ハプスブルク家を語る
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ハプスブルク家(ドイツ語: Haus Habsburg)は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)の貴族。
古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。
中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系となった。
また、後半は形骸化していたとはいえ、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国の皇帝位を中世以来保持し、その解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占したため、ビスマルクによる統一ドイツ帝国から排除されるまで、形式的には全ドイツ人の君主であった。
ヨーロッパ随一の名門王家と言われている。 オーストリアの公爵はライヒシュタット公とホーエンベルク公の2つしかない。 カミさんや子供の影に隠れて存在感の薄いフランツ1世
(オーストリア皇帝じゃないほうね)
フランツ・ヨーゼフ1世以外は存在感の薄いオーストリア皇帝 フランツ・フェルディナントが暗殺されず帝位を継承してたら
フランツ・フェルディナント1世と名乗ったのか、はたまた
フランツ2世と名乗ったのか >>96
一番影が薄いオーストリア皇帝はフェルディナント1世 >>97
普通にフランツ2世だと思うけど、それだと神聖ローマ皇帝フランツ2世との区別がややこしくなるw でもフランツ・ヨーゼフ1世も最初はフランツ2世になる予定だったし、フランツ・フェルディナント1世の可能性もないわけじゃないか。 ナポレオン3世がフランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンを
メキシコ皇帝に据えてたけどその後…(´;ω;`) メキシコ皇帝マクシミリアンは1867年失脚し銃殺刑に処された。「顔だけは撃たないでくれ」と銃殺隊員のメキシコ兵に金貨を配ったが、逆に狙い撃ちにされたという。 皇帝即位に兄のフランツ・ヨーゼフは反対してたし、マクシミリアン本人も断ろうとしていたけど、皇后になりたい妃のシャルロッテに説得されて受けてしまった。 ウィーン宮廷には、マクシミリアンはフランス皇帝ナポレオン1世とフランツ1世の皇女マリー=ルイーズの一人息子であるライヒシュタット公爵フランツことナポレオン2世と母・ゾフィーとの不倫による婚外子ではないかという噂があった。
その場合、マクシミリアンはナポレオン1世の孫、フランツ1世の曾孫ということになる。このゾフィーとナポレオン2世の不倫問題とマクシミリアンがその賜物であるという説は歴史家によって退けられている。
これが本当なら、ナポレオン3世なんかよりよっぽど正統性があるように思える。 ハプスブルク家はなぜか帝国崩壊後に子孫が激増した。 君主制崩壊後に子孫が急激に激増したのはヴァルデック=ピルモント家、わずか3人の男子しかいなかったのが、現在では28人の男系男子を数える カール1世って影薄いよね…2年しか在位してないからしょうがないけど >>109
それでもハプスブルク帝国最後の皇帝として永遠に記憶される。 >>104
マクシミリアンの処刑後、フランスとオーストリア=ハンガリーとの
関係って冷え込んだりした?
悪いのはマクシミリアンを巻き込んだヨメだと思うけど。 >>111
決定的な関係悪化にはならなかったけど、1867年のパリ万博の際、フランツ・ヨーゼフは皇后を伴わずに訪仏し、「妻はマクシミリアンを売り渡したフランス人のところへ行きたがりません」と嫌味を述べている。 ナポレオン2世ってかわいそう。マリー=ルイーズひどすぎ! フランツ・ヨーゼフ1世とナポレオン2世は従兄弟同士 >>20
12世紀の「領地持ちのグントラム」が遡れる範囲でのハプスブルク最古の先祖
グントラムの孫ヴェルナーが築いたハービヒツブルク(鷹の城)が家名の由来
その後オットー2世が伯爵位を得てハプスブルク伯を名乗った 。 ごめん10世紀だった、あとヴェルナーは曾孫だった。
グントラム金満公の孫ラートボトはメッツ伯家(のちのロレーヌ家)のイタと結婚している。 >>121
アルザス公アダルリック(エティヒョー) ロレーヌ家のフランス語版Wikipediaの内容わかる人いる? ロレーヌ家のフランス語版Wikipediaの内容わかる人いる? 日本語版Wikipediaだとロレーヌ家の祖先はジラール家になってる。 エティヒョー家の系図はどこまで信憑性があるのか不明 ・14世紀への移行期には、ハプスブルク家の素性をローマ市民の一族、それもコロンナ家とする伝説ができた。コロンナ家の起源はトゥスクルム伯を経てユリウス家(ユリウス・カエサル)に至っていた。
・ローマ人説と並んで、フランク人説もある。フランク人を経てカロリング朝、メロヴィング朝、トロヤ人まで遡及するもの。ローマは素通りされている。
これは西部との結合を目指すもので、マクシミリアン1世が強く主張した。
・素性に関する空論が時代遅れになっても、ハプスブルク家の起源をシュヴァーベンとエルザスのアレマン公エティヒョー家に求める説は依然として残った。ロートリンゲン家もエティヒョー家起源とされる。提唱者は17世紀のフランス人ヴィニエ。
その後のハプスブルク=ロートリンゲン家には、歴史的伝統と神の配慮という神聖さが添加された。
この説は、ハプスブルク家がドイツを支配する際に「キリスト教的・ゲルマン的」イデオロギーとなった。
12世紀のグントラムは確実に生きていた人物で、彼がエルザスのノルトガウ伯グントラムと同一人物なら、エティヒョー家起源説は正しいことになる。
終始一貫してユリウス一門を自称してたわけじゃなくて、一族内でも主張はブレてたんだな。 ジラール家(フランス語:Girardides、ドイツ語:Gerhardiner)またはマットフリーデ家(ドイツ語:Matfriede)[1]は、ヨーロッパでもっとも古くから続く貴族の家系の一つであり、その起源は8世紀にさかのぼることができる。
その家名は時代によって変わり、初期の世代はジラール家(ドイツ語:ゲルハルト家、始祖ジェラール伯から)またはアダラール家(ドイツ語:アダルハルト家、フランク王ルートヴィヒ1世のセネシャルであったアダラール1世から)と呼ばれ、
パリ伯やメッツ伯(メス伯)を継承し、カロリング家とはたびたび姻戚関係を築いた。
11世紀半ばはマットフリーデ家(マトフリード家)と呼ばれ、メッツ伯を継承したが、ロレーヌ公となった後はシャトノワ家と呼ばれた。
さらに18世紀、ロレーヌ公フランツ3世シュテファンがオーストリア女公マリア・テレジアと結婚した後は、ハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ばれるようになった。 現在のハプスブルク家の家系図とかではどうなってるの? ジェラール1世(パリ伯)
ルタール1世(パリ伯)
アダラール1世(メッツ伯)
アダラール2世(メッツ伯)
ジェラール1世(メッツ伯)
ゴットフリート(ロタリンギア宮中伯)ジェラール2世(メッツ伯)
リシャール(メッツ伯)
アダルベール2世(メッツ伯)
ジェラール4世(メッツ伯)
ジェラール(ロレーヌ公) ロレーヌ家の祖先については大きく二つの説があって、一つはハプスブルク家と同じアルザス公エティヒョーを祖とするエティヒョー家説、二つは上にも出てるパリ伯ジェラール1世を祖とするジラール家説がある。
一昔前はエティヒョー家説もとられることが多かったが、現在ではエティヒョー家説を提唱する学者はほとんどおらず、ジラール家説が有力となっているらしい。 一応フランス語版をグーグル翻訳で翻訳したけど、当然間違いもあるだろうけど大体こういう内容だった。 ドイツ語版だとジラール家→シャトノワ家→ロートリンゲン家→ハプスブルク=ロートリンゲン家になってる。 ハプスブルク家もロレーヌ家もそれぞれアルザス=ロレーヌの古くからの貴族だからお互い関係が深いな。 高校の世界史教科書で地方貴族とされてたフランツ・シュテファン ロレーヌとブルゴーニュがいつもごっちゃになるんだけど皆さんは地理的にちゃんと把握されておられるでしょうか?
ザクッとでいいので現在の地名でどの辺からどの辺までがブルゴーニュでロレーヌか教えて下さい
フランスの地理には非常に疎いもので宜しくお願いします >>142
ロレーヌ:フランス北東部の地方、パリ盆地の東部からボージュ山脈の西斜面まで広がる高原地帯で、ルクセンブルクとブルゴーニュ、ドイツとフランスの間の十字路にあたり、古くからしばしば領有が変った。
ブルゴーニュ:フランス中東部の地方、リヨンの北部に位置する山がちの地方。北流してセーヌ川に注ぐヨンヌ川と南流してローヌ川に注ぐソーヌ川の上流部に当たる。 フランツ・フェルディナント大公の孫フランツ・フェルディナント・ホーエンベルクは、ルクセンブルク女大公シャルロットの長女エリザベートと結婚している。
この二人の長女が日本のテレビにもたびたび出演するアニタ公女で、彼女は幼少期にルクセンブルクの宮廷で育てられたらしい。 レストレーションは無理だよな
民族主義が基本の現代で、ハプスブルク家が民族統合の象徴になれる国って無いもの
むしろ男系を前面に出して、アルザス・ロレーヌの地域住民の首領になるほうが戦略としては現実的かな?
今後はロレーヌ家で行けばいいよ
だいたいハプスブルク家よりヴォーデモン家の方が血統も上だし歴史も古い、何せシャルルマーニュの末裔だし >>141
ロートリンゲン地方はヨーロッパ屈指の要衝地帯だし資源もある。ヨーロッパ諸侯がこぞって欲しがり戦争仕掛けるような場所。領地が小さいと言っても結構格はある。
広いばかりで、まとまりの無いど田舎が所領の大半だったハプスブルク家からしてみればフランツ・シュテファンとの結婚は願ってもない縁組だったんだよね。 すぐに放棄させられたけど。 帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦 昨日の深夜、BSプレミアムでエリザベートの特集があったけど見逃したorz マリー・アントワネットとエリーザベトだったらマリー・アントワネットの方がまともだと思う。二人とも最期は悲惨だけど。 よく考えたらマリア・テレジアとフランツ・シュテファン、マリア・アンナとカール・アレクサンダーでハプスブルク家とロレーヌ家の二重結婚なんだな。 弟(マクシミリアン)
息子(ルドルフ)
妻(エリザベート)
甥(フランツ・フェルディナント)
が相次いで非業の死を遂げ第一次大戦のさなかに亡くなった
フランツ・ヨーゼフ1世(´・ω・`) フランツ・ヨーゼフ1世「もし帝国が滅亡しなければならないなら、少なくとも品位をもって滅亡すべきである。」 >>154
銀河帝国皇帝フリードリヒ4世「どうせ滅びるならせいぜい華麗に滅びるがよいのだ」 フリードリヒ4世「よいではないか。人類の創成と共にゴールデンバウム王朝があった訳ではない。不死の人間がおらぬと同様、不滅の国家もあるまい。余の代で銀河帝国が絶えて悪い道理がなかろう。どうせ滅びるなら、せいぜい華麗に滅びるが…よいのだ。」 >>156
フリードリヒ4世のこの達観してる感じ好きw 「インディジョーンズ若き日」の大冒険って外ドラでインディが
カール1世と会うシーンがあったような ×:「インディジョーンズ若き日」の大冒険
○:「インディジョーンズ若き日の大冒険」 特別名君ではないが悪君でもない、凡庸な人物という評価>フリードリヒ4世 カール5世以降のハプスブルク家の君主で傑出した人物って
マリア・テレジアとヨーゼフ2世くらいだよね、他は凡君ばっか
でもだからこそハプスブルク家の栄華は長続きしたのかもね >>162
レオポルト1世、レオポルト2世は名君、むしろヨーゼフ2世は無能とはいわないが、それほど有能ともいえない。 レオポルト1世ってオイゲンを取り立てて、オスマン帝国からハンガリーを奪取、ハプスブルク帝国再興のきっかけをつくるなど、ハプスブルク家中興の祖といえる皇帝なのに知名度があまりない気がする。 即位前は放蕩の限りを尽くして勘当同然だった
みたいな説明があった筈。
治世も臣下に投げっぱなしで万暦帝がモデルっぽい。 戦国時代の日本と交流してた頃のスペインはハプスブルク朝時代か スペインはハプスブルク朝時代に黄金時代とその後の衰退を
味わってるような 皇帝の名でもあるマクシミリアンはマクシムとエミリアンの
造語だってのを人名関連の書籍で読んだことがある。 スペインはブルボン家に王朝交代したらパッとしなくなったな、凋落の一途を辿る一方だし、何度か王政廃止されるし、そのたび王政復古するのはすごいけど。
オットー大公が1961年にフランコからスペイン王位を打診されてるけど、現在の状況を見る限り断って正解だったかも。 >>165
そこからカール6世までの皇帝の功績って
マリア・テレジアがちょっと後で目立つことで概ね見えないことにされてるな >>162
カール5世の弟フェルディナント1世は頗る有能
治世の大半でカールの影に徹してたし即位から10年程で没してるから目立たないけどな >>165
>オスマン帝国からハンガリーを奪取
奪取後のハンガリーでハプスブルクに対する反乱がおきたけど,
リーダーであるラーコーツィ・フェレンツ2世の亡命を受け入れたのが
他ならぬオスマン帝国w >>170
受け入れてたら(その後を引き継いでスペイン国王となってたであろう)
息子のカールがベネズエラのチャベスに"Por que no te callas"と
ゆうてたんかな? スペイン国王になってたらそれぞれ、
フランシスコ・ホセ1世とカルロス5世になってたのか。 >>176
オットー大公は「フランツ・ヨーゼフ2世」になるはずだった。
名前もフランツ・ヨーゼフ・オットー フアン・カルロスとフェリペとクリスティーナ夫妻のアホ共のせいでスペイン王制はガタガタだしな
フアン・カルロスは動物愛護団体の名誉総裁であるにもかかわらず現地では合法とはいえ象を狩りまくって大炎上、
フェリペは立憲君主の立場も忘れて露骨な中央政府寄りの発言でカタルーニャ市民の気持ちを一方的に踏みにじった
クリスティーナ夫妻に至っては公金横領問題で刑事事件にまで発展するという前代未聞の大醜聞を起こした
スペイン国民の中にも最近は王制廃止派も増えつつあるというし、このままではレオノールの即位まで王制が維持出来るかどうかも怪しいな フアン・カルロス1世も晩節汚さなければ名君だったのに… >>180
カタルーニャのときは内心はどうあれ、中立を保って形だけでも対話や融和を呼びかけるべきだったと思う。
あれでは国王自ら王室に対する不信感に火に油を注でしまったも同然。 スペイン王制は風前の灯…とまではいかなくてもかなりヤバいのは確かだな
特にカタルーニャ市民なんかは心が完全に王室から離れてしまっているし、もはや修復不可能なレベル
エレナ王女のところのバカ息子辺りが王制にトドメを刺すんじゃないかと個人的には思ってる アブスブルゴ家がスペイン国王になってたらここまでグダグダにはならなかったかも? >>185
いやオットー大公がスペイン国王になってたらという話 >>170
確かにフランコ総統はオットー大公にスペイン王位を打診していたみたいだな
血統主義者ではあったようだが必ずしもブルボン家にはこだわっていなかったようだな
だがオットー大公が断ったことでスペイン・ハプスブルク朝の復活は幻と化した
その後はブルボン家のバルセロナ伯ドン・フアンの擁立が検討されたけど
バルセロナ伯があまりにもリベラルだった為にそれもお流れとなり、
最終的にバルセロナ伯の息子のフアン・カルロス(後のフアン・カルロス1世)を担ぎ出すことでようやく落ち着いた、と 同じブルボン家でもスペインとルクセンブルクでは大違い。 ユーロバブルで、EUのもと民族対立、地域対立、宗教対立は止揚されて解決したと早とちりしたんだよ。
経済が躓くと忽ち噴出。
レティシアは平民バツイチ以前にカスティリャ人なわけで、スペイン王妃にしちゃいけないんだ。
ベルギーのフィリップも、建国以来の禁忌である「ベルギー人との結婚」(アホのロアンですらやらなかった)をやっちったからな。
最後のベルギー国王になる可能性はある。 ベルギーはレオポルド2世の代で王制が倒れなかったのが不思議なくらい
近代史上稀に見る大虐殺者だぞ オットー大公もスペイン王位を承諾すればよかったのにな、千載一遇のチャンスだったのに
祖国への想いは分かるけど万に一つも有り得ないオーストリア帝位やハンガリー王位の復辟よりは
遥かに現実的だったはず >>190
次代のアルベール1世が名君だったから王制廃止を免れたのかも、
ベルギーはオーストリア=エステ家が継承できたらよかったのに… >>191
1961年は長男カールが生まれて、さらに帝位継承権を放棄した年、タイミングが悪かった。あと、本人がスペイン王位にそれほど関心がなかったのもあるかもしれない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています