第一次世界大戦で力及ばず、民族自決の原則で解体されたオーストリアはハプスブルク帝国。
しかし、解体の直前まで、ロスチャイルドをバックに、広大な国土を統合する鉄道建設がすすめられ、銀行制度が整備され、中欧の大国として近代国家の道を着々と歩んでいました。

その大帝国の力は、モーツァルトやシュトラウスの音楽やユーゲントスティル様式の建築は勿論のこと、
経済学のハイエクやベームバヴェルク、論理実証主義、そしてEUの源泉をなした汎欧州主義など、学問・思想の各方面に及びました。

しかし、1918年、敗戦の結果無残に崩壊したオーストリア帝国は、本来ドイツ語圏だった南チロルまで切り離されて、やがてこのような文化・芸術の伝統も衰え、欧州の二流国として、地味な道を歩む運命となります。

しかし、いまでも、かつてハプスブルクの版図に含まれていた、トリエステ(現イタリア領)、リボフ(現ウクライナ領)、オラディア(現ルーマニア領)などを訪れ、
その素晴らしい建築の遺構に触れるたび、この欧州の大国が永遠の幻のかなたに消えてしまったことを、悔やまずにいられません。

もし、ハプスブルク帝国が21世紀の今現存していたら、どんな国になっていたでしょうか。