貴族じゃないの? >>530
イングランドあたりではノルマンコンクエストなんて分かりやすい事件はあったな。 断絶が起きたというか、記録がないのだろうよ<ローマ以降8世紀以前
文化的断絶って奴だな
ロベール家なんて、それ以前も有力家門だったのほぼ確実だけど、記録がない >>530
あるよ
カロリング朝断絶以降各国内で貴族の地殻変動的な変化があって
お互いに戦争やら何やらで領地の奪い合いをしたりとかやってた
それが落ち着くのがちょうど11世紀頃だから 上でも出てるけど、ロレーヌ家も祖先の記録がないしね。 >>535
現在、チャールズ2世の子孫でバクルー公家、グラフトン公家、セント・オールバンズ公家、リッチモンド公家が存続している。
ジェームズ2世の子孫でフィツ=ハメス・ストゥアルト家が存続している。 ステュアート家が執事、テューダー家が納戸係の家系だっけ? ステュアート家とギーズ家の関係でいうと、
メアリー・オブ・ギーズがいたな >>540
特にフィツ=ハメス・ストゥアルト家は
スペインのアルバ公爵位やオリバーレス伯公爵位などの
有名どころも含めて一族で40以上爵位持ってるし
ちなみに初代の母がマールバラ公ジョン・チャーチルの姉だったり
ナポレオン3世のウジェニー皇后の姉が嫁に行ってたりと
ステュアート家絡まなくても派手 >>546
また共和制になりそう
で、またさらに立憲君主制に復帰しそう >>554
多分、現在の王室でということだと思う。 >>557
どこまでを“王族”の範囲と考えているんだろう?
例えばホーエンベルク家は範囲内なのか範囲外なのか。 >>559
500人というのはホーエンベルク家やメラン家も含めてだろうけど、
皇族の範囲でいったら貴賤結婚の子孫は範囲外。 >>540 スペイン語らしくイホ・デ・ハコボ=エストゥアルトじゃなくてフランス語(正確にはノルマン語)由来の姓をそのままスペイン語読みにしただけなんだな フェルディナント・ズヴォニミル大公の“ズヴォニミル”は
11世紀のクロアチア王ドミタル・ズヴォニミルが由来。 >>562
フェルディナント大公はクロアチアの伝統的な名前もそうだけど、クロアチアの首都ザグレブでザグレブ大司教から洗礼を受けたりとクロアチアとは関係が深い。
ちなみにフェルディナント大公が生まれた頃はクロアチアが独立して間もない時期で、そんな中でのフェルディナント大公の洗礼はクロアチア政府からハプスブルク家の王政復古を警戒されたりした。 Ferdinand Zvonimir Maria Balthus Keith Michael Otto Antal Bahnam Leonhard von Habsburg-Lothringen[1]
フェルディナント・ズヴォニミル・マリア・バルトゥス・カイト・ミヒャエル・オットー・アンタル・バーナム・レオンハルト・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン >>560
メラン家は今でもチロル?あたりに城を持ってるな ヨーゼフ1世がもう少し長生きしてたら
カール6世はカール5世の再来となっていたのか >>569
そのときはカールが帝位を継承できるか微妙… >>572
オーストリア継承戦争になるんだろうなあ。 >>571
もう1人のカルロス3世
フェリペ5世のスペイン王位継承を巡って勃発したスペイン継承戦争の際、オーストリア・ハプスブルク家のカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)が一時「スペイン王カルロス3世」を称していた。 現在のパルマ公は庶子から裁判起こされてるらしい。
それで金がかかるのかも。 >>577
マリー・アントワネットの宝飾品を売りに出した >>580
ルクセンブルク大公家
純資産:40億ドル(約4400億円) 売りに出すといえば、ザルツブルクにあるカール大公の邸宅が2200万ユーロ(約28億1000万円)で売りに出されてるらしい。 ヨーロッパで最も裕福な王族 トップ10
1位 ハンス=アダム2世公爵(リヒテンシュタイン)
純資産:50億ドル(約5500億円)
2位 アンリ大公(ルクセンブルク)
純資産:40億ドル(約4400億円)
3位 アルベール2世公(モナコ)
純資産:10億ドル(約1100億円)
4位 エリザベス2世女王(イギリス)
純資産:5億〜6億ドル(約550億〜660億円)
5位 ベアトリクス女王(オランダ)
純資産:2億〜3億ドル(約220億〜330億円)
6位 カール16世グスタフ国王(スウェーデン)
純資産:7000万ドル(約77億1000万円)
7位 マルグレーテ2世女王(デンマーク)
純資産:4000万ドル(約44億1000万円)
8位 ハーラル5世国王(ノルウェー)
純資産:3000万ドル(約33億円)
9位 フェリペ6世国王(スペイン)
純資産:2000万ドル(約22億円)
10位 フィリップ国王(ベルギー)
純資産:1300万ドル(約14億3200万円) >>584
ベルギー国王少なすぎない?
妹夫婦のオーストリア=エステ家のほうが資産多そうw >>584
英国王家のこれは色々分割換算されてそう イギリス王室全体の資産だと9000億円ぐらいになるらしい。 リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、モナコと小国が上位3位を独占してる >>585
ローレンツ大公はスイスのプライベートバンクの頭取だからね。 ハプスブルク法、ハプスブルク家法(ドイツ語: Habsburgergesetz)は、オーストリア共和国の法律。
正式名称は「ハプスブルク=ロートリンゲン家の国外追放と財産没収に関する1919年4月3日の法律(Gesetz vom 3. April 1919, betreffend die Landesverweisung und die Ubernahme des Vermogens des Hauses Habsburg-Lothringen.)」である。
1919年3月17日に国民議会に提出され、同年4月3日に可決された。その内容から「反ハプスブルク法」とも呼ばれる。 中世から近代への移行を促すウエストファリア条約とか、現代の幕開けとなる第一次大戦のきっかけを作るとか、世界史を動かしてきた一大スターだよな ハプスブルク家そのものではないけど,海外のスラブ系ウクライナ移民は
ガリツィアなんかのハプスブルク領から渡ってきた人が多いってのを
ウクライナ関連の本で読んだことがある。
ちなみに帝政ロシア領の人達は極東ロシアに渡る人が多かったとも書いてあった。 >>540
>フィツ=ハメス
>>560
>イホ・デ・ハコボ
ディエゴ(ジェームズのスペイン語読み)の子/子孫ということでディアスに
なるかと思ってたけど違うのな レス先間違えた。下のほうは561さんに対してだった(滝汗)…
560さん、スマソorz >>584 一人当たり国民所得の特に高い国がトップ3か。スイスが君主制だったら3位以内か4位につけてたかもな
もちろん国の成り立ち上あり得ないことだけど
ヨーロッパ外を入れると、やっぱりカタール首長が全王族中4位以内だったりするのかな >>596
ジェームスはそのままスペイン語読みしてハメス
フィッツがマック某や某ソン同様に父称で「誰某の子/子孫」
フィッツ・ハメスだとまんま「ハメスの子/子孫」
ディエゴはジェームズの「スペイン語での表記」であって「スペイン語読み」ではないしね >>595
ウッドロウ・ウィルソンは君主制が大嫌い 第一次世界大戦でハプスブルク帝国、ドイツ帝国、ロシア帝国、オスマン帝国が一気に崩壊してしまった… >>602
ドイツ帝国はどうでもいいけど、ハプスブルク帝国、ロシア帝国、オスマン帝国がなくなったのは惜しかった。 オーストリア=ハンガリーの皇太子暗殺はセルビアが国家ぐるみで
おこなったものではなく,第一次大戦期にその黒幕(セルビア陸軍
情報部長ディミトリエヴィッチ大佐)をセルビア当局が処刑してるけど,
大戦後のセルビアはスロヴェニア・クロアチア・バナート・モンテネグロ・
ボスニアといった戦利品を得てるのな。 >>606
丸暗記学習がいいとは言わんが、興味の無い分野でも受験に必要なら仕方ない。
興味がある分野であるなら丸暗記学習するまでもなく、それ以上の知識は身に付くはず。
私自身も高校生のころは数学や物理は問題集の問題に当たってみて、
解けなければ即刻回答例を見て丸暗記して対処していた。
理科系の人たちで、歴史科目も対処しなくてはならん人たちに、同じような手法を否定する気にはなれん。 >>604
たしかにニコライ2世のほうがレーニンやスターリンよりマシかも。 >>606
丸暗記もできないやつに、大したことはできないぜ 最初はアメリカやロシア、ドイツ、イギリス、フランスなどの列強に興味を持ち
続いてスペイン、イタリア、オーストリア=ハンガリー、オスマントルコなどの二流国家に
興味が移る。最終的にはエジプトやインドを統治した列強の政策論文を読むようになる
そこまでいってしまうと時間がいくらあっても足りなくなるだろうな。 >>610
ニコライ個人はともかく、ツァーリズムの大多数の庶民とか、他国の中世よりはるかに悲惨すぎて笑えない >>599 単純に一人当たり国民所得が世界トップクラス(確か8万ドルほど)なのと、富の集中度がヨーロッパの民主主義国家より高そうだから
一方天皇陛下は、所得水準が日本より若干下のスペインのフェリペ6世より「貧乏」そう...
http://news.livedoor.com/article/detail/13178925/
先代の時なら世界トップ10に食い込んでたか。でも今より円安だったから、それを差し引いて考えないといけないけど >>617
2008年8月22日の米経済誌『フォーブス』(アジア版)の「世界で最も裕福な王族ランキング」において1位。推定資産額は350億ドル(約3兆8000億円)。 タイ王室の財産350億
サウド家の財産がそれより少ないとは考えられへん
専制君主制やから油田もなにもかもサウジ国内全部サウド家の財産やで >>617
秋篠宮が参勤するはずだ。
お小遣い貰って女あてがってもらってるんだろうな。
だからKKの何がいけないのかわからない。 >>621
実質サウド家の財産だとしても名目上国家財産としてカウントされてるんじゃない? タイの土人がハプスブルクとどう関係あるんだか
王室厨は消えろ >>615
ロマノフ家はロシア革命で半分以上の皇族が殺されちゃった。 >>623
地代・家賃または固定資産税を払っているわけでもないのに天皇の許可が無ければ立入禁止の
皇居の天皇の居住区域、神事を司る区域とか
それ以外でも他官庁所管の管理区域以上に立ち入り許可に天皇の意向が反映される
陵墓・離宮にかかる土地などの宮内庁所管の不動産なんかも名目上国有地だけど実質は天皇の財産と同じようなもんか。 ん〜。同じ国有地でも宮内庁所管の国有地と国土交通省所管の国有地では対極的か。
国土交通省所管の国有地である国道敷、一級河川敷なんて
一般国民、非国民、外国人誰でも自由に意識せずに
誰でも出入り、通行しているな。 考古学の研究者だった三笠宮さまは古墳を掘りたかったんだろうか >>629
所管は関係ないわけではないけど、国有財産の場合はその財産の取得・利用目的と、供用されているかの違いが殆ど
国土交通省所管でも立ち入りできない財産なんていくらでもあるからな
宮内庁所管の国有財産は、その供用の目的が、無関係の第三者の立ち入りさせると支障があるから立ち入り禁止
それだけ
詳しくは行政法の一般的な教科書および国有財産法を参照してくださいませ
なお、ここまでいっていてなんだが、ここハプスブルクのスレッドなのよね >>635
ホーエンベルク家の人は皇太子夫妻と写真を撮ってた。 レギーナ大公妃ってカトリック教徒だったんだな。
ザクセン=マイニンゲン家だからプロテスタントかと思ってた。 >>638
ゲオルク大公の夫人はオルデンブルク家でプロテスタントだね 関係ないけど、ヴュルテンベルク家がカトリックだったのはびっくり! ハプスブルク家に伝わる精力剤とか老いて益々盛んになる秘訣があるような気がする
そうでないとあそこまで蔓延ることはできまい ピアース家
ジョージ・H・Wの妻バーバラの祖先には、フランクリン・ピアースがおり、またロレーヌ公家に連なる。 >>642
これ本当なのかな?
調べても出てこないんだけど… >>640
自分はヴィッテルスバッハ家がいつの間にかカトリックになってたのにびっくりした。 >>645
ヴィッテルスバッハ家は、本家たるバイエルン家は由緒正しきカトリックではないか
三十年戦争の旧教連盟の盟主だぞ
プファルツ家(新教)が断絶してバイエルン家それも併せたのだから、そりゃ旧教だろうよ >>646
断絶したのはバイエルン家の方だけど、
統一したプファルツ家もプファルツ=ノイブルク家が継いだ時点でカトリックになってる
ちなみにヴュルテンベルク家は今の当主の曾祖父の母がルイ・フィリップ王の娘だった影響で
カトリック教徒になったのが今に続いてる
結構欧州の王族は夫婦で宗派が違ってたりするからな〜 ヴィッテルスバッハ家は庶子や貴賤結婚の家系が今でも残ってるな。 第一次大戦の終戦及びカール1世の退位から今日でちょうど100年か トランプ大統領「雨だから」とドタキャン 戦没者の追悼式典への欠席で批判殺到
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181111-00010001-huffpost-int
トランプ大統領が「雨」を理由に、第一次世界大戦の追悼式典への出席をキャンセルし、物議を醸している。
ちょうど100年前の11月11日、休戦協定が結ばれ、第一次世界大戦は終わった。この節目を迎えて、
各国のリーダーがフランスに集結し、犠牲者たちに追悼の祈りをささげている。トランプ大統領も
今週末はパリに滞在中だ。
ロイター通信によると、トランプ大統領は当初、フランスのベローで11月10日に開催された
米兵の追悼式典に参加する予定だった。ベローはパリから東に約85キロ離れた場所で、
第一次大戦の激戦地だ。墓地には2000人以上の米兵が眠っている。
計画だと、メラニア夫人と一緒に、ヘリコプターで現地を訪問するはずだった。しかし、
雨が降っていたためヘリが飛ばず、大統領は現地に出向かなかった。ホワイトハウスは
「天候不良による、スケジュールと移動の問題」のためと発表した。
この大統領の行動を批判する声が、SNSなどで数多く上がっている。
ジョージ・W・ブッシュ大統領のスピーチライターだったデイビッド・フラム氏は、例え悪天候で
ヘリコプターが使えなくなったとしても、車を使うなどいくらでも現地入りする方法があった
はずだとツイートした。「代替プランという言葉に尽きます。これまでのホワイトハウスは、
代替プランを作っていました」「11月のヨーロッパで雨が降ったり、風が吹いたりする可能性は、十分に予測可能です」
オバマ大統領の副補佐官・スピーチライターだったベン・ローズ氏も「8年間、全てのオバマ大統領の
出張計画に関わってきましたが、『雨プラン』は必ずありました。必ずです」と強調した。
11月10日は、各国首脳がフランス各地で休戦100年の記念式典に参加していた。フランスのマクロン大統領は、
休戦協定が結ばれたコンピエーニュの森での式典に参加。ドイツのメルケル首相と撮影した
ツーショット写真に「団結」と言葉を添えて投稿していた。カナダのトルドー首相も、
フランスの激戦地ヴィミー・リッジでの追悼式典に参加したと、Twitterで報告している。 フランスはWW2よりWW1の犠牲者の方が多かったんだったかな? これはもう象徴的レベルにおける、米帝の皇帝陛下からの、EUに対する「国事不参与」宣言だな。 第一次世界大戦には日本も参戦してたのに全然話題にならないな… そりゃ日本の学校教育でスポイルしてる部分だからなぁ
国際連盟における常任理事国で列強の一つであり
世界の秩序を担ってたという話をほぼ義務教育、高校レベルではやらんもの
大学行って近代史専門的にやらんとまず教わらない範囲 >>658
高校でやらんでも大学でやらんでも
そんなん書店に行ったらいくらでもあるやん >>659
歴史趣味を持ってる人は存外少数派なんやで 第一次世界大戦の日本は海軍を地中海まで派遣してるんだな ヴェルサイユ会議での日本外交団が、ポンコツ過ぎたからなぁ。
西園寺公望は伝統的社交界をよく知ってるから適任といえば適任だが、「クレマンソーと久しぶりに飯食って終わった」という感じだし、
牧野伸顕は、空気を読めないのに手に余るようなとてつもない提案をして、パリのヒーローと化していたウイルソンをいきなり敵に回すし、
官僚に至っては、日テレの記者がトランプ大統領にされたようなことをされてるし(まともなフランス語で演説できない)。
なお、左翼教師は21か条要求の話「だけ」をしたがるが、大きな問題ではなかった。
同時代的には大きな問題になりようがない。あれはただの敗戦国ドイツの権益継承の問題なのだから。 そういえば昨日のNHKの番組でカール大公が自国第一主義や排外主義の団体のボスとして扱われたそうな
確かに聖ゲオルク騎士団は大統領候補だったホーファー氏など自由党メンバーも多いけど政治団体ではないし
弟のゲオルク大公は兎も角彼自身はEU主義者というのは日本語のウィキにすら載っているのになあ >>660
いや、趣味やのうても「これは必要なことやから各自で学んどけ」とか言うといたらええんや >>664
いや現状受験に必要ないものは趣味でやるしかないから 国ごとに住み分けしたいって主張を排外主義とレッテル貼られてもな
自国民あっての他国民なのは当然の理だろよ
お花畑左翼は国家主権も国民主権も否定するキチガイ集団としか思えないわ >>659 >>664
高校生や大学生に「必要だから学んでおけ」と言って、
学生たちも「そうかな」と思ったとしても、貴重なこづかい使って
趣味でもない分野の本を書店で買うとは思えん。
数学教師に「必要だから学んでおけ、高校の微積分に毛がはえたくらいのものだ」と言われても
代数解析学の入門書を私は買う気にはなれんかった。 教育が国民を作るのですよ。
勝手にやっとけでは教育とは言えないでしょう。 >>666
歴史やってれば、主権国家も主権国民も相対的な概念だと理解できるだろうよ
コスモポリタリズムが即間違いってわけでも無いし、主権国家概念から外れるからキチガイってこともない
ただ、ひたすらにお花畑なだけだ 主権国家の概念や国際法の確立という点でウェストファリア条約ってすごい重要だよね。 第一次世界大戦とヴェルサイユ条約もそれに並ぶけどね >>664みたいな想像力のない奴が戦争を悪化させるんだろうなぁ ウェストファリア体制とは何か?
@ 帝国からの主権国家の独立
A 主権国家並立
B 教会権力と世俗権力の対等 国家主権の原型
対内的=憲法制定権力 警察の必要→治安維持能力
対外的=条約締結能力 軍隊の必要→条約遵守能力(治安維持能力)
⇒やがて、警察と軍隊の分離へ >>678
ミュンスター条約およびオスナブリュック条約 >>682
破棄したわけではなく
四カ国条約により発展的解消された、との当時の解釈がある
なお、現代では、アメリカの両岸に敵を持たない戦略だったアメリカの策謀ってのが定説 >>682
当時のハーディング大統領が「日英に挟撃されたらアメリカは滅びてしまう!」という被害妄想に囚われて、イギリスに対して借金の形に日英同盟を解消するように迫った。
しかし、日本といえばワシントン会議で「あ、いいよ」みたいなノリであっさり日英同盟破棄してしまった。 >>684
ワシントン会議全権の幣原喜重郎、加藤友三郎の罪は重い… 日本史の教科書でも徳川家達ってなぜか省かれてるな
用語集にも載ってるけど名前だけ ワシントン軍縮会議全権大使、1940年東京オリンピック(未開催に終わる)の組織委員会の委員長、第6代日本赤十字社社長、華族会館館長、学習院評議会議長、日米協会会長、恩賜財団紀元二千六百年奉祝会会長などを歴任した。 維新後の徳川宗家って家達存命中に孫の家英が早世して、男系断絶。 亡命後のハプスブルク家はどうやって生計を立ててたのかな? >>693
スペインのアルフォンソ13世の庇護を受けていた。 カール大公のあとは長男のフェルディナント・ズヴォニミル大公がハプスブルク家を継ぐのかね ブルボン=パルマ家が所有していたマリー・アントワネットの宝飾品が約41億円で落札されたらしい。 ルクセンブルクのように他家に「婿入り」した以外のフェリペ5世系って
スペイン王家も含めて金欠のイメージが強い。
君主位を失って久しいオルレアン系の方が裕福な感じが。 スペイン王室は金欠のあまり娘2人までしか作れなかった。 他家に婿入りして金欠から脱したロレーヌ家が最強。
つーかフランツ=シュテファンならハプスブルク家に婿入りせんでも
金欠から脱することくらいは余裕でできた気もするけど。 フェリペ5世は、おおげさに言えば王位だけを与えられて
じい様にスペインに送り出された。
時代は既に近世。“私領”を獲得できる余地はあんまり無い。
子孫が南イタリアに進出していって王位を獲得しても、
やはり私領はなかなか獲得できない(つーか国家の長たる者は「公」の存在であり、
「私」の利益のために権力を行使してはならない、と意識された時代に)。
ぎりぎり中世末期に成立したオルレアン家はそれなりの私領を獲得、
今日でもそれを個人の私有地として確保している。 スペイン=ハプスブルク家の資産を継承したんだからそれなりに裕福なんじゃねいの?と思ったが、
スペイン=ハプスブルク家の資産基盤は荘園=私領からのあがりではなく新大陸から流入してくる富で、
新大陸植民地が独立したら、そこからのあがりも入ってこなくなるか。 ロレーヌ家はもともと貧乏貴族だったのが、
ハプスブルク家に婿入りしたことで名門になった。 >>704
そういえばイタリア王家からもスペイン王が輩出されていたっけな オーストリアのハプスブルク家の人達だけどハプスブルク・ロートリンゲンと
名乗る人とエスターライヒと名乗る人に分かれてるような >>707
イタリア王家?
スペイン王家はフェリペ5世以降は現在に至るまでほぼずっとブルボン家のまま
ジョゼフ・ボナパルト(ナポレオンの兄)を一時輩出したボナパルト家が唯一の例外 >>709
ああ、そういえばナポレオンの兄がスペイン王位についたことがあったな
それ以降は一貫してブルボン王家 >>709
1869年の9月革命でイサベル2世が亡命して
サヴォイア家のアマデオ1世が即位してる
数年でイサベルの息子のアルフォンソが復位してボルボン家に戻ったけど >>716
ああ、そういえばアマデオ1世がいたな
あまりに影が薄くて完全に失念していたわ アマデオ1世(Amadeo I de Espana, 1845年5月30日 - 1890年1月18日)は、サヴォイア(サボヤ)朝のスペイン王、及びアオスタ公。
イタリア語名アメデーオ1世・ディ・スパーニャ(Amedeo I di Spagna)、あるいはアメデーオ・フェルディナンド・マリーア・ディ・サヴォイア=アオスタ(Amedeo Ferdinando Maria di Savoia-Aosta)。 ハプスブルク家のようにまとまってる方が珍しいのかも。 ブルボン家のあまりのクソさに陸軍元帥が愛想を尽かして
サヴォイア家から担いできたのがアマデオ1世
でも政治的混乱に次ぐ混乱で結局僅か3年足らずで退位
その後は第一共和政を経てブルボン朝が復活
結果的にブルボン朝の崩壊から復活までの中継ぎをしただけの気の毒な王だった
どうせならハプスブルク朝を復活させてほしかったな アブスブルゴ朝復古となると列強が反発して無理だと思う >>721
ヴェッティン家なんて凄まじい分裂っぷり >>722
ブルボン家というか、イサベル2世が無能すぎただけでは >>726
ザクセン王室は女系のザクセン=ゲッサフェ家に正統性がある。 >>727
ザクセン家はサリカ法典に則ってないのか >>728
ザクセン王室はセミ・サリカ法だから男系断絶の際に女系相続が可能。
ハプスブルク家もカール6世の国事詔書によってセミ・サリカ法になってる。 近代ドイツ史が解りにくいという人はこういう風に幕末の日本に置き換えてみよう
ハプスブルク家=徳川家
バイエルン=薩摩
プロイセン=長州 >>731
薩長同盟に該当するのは何?
徳川慶喜に該当するのはハプスブルク家の誰よ?
ビスマルクは長州の誰? >>717-719
そういやアマデオ(アメデオもか)ってアマデウス・モーツァルト以前からイタリアで
用いられてきた名前なのか、はたまたモーツァルトにちなんでこの名がイタリア
でも使われるようになったのか >>734
11世紀のサヴォイア家のサヴォイア伯でアメデーオ1世がおりますぜ サヴォイヤ家って、元々はブルグント系なんだろうが、フランスやドイツの影響が非常に大きくて、
逆にイタリアからの影響はそこまで大きくない家だよね >>736
イタリア統一の際に、国民主義を貫いて開祖の地をフランスに割譲しちゃうのがすごいな。 開祖の地を放棄というか失陥したというかしても
発展したのは(元々の)ハプスブルク家とかロレーヌ家とかも。
というか、現在の欧州各王家も「姓・苗字」の地を領有している方が珍しいな。
フランス・ドイツの地名:オラニエ=ナッサウ家
フランスの地名:ボルボン家
オーストリアの地名:リヒテンシュタイン家
ドイツの地名:グリュックスブルク家 ロレーヌ家はパリ伯ジェラール一世にまで遡る事が出来る(ジラール家)
779年歿だからシャルルマーニュの時代だぜ >>741
日本かて「○○守」なんて実際の領地と関係無いほうが多いやん っつうてもサヴォイヤ家の場合、史実で判明しているだけでも、10世紀末から18世紀まで、ずっとサヴォイヤに根を張ってきた名門だからねえ
流石にこういう例は珍しい シャトノワ家も1047年から1737年までの700年間ロレーヌ公を世襲している サヴォイア、ハプスブルクといえばこのスレでも挙がってた
プリンツ・オイゲンが真っ先に頭をよぎる >>747
フランツ・シュテファンは屈辱的だったろう… カール6世の時に男系の傍系っていなかったの?
子沢山の先祖があれだけいたのに全滅したとは思えない >>756
男爵とか伯爵みたいな木っ端傍流はそりゃあるけど >>756
カール6世の7世代前のマクシミリアン1世以降に分岐した男系家系は無いようだな。
ハプスブルク家領は婚姻政策で拡大してきた経緯があるので、
それ以前に分岐した家系が継承した場合、例えばブルゴーニュ公領とか
ハンガリー王国、ボヘミア王国とかを継承する根拠が無くなってしまう。
(両王国は選挙王制の伝統もあるので、新当主が選出される可能性も無くは無いが、
選挙王制でも選出にあたって重要視されるのは“血統”が最重要視される傾向で、
王位を保持できるかどうか流動的で、保持できても極めて不安定に)
フランスでカペー朝→ヴァロワ朝に移行したとき、
ナヴァル王位をヴァロワ家が継承できなかったようなことが
フランスとは比較にならないくらい大規模に起きてしまう。 >>758
フェルディナント1世の子で前オーストリア大公フェルディナント2世が居て
そのフェルディナント2世の子のブルガウ辺境伯カールとその子孫が
18世紀初頭までは男系傍流としては存在してはいた
ただフェルディナント2世が貴賤婚だったから継承権はなかったし
カール当人も私生児以外は居なかった
私生児もカールよりさらに地位の低いホーエンベルク男爵としてだったんで
男系傍流とは言っても相続権主張がそもそもできない存在だったけど そもそもハプスブルク家って結構兄弟相続起こったり
傍流相続起こったりしてて分家というバックアップをそれなりに消費しながら
カール6世まで続いてるのよね
しかも修道会の掌握のために男子を毎回送り込んでるせいで
意外に分家が出来難い状態が帝位継承の安定した16、17世紀頃から継続してるから
不慮の死が続くとそりゃおかしくなるな フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲンのおかげで現在のハプスブルク家は500人以上いる。 >>761
ハプスブルク家というよりロレーヌ家だけどな。
そのロレーヌ家がそこまで発展できたのはハプスブルク家のおかげだけど。 >>756
子沢山だったけど女子が多かったのと
度重なる近親婚で虚弱だった
あとは>>760のいうように男子は聖職者にしてしまったから
メディチ家とかも割と似たような感じで断絶してるし
カトリックはこの辺不利だな >>758
遠縁の男系親族、あるいはオーストリア継承戦争の結果、
マリア=テレジア側が完敗して、ヨーゼフ1世の娘の婿の誰かが
継承するようなことになったらハプスブルク家領がどうなったのだろう?という興味も。
継承戦争の相手方もマリア=テレジアのハンガリー王位は
ハンガリーで王に「選出」されていることもあり、
戦争の結果いかんにかかわらず承認する方向。
その他のハプスブルク家領も一括して相続されることなく、継承戦争勝利者らにバラバラに分割される?
(フランスやプロイセンがより多くの領地を分捕ったり、ヨーゼフ1世の娘婿ら
フランツ=シュテファンと同様に「婿」の立場にあるバイエルン公やザクセン公らが
相応の領地を“継承”したりと) >>764
確かそんな感じでマリア・テレジアからハンガリー王位以外は全部盗っちゃう協定みたいのがあった筈。
実際は「そうは問屋(女帝)が卸さない」となったが。 フランス語版Wikipediaのロレーヌ家の起源についてわかる人いる? オーストリア継承戦争時にハプスブルク家領内の非ドイツ圏で
明確にマリア=テレジア支持を表明・協力したのはハンガリーだけなんだな。
ハプスブルク家領内の非ドイツの大勢力といえばハンガリーとボヘミアだけど、
以後の時代にハンガリー優遇、ボヘミア冷遇につながるのかな。
ハプスブルク家の選帝侯位はボヘミア王位に由来(オーストリア大公位ではない)するのに。 >>767
ボヘミアは三十年戦争の端緒にもなった冬王選出とか
等族のクソウザさ、プロテスタンティズムに通じるフス派とか
とにかく反発が酷くてどうしても弾圧気味に統治するってこともあるからねぇ 以後そんなにボヘミア冷遇されてたか?
1848年革命のときもボヘミアは独立志向じゃなかったぞ。一方ハンガリーはハプスブルク支配から逃げようとしたけど 血統の正統性はロレーヌ公家、ザクセン選帝侯家、バイエルン選帝侯家もあまり変わらない気がする >>769
妥協しての二重帝国成立時もドイツ人とハンガリー人は認めてるけど
チェコ人は認めてないし冷遇っちゃ冷遇 >>770
女系を認めるという前提なら、
弟のカール6世の娘よりも
兄のヨーゼフ1世の娘の系統で継いでいく方が
「長系」という点で正統な気もするな。
しかし、継承戦争の反マリア=テレジア側にしても、
ヨーゼフ1世の娘でもより長系となる姉のマリア・ヨーゼファの婿のザクセン公は
軽く扱われがちで、幼系となる妹のマリア・アマリエの婿のバイエルン公を重く扱い、
カール7世として戴冠させたりしているけど。 >>767
現在に至るもハンガリーではハプスブルク家を戴いて王政復古・・・、
なんて噂をちらほら聞くこともあるが、チェコでは聞いたことないな。
本国オーストリアでの現在の評判はどうなんだろう? ハンガリーはハプスブルク家と言うより聖イシュトヴァーンの正統継承者として推しているな。 >>775
こうしてみると5人中4人男子のフランツ・カール大公や
16人中12人男子のレオポルド2世ってすごかったなあと思うw
16人産んだマリア・テレジアはもちろん偉いけど
今これだけ多いのはどちらかというとレオポルドのおかげなんでは? >>766
Google翻訳途中までだけど、ロレーヌ家の起源はハプスブルク家と同じエティヒョー家 >>776
それは男が?女が?男女かかわらず?
そのへんも書いてほしい。 >>780
女性側
本来Y染色体の方が僅かに軽いのでXYとXXの精子はXYの方が受精し易い
よって自然状態だと人間は男子の方が生まれ易く出来ている
ただY染色体は酸性に弱い
緊張状態が続くと人体は何故か酸性方向に傾いて女性が生まれ易くなる 近親交配しすぎて池沼だらけwww
遺伝学の知識があればよかったのに 結婚相手に貴賤婚不可だのカトリック以外は敬遠だの
カトリックでも関係悪い国家間での結婚は難しいだの
ごちゃごちゃ言ってりゃ結婚相手は親族だけになってくるわな。 スペイン系はオーストリアからの嫁ばかりの近親交配で自滅したが、オーストリア系はそんなにスペインからの嫁来てないんだよな
この違いはなんなんだろう >>784
オーストリア家は、ボヘミア王やハンガリー王のしがらみで、ドイツや西欧だけでなく、東欧系との結びつきを考えなければならない立場だったから、とか? オーストリアにてスペイン系ではなく他家から来た嫁から生まれた娘がスペインに行ってそこで嫁になるんなら、スペイン系だって近親交配は薄まるはずだが カール1世の国事不関与からすでに100年…
オーストリア共和国は帝室財産を返還してもいいと思う >>784
フェリペ2世と4世にはそれぞれフランス出身の王妃いたけど
どちらも娘しか残らなかったのが惜しい
オーストリア系は代々子沢山でスペインだけじゃ足りないから
東欧やイタリアなどいろいろ選んでたのが大きい? >>789
ヒトラーに没収されたハプスブルク家の私有財産 ハプスブルク朝時代のスペイン王族の名乗りって
デ・アブスブルゴ? デ・エスパーニャ?
フェリペ2世の弟でドン・フアン・デ・アウストリアって人はいたけど >>792
スペイン系でも対外的にはなぜか
デ・アウストリアやドートリッシュとオーストリア由来の名乗りが多いような
スペインからオーストリアに嫁に行ったときは
フォン・シュパーニエンって名乗ってたらしいけど >>794
フィリップ1世とメアリー・オブ・ギーズぐらい? 没収したのはヒトラーだろうか?どさくさ過ぎる人たちなんじゃ。 >>795
メアリ1世とフェリペ2世とかも。
子孫はいないけど。
子が複数いれば、スペインとイングランドの同君連合は地理的に隔絶して無理があるので
兄弟で別に君主をたてる?フェリペの父と叔父でスペインとオーストリアで君主位を分割したように。
ハプスブルク朝イングランドが成立したかもか。 バルカン半島の中でもブルガリアとのかかわりは薄そうなイメージ >>797
英・西の同君連合が継続、あるいはハプスブルク家親族による分割統治が
安定するかどうかは宗教政策やスペインからの独立性をどの程度認めるかいかんかな。
後にオランダに離反されたのはプロテスタントに対する弾圧がきっかけで、
イングランドでも発生して間もない国教会をどう扱うか。
ポルトガルに離反されたのは、当初は単に王が共通人物というだけ、というもので
ポルトガルのスペインからの独自性がほぼ守られたのに、後にスペインの対外戦争の
費用を賄うためポルトガルで増税したりポルトガル軍を駆り出したりしたのがきっかけ。 >>798
ところがどっこいシメオン・サクスコブルクゴツキさんは・・・・・・・
釣られないぞ! >>799
一時期のイングランド人の反カトリックアレルギーって何が原因なのか不思議な気もする。庶民は教会のカテキズムよりも民間信仰の世界にどっぷり浸かってたろうし、
いわゆるホイッグ的歴史観で言われるほどにはカトリック≒専制、プロテスタント≒法の支配、ときれいに別れてもいないような・・・ >>758
ルドルフ一世以前の分家もいた
スイスの勢力伸長と共に15世紀前半に消えたけど >>794
血は入ってるよ
フェルディナント1世の娘がプロテスタント系のユーリヒ=ベルクに嫁いでその娘がホーエンツォレルン家に嫁いでる
あとたしかザクセン公もフェルディナント一世の従弟かなんかだし、ルドルフ1世の娘あたりも後のプロテスタント諸侯に嫁いでる
それらのプロテスタント諸侯を通してイギリス王室と関係がある もうちょっと時代が下ると
ヨーゼフ1世の妃がジョージ1世の従妹だったり
フランツ1世が女系でステュアート家の血を引いてたりする
しかし散々家格だの宗教だのにこだわってた割に
ヨーゼフ1世・カール6世兄弟の代で
いきなりブラウンシュヴァイクに行くあたりが思い切りいいな そう考えるとフランツ・シュテファンは血筋がすごい
皇帝フェルディナント3世とフランス王ルイ13世の曾孫 グントラム金満公以前のハプスブルク家はなんて呼ばれてたの? 細かいけどグントラム金満公の頃はまだハプスブルク家じゃない。 >>807
その王妃の妹もフリードリヒの弟と結婚して
後のプロイセン王が生まれてるので割と血縁関係近かったりする
ついでにいうとロシアのピョートル2世もマリア・テレジアの従兄だけど
ロマノフ家もあんまりハプスブルクと縁がないイメージ ハプスブルク家はカトリックからロシア正教に改宗しない。 ハプスブルク家はグントラム金満公の孫のラートボトがハビヒツブルク城を建ててから始まる。 仮にパーヴェル1世がピョートル3世の子だったとしても、ニコライ2世はロシア人の血は64分の1らしい。 とはいっても東部ドイツ人は、ドイツ語を話すようになったスラブ人がほとんどだろうしなあ ドイツ人とかフランス人とか、欧州の王族に当てはめるの無理やろ 日本政府は軍隊と警察官を動員して1879年3月27日に日本の統治権が及ばなかった琉球(現在の沖縄)を武力併合している。
広辞苑にも「琉球併合」と書かれている。
つまり、日本が併合するまで琉球は異国だったということ。
でなければ日本が琉球を併合するわけがない。
だからその琉球を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではないし、その沖縄に含まれる尖閣諸島ももちろん日本固有の領土ではない。 ウィンザー家の始祖ジョージ五世は単純計算で1023/1024ドイツ人。 >>825
ポーランドの大半が固有の領土じゃなくなるな >>825
その理屈で歴史を遡っていくと
日本固有の領土は奈良盆地南部の一角のみ、ということになるな。 そもそも「固有の領土」概念じたいが日本の外務省がでっち上げたもんだろw チャールズ王太子も男系ではグリュックスブルク家だからドイツ系になる。 >>829
そのとおり。日本政府、特に外務省はウソつきが多い。
例えば、「尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際法上も明らか」と平気でウソをつく。
外務省のホームページにもそのように書かれているが、国際法に「固有の領土」に関する条文はないし、定義もない。
調べるまでもなく外務省の主張がウソであることは簡単に分かる。 日本にとっての痛点とはまさに琉球併合そのものと言える。
日本は近代になって自国の領土ではなかった琉球王国を武力的威嚇のもと併合しているし、その歴史的事実を隠すかのごとく廃藩置県が行われた翌年の1872年に琉球に藩を置いている。
当時の明治政府は他国に対して「全国の藩にやったことと同様に琉球に対しても廃藩置県を行った」と言い訳できるように、わざわざ廃藩置県の翌年に逆のことをやっている。
全国の諸藩と真逆のことを琉球にやったというのは明治政府によるアリバイづくり以外の何ものでもない。
その琉球王国を前身に持つ沖縄が「日本固有の領土ではない」というのは琉球大学、沖縄大学、沖縄国際大学、沖縄県立芸術大学、明桜大学、沖縄キリスト教学院大学の歴史学者(琉球史)の間では共通認識としてあり、沖縄では学生たちにも伝えている。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を合格させたから。
沖縄の前身である琉球王国が独立国だったことは沖縄県庁、沖縄県立美術・博物館、沖縄県公文書館、那覇市歴史博物館のホームページにも書かれている。 >825みたいなのは中共がよく言ってるような詭弁だが、領有権の正当性なんてどこが相対的に一番強いかが問題であって有史以来100%の正当性のある国なんて存在しない >>834
じゃけん、北方領土はロシアの、尖閣は中国のものとはよう認めましょうねw
あと沖縄小笠原はアメリカ様に返還なww >>836
日本の外務省は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張しているが、外務省の主張には国際法上の根拠がない。
国際法を根拠に「尖閣諸島は我が国固有の領土」と言えるなら、外務省は国際法上の根拠を明らかにできるはずだが、外務省はその根拠を明らかにできない。
なぜ外務省が国際法上の根拠を明らかにできないかというと、国際法には固有の領土に関する条文がないし、固有の領土に関する国際社会共通の定義もないから。
外務省は国際法上の根拠がないのに「尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際法上も明らか」とホームページに嘘を書いている。 「固有の領土」というのは国家の政治的主張であって政治用語の域を出るものではない。
ましてや国際法上の用語でもない。
だから日本政府が主張する「尖閣諸島は日本固有の領土」というのは、国内向けのスローガンにすぎず、国際社会には何ら説得力を持たない意味のないものである。
現に世界中で日本政府のこの主張を認めている国は一つもない。 >>821
男系遺伝子みる限り東部ドイツはゲルマン系がやや優勢
西ポーランドと東部ドイツは似たような感じ
ここら辺はゲルマンとスラブの混在地帯だな
貴族の血とは関係ないけどね アメリカは沖縄を「日本固有の領土」とは認めていない。
なぜアメリカが沖縄を「日本固有の領土」と認めていないかというと、アメリカは「固有の領土」という言葉が国際法上の用語ではなく、国際社会に共通の定義がないことをよく知っているから。
もう一つの理由は、アメリカは沖縄の前身である琉球王国と1854年7月11日に琉米修好条約(国際条約)を締結しているから。
アメリカは同年3月31日に日本と日米和親条約を結んでいるが、アメリカがそれとは別に琉球王国と琉米修好条約を結んだのは、琉球王国が日本の統治権(主権)が及ばない独立国であることを当時のアメリカの政治家がよく知っていたからである。
そして、その琉米修好条約は翌年の1855年3月9日に米国議会が批准し、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
これらの歴史的事実は、当時の琉球王国が国際法上の主体(主権国家)であると認められていたことを意味する。 左巻きの馬鹿が暴れてるようだな
歴史板に左巻きは必要ない 沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのは日本政府。
日本政府は1879年3月27日に軍隊を動員して首里王府があった首里城を取り囲み、武力的威嚇のもと併合した。
琉球王国が日本の領土でなかったことはこの歴史的事実が証明している。
よって、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。
日本政府はこの歴史的事実に対して何一つ反論できない。 外務省はホームページに「沖縄は日本固有の領土」とは書けない。
なぜなら沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから。
日本政府の一組織である文部科学省も教科書検定で「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を合格させている。 ジラール家(フランス語:Girardides、ドイツ語:Gerhardiner)またはマットフリーデ家(ドイツ語:Matfriede)は、ヨーロッパでもっとも古くから続く貴族の家系の一つであり、その起源は8世紀にさかのぼることができる。
その家名は時代によって変わり、初期の世代はジラール家(ドイツ語:ゲルハルト家、始祖ジェラール伯から)
またはアダラール家(ドイツ語:アダルハルト家、フランク王ルートヴィヒ1世のセネシャルであったアダラール1世から)と呼ばれ、
パリ伯やメッツ伯(メス伯)を継承し、カロリング家とはたびたび姻戚関係を築いた。
11世紀半ばはマットフリーデ家(マトフリード家)と呼ばれ、メッツ伯を継承したが、ロレーヌ公となった後はシャトノワ家と呼ばれた。
さらに18世紀、ロレーヌ公フランツ3世シュテファンがオーストリア女公マリア・テレジアと結婚した後は、ハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ばれるようになった。 >>847
世界とはそういうもんだ 綺麗事じゃないのだよ
台湾は中国固有の領土でも何でもないが、
各国が台湾の独立を認めれば、世界の調和が乱れるから各国は沈黙している
チェチェンはロシア固有の領土でも何でもないが、
各国がチェチェンの独立を認めれば、世界の調和が乱れるから各国は沈黙している
奴隷貿易でアフリカは欧州諸国に反発しているが、
反発の度が過ぎると、援助してくれないから沈黙している
アメリカが各国首脳を盗聴していると元CIA工作員に暴露されたが、
反発の度が過ぎると、アメリカを怒らせるから各国は沈黙している もし安倍総理が急に
「アメリカがカリフォルニアを今も支配するのはおかしい
メキシコへの謝罪と賠償が必要だ
迫害したインディアンにも謝罪して補償すべきだ
あと盗聴した各国首脳に謝罪して、慰謝料払うべきだ」
「ロシアがチェチェンを弾圧するのはおかしい。
独立を許すか否かの住民投票をすべきだ
それから沿海州は中国に返すべきだ」
「中国はチベットやウイグルを独立させるべきだ。
中国固有の領土ではない」
「イギリスやフランスは過去の植民地支配を謝罪して賠償すべきだ。
ジブラルタルやギアナは返還すべきだ」
「スペインは奴隷貿易について謝罪して、元奴隷の子孫に補償すべきだ」
こんなこと言ったら、日本は世界から孤立する
各国それぞれには「痛点」があるが、それを強く言わないのが世界のマナー >>851
たまに王侯の国籍について話題になりかけるけど、
欧州王侯のほとんどは「無国籍」。
だからこそ国境を越えて君主や君主の配偶者を送り出したり迎えたりできる。
リヒテンシュタインのハンス・アダム2世なんかはオーストリア国籍を有しているようで、
「オーストリア国籍『も』有している」と解説されることも多いが、
実際は「オーストリア国籍『しか』有しておらず、リヒテンシュタイン国籍は無い。
(そもそもオーストリアも日本と同様に他重国籍を認めていない、実際には確認できずに
複数の国籍を有している者は日本同様に多数存在するかもしれんが、著名人が他重国籍を公にできるものではない) 王侯貴族はパスポートも無いの?
オットー氏はドイツ国籍だった筈。 パスポートの問題もあるし現職の君主か正式な亡命者扱いでも無い限り王侯のほとんどが無国籍とかありえない >>852
いつの時代の話をしとる
現代のカール大公の話だぞ、無国籍じゃねーよ >>850
>>16
日本にとっての痛点とはまさに琉球併合そのものと言える。
日本は近代になって自国の領土ではなかった琉球王国を武力的威嚇のもと併合しているし、その歴史的事実を隠すかのごとく廃藩置県が行われた翌年の1872年に琉球に藩を置いている。
当時の明治政府は他国に対して「全国の藩にやったことと同様に琉球に対しても廃藩置県を行った」と言い訳できるように、わざわざ廃藩置県の翌年に逆のことをやっている。
全国の諸藩と真逆のことを琉球にやったというのは明治政府によるアリバイづくり以外の何ものでもない。
その琉球王国を前身に持つ沖縄が「日本固有の領土ではない」というのは琉球大学、沖縄大学、沖縄国際大学、沖縄県立芸術大学、明桜大学、沖縄キリスト教学院大学の歴史学者(琉球史)の間では共通認識としてあり、沖縄では学生たちにも伝えている。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を合格させたから。
沖縄の前身である琉球王国が独立国だったことは沖縄県庁、沖縄県立美術・博物館、沖縄県公文書館、那覇市歴史博物館のホームページにも書かれている。 沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのは日本政府。
日本政府は1879年3月27日に軍隊を動員して首里王府があった首里城を取り囲み、武力的威嚇のもと併合した。
琉球王国が日本の領土でなかったことはこの歴史的事実が証明している。
よって、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。
日本政府はこの歴史的事実に対して何一つ反論できない。 オットー大公はドイツ、オーストリア、ハンガリー、クロアチアの市民権を持っていた。
1941年、ヒトラーによって母と弟たちともどもオーストリアの市民権を奪われ、無国籍となった。
ナチスによって市民権を奪われたことによってオットーは事実上の無国籍となっていたが、1946年にシャルル・ド・ゴールの介入のおかげで、モナコ公国からパスポートを与えられた。
また、マルタ騎士団もオットーをマルタの騎士として外交旅券を発行したし、のちにはスペインからも外交旅券を与えられた。 沖縄が侵略ならチベットは内蒙古も独立させなきゃいけないよね?
>>858さんはどう考えてんの? >>861
>>858には「独立国だった琉球王国」とは書かれているが、「沖縄は独立させるべき」とは書かれていない。 独立国ではないわな
日本だけでなく清の臣下だったんだから 中華文明における柵封と、中世の皇帝と王侯の関係の本格的な比較論文とかあったら読んでみたいな カール大公って全盛期のナポレオンに勝った人以外にもいるんだ
あのひとが皇帝だったらヨーロッパ最弱のオーストリア軍ももうちょいマシになってたのにね ナポレオン時代のカール大公の子孫帝国滅亡まで存続してたが、皇族のままの分家残すようになったのは本家が一回断絶しかかったからだろうか >>859
カール大公もオーストリアの市民権を持っている無国籍? >>864
沖縄県庁のホームページに琉球王国が独立国だったことが書かれている。
残念でした。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、サンフランシスコ講和条約に「米国は沖縄の主権の全部、および一部を行使する権利を有する」とあるから。
だから、日本政府が沖縄は日本の固有の領土と主張したら、それは米国への主権の侵害ということになる。
日本が米国の主権を犯したらどうなるか分かるはずだ。 日本は沖縄への領土的欲望を出し過ぎて返還を要求したものの沖縄への援助を出し渋るから米国に甘い言葉で騙されるのである。
明治時代、日本は米国に嘘八百を言って小笠原諸島をせしめているから、米国は「今度は我々が日本を騙す番だ」と思っているのだろう。 いい加減、ここハプスブルク家のスレだって理解してくれないかな? それでは皇帝の支配下にあるから独立してないだろう。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>860
同じだよ、呼び方が違うだけ。
ご飯とメシ、おかんとママ、パンティとショーツ、マンコとヴァギナ、恥垢とチンカスetc 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、サンフランシスコ講和条約に「米国は沖縄の主権の全部、および一部を行使する権利を有する」とあるから。
だから、日本政府が沖縄は日本の固有の領土と主張したら、それは米国への主権の侵害ということになる。
日本が米国の主権を犯したらどうなる分かるはずだ。 日本は沖縄への領土的欲望を出し過ぎて返還を要求したものの沖縄への援助を出し渋るから米国に甘い言葉で騙されるのである。
明治時代、日本は米国に嘘八百を言って小笠原諸島をせしめているから、米国は「今度は我々が日本を騙す番だ」と思っているのだろう。 アメリカは沖縄を「日本固有の領土」とは認めていない。
なぜアメリカが沖縄を「日本固有の領土」と認めていないかというと、アメリカは「固有の領土」という言葉が国際法上の用語ではなく、国際社会に共通の定義がないことをよく知っているから。
もう一つの理由は、アメリカは沖縄の前身である琉球王国と1854年7月11日に琉米修好条約(国際条約)を締結しているから。
アメリカは同年3月31日に日本と日米和親条約を結んでいるが、アメリカがそれとは別に琉球王国と琉米修好条約を結んだのは、琉球王国が日本の統治権(主権)が及ばない独立国であることを当時のアメリカの政治家がよく知っていたからである。
そして、その琉米修好条約は翌年の1855年3月9日に米国議会が批准し、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
これらの歴史的事実は、当時の琉球王国が国際法上の主体(主権国家)であると認められていたことを意味する。 >>869
じゃあ沖縄は日本固有の領土と政府が説明している
残念でしたw >>884
へー、誰が、いつ説明したのかな?
嘘つきネトウヨ君(大笑い)! ハプスブルク家が実は沖縄出自の家系であることは以外に知られていない事実である。古代琉球では首里はハブが非常に多いことからハブの街と呼ばれており、
それにちなんで首里出身であった
初代エステルライヒ伯ゴルトベルクが自分の家門をハブブルクの名で呼んだことに由来する。因みにゴルトベルクという名乗りも金城という琉球名のドイツ語訳と考えられる。
江田島平八(1998),【沖縄とオーストリア、その秘められた歴史】,ミンメイ書房,pp1512-1999. 日本は沖縄への領土的欲望を出し過ぎて返還を要求したものの沖縄への援助を出し渋るから米国に甘い言葉で騙されるのである。
明治時代、日本は米国に嘘八百を言って小笠原諸島をせしめているから、米国は「今度は我々が日本を騙す番だ」と思っているのだろう。 >>887
小笠原は、統治コストの割に資源価値は無く、戦略的価値に乏しいから、日本に押し付けたんではないのか?
とりあえず日本に押し付けて置けば、水は汲み放題になるし。 エティヒョー家→ハプスブルク家 ジラール家→シャトノワ家→ロレーヌ家 ハプスブルク家+ロレーヌ家→ハプスブルク=ロートリンゲン家 小笠原諸島は記録に残る最初の到達記録としてミカン船の漂着があったからじゃない
小笠原の名前はその後の小笠原家を名乗る謎の詐欺師のせいだが 琉球は日本と中国王朝に服属(両属)していた
独立国ではない >>893
「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を日本政府の一組織である文部科学省が検定で合格させている。
残念でしたw そんなに琉球を語りたいならスレ立てろや
気違いはTPOがなってないから煙たがれることを理解できないのか 大昔はじめて世界地図を見た時、オーストリアの首都って東の端っこに
あるんだなと思ってた。
そんなオーストリアがハプスブルク朝のもと首都よりも東のほうに広大な
領土を有してたことを知ったのはずっと後になってからだった。
それだけ。 そういえばイヴォ・アンドリッチ「ドリナの橋」ではオスマントルコからオーストリアへと
支配者が変わってそれと同時にボスニアの地方都市の姿も変わっていく様子が
描かれてたっけ。
その中でイスラム教徒の現地住民はオーストリアのことをシュヴァーベン人と呼ぶ
描写もあった気が。 >>897
コペンハーゲンとかビリニュスもそんな感じ
探せば他にも有るかも オットー大公の孫は22人いるけど、
そのうち男系男子は2人しかいない。 >>895
琉球王国が独立国だったのは歴史的事実だが、それを認めたくないのはネトウヨの政治的理由によるもの。 沖縄はもともと琉球王国という独立国だったゆえに日本固有の領土ではないということで結論が出たな。 >>902
結論でたからはよ出ていけチョウセンメクラチビゴミムシ >>902
独立国じゃねーだろ。附庸国とか従属国だろ。
琉球は薩摩藩の支藩で、島津に内政から、明国・清国とのやりとりから、世子の選定・養育から、すべて干渉うけてたろ。
一応、琉球藩王の子とか弟とか甥とかの血縁男子から次の琉球藩王を指名していたけど、琉球の中だけでは決められず、
鹿児島の島津の殿様の裁可があって初めて嗣子と認められる。
めでたく、嗣子となっても琉球で独自に教育なんてできず、すぐに鹿児島送りになる。 >>905
沖縄の前身である琉球王国が独立国だったことは沖縄県庁、沖縄県立美術・博物館、沖縄県公文書館、那覇市歴史博物館のホームページにも書かれている。
しかも日本政府の一組織である文部科学省が「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を検定で合格させている。
残念でした。 >>905
今の日本こそアメリカの附庸国であり従属国なのだが(笑)?
日本の腰抜け閣僚どもは戦争で負けた負い目があるからアメリカの言いなりの土下座外交しかできないもんな(大笑い)! スペインとの婚姻関係によりスペイン王室の代表的な名前フェルナンドが
フェルディナントという形でオーストリア側に伝わったってのを人名関連
の本で見たことあるけどアルフォンソのほうはどうだったのやら >>908
琉球は清と日本に「両属」していたので独立国ではない
当時の琉球を土下座外交というのは先人に失礼である >>910
>>911
日本政府の一組織である文部科学省が「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を検定で合格させている。
残念でした。 >>912
日本政府が言ってるから琉球王国は独立国なんだと君がいうならば
日本政府が言ってるから沖縄は日本固有の領土という論に帰結するぞ >>913
日本政府はただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
なぜなら沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから。
だから日本政府は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 >>900
本家の女系と男系の分家で分裂するかも
最早継承権という概念が存在するか知らんが
そういえばイタリアも分裂してたな >>912
教科書検定はその中身の全てを歴史的に正しいと認定する制度ではないからなぁ
世界史板だし歴史の話しよ? 日本政府は尖閣諸島は日本固有の領土と言っている
残念でした。 日本政府が琉球王国を独立国だったと認めているわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄を日本固有の領土と主張できるわけがない。 日本政府は尖閣諸島以外の沖縄の島々も日本固有の領土とは主張していない。
残念でした。 ハプスブルク帝国(ハプスブルクていこく)[1]は、オーストリア系ハプスブルク家(のちハプスブルク=ロートリンゲン家)の君主により統治された、神聖ローマ帝国内外の領邦国家などの国家群による同君連合である。
単一の「帝国」ではなかった、あるいは推戴する君主が「皇帝」でなかった時代もあるが、日本語ではこの呼称が用いられることが多い。
ドイツ語では Habsburgermonarchie または Habsburgisches Reich であるが、前者は直訳するとハプスブルク君主国であり、後者の場合もライヒ (Reich) は必ずしも「帝国」を意味しない。
成立年はハプスブルク家がオーストリア大公国に加えてハンガリー王国、ボヘミア王国(ボヘミア王冠領)を獲得した1526年とされる。
1804年までは公式の名称を持っていなかったが、同時代の人々ですらこれを事実上の国家として認識し、オーストリアと呼称していた。
1804年から1867年まではオーストリア帝国、1867年から1918年まではオーストリア=ハンガリー帝国を総称とした。
ただし、これより古い時代の、神聖ローマ皇帝とスペイン王を兼ねたカール5世を君主とする国家群なども、広く「ハプスブルク家の帝国」といった意味で「ハプスブルク帝国」と呼ばれることがある。 日本政府が認めているから尖閣諸島は日本固有の領土
まさかこれをひるがえす主張ができるわけがない 琉球(現在の沖縄)が日本に組み込まれたのは近代になってからのこと。
前近代まで琉球を統治していたのは日本国ではなく琉球王国。
沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。 その琉球王国は日本と清国に服属していた
琉球国王は徳川将軍と清国天子の臣であった 日本政府が認めているから尖閣諸島は日本固有の領土
残念でした。 前近代に外国と国際条約を結んだことがある藩はない。
前近代の琉球は藩ではなく日本の統治権が及ばない独立国だったので外交権を持っていた。
だから琉球はアメリカ、フランス、オランダと単独で国際条約を結ぶことができた。
また、琉球は清国の福州市に大使館を置いていた。
外国に大使館を置いていたのも琉球だけである。
琉球が日本の統治権が及ばない独立国だったことは外交権を行使して諸外国と国際条約を結んだことや外国に大使館を置いていたことなどからも証明されている。
よってその琉球を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 琉球モバイルって会社名ありそう
「リュー キュー♪」 琉球王家第二尚氏が実はハプスブルク家の分家にあたるということは、意外に知られていない事実である(以下略 カール・ハプスブルク=ロートリンゲン(ドイツ語:Karl Habsburg-Lothringen, 1961年1月11日 - )は、ハプスブルク=ロートリンゲン家の現当主。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルクと、ザクセン=マイニンゲン公爵家の公女レギーナの長男。最後のオーストリア皇帝にして福者・カール1世と皇后ツィタの孫。
現在のオーストリア共和国では、貴族称号が「フォン」の名乗りに至るまで公的には一切認められていないが、
本人は「カール・フォン・ハプスブルク(Karl von Habsburg)」を称しており[2][注釈 1]、欧州各国の王侯貴族やローマ教皇、王党派からは今なお「オーストリア大公」や「帝室と王室の殿下」などの伝統的な称号で言及される。
また本人は表立って主張していないものの、オーストリア、ハンガリー、ボヘミア、クロアチア等の帝位・王位請求者とされる。
父オットーと同じく汎ヨーロッパ主義者として知られ、1996年から1999年まで欧州議会議員を務め(オーストリア国民党所属)、現在は国際汎ヨーロッパ連合オーストリア支部長。
その他、代表なき国家民族機構事務局長、ブルーシールド国際委員会(英語版)代表などを歴任する。 清国は冊封していた国の外交権を自国に不利ではない場合は妨げない
だから李氏朝鮮も他国と条約を結べた よって独立国とイコールではない
実際に李氏朝鮮が清からの独立を表明したのは大韓帝国建国の時である
そして日本政府が認めているから尖閣諸島は日本固有の領土
残念でした。 47都道府県で前近代まで遡って外国と国際条約を結んだことがあるのは琉球を前身に持つ沖縄だけ。
琉球が単独で外国と国際条約を結べたのは、当時の琉球は独立国だったから。 オーストリアの皇帝、
ハンガリーの使徒王、
ボヘミア、ダルマチア、クロアチア、スラヴォニア、ガリツィア、ロドメリア、イリュリアの王、
エルサレムの王等、
オーストリアの大公、
トスカーナとクラクフの大公、
ロレーヌ、ザルツブルク、シュタイアーマルク、ケルンテン、クライン、ブゴヴィナの公、
トランシルヴァニアの大公、
モラヴィアの辺境伯、
上下シュレジェン、モデナ、パルマ、ピアツェンツァ、ガスタラ、オシフィエンチムとザトル、チェシンとフリウリとラグーサとザラの公、
ハプスブルクとチロル、キーブルク、ゴリツィア及びグラディーサの伯、
トレントとブリクセンの侯、
上下ラウジッツとイストリアの辺境伯、
ホーエネムス、フェルトキルヒ、ブレゲンツ、ヴァルトブルク=ゾンネンブルク等の伯
トリエステとコトルとヴェンドランドの太守、
セルビアの大ヴォイヴォダ、など
金羊毛騎士団団長 ハプスブルク帝国が無くなったことって世界史的にみて数百年に一度の大事件だと思う。
古代から中原、メソポタミア地方などと並んで世界文明を引っ張った欧州亜大陸で、数百年大国であった帝国で、18世紀くらいからは世界史の中心であった欧州亜大陸の大国がさっぱり消えてなくなった 。
ドイツは両大戦に負けたけどいまでも地域大国
でもハプスブルク帝国は存在してないんだからすごい事件。 >>934
このエルサレム王位はハプスブルク家由来ではなく、ロレーヌ家由来 俺もハプスブルク家に生まれたかった (´・ω・`) 沖縄が日本固有の領土であるなら琉球王国はなかったことになる。
しかし、文部科学省検定済みの教科書(清水書院の日本史B163ページ)には「琉球王国は独立国だった」「江戸幕府は琉球を異国と位置付けていた」と書かれている。
よってその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 日本が琉球を併合したということは即ち琉球が日本の領土でなかったという証拠。
琉球が日本の領土だったなら日本が併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球を前身に持つ沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉なことに日本政府自らが軍隊を動員して沖縄の前身である琉球を武力併合したことで証明してしまった。 内閣府内閣官房の領土・主権対策企画調整室に「沖縄はいつから日本の領土になったのか?」と質問したところ、「1879年から」と回答した。
さらに、「琉球は日本の領土ではなかったということか?」と質問したところ、「その通りです」と回答。
これまで日本の右翼が「1609年の薩摩侵攻以降、琉球は日本の領土」と主張していたが、日本政府が「琉球は日本の領土ではなかった」と認めたことで、右翼の主張は嘘であると判明した。 琉球最後の国王である尚泰王(第19代琉球国王)の拉致を指示したのは明治政府の中枢、伊藤博文である。
琉球史に詳しい琉球大学、沖縄国際大学、沖縄大学、沖縄県立芸術大学、沖縄キリスト教学院大学、名桜大学の歴史学者たちは皆、この歴史的事実を知っている。
伊藤博文は韓国だけではなく沖縄をも併合した大悪人であった。
安重根がこれを誅したのは当然の義挙。
伊藤は日本人をも欺いている。
明治天皇は大室某という白丁であり伊藤によって日本の王家の血筋はすり替えられ、ニセ物と化しているのだ。 外務省のホームページには「尖閣諸島以外の沖縄の島々も日本固有の領土」とは書かれていない。
残念でした。 >>947
読んだよ。特に偏らず、中立的に書かれてるからオススメ。 琉球国王は将軍家と清国天子の臣
李氏朝鮮国王は清国天子の臣(大韓帝国建国時に君臣関係を解消)
臣じゃない 独立していた対等だったと歴史を改変しないように 政府のホームページには「尖閣諸島は日本固有の領土」とは書かれている。
残念でした。 「固有の領土」というのは国家の政治的主張であって政治用語の域を出るものではない。
ましてや国際法上の用語でもない。
だから日本政府が主張する「尖閣諸島は日本固有の領土」というのは、国内向けのスローガンにすぎず、国際社会には何ら説得力を持たない意味のないものである。
現に世界中で日本政府のこの主張を認めている国は一つもない。 >>952
日本政府の主張にも間違いがあるということなら、
琉球王国は独立国は日本政府が主張しているから独立国で正しいという君の論はおしまい
韓国ですら、1897年の大韓帝国建国で清から独立できたと言っている
それを基に琉球が独立国か否かを考えなおそう
韓国以上のウリナラマンセー史観にならないように忠告する >>938
マリア・テレジアが使用した紋章にもエルサレムが入っていたけど?
旦那由来? 日本政府は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張しているが、日本政府の主張には国際法上の根拠がない。
国際法を根拠に「尖閣諸島は我が国固有の領土」と言えるなら、日本政府は国際法上の根拠を明らかにできるはずだが、日本政府はその根拠を明らかにできない。
日本政府がなぜ国際法上の根拠を明らかにできないかというと、国際法には固有の領土に関する条文がないし、固有の領土に関する国際社会共通の定義もないから。
日本政府は国際法上の根拠もなければ「固有の領土」の定義もないのに「尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際法上も明らか」と外務省のホームページに堂々と嘘を書いている。 >>954
マリア・テレジアの紋章を確認してないからわかんないけど、
ハプスブルク家のエルサレム王位はカール6世のときに放棄してる。 言っとくが中国も台湾も尖閣諸島は中国固有の領土だと言っているので
別に固有の領土は日本だけが使っている用語ではない >>957
中国や台湾の主張については史料の誤読による誤った主張と確認されたので、いまでは根拠なく自国領と主張してるだけという形になっているぞ 足利義教は室町幕府第6代将軍で、琉球を日本にした人です。
義教が島津忠国に琉球を褒美に与えるという「嘉吉元年御教書」があり、後の江戸時代の島津の琉球侵攻も、明治の琉球侵攻のときも、琉球は日本のものだという根拠になります。
それなのに、「琉球は別の国」というのを認めないと、学界では抹殺されます。
何度でも言いますが、「琉球は日本ではない」、「琉球は別の民族だ」と言う人たちは、琉球がエスニックだとまでは言えても、ネーションだという証明ができません。
仮に日本と別の民族だという証明ができたところで、中華帝国の支配下に入ったということは何一つ立証してない。冊封されていると言っているだけなのです。
朝貢というのは、王が送った「使者」が皇帝に頭を下げるものです。これは外交ではなく、貿易です。商人でもやることです。
かたや冊封とは、王が皇帝に頭を下げるものです。ただ、それで冊封した皇帝の所有物になるという話ではありません。
外交儀礼(プロトコール)として屈辱的かどうかであって、中華人民共和国や中華民国が領有権を主張する根拠にはまったくならないのです。
では何のためにそれを言うのか。こんなことを言う奴は、言うまでもなくバカがスパイです。スパイではないバカもいますが、「バカな」スパイも大量に混ざっています。
中国人だって歴史学界に優秀な人間を送り込むほど暇ではないので、他で使えない無能なスパイが大量に日本の歴史学界にいます。
よく、沖縄の二大新聞「琉球新報」「沖縄タイムス」がひどいというのですが、そこで書かれている内容というのは歴史学界の学会誌と同じです。歴史学界が言っていることを沖縄の二大新聞が書いているだけなのです。
両者は、いわゆるズブズブの関係です。歴史学界のメンバーや、沖縄の日教組関係者が沖縄で講演をし、それを記者が記事にするというパターンがあり、全員がグルです。沖縄の歴史問題はこういう厄介さがあります。
もちろん、こんなものは単なるプロパガンダであって、学問ではありません。 第一次世界大戦で力及ばず、民族自決の原則で解体されたオーストリアはハプスブルク帝国。
しかし、解体の直前まで、ロスチャイルドをバックに、広大な国土を統合する鉄道建設がすすめられ、銀行制度が整備され、中欧の大国として近代国家の道を着々と歩んでいました。
その大帝国の力は、モーツァルトやシュトラウスの音楽やユーゲントスティル様式の建築は勿論のこと、
経済学のハイエクやベームバヴェルク、論理実証主義、そしてEUの源泉をなした汎欧州主義など、学問・思想の各方面に及びました。
しかし、1918年、敗戦の結果無残に崩壊したオーストリア帝国は、本来ドイツ語圏だった南チロルまで切り離されて、やがてこのような文化・芸術の伝統も衰え、欧州の二流国として、地味な道を歩む運命となります。
しかし、いまでも、かつてハプスブルクの版図に含まれていた、トリエステ(現イタリア領)、リボフ(現ウクライナ領)、オラディア(現ルーマニア領)などを訪れ、
その素晴らしい建築の遺構に触れるたび、この欧州の大国が永遠の幻のかなたに消えてしまったことを、悔やまずにいられません。
もし、ハプスブルク帝国が21世紀の今現存していたら、どんな国になっていたでしょうか。 日本政府は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張するが、実は19世紀後半の日清交渉で、当時の日本政府は清國(現在の中国)から得られる商業権益の引き換えとして「先島分割案(琉球分島案)」を清國に提案し、
沖縄の先島諸島(宮古諸島、八重山諸島)を清國に譲り渡すことを1880年4月17日に閣議決定している。
日本政府は1879年に先島諸島を含む琉球諸島を併合したにもかかわらず、その翌年には国益の引き換えとして自国の領土と決めた琉球諸島の一部である先島諸島を他国に割譲することを日本政府自らが決定したという驚くべき歴史的事実がある。
当時の日本政府が日清交渉で先島諸島(宮古諸島、八重山諸島)を清國に譲り渡すことを閣議決定した歴史的事実は、「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張する現在の日本政府にとって触れられたくない不都合な真実であり、
事実、この歴史的事実を指摘されたら、安倍内閣の閣僚は誰も反論できない。 >>960
東欧の病人扱いの未来ばかりが見えてしまう…… >>957
「固有の領土」というのはその国の国家スローガンであって、ナショナリズムを煽動したりプロパガンダに使われるようにもので、その言葉自体に法的根拠があるわけではない。
国際法に固有の領土に関する条文がないのがその証拠。
しかも「固有の領土」という言葉について国際社会共通の定義もない。
だから、いくら「◯◯は我が国固有の領土」と主張したところで、そんな主張は国際社会にはまったく通用しない。
現にアメリカも「尖閣諸島は日本固有の領土」とは認めていない。 >>956
まぁその紋章にはイスパニヤやらインドやら実際に統治の及ばない領土が半分近くあって
「我に統治権有り」という主張の意味合いが込められている、と解説してあった。
でも先代が放棄した物まで載せるとは女帝も随分アレだなw 尖閣を沖縄の固有の領土であり、日本固有の領土ではないというなら、台湾や中国の領土でもないという理屈になるやんけ
アホちゃうか >>965
誰も「尖閣諸島は沖縄固有の領土」とは主張していない。 日本政府は「尖閣諸島には領土問題が存在しない」と言っているが、これは真っ赤な嘘。
その証拠に「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張している。
尖閣諸島に領土問題が存在しないなら「固有の領土」という言葉を使うわけがない。
現に日本政府は「本州、四国、九州には領土問題が存在しないから固有の領土とは言わない」と説明している。
つまり「固有の領土」という言葉を使うこと自体、皮肉なことに日本政府自らが尖閣諸島には領土問題が存在することを認めていることになる。 >>947
テイラーのハプスブルク帝国は読んだ。
罵詈雑言だらけだったけど。 琉球マンは尖閣を中国領ということにしたんやろ
琉球マンの理屈どおりなら中国は多大な領土を失うんだが矛盾が甚だしい 尖閣諸島については何度も現地調査を実施し、「国際法上、いずれの国にも属していない無主地である」ことを確認したうえで1895年1月14日に閣議決定を行い、日本領土(沖縄県)に編入している。 尖閣諸島どころか沖縄そのものが日本固有の領土ではない。
なぜなら沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから。 >>970
尖閣諸島は中国の領土とは一言も書いてない。 1427年の金印勅書によって、尖閣諸島はハプスブルク家の世襲領であることが確定している。 ハプスブルクというとどうしても18Cに入ってからのほうが
インパクトが強い感。
マリア・テレジアの存在感があまりに大きすぎてそれ以前が
霞んで見えるようにも。 尖閣諸島どころか沖縄そのものが日本固有の領土ではない。
なぜなら沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから。 元々とか言い出したら地球上のあらゆる地は元々どこの領土でもないわ 琉球マンは沖縄分離工作をしているつもりなんだろう
だからワザと中国を絡めない
絡めたら中国の立ち場が悪くなるからだ
北朝鮮が自国の人権侵害に触れずに日本の在日差別を問題視するのと同じ
琉球マンは中国の他民族侵略に触れず日本の尖閣支配を問題視している >>978
尖閣も沖縄も日本の固有領土ではないし中国領でもないと言っているだろう
それに北の共和国を何故例えに使っているんだ?
印象操作で北を貶めようとしているとしか思えない
それに在日差別問題を否定しているようだが、そのような人権意識の無い民族が沖縄到着などするべきではない >>980
琉球王国の所有者たる尚氏が日本国に支配権を譲渡したはい論破 >>976
ウソつくな
もともと沖縄を統治していたのは琉球王国じゃないぞ 沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えるわけないよな(大笑い)!
琉球史に疎いネトウヨどもが悔しそうw 日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」と言ってるのに、なぜか「沖縄は日本固有の領土」と主張しない。
「沖縄は日本固有の領土」と主張したら「じゃあなんでその沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのか?」と突っ込まれるから、日本政府はそれを恐れて「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのだろう。
日本政府の閣僚も沖縄の歴史をまともに勉強していないし、恥をかきたくないから「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 >>985
もともと沖縄を統治していたのは北山王国と中山王国と南山王国の3つの国々で、
琉球王国なんかじゃないじゃないよな (大笑い)!
沖縄の歴史に疎い馬鹿サヨどもが悔しそうw >>989
フランソワ・エティエンヌ・ド・ロレーヌ 威?隆盛ナル朕ノ良友ニ復ス
陛下ノ鍾愛セラルル皇甥カール・フランツ・ヨーゼフ親王殿下トジタ・ド・ブールボン・プランセス・ド・パルム女王殿下ト
本年十月二十一日結婚ノ式禮ヲ擧行セラレタル旨同月二十六日附の親翰ヲ以テ報セラレ朕欣然之ヲ領セリ朕ハ此ノ慶事ニ對シ
陛下及陛下ノ皇室ト歡喜ヲ同フシ茲ニ誠實ナル祝詞ヲ呈スルト共ニ成婚両殿下ノ悠久ニ幸福ヲ享有セラレンコトヲ懇祷ス
此ノ機ニ際シ朕ハ陛下ニ對シ至?ノ敬意ト不淪ノ友情トヲ致ス
明治四十四年十二月七日
東京宮城ニ於テ
陛下ノ良友
睦仁 フランツ・ヨーゼフ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン このスレッドは1000を超えました。
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