ハプスブルク家を語る
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ハプスブルク家(ドイツ語: Haus Habsburg)は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)の貴族。
古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。
中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系となった。
また、後半は形骸化していたとはいえ、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国の皇帝位を中世以来保持し、その解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占したため、ビスマルクによる統一ドイツ帝国から排除されるまで、形式的には全ドイツ人の君主であった。
ヨーロッパ随一の名門王家と言われている。 ロレーヌ、調べてみたら意外に大きかった。
地域圏の広さは東京都の約11倍(九州の6.5割程度)、人口は宮城県と同じぐらいである。
面積:23,547km²
人口:2,333,504人(2005年) >>395
公国として続いていても、独立できたと思う。 アンドラやリヒテンシュタインよりは余裕で大きいが
だからこそ狙われそうで。
仏独共に「相手には渡したくない」と考えるだろうし。 英語版WIKIだと9世紀のメッツ伯アダルハルドまで遡れる
カロリング家家宰アダラルドの息子の可能性もあるそうだがまぁないだろうな 日本語版Wikipediaによるとジラール家のパリ伯ジェラール1世(779年没)は、
宮宰カールマンの娘ロトルーデと結婚してる。 イムレ大公の第3子(三女)ユリアナ大公女が誕生。
ハプスブルク家は女子が多い気がする… >>378
カスティーラとアラゴンなんかも別の国意識があって、
ハプスブルク朝期は別々に政府のある同君連合、
ポルトガルも同様に政府があって、君主だけ同じの別の国。
事実、当時日本に両国の商船が来航していたけど日本側は別の国の商船と認識。
「鎖国」までの過程でも、1624年にスペイン船来航禁止、
1639年にポルトガル船来航禁止と両国の同君連合期だけど別扱い。
しかし、ポルトガルの「スペインとは違う」とう意識はイベリア半島の他地域とは
格別に強かったのかな。同君連合すら嫌って「独立」。
同君連合ではなく、ハプスブルク家から別人をポルトガル王に立てていれば
ポルトガルのハプスブルク朝も長く続いたか? >>400
パリ伯からメッツ伯、ロレーヌ公になったのか。 >>404
メッツ伯もロレーヌ公も由緒ある爵位だから左遷ではないと思う。 >>406
放棄しなかったらマリア・テレジアと結婚できないことになる 外交革命後にフランスから返してもらえばよかったと思うの。 もしロレーヌ公国が続いていたらカール大公は
シャルル・ド・ロレーヌ公殿下になってたのか >>409
ロレーヌ公国が続いていてもオーストリアと同君連合なら
1次大戦の結果廃位だろな。(その後のロレーヌはフランスに併合か、連合国側に温情があれば共和制で独立維持)
史実のトスカーナ大公と同じく宗家とは別個に公をたてて、大戦では宗家に反して連合国側につけば
今現在もロレーヌ公国は残っていたかもしれんが、その場合の現公はカール大公ではない(現在はジギスムント大公?)。 威コ隆盛ナル朕ノ良友ニ復ス
陛下ノ鍾愛セラルル皇甥カール・フランツ・ヨーゼフ親王殿下トジタ・ド・ブールボン・プランセス・ド・パルム女王殿下ト
本年十月二十一日結婚ノ式禮ヲ擧行セラレタル旨同月二十六日附の親翰ヲ以テ報セラレ朕欣然之ヲ領セリ朕ハ此ノ慶事ニ對シ
陛下及陛下ノ皇室ト歡喜ヲ同フシ茲ニ誠實ナル祝詞ヲ呈スルト共ニ成婚両殿下ノ悠久ニ幸福ヲ享有セラレンコトヲ懇祷ス
此ノ機ニ際シ朕ハ陛下ニ對シ至ノ敬意ト不淪ノ友情トヲ致ス
明治四十四年十二月七日
東京宮城ニ於テ
陛下ノ良友
睦仁 >>411
カール大公とツィタ公女の結婚に明治天皇からフランツ・ヨーゼフ1世への祝辞 明治の日本もすでに旧公室となっていたブルボン=パルマ家のツィタを、
ジタ・ド・ブールボン・プランセス・ド・パルム女王殿下と王族扱いしていたのか。 そんなにしょっちゅう来るくらいやったらいっそのこと日本に住んだらよかったのに >>408
フランスはフランスの都合でポーランド王の座を退いたスタニスラス・レクザンスキに
代償としてフランツから奪ったロレーヌを与えちゃってる
如何に外交革命であろうともロレーヌ取り上げるのはさすがにスタニスラスに不義理過ぎて無理
しかもスタニスラスはポーランド内に持ってたいくつかの所領も
王位を捨てる事で放棄せざるを得なくなってるし >>417
スタニスラス・レクザンスキは1766年に死んでるから、それ以降なら可能かも。
フランスにはロレーヌ放棄の代わりにトスカーナかネーデルラントを放棄とか? >>418
んー、ちょっと難しいかもしれない
と言うのも「外交革命」というとあたかも両方が仲良くしてるかのようだけど
実際はオーストリアによるフランスへの対プロイセン軍事支援要請と関係改善なので
オーストリア側からさらにロートリンゲンの返還要請って「お前が得するばっかやんけ!」って
フランス側に思われてしまう
んでトスカーナ、ハプスブルク領低地地方放棄って相当難しい
ロンバルディアがむき出しになっちゃうし、トスカーナ、ハプスブルク領低地地方は
ともにオーストリア財政のドル箱で失うとガチ傾く
オーストリアの財政を支えたのはフランツ1世の財政的才覚
彼の名前で多額の借金をできたことでマリア・テレジアは長く戦争できたわけだが
そのフランツ1世がロレーヌを失ってから得た最初の看板がトスカーナ
66年時点だとフランツ1世は崩御してからまだ1年で
そんなところで「トスカーナ大公」を放棄することが投資家に与える影響って結構バカにできないと思う
とか色々考えると割と難しい2つだね そりゃまぁトスカーナの方がロレーヌよりはるかに豊かだろう今でも >>420
ロレーヌ地域圏とトスカーナ州の一人当たりの所得はほとんど差がない
人口は圧倒的にトスカーナの方が大きい(およそ1.5倍) 意外にもロレーヌ公の称号はロレーヌ家が現在まで保持している。 ネーデルラントはウィーン会議でオランダにあっさり譲渡しちゃってる >>423
代わりにヴェネツィアとロンバルディアだから。
が、その後の喪失の可能性を考えると飛び地でもオーストリアとしては南ネーデルラントの方が良かったかも。 フランツ1世の弟でネーデルラント総督だったカール・アレクサンダーは、ネーデルラントの人々から人気があったらしい。 >>425
カール・アレキサンダーの在世中からプロイセン相手に
「バイエルンと南ネーデルラントの交換」なんて提案をしているから
基本方針として遠方の領土は切り離し、領土はまとめたいというのがあったんじゃないか。
時代的に植民地ではない飛び地領土はもはや維持できなかったのだろう。 >>423
そのオランダはハプスブルク家から南ネーデルラントを割譲されたはいいけど、それから間も無くベルギーが独立。
ウィルヘルミナの代には同君連合のルクセンブルクが分離してしまうなど、当初のネーデルラント連合王国から比べると領土が縮小した。 よく考えたらイギリス王室とベルギー王室はヴェッティン家で同族なんだな。
今は同族なのにあまり仲が良くないが… 19世紀 に消えるべき反動国家だった。
第一次世界大戦でやっと崩壊、遅いわ。 日本の天皇が外国の君主の葬儀に参列したのは、
このベルギー国王の葬儀のみ エリザベスが死んだら男系的にはグリュックスブルク家になるのか >>434
うん。でも公式にはウィンザー家のまま。 >>432
色々、私的感情優先でやりたい放題やってるよな。
ボードゥアンは、コンゴ独立式典で植民地支配を堂々とコンゴの文明化として肯定し、ルムンバに反論されたのにな。 >>436
それはエリザベス女王とエディンバラ公の男系子孫の姓をマウントバッテン=ウィンザーとしただけで、家名を変更したわけではない。
チャールズの代になっても、正式に家名の変更をしない限りはウィンザー家のまま。 正式発表されてなかった?
因みに次期英国王はジョージ七世と名乗るそうだ。 >>439
「姓」と「家名」の違いって。。。
日本人に日本の姓(氏)と家名(苗字)の違いを説明するのは大変なのに、
外国のをそんな短いレスで納得させるのは難しいと思うぞ。
(姓と氏、家名と苗字も厳密には違うし。。。) 何も難しくないと思うけど
ドイツだとホーエンツォレルン家がプロイセン、ヴィッテルスバッハ家がバイエルンと名乗ってるのと同じようなもの >>440
まだされてない。チャールズ王太子が即位したら自動的に家名が変わるわけではない。
(あくまで個人的な)姓をマウントバッテン=ウィンザーとしたのは1960年で、チャールズ王太子は生まれたときはウィンザーだったが、アンドルー王子などは生まれたときからマウントバッテン=ウィンザーが姓となっている。
ちなみに傍系王族(ジョージ5世の子孫)は今まで通りウィンザー姓を名乗る。 >>442
ハプスブルク家は家名と姓が同じだね
ハプスブルク=ロートリンゲン家
カール・ハプスブルク=ロートリンゲン
ロレーヌ家も同様
フランソワ・エティエンヌ・ド・ロレーヌ >>446
チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ、ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイスだから、当分はないな。 そもそも、英王室で「ジョン」って付けることまずないでしょ シャトノワ家(フランス語: Maison de Chatenois)とはなんなんだろう? 世界史版の方がテーマ別にいろんな時代や事象をくぐれていいな。
未だ邪馬台国やってるぐらいしか進んでいないペースだよ日本史は。 本当なら三月革命で滅んでいるべきだった。
よく第一次世界大戦まで延命できたものだ。 ロレーヌ家の正嫡として、ハプスブルクなんてケチのついた家名は捨て去って、
ロレーヌ姓だけ名乗ればいい。 ロレーヌ家がロレーヌ公になる前の家名はなんていうの? ウィキ見るまではロレーヌがロタール由来だとは思いもよらんかった。
ラテン語で月桂樹を意味するラウルスから派生してたのかと。 世界史でやったメルセン条約で分割された中フランク、ロタールの国がロタリンギアじゃなかったか。 オーストリア帝国はフランツ・ヨーゼフ1世の在位期間がべらぼうに長かったのよな ロレーヌはロレインという読みで英語圏での女性名に用いられてんな >>464
若くして即位し、長生きしないとな。
昭和天皇しかり、エリザベス2世しかり。
女王は君主の最高齢はともかく、最長在位は子供の時に即位したルイ14世を立て抜けるかな。 >>466
エリザベス女王は今年在位66年だから、
フランツ・ヨーゼフ1世の68年まで2年(これは確実に抜くだろうけど)、
ルイ14世の72年まではあと6年だから微妙かも… ママは100歳まで生きたからね。
矍鑠としてるかどうか、摂政を立てるかどうかはあるけど、可能性は十分でしょ。 君主じゃないけど、オットー大公は1922年から2006年までの84年間、ハプスブルク家の家長だった。 エディンバラ公はグリュックスブルク家の傍系のデンマーク王家の傍系のギリシャ王家の傍系なのによくエリザベス女王と結婚できたと思う。
現に当時から、貧乏な亡命王族で王配としては不相応だと思われてたみたいだし。 本家のギリシャ王家は王政廃止されたけど、傍系がイギリス王家に返り咲き 新書で見たけど、レアもの シード系カテゴリーの祖なのか? >>470
エディンバラ公当時は評判悪かったんだ
むしろ、非カトリックで国や家督を継ぐ必要がない亡命王族って
王配にはピッタリだと思ってた
第二次大戦後だと亡命してない王族の方が少ない気がするし >>474
ジョージ6世がエディンバラ公をあまりよく思ってなかったらしい。 >>475
女王ママとも折り合い良くなかったみたいだぞ。
ウィンザー公の場合と違って、王族の端くれではあったから許容したんでしょ。 >>470
傍系とはいえ、血筋はすごい。
祖父にギリシャ王ゲオルギオス1世 、曾祖父にデンマーク王クリスチャン9世、高祖父にロシア皇帝ニコライ1世、高祖母にイギリス女王ヴィクトリアがいる。 マリア・テレジアはプロイセンのフリードリヒ2世のほかにスペインのカルロス3世との婚約の話もあった。 カール6世の2人娘はどちらもロレーヌ家の公子と結婚してるんだな
カール6世の1人息子が成人すれば良かったのにな >>481
マリア・テレジアに夭逝した兄がいた。
成人していたら少なくともオーストリア継承戦争はなかった。 なんでカール6世は親戚とはいえ、小国のロレーヌ家のフランツ・シュテファンを婿にしたのかな? >>484
女帝の意思だったようだ。
結果的に大正解だったが。 フランツ・シュテファンはマリア・テレジアのことが好きだったのか? >>487
逆に好きじゃなかったら16人も子供作れんだろw フランツ・シュテファンのお父さんは、
息子をハプスブルク家へ婿入りさせるだけでなく、娘もルイ15世に嫁がせようとしていた。 しかしマリア・テレジアも子供たちの扱いの差が酷いな。
基本政略結婚の道具扱いなのに
お気に入りのマリア・クリスティーナは恋愛結婚を認めて莫大な持参金も用意、領地はチェシン公国にネーデルラントという厚遇ぶり。 フランス王家とギーズ家の血で血を洗う権力闘争はなかなか面白いです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています